シンガーソングライターの平原綾香(32)が、元サッカー日本代表の中田英寿氏(39)に心酔していたことを明かした。

 8日に放送された、日本テレビ系『行列のできる法律相談所』にゲスト出演した平原は、中田氏を異常なくらい好きだったことをテレビで初告白。家族で住まいのある東京から、中田氏の母校である山梨県立韮崎高等学校まで車で出かけ、その周りをただ走るという変わった家族ドライブをしたという。

 番組で公開された当時の平原の手帳には、中田氏の出場する試合の日程が書き込まれていた。更に友人から、中田氏が住んでるという噂のあるマンションの情報を聞くと、そのマンションまで趣き「ベランダに出てくるかもしれない」という期待から、ただひたすら眺めていたという。

 2006年のサッカー、ドイツワールドカップでの日本対ブラジル戦前に、平原は出演したラジオ番組内で「日本が勝ったら、スクール水着姿で2003年のシングル『Jupiter』を歌います」と宣言。

 試合は、日本は先制するも、その後逆転を許し、1対4で敗れた。そして、この試合を最後に中田氏は現役を引退した。平原はスクール水着公約は免れたものの、複雑な心境で大好きな中田氏の現役最後の試合を見てしまったことを後悔しているという。

 その平原の家族は音楽一家で、父である平原まことは現役マルチリード奏者。祖父の平原勉はトランペット奏者。姉のAIKAはシンガーソングライター、サクソフォンプレイヤーで現在、アメリカのロサンゼルスを拠点に活動している。元サッカー日本代表でサッカーJリーグ、ギラヴァンツ北九州の本山雅志選手とは親戚にあたるようだ。

 ちなみに、平原のデビューシングル「Jupiter」は、19世紀末から20世紀初頭に活躍した、イギリスの作曲家であるグスターヴ・ホルストの「木星」(管弦楽組曲『惑星』の第4曲)の主題の1つをモチーフにして、作詞家で小説家の吉元由美が詞を付けたもので2003年にリリースされた。

 2004年10月23日に起きた最大震度7を観測し、多くの死者を出した新潟県中越地震の被災者への応援ソングとして新潟のラジオ局で多数のリクエストを受けた。その後もロングセラーを続け、遂に2006年にはミリオンヒットを記録した。オリコン週間チャートで1位を獲得せずにデビュー曲がミリオン突破したのは、1999年の倉木麻衣「Love, Day After Tomorrow」以来、7年ぶりの記録だった。

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