氷室京介「LAST GIGS」ラストは35曲、BOØWY「B・BLUE」で締め

氷室京介
氷室京介が23日、東京ドームで、4大ドームツアー『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS』の最終公演をおこなった。このツアーをもってライブ活動を無期限休止する。関係者によれば今後の活動は全く未定だが、創作活動を続けていく意向で、氷室もMCで「アルバムを作っていきたい」と語った。また、この日も、氷室のキャリアの集大成とも言える、BOØWY時代の楽曲をふんだんに組み込み、圧巻の歌唱力と完璧な演奏、そして凄まじい歓声のなかで約3時間半、全35曲が届けられた。大歓声に押されトリプルアンコールに応えた氷室は最後に、バンド時代の「B・BLUE」を熱唱した。
ソロアーティスト最多の東京ドーム公演数
これが最後だとは思えないほどの圧巻のパフォーマンス、そして凄まじい観客のパワーだった――。氷室は2014年、52本にもおよぶ全国ツアー『25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED- FINAL DESTINATION』の周南公演(7月20日)で“ライブ活動無期限休止”を発表。その後の横浜スタジアムでの追加公演で、耳の不調が原因であることを明かした。当初はこの公演をもってライブ活動を休止する予定だったが、悪天候による一時中断や骨折を抱えてのパフォーマンスでは満足がいかなかいとしてリベンジを誓った。それが今回のファイナルコンサートツアー。
本ツアーは4月23日・24日の大阪2DAYSを皮切りに、4月29日・名古屋、5月14日・福岡と巡り、東京は5月21日・22日・23日と全7公演を展開。主催者発表では、このツアーで30万人超を動員。東京公演は1公演で5万5000人、3公演で16万5000人を集めた。このチケットを取得するための予約応募総数は40万件にものぼり、チケットを求めてオークションなどで高く転売される事象も発生したことから、急遽、ステージバックを開放してリアルビューイングシート2000席を設けた。そして、氷室は自身が持つ男女ソロアーティストによる東京ドームでの最多公演記録9回から12回に更新した。なお、BOΦWY時代もラストコンサート『LAST GIGS』で2回のドーム公演をおこなっている。
「JUST A HERO」がなかったら今の俺はない
この日はバンド時代の「Dreamin'」から始まり、そのまま間髪入れずに「RUNAWAY TRAIN」へと移行。5万5千人の大歓声、そして、本ツアーを帯同してきたCharlie Paxson(Dr)、西山史晃(Ba)、大島俊一(Key)、DAITA(G)、YT(G)、Tessey(Manipulator)の完璧な演奏にのって、BOΦWY、ソロの楽曲を織り交ぜて、凄まじいグルーヴのなかで、キャリアと同じ年数の数字である全35曲を熱演した。
氷室が、自身のツアーでBOΦWY楽曲をふんだんに組み込むのは、BOΦWYに向き会えるようになったとしておこなった2004年の『KYOSUKE HIMURO "21st Century Boowys VS HIMURO"』(東京ドーム)と、2011年の東日本大震災復興支援チャリティライブ『KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME “We Are Down But Never Give Up!!”』(東京ドーム)の2度だけ。
氷室はその理由について、同ツアーの名古屋公演で「東京しかやっていないから、大阪や名古屋ではバンド時代の曲をやったら喜ぶかなと思った。最後まで楽しんでほしい」と語っていたが、この日、改めて以下の通りに説明した。
「バンド時代の『JUST A HERO』への想い入れが強くて。当時、ライブハウスからバンドが大きくなっていく過程で、ブレイクする前に出来た作品。子供から大人になっていく時期で、それまでガキの集まりだったけど、それぞれがプロ意識が芽生えて、人間関係が複雑になっていって。その時からギター、ベース、そして打ち込みの機材を買って、デモテープを作るようになった。そんななかで出来た曲が『唇にジェラシー』や『わがままジュリエット』、『ミス・ミステリーレディ』なんだけど。佐久間正英さんという名プロデューサーで最高のアレンジを付けてくれて。想い出深いアルバム。それが無かったら俺はいなかった」
凄まじいほどの熱気
「東京ドームが好きで、節目に使っているけど、今日のドームが最高だね」――。そう氷室が語ったようにこの日は、これまでの公演とは比に類を見ないほどのボルテージだった。大合唱、大歓声、大拍手。5万5000人が一斉に起こすそれらの行動は凄まじいほどの熱気を帯びた。それは東京公演初日が二日目公演の熱気を生んだように、大阪、名古屋、福岡での公演の熱気がこの日に全て集まっているようだった。
最後の姿を脳裏に焼き付けるように大歓声を送る。一方、氷室の音楽やパフォーマンスに敬意を示すように、バラード曲では手拍子や体を揺らす程度でじっくりと聴き、アッパーな曲はとてつもないエネルギーで楽しむ。そのサウンドで映える氷室京介の歌声には魂が込められ、力強くも繊細で圧巻だった。
「Dreamin'」からの「RUNAWAY TRAIN」、「LOVER'S DAY」からの「CLOUDY HEART」、「WARRIOUS」からの「NATIVE STRANGER」、「WILDROMANCE」からの「ANGEL」、「JEALOUSYを眠らせて」からの「NO NEWYORK」、「VIRGIN BEAT」からの「KISS ME」はすさまじった。特に、自身の想いれが強く、BOØWYの『LAST GIGS』で最後に披露した「NO NEWYORK」は今までに見たことがない光景が広がっていた。
B'z松本孝弘とGLAY・TAKUROとの秘話も
目に涙を浮かべた東京初日に対してこの日は、いつも以上に氷室から笑顔がこぼれ、リップサービスもみせた。生活の拠点を米国ロサンゼルスに置いているが、ツアーが始まる前に交流のあるB'zの松本孝弘とGLAYのTAKUROと焼肉に行ったことや、その場で今後の音楽活動について話が及んだとも述べた。そこでは冗談交じりに「60歳ごろまでにアルバムを作りたいかな。還暦だからタイトルは『還暦』。1曲目は『60』で、2曲目は『年金』とか話した」と笑わせたが「時間かけてアルバムをつくろうかなと思っている。これはマジで」と言ってファンを喜ばせた。
本編中は、氷室もメンバーも、ファンも悲しみを一切感じさせなかった。しかし、最後の歌「B・BLUE」が終わると儚く夢は覚め、悲しみがこみあげてくる。奇しくもBOØWYの『LAST GIGS』の最初に披露された曲だった。ロック界にとってまた伝説が刻まれた夜だった。なお、主観をふんだんに入れたライブレポートは後日、掲載します。(取材・木村陽仁、村上順一)