元ちとせ(はじめ・ちとせ)や中孝介(あたり・こうすけ)ら鹿児島県奄美大島出身の歌手には独特の歌い方がある。ファルセットを使った特徴的な節回しは、奄美に古くから歌い紡がれている「奄美シマ唄」と言われている歌唱法。元ちとせの「ワダツミの木」や中孝介の「花」などに代表されるそれは、シマ唄の歌唱法をポップスに取り入れたものだという。同じ三線を使う沖縄民謡とも異なる。奄美の音楽文化やシマ唄の特長について、日本民謡協会奄美連合大会で優勝し、NHK「みんなのうた」で楽曲「目をとじても」が再放送されるなど話題を集めている、奄美大島出身の歌手、中孝介に話を聞いた。

沖縄シマ唄とも異なる奄美シマ唄

中孝介に聞く奄美シマ唄とは【1】

中孝介の歌声は海外でも“楽器”のようだと話題だ

――シマ唄の歌唱法とは

 グィンと言われる独特のコブシとファルセットを多用して歌う奄美民謡です。奄美にしかない歌唱法です。シマ唄をやるとおのずと、裏声が出せるようになります。人によって使い方は様々でその人の「味』が出ます

――シマ唄はどのような場面で歌われるものですか

 神様に捧げる歌だったそうです。各集落にノロ神様というのがいて、村の豊穣を願い、神様に歌を奉納したというのが奄美の起源と言われています。各集落で毎年旧暦の8月15日に8月踊りという豊年祭が行われていて、そのお祭りでは男女が輪になって太鼓を打ち、歌いながら踊ります。それが歌になって、後に三線が入ってきて、今のようなスタイルになったとか。もともとは三線はなかったようです。

――沖縄の三線とは異なりますか

 違います。長さは一緒ですが、全く異なる楽器です。三線はニシキヘビの皮を胴に貼るのが伝統で、素材は沖縄と一緒ですが、弦とバチは違うものです。奄美は、弦は高い音が鳴るように沖縄のものよりも細く。バチは沖縄は水牛の角を指にはめて弾きますが、奄美は竹の皮を薄く裂いて割り箸くらいの幅で。それを指に挟んで弾きます。

――音色は全く異なりますか

 違います。奄美の三線はどちらかというと津軽三味線に近い音色です。また、旋律は奄美大島独特のものを持っています。どちらかというと、琉球音階よりは日本民謡の音階の方が合わせやすいですね。沖縄の民謡とコラボしようとしても全く出来ません。

――伝統的な歌唱法であれば“大人が子供に教える”という伝承文化の様なものがありそうですが、中さんはどの様に学ばれたのでしょうか

 私の場合は独学でした。地元のCDショップに行くと色んな歌い手さんのCDが売っていて、知っている名前のCDをかき集めて、聴いて、真似して、といった感じです。

――その歌い手さんは現地だけで活動されているシマ唄のミュージシャンですか

 そうです。そのなかの一人に、元ちとせさんがいらして、CDショップには元さんのシマ唄のCDもありましたし。奄美だけで活動しているプロのシマ唄の歌い手さんは多く存在します。僕の同世代にもいます。

――奄美で活動されている歌い手さんと、中さんのように全国で活動されている歌い手さんの違いは?

 シマ唄の歌い手さんのなかにはポップスが苦手な方もいます。シマ唄とポップスは全く異なるもので、その異なる音楽を、歌唱法だけでなく感性をうまくミックスチュアができるかが重要な要素でもあったりします。ポップスに馴染ませるのが難しいと言いますか…。

――演歌歌手がポップスを歌うとコブシが利きすぎるような?

 それに近いと思います。「ビブラート効かせ過ぎじゃあ?」みたいな感じになるということですね。癖が出過ぎたりとか、逆に“ノベー”となってしまったりする部分はあります。ポップスや歌謡曲に関して言えば僕の場合は、母の影響がすごくあります。母親は昔から歌謡曲が好きで家でよく歌っていました。カラオケも上手くて(笑)。後は、ピアノを小さい頃からやっていて、打楽器や管楽器なども色々やっていましたので、ポップスに柔軟に対応できたのかと思います。

――シマ唄は皆がみんなやっているようなものではない?

 そうですね、皆がやっているというわけでもありません。今では、若い子も増えてきていますが、僕が小さかった頃や学生の頃は周りにやっている人は誰もいませんでした。だから言えなかったですね「シマ唄をやっているんだ」とは。伝統音楽というと「古くさい」とか「ダサい」といったイメージがありました。年齢も17〜18だとなお一層ですね。周囲にはコピーバンドをやっていた人も多くて、ギターやベース、ドラムをやっているなかで「シマ唄?」みたいに。まあ、言うつもりもなかったですけどね(笑)

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