Takamiy、25周年ベストなぜ歌い直したのか 転機となった2014年
INTERVIEW

Takamiy、25周年ベストなぜ歌い直したのか 転機となった2014年


記者:木村武雄

撮影:

掲載:17年08月28日

読了時間:約20分

ヴォーカリストTakamiyをより意識させたのは2014年だった

 THE ALFEEの高見沢俊彦のソロプロジェクト「Takamiy」が活動25周年を記念して、8月30日にベストアルバム『美旋律 ~Best Tune Takamiy~』をリリースする。THE ALFEEに新しい音楽を落とし込むための挑戦の場でもあるソロワーク。『主義-ism:』から始まったソロ作品は『Kaleidoscope』『Fantasia』『雷神』という第二期を経て、15年のシングル「誘惑の太陽」へと流れる。今作はそうした作品のなかから選曲し、全て歌い直した。これら楽曲を通じてソロにおける音楽的変遷を伺い知ることはできるが、なかでも鍵となるのは2014年。この年を境に歌い方が変わった。なぜ歌い方を変える必要があったのか。そしてなぜ歌い直す必要があったのか。また小説家デビューもする。先日、THE ALFEEの横浜公演で「やり続けていれば扉が開く」という発言をしていたがその真意とは。高見沢は自著『あきらめない夢は終わらない』(幻冬舎)で「『どの曲が一番好きか』と聞かれれば『今作っている曲』と答えたい」と綴っている。それならばTHE ALFEE、そして、Takamiyの「今」の音楽は過去の経験とこれまで発表してきた音楽の積み重ねと言えるだろう。今作の『美旋律 ~Best Tune Takamiy~』も然り。歴史を紐解くことで「今」の音楽、“ヴォーカリスト”としてのTakamiyの背景が見えてくる。

喉を壊したことが全ての始まり

――『美旋律~Best Tune Takamiy~』では全ての曲でヴォーカルの録り直しがおこなわれています。

 全て歌い直しました。2014年に喉を壊し、大事には至りませんでしたが、これまで出ていた音域が出せなくなってしまい、かなりきつい日々を送っていました。本当に厳しい1年でした。シャウトやがなりなどで喉に負担をかけてしまったことが原因ですが、それ以降はそういう歌い方をやめて、今の歌い方にしました。

 今回のアルバムにも一部の曲が収録されていますが、それまでの『Kaleidoscope』(2007年7月18日発売)や『Fantasia』(2010年8月25日発売)ではそういう歌い方をしていたので、今聴くと違和感を感じるんです。これなら今の歌い方で歌い直してみたいなと思って、それで選んだのが今回収録の楽曲です。「今歌い直したい歌」を『Kaleidoscope』『Fantasia』『雷神』(2013年7月31日)やシングルから選び、歌い直したということです。

――思い入れの強さは全ての曲に共通していると思いますが、今回の選曲はそうした思い入れの強さという基準ではなく、違和感が強かった楽曲だったということですね。

 その通りです。歌い直したいという思いが強かったということです。お話されたようにどの曲ももちろん思い入れは強いですよ。「騒音おばさん VS 高音おじさん」は今一番、ライブで盛り上がる曲ですし。作詞したクドカン(宮藤官九郎)くんの世界観が最高ですね。

――今作と当時発売されたそれぞれの曲を聴き比べてみると違いは分かります。特に『Fantasia』に収録の「エデンの君」はその違いがはっきりと現われていて印象的です。

 全然違いますよね。私も、「エデンの君」や「Fantasia 〜蒼穹の彼方」などのハードな曲は全然違って聴こえますから、曲自体が変わったように聴こえるのが面白いと思っています。

ソロの歴史

Takamiy

 『美旋律~Best Tune Takamiy~』は、ソロプロジェクト「Takamiy」の25周年を飾るベストアルバムですが、改めてソロの意義についてお聞かせ下さい。THE ALFEEでは様々なジャンルの音楽を取り入れながら進化しているという印象があります。一方のソロは、THE ALFEEに新しい音楽を落とし込むための活動の場と話されており、「挑戦」という位置づけかと思われます。

 その通りです。なぜ、ソロをおこなうかというと、THE ALFEEのなかで曲を作るクリエーターな部分を僕が担当しているので、THE ALFEEのなかでやっているだけではなく、外に出て色んなアーティストと一緒にコラボした方がクリエーターとしての刺激になります。その刺激を受けてまたTHE ALFEEに帰るというように。常にTHE ALFEEという感覚でソロワークをやってきましたから、色んな部分での挑戦、新しいものは自分への刺激と捉えています。

――ソロとして初めて出された作品は、1991年6月12日発売のアルバム『主義-ism:』です。当時を遡りますが、ソロをスタートさせた背景を改めて教えてください。

 1991年だからもう随分前ですね。ソロアルバムを出さないかという話を頂いたんです。もともと3枚を出すというお話でしたが、そこで提示された条件は、まずロンドンで録音するということ、そして、プロデューサーをたてるということでした。それまで自分でやっていましたから、プロデューサーがどういうスタジオワークをするのかと興味を持ちまして。当時はまだバブル時代でしたので、1枚のアルバムに4人くらいのプロデューサーをつけて、曲によって代えるということでした。そこにも興味があって、それで始めたのがアルバム『主義-ism:』です。

――その経験で得たものはありますか?

 そこでは、コンピューターを使ってレコーディングをしていることが多かったので、勉強になりました。日本に帰ってきて、THE ALFEEに活かした部分も多々あったので無駄ではなかったですね。でも大変でした。4人もプロデューサーがいるから、午前中はこっち行って午後はあっち行って、明日はそっちに行って、という具合に。ロンドン中を駆け巡っていました。まだ若かったからそれができましたけどね。でもプロデューサーそれぞれに個性は違っていましたので、楽曲によって振り分けたというのは正解だったと思います。

――『主義-ism:』に収録された楽曲を去年の『真夏の夜の夢:Takamiy 3Days Billboard Live TOKYO 2016』でも披露されました。その模様は今作の初回限定盤Aにも収録されています。その時は当時とアレンジは変えたのでしょうか。

 『主義-ism:』の楽曲は、意外とそのままのパターンでやりました。『主義-ism:』のイメージはロマンティシズムでしたので、メロウな曲が多かったんです。それで当時は、次に出すアルバムは少しハードにいこうかと思っていましたが、相手の環境変化によって『主義-ism:』で一旦終了になって…。そのためロマンティシズムの集大成のアルバムが『主義-ism:』です。

――『主義-ism:』の16年後に『Kaleidoscope』を、その3年後には『Fantasia』、更に3年後に『雷神』をリリースされています。その間にもインスト作品などは発表していますが、これらは『主義-ism:』とは別括りという印象がありましたが、そのお話しですと、『主義-ism:』の延長線上にあるものと捉えることができます。

 ずいぶん期間が空いているから、その続きというよりもTHE ALFEEではやらなくなってしまったハードなものを2007年にやってみようと思って、それでソロ第二期が始まりました。しかし、そういう流れでは『主義-ism:』の続きでも考えられなくもないですね。

――『主義-ism:』の16年後に出された『Kaleidoscope』では、色んなアーティストが作詞を担当されていました。

 自分で作詞をした曲もありますが、あえて色んなアーティストに作詞を頼みました。

――今回のベストにも収録されていますが、当時「騒音おばさん VS 高音おじさん」を出されたときはどういった心境でしたか?

 これは歌詞が先にきて曲を作ったんです。「騒音おばさん」を歌詞に載せてくるのはさすがだなと思って(笑)。これはやりがいがあるなと思いました。それで、どういう曲にしようかと、自分の興味も湧きました。

――リリー・フランキーさん(Elvis Woodstock名義)作詞の「Super Star」はいかがでしょうか。

 普段、エロいことを言うオヤジから出てくる言葉とは思えないですよね(笑)。『Fantasia』でも書いてもらって(「Snake & Marguerite」、Elvis Woodstock名義)、そっちはちょっとエロかったけど。「Super Star」は今の時代にピッタリ合うなと思いました。僕はいい歌詞だと思っています。

――前記の楽曲などもそうですが、『Kaleidoscope』の中でも異色感が強いものを選ばれたような印象を受けます。

 『Kaleidoscope』は全部が異色だから、「歌い直したい」という単純な理由です。みんないい歌詞を提供して頂いたので、それぞれ思い入れも強いですけど、「騒音おばさん VS 高音おじさん」「Super Star」「禁断の果て」などは今の声で歌ってみたいという思いが強かった。ライブでもやっていますからね。

歌い直すことで際立った美しいメロディライン

――『主義-ism:』ではロマンティズムを追求され、ソロ第二期を告げる『Kaleidoscope』では歌詞の提供を受けることで新たな領域を広げ、『Fantasia』では更に深化させ、そして第二期を締め括る『雷神』と流れます。2014年に喉を壊されたというお話がありましたが、2015年7月15日発売のシングル「誘惑の太陽」ではEDMなど新しい音楽と取り入れるとともに、歌唱の変化を象徴するように、今の歌い方になっています。その「誘惑の太陽」も今回、歌い直しています。この意図は何でしょうか?

 これは単純に最近の曲なので歌い直さなくても良かったんですけど、これまでの曲を歌い直しているので、「こいつもやっとこうか?」みたいなことですよ(笑)。歴史を振り返ったときにこの曲だけ歌い直さないのも中途半端だなと思いまして。

――これまでリリースされた作品を聴いた時に2014年以降は歌い方に変化があるというのは誰もが感じることろかと思います。それ以降なのが「誘惑の太陽」で。その違いはオリジナルを聴いても顕著です。

 結局は丁寧になったということです。今までは乱暴だったから(笑)。色んな事をやっているので時間がないからいつも最後に歌を入れるですよ。時間的制約のなかではどうしても限界があって。だけど、そういう部分では「ヴォーカリストとして歌をちゃんとやれよ」ということで、2014年に神様が試練を与えたんじゃないかなと思っています。

――先ほどもお話がありましたが、これらの作品、そして今回のベストを通じて、ソロとして向き合ってきた音楽の変遷が分かります。その変化を通して、高見沢さんからは声に対する美意識、美への追及を感じられます。

 美かどうなのかはわからないんだけど、自分の声が高いからそれがあまり好きでない部分もあるんです。それで、がなっていたというのもあるんですよ。でも喉を壊してからちょっと大事にしようと思って、丁寧に歌うことを心掛けるようになりました。そうすると逆に、昔の歌い方よりも、今の歌い方の方がメロディラインははっきりわかるんです。これは僕の場合ですが、変にシャウトするよりもロックっぽくなるんだなと思えました。

 こうして歌い直した曲を聴いて改めて感じる印象は「メロディがちゃんとしているな」ということでした。どんなハードロックであろうと僕はメロディを大事にしてきましたから、メロディが際立ったなと感じました。これまでも大事にしてきたことは「メロディをちゃんとしよう」という点ですので、よりそこが強くなったと思います。

――美しいメロディを強く意識するのはなぜですか?

 単純に、美しいメロディが好きだからです。クラシックでもどんな楽曲でも、メロディがしっかりしていないと自分では嫌なんです。だからメロディラインが綺麗なものは他のどんなジャンルの楽曲でも大好きだし、ハードロックでもメロディがちゃんとしている曲の方が好みです。

――高見沢さんは幼少期からクラシックに触れる機会があったと聞いています。そうした考えはその頃から受けてきた影響もあるのでしょうか?

 クラシックが好きだったというのはあるかもしれませんね。クラシックはメロディの宝庫なので、そこで自分がインスパイアされたところは多いです。ただ、クラシックは長いから、“そこ”にいくまで時間がかかるんですよね。だから、メロディがちゃんとしたものというのは自分なりに構築したいと常々思っています。

――前回のインタビューでも伺いましたが、世界的指揮者・西本智実さんとのクラシックコンサート『Innovation Classics』でもギターを演奏されましたが、その経験で得たものはありますか?

 オーケストラと自分のギターの融合は、最初はどうなるものかと思いましたが、2年続けてやって良い形で刺激になりました。だから5月に出したTHE ALFEEの新曲「あなたに贈る愛の歌」もクラシックの要素を加えたアレンジになりました。

美への意識と感覚

――高見沢さんからは音からも容姿からも美を感じます。その源流は何にあるのでしょうか?

 例えば夕焼けを見たり、虹をみたりして綺麗だなと思う気持ちは誰しもが持っていると思います。そういった美しい風景や美しいメロディを感じる感性というのは失いたくないと思っているから、そこを自分の作品に取り入れていきたいとは常々思っています。人間は美しいものには心癒される部分があると思っているから、自分が作り出す作品も、美しいメロディとかそういったものを目指しています。

――三島由紀夫の作品を読まれると聞きましたが、三島由紀夫は言葉や文においても美を追求した人です。

 三島由紀夫に限らず多くの本を読みますが、日本語として美しい文体の本は好きです。

――「美」を感じるのは要素の一つに「気づき」があろうかと思いますが、「気づき」という点において現代は希薄になっている気がします。

 情報量が多いですし、世界中で共有もできてしまう。そこが便利で良いという部分もあるけど、やはり人間の感性を濁らせている部分もあるかもしれませんね。誰もが同じものを共有するので、自分が、どれが本当に良いと思っているのかわからないんですよね。みんなが共有しているものが必ずしも良いとは限らないですから。音楽だけは、自分が発信するものは、自分の個性、THE ALFEEという個性を大事にしていきたいと思っています。

――高見沢さんはギターの音でも声でも、濁りがなく一音が凛と響くという印象があり、それは今作でもそのように感じます。その前にも喉を壊されたから歌い方を変えた、というのがありますが、それがなくとも変化していたのではないかと思います。前回のインタビューでもTHE ALFEEは3人のコーラス「3声」が重要と話していました。

 THE ALFEEの場合はコーラスがメインでやってきたので。コーラスは3人の声が塊で聴こえるラインがあるんです。それを追求していくと聴いていて気持ちいいメロディライン、美しいハーモニーがあって、さらにそれを追求していく、ということを続けています。それは必然的に昔からやっていたという部分はありますね。

 僕がTHE ALFEEに入る前、それはアマチュアの頃ですね。その頃はロックをやっていました。THE ALFEEの前身「コンフィデンス」はサイモンとガーファンクルとか、本当に美しいハーモニーをメインにやっていたグループだったんです。

 逆に僕はそれにインスパイアされた部分があります。それまでフォークソングというのをやったことがなくて、2人に出会ってからそういう曲を聴くようになったんです。そこに、僕がやってきたロックの要素を上手く取り入れて、今のTHE ALFEEのサウンドが確立されたのかなと思います。

THE ALFEEが売れたきっかけ

――THE ALFEEがあるからソロが出来るという話もされていました。その根幹にあるTHE ALFEEについてお聞かせください。フォークグループとしてデビューされ、その後、様々なアーティストのバックバンドを務められました。しかし、売れるまでに10年の月日を要しました。売れるきっかけはどういったものだったのでしょうか。

 売れることはヒット曲を出すということなんでしょうけど、それはみんなプロになったら目指しますよね。僕らの場合は最初、オリジナルで評価されたグループではなくて、イーグルスとかの洋楽のコピーが上手いグループということで評価されてデビューをすることになったグループです。だからオリジナルはなかったというのが正しくて、最初はプロの作家が書いた作品でデビューしました。

 当然そうなってくると、自分達の主張がないように思われてしまうんです。遅いんだけど、デビューをして2、3年経って「曲を作らないとまずいかな」と思って、曲を作り出しました。だけど僕はロック畑でやってきたので、フォーク的なものをよく知らなかったんです。それは坂崎とかに聞いたりレコードを聴いたりして勉強しました。どうしてもオリジナルでヒットを出したいという気持ちが強くなってきて。そこの時点でも時間がかかっていますから。

 歳を重ねていくなかで、ロック寄りのこともやりました。しかし、それまでは異なるレコード会社からリリースするということになって、それで再び3人だけのアコースティック路線に戻りました。そのときに、この路線でやっていくんだろうなと思っていたのですが、ボサノバやタンゴっぽい曲など色々な楽曲も作っていました。でもことごとく外れるんですよ。

 言われたものを作っても売れないとなると、自分の音楽の嗜好であるロックの方向へ行くんですね。それで自分の好きな方向で作っていこうということで、バンドも少しずつアコースティック路線から、ドラムやキーボードを入れてロック調にしていこうじゃないかというバンド改革を始めるんです。それが1981年くらいですかね。

 なぜそうしようと思ったかというと、お客さんがある時に熱狂するんです。3人のアコースティックなのに総立ちになっちゃうんですよ。そうなってくると、オーディエンスに合わせるような楽曲も欲しくなってくるんです。そうするとロックっぽい曲も作るようになって。そういうことをすることによって、アコースティックサウンドも活きるようになっていきますから、これは幅広くなっていいなと思ったんです。

 1982年に初めての野外コンサートを所沢航空記念公園でやって5000人動員したんです。それに手応えを感じて、それで「この路線でやっいこうじゃないか」ということになったんです。それで曲を作っていって少しずつ伸びてはきていたんですけど、爆発的なヒットにならなかった。

 だけど1983年に、ヒットはないのに日本武道館公演だけ決めちゃったんですよ。結成10周年ということで。その武道館公演までにヒットを出そうというメンバー全員の思いと、レコード会社全員の思いで出した楽曲があって、それは、初動は50位までいって良かったんですけど、そこからまた落っこちちゃったんです。そこで僕はもうある程度のヒットは無理だなと思って、コンサートは続けていきたいけど「もうヒットはいいかあ」と少し諦めが入りました。

 そのときアルバムを作っていて、武道館までにもう1枚シングルを出さなければならなかったんです。アルバムからのシングルカットにしようということになって、当時のディレクターが選んだのが「メリーアン」だったんです。僕はもうどれがいいのかわからなかったので、「いいですよ。それでいきましょう」ということでシングルカットしたんです。そうしたらそれがヒットしちゃったんですよ。

 自分的にはヒットを狙ったものではないものがヒットしたので、「事故」ですよね(笑)。だってあれだけ一生懸命やったのがひとつもヒットしなくて、「もういいんじゃないですか?」というなげやりになった曲がヒットするんだから、わからないものですよね…。

――その時は戸惑いがありましたか?

 武道館公演が成功して、それから徐々に売れてきたのでそのコンサートの影響もあるのかなと思いましたけど。ベストテン番組が全盛の時代で、そのなかのあるコーナーで、これから来そうな楽曲として取りあげてくれたんです。大阪城野外からの中継だったので、それがかなり大きかったと思います。テレビの力もあったんですかね。

――ヒットがなかなか出なかった時期は不安もありましたか?

 ファンの方には認められていたけど、一般的なヒットというものはありませんでしたからね。そこはジレンマというか、自分の才能の限界かなとか思っていましたけど、コンサートはできている訳だし、そこで良しとしようという部分はありました。だから「メリーアン」が出てちょっとホッとした部分もあるけど、これで安泰だなと思っていたらディレクターが「次はどうする!?」って。

 「メリーアン」の次のシングルは「星空のディスタンス」なんですけど、今でも覚えているのが、ディレクターが「いいか高見沢、ここで頑張らないと一発屋で終わるか、次も繋げられるか、その別れ際だ」と、次の曲が大事だと言うんです。「またやるのかよ…」みたいな。だから「星空のディスタンス」がヒットしたときは「メリーアン」がヒットしたときとは違った意味で嬉しかったですね。

 もうヒットしてからの方が大変ですよね。次もやらなければいけないから。そのまた次、また次……という感じで終わりのない中間テストを受けているようなものですよ。終わらないですから。でもおかげさまで「メリーアン」からずとベストテンに入っていて、そこは凄くありがたいと思っています。(編注=今年5月発売の「あなたに贈る愛の歌」でオリコン歴代2位の51作連続シングルTOP10入り記録を更新)。

やり続けていれば扉が開く

――ところで、7月29日・30日に横浜アリーナで開催されたTHE ALFEE『31st Summer Best Hit Alfee 2017夏フェスタ』のときに「やり続けていれば扉が開く」というお話をされていましたが、その意図は何でしょうか?

 例えば10年でやめたら15年目の新曲はないんです。30年でやめたら40年目の新曲もないんです。40年でやめちゃったら43年目の今年の新曲「あなたに贈る愛の歌」はない訳で、やはりやり続けていると新しい曲が必ず生まれてくる訳で、その中でクラシックというのも生まれてきたんです。やらなかったらそれは目の前には出てこなかったもので、今は小説も書いていますから、それはやり続けてきた結果です。

 まさか自分が小説を書けるとは思っていなかったし、そういう扉も出てくるんです。やり続けることにおいて、何か新しい扉が目の前に出てきて、それを開けるとまた違う扉が出てくるんです。やり続ける意味というのはその繋がりでしょうかね。

――扉や壁に対して「もう駄目かもしれない」と、諦めるという方も多いと思うのですが、その一歩が進めるというのは経験としてでしょうか?

 やはり3人でやってきたというのが強いのかもしれません。1人じゃ無理だったから。3人という塊で乗り越えてきた部分があるし、それぞれ個性が違うので乗り越える場面もそれぞれ違うのかもしれないですけど、常に3人で壁を乗り越えてきたという自信は自分の中にあります。コンサートは2639本かな? それくらいこなしてきたという自負もありますからね。(※編注=7月30日開催の『31st Summer Best Hit Alfee2017夏フェスタ』で日本のバンドとしては最多となる公演数記録を更新)。こうなったらできる所までやっていきたいという気持ちが強いから、そのなかで色んな新しい扉が目の前に現れたら開いてみようと、そういう気持ちです。

――先ほどもお話がありましたが、そのなか70年代のロックを中心にした青春群像小説『音叉(おんさ)』という作品で小説家デビューされます。

 当初は自分では小説なんて書けないと思っていました。でも知らないうちに経験というものが、自然に蓄積されていくんだろうね。小説は、エッセイを依頼されて書いたら編集の方にいたく気に入って頂いて、「書きませんか?」と言われたんです。背中を押されたようなものですよ。僕にできるだろうかと不安もあったけど。

 自分の経験というフィールドは音楽畑なので、音楽一筋でやってきた人間の表現方法もあるのかもしれないと思って、やってみようかと思った次第です。

――THE ALFEEの初期の頃にエッセイのように歌詞を書いて「歌詞はエッセイではない」と言われて勉強されたと聞きました。

 僕は詩が好きなのでよく読んでいたんです。歌の歌詞については少し楽観視していたのですが、いざ書いてみたら歌詞ほど難しいものはないなと改めて痛感しました。なので、逆に難しいことを書いていたら「これ歌にならない」とディレクターによく言われたりして。歌詞の重要性というのはミュージシャンにならなければわからなかったです。作詞家には凄いと思う方がたくさんいます。自分なりの表現がありますからね。THE ALFEEにも個性がありますから、それはやっていくなかで培ってきたものだと思います。

――私は高見沢さんの歌詞は素晴らしいと思います。

 そうなの? 僕は、歌詞は駄目だなとずっと思っていて。アレンジやメロディは自信あるんだけど歌詞はなかなかね。でもそういう風に言って頂ける方も少しずつ増えてきて、そうやって言われると「そうか、俺は大丈夫か」ってと思うんです。褒められて伸びるタイプだから(笑)。

――褒められると伸びるタイプなんですか。

 「そうか、俺は良いんだ」と思うことね。人間ってそうじゃない? 「お前は駄目な奴だ!」と言われたら駄目になっちゃうよ。「いいよ!」と言った方が良いんだよね。そういう意味でも昔より歌詞はできやすくなりました。

――9月2日・3日にパシフィコ横浜 国立大ホールでソロコンサート『Takamiy 真夏の夜の夢2017 -Night of Pacifico-』があります。

 今回はアルバム『美旋律~Best Tune Takamiy~』を引っさげてのコンサートになりますけど、去年、ビルボードでやったイメージと今までやってきたちょっとメタルなイメージをミックスしたようなコンサートにしたいし、ギタリストとして鳥山雄司さんと初めてやるので楽しみなんです。サウンドも変わると思うし、Takamiyならではのコンサートにしたいと思っています。

(取材=木村陽仁)

作品情報

□Takamiy Best Album「美旋律~Best Tune Takamiy~」
2017.8.30 リリース

<初回限定盤A>
TYCT-69117/8 3,800円+税 / 2CD(CD+ボーナスCD)≪Special CD[未発表曲集&真夏の夜の夢Billboard Live TOKYO 2016 ベストセレクション]収録曲≫

<初回限定盤B>
TYCT-69119 3,800円+税 / CD+DVD≪Special DVD [MV Collection]収録曲≫

<通常盤>
TYCT-60106 3,000円+税 / CD

商品詳細サイト
http://www.universal-music.co.jp/takamizawa-toshihiko/news/2017/07/28/

コンサート情報

□高見沢俊彦ソロプロジェクトTakamiyソロライブ
公演名:Takamiy 真夏の夜の夢2017 -Night of Pacifico-
日程:9月2日(土) OPEN 17:00 / START 18:00
9月3日(日) OPEN 16:00 / START 17:00
会場:パシフィコ横浜 国立大ホール

関連サイト

□THE ALFEEオフィシャルHP
http://www.alfee.com/

□ユニバーサル ミュージック 高見沢俊彦オフィシャルHP
http://www.universal-music.co.jp/takamizawa-toshihiko/

□ユニバーサル ミュージック THE ALFEE オフィシャルHP
http://www.universal-music.co.jp/the-alfee/

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