悲しいことは辛いことではない
――ファンの人とそうでない人と、2つのメッセージを下さい。
2つ?(笑)。他のインタビューで「お客さんに何を伝えようと思って歌っていますか?」と聞かれたんですけど、伝えたいというのはなくて、私はMCでよく「幸せでいてください」とか「元気でいてください」とか言ってしまうんですけど、別に幸せじゃなくても良いし、元気じゃなくても良いと思うんですよね。でもスゴく思うのは、悲しいことは決して辛いことではないと思うんです。それを歌っているなかでスゴく言いたくて、そのために音楽があるような気がして。音楽が唯一ではないかもしれないけど、悲しいことを悲しいと言って許されるもののひとつだと思っているんです。歌で伝えていきたいですね。
――歌詞ではなくて音の方に本音がある?
周りの人にも「詞を大事にしているよね」と言われるんですけど、もちろん歌詞を大事にしていますが、音の方も大事ですね。
――今までの曲の歌詞を読ませてもらったんですけど、詞の文脈はさまざまであえて言えば人格がそれぞれいるというか、そう思いました。だけど、音には統一感があると思ったのですが。
そうかもしれないですね。
――その時の自分の状態によって歌詞は変わりますか。
変わると思いますね。180度は変わらないですけど。何を聴いて思われましたか?
――「ミカヅキ」、「ふうせん」、「来世で会おう」も言葉尻が全部違ったので。
それは無意識ですね。聴いてもらう人のことは考えているんです。裏話ですけど、「来世で会おう」に関しては、歌詞に「もうこれ以上願っているだけじゃ」というのがありますが、最初は「願っているだけじゃ」のところは「願ったところで」だったんです。でも、それだとネガティブすぎるから「もっと私はポジティブじゃないか」と問いかけて「願っているだけじゃ」にしたというのはありますね。
――書き変えるのは音よりも歌詞の方が多い?
そうですね。歌詞の伝わり方というのを最近は気にするようしています。
――ところで、酸欠少女という名前ですが、これについてはどのように思っていますか?
もともとは昔作った「酸欠少女」という曲のタイトルで、今でもその時の思いや気持ちで曲を作ったり活動したりしているので、切り離せないものですね。「息苦しいの?」とか物理的に取れられすぎて困りますけど(笑)
――生物は呼吸が大事ですが、呼吸は生理的におこなうわけで、精神とはまた異なるところにあると思います。厳密にいえば、思考は脳のなかで起こるので酸素を必要としますが。今日のお話を聞いて、その“酸欠”という言葉を使用している“酸欠少女”。物体と精神の境目が“酸欠少女”にあるのかなと思いました。そこの狭間で歌い届けているのがさユりさんで。
そう言ってもらえて嬉しいです。ファンじゃない方には、まず、ライブに来て歌を聴いてもらいたいです。
最終的には音になりたい
――ライブで歌っている時はどのような感覚になっているのですか。
自分に憑依というのもおかしいですけど、その時の苦しみとかを音に託すという気持ちがあるんで、それこそ幽霊というか実態はあるんですけど、今出来ているかわからないですが、最終的には音になりたいです。
――ライブでも映像とリンクされていますが、その音になりたいというのと、映像というのはどのように絡まっていくんでしょうか。
私は映画も好きで、やっぱり目から呼び起こされるものもあると思うんです。そこで記憶とか匂いとかが、映像があることによって皆さんに伝わりやすくなれば嬉しいですね。
(取材・木村陽仁)