誤解を払拭したい 財部亮治にみるYouTuberというクリエイター
INTERVIEW

誤解を払拭したい 財部亮治にみるYouTuberというクリエイター


記者:木村武雄

撮影:

掲載:16年02月21日

読了時間:約15分

ゴスペルでの活動歴もあり、クラブ等で培った下積みもある財部亮治

ゴスペルでの活動歴もあり、クラブ等で培った下積みもある財部亮治

 「YouTuber」は、自作の動画をYouTube上に公開して活動するクリエイターのことを言うが、一般的には「クリエイター」という認識は日本ではまだ低いとも言われている。顧みて海外、特に米国ではその存在を高く評価され、かの有名なジャスティン・ビーバーはまさに「YouTuber」として歌手活動を展開し、その後、大物マネージャーに見出されてトップスターになった。財部亮治も日本で活動する「YouTuber」の一人。10代を中心に人気を誇っており、ゴスペルでの活動歴もあり、クラブ等で培った下積みもある。その彼は今、「YouTuber」のイメージを払拭したいとも語っている。そもそもなぜ「YouTuber」の道を選んだのか。そこには多くの人に気軽に楽しんでもらいたいという思いがあった。

 まずはこの動画を観てほしい。

ゴスペルなどで基礎を作る

――音楽を志すようになったきっかけは?

 僕は福岡で、中学生の時にギターを始めて、高校で軽音部に入ってバンド活動をスタートさせて。歌う事は昔から好きで、大学ではアルバイトでゴスペルの団体に入って、結婚式場や学校、養護施設で歌っていました。この頃に、音楽を表現することの楽しさを覚えて、様々なジャンルにも触れました。

 大学卒業後は、音楽から離れて普通に就職したんです。配属先が大分県内。結婚式場でウェディングプランナーをやっていました。でも、その時に、ゴスペルをやっていた時の知人の繋がりで、新たに福岡で立ち上げる音楽事務所に「男性ボーカルユニットを作りたいから一緒にやらないか」と誘われたんです。それがきっかけで、「また音楽をやりたいな」という気持ちが芽生えたんです。

――そのまま音楽事務所に?

 結局、その事務所には入ることはありませんでした。でも、そうやって誘ってくださることはありがたい話で。当時、僕の周りで音楽をやっている人が何人かいて、キラキラと輝いていたんですね。そういう姿をみて「僕もやりたいな」と思って。その気持ちが次第に強くなって結局は、勤めていた会社を辞めたんです。それからは福岡で9カ月間ぐらい違う仕事をしてお金を貯めて、それで上京しました。

――東京ではどんな活動を?

 渋谷で歌っていました。最初に入ったのはモデル事務所で、音楽のオーディションがあると聞いて、そこでまた音楽の事務所に入ったんです。でもうまくいかなくて…。事務所を辞めて「自分でやっていこう」と決心して。渋谷のクラブで月に10本はパフォーマンスをして歌っていました。でも「このままじゃダメだ」と思って。

――それはどうして?

 来てくれるお客さんは誰かのファンであって、やっぱり自分のファンではないんですよね。応援してくれる人はもちろんいましたけど、渋谷のクラブで定期的に歌っていくと、出演者も同じような顔ぶれになって、ファン層も固定化されて広がりがみられない。「もっと色んな人に向けて歌いたい」と思って、そこで始めたのがYouTubeなんです。

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