制作終盤で生まれたPIGGY BANKSらしさ、新譜は1年の記録音源
INTERVIEW

制作終盤で生まれたPIGGY BANKSらしさ、新譜は1年の記録音源


記者:木村武雄

撮影:

掲載:16年04月08日

読了時間:約21分

矢沢洋子・keme・akkoによるPIGGY BANKS。アルバム制作課程の記録が楽曲として「タイムスリラー」に収められている

矢沢洋子・keme・akkoによるPIGGY BANKS。アルバム制作課程の記録が楽曲として「タイムスリラー」に収められている

 矢沢洋子らで結成されたガールズバンド「PIGGY BANKS」(ピギー・バンクス)が6日に、ファーストアルバム『タイムスリラー』をリリースする。ギタリストのkemeと、ベースのakko(ex.GO!GO!7188)を擁する。それぞれ別の音楽キャリアを歩んできた3人。潮流のごとくぶつかり合ってできた渦潮はまさに千変万化。サウンドも歌詞の世界観も、そして彼女達も多彩な表情をみせる。最初にライブで奏でた高揚感が忘れられないとその年の2014年に結成。足早にライブを重ねると翌年には今作制作のための期間を設けた。猪突猛進の制作期間の最後の方でようやく生まれた「PIGGY BANKS」らしさ。最初の頃に出来た楽曲も収録された今作。まさに彼女達“らしさ“が確立するまでの軌跡を収めたドキュメンタリ音源ともいえる。そして、矢沢洋子にとっては初のガールズバンド。これまでソロやユニットで活動してきた彼女がこのバンドで掴んだものとは。鹿児島在住のakkoとはテレビ電話を繋ぎ、3人に話を聞いた。

“楽しかった”その感動がバンド結成へ

――PIGGY BANKSの結成の経緯は?

矢沢洋子 2年前の4月ですかね。もともとライブ活動をしていたなかで、当時は男性のスタジオミュージシャンの方と一緒にやっていたんですね。ライブハウスに遊びにいったり、出演もしますし、いろんなバンドさんの音楽を聴いたり、交流する機会も多いところで、やっぱり私も「バンドをやりたい」という思いがどんどん大きくなっていったんです。バンドをやりたいと一言で言っても、どうしようかなという感じで。

 自分的にもちょっと迷っている時に、もともと仲の良かったギターのkemeちゃんが「もし機会があったら私ギター弾くよ」と言ってくれて。ベースのakkoちゃんは以前から知り合いだったんですけど、akkoちゃんは当時、別のバンドでやっていて。そのバンドのライブを見に行ったんです。会うのは久しぶりだったんですけどね。それで私はその時点で出演するライブが決まっていまして、当初はそのスタジオミュージシャンと一緒に出る予定だったんですけど、「せっかくだったらガールズバンドとして出たいな」と思って、akkoちゃんに「ベースを弾いてもらえないでしょうか」とお願いしたら「ああいいよ!」と言ってもらえて、そこからですね。

 最初はバンドというよりは、“一夜限りのパーティーバンド”的な感じでした。ドラムも決めて、練習して、という風に。だから、「PIGGY BANKS」というバンド名もまだない状態でライブに出たんです。また次の機会があって、その次の機会があって。「やっぱりバンドって楽しいな!」となって、じゃあバンド名も「PIGGY BANKS」にして、音源も作ってリリースして、ライブもできたらいいね、というところからですね。去年はアルバムのための制作だったりとか、ライブをしたり、そういう1年間でした。

――その一夜限りでやった時の印象は?

矢沢洋子 ライブのクオリティで言うと、時間がたっぷりあった訳ではなかったのでドタバタだったんですけど、私的にはとにかく楽しくて「ああ、これがバンドなのだ!」って(笑)。ああ、こんなに楽しいんだっていう。「バンドなのだ!」っていう喜びがあったんです。

――kemeさんはその時はどうでしたか?

keme 私は今までもライブはいっぱいやってきたんですけど、でもこんなに緊張するのは久しぶりだなって思って。

矢沢洋子 全員すっごい緊張してるんです(笑)

keme 「リズムとかこんなに早いんだ」って思って。全員が前に前に行って更にどんどん早くなって「弾けない! 弾けない!」となって。それであっという間に終わるという。

――ライブの経験も豊富なのになぜ緊張を?

keme ドラムが走り始めて、皆も走っちゃって、全員がもう「誰が先か?」みたいになっちゃって。それだけ緊張していました。プロなのにこんなに緊張するんですねって。(編注=「走る」この場合は、演奏テンポがどんどん速くなるの意)

――終わった後はどう感じましたか?

Keme  「楽しかった〜!」って感じ。

矢沢洋子 やたらみんな凄く良い笑顔で終わって。

――その時のライブで演奏した曲とかも今回のアルバムに?

矢沢洋子 その時はPIGGY BANKSのオリジナル曲が無い状態だったので、私がもともとやっていた方の曲だったりとかカバー曲などですね。

――akkoさんはその時の印象はどうでしたか?

akko なんか文化祭みたいな感じでしたね。

矢沢洋子 本当にそんな感じ。

akko 私も久しぶりの激しめのライブだったので、本番はすごい緊張して「手、動かねえ!」という感じで。でも、とにかく気持ちだけでも「ウワァ!」とやって。「すごいグダグダだったけど、すごい達成感があったね」みたいなのが、文化祭っぽいなって。楽しかったですね。

――その後また何度かやる機会があって、その時に「またやりますよ」という話が持ち上がった時は心がウキウキしていた状態?

矢沢洋子 そうですね。2回目のライブは、ちょうどkemeが何年もやっている企画のイベントだったんですけど、それで出演する事ができて名前も「PIGGY BANKS」って。その名前があるだけでも前回とはちょっと違う意気込みというか、そういう感じで臨んだんです。ちなみにその時もやっぱりカバーででした。

――それはいつ頃でしょうか?

keme 一昨年9月ですね。

――3回目は?

keme 12月の「COUNTDOWN JAPAN」ですね。まさかの。

――結成間もなくして「COUNTDOWN JAPAN」ですか。短いスパンで、猛スピードで駆け抜けましたね。

矢沢洋子 そうですね。ライブは一昨年、3回くらいしかしてないですね。ただ、3回目の時点ではもう「来年は音源を作って…」という目標を自分達で作っちゃっていて。

この記事の写真

記事タグ 

コメントを書く(ユーザー登録不要)

関連する記事