THE ORAL CIGARETTES、MVに隠されたもう1つのグルーヴ
INTERVIEW

THE ORAL CIGARETTES、MVに隠されたもう1つのグルーヴ


記者:木村武雄

撮影:

掲載:15年12月31日

読了時間:約9分

MVに隠されたバランスとグルーヴ

 撮影に入る前に、改めて彼らの楽曲を確認した。いつ聴いても良い楽曲だ、と思っている時にふと気づいた。彼らのMVには明かりが際立っていると。ここで過去のMVを挙げてみる。

 ▽起死回生STORY(2014年7月)

 円を描くように中心点に背を向けてメンバーが激しく演奏する。同じく円を描くように設置されている彼らを照らすスポットライトの高さは様々。主人公の少女は赤いマントと赤いグローブをつけてパンチを繰り出す。

 ▽「Mr.ファントム」(2014年8月)

 昼夜が目まぐるしく逆転する。彼らを覆う煙幕を光が照らす。

 ▽「STARGET」(2014年11月)

 廃墟のビルで七色に照らされ激しく演奏するメンバー。青と赤の和傘がくるくると回転するシーンも印象的。

 ▽「嫌い」(2014年11月)

 暗い部屋にはわずかな光。そこに写る女性は赤のワンピースを着て、鏡台の化粧品やテーブルの食器を振り落とす。

 ▽「エイミー」(2015年4月)

 背景色は白。自然と同化するようにメンバーの影に緑の木々が映し出される。

 ▽「カンタンナコト」(2015年7月)

 明かりが落とされた部屋でパソコンに向かって黙々と仕事をする女性。それと対照的に青い色をバックに歌う山中拓也。

 ▽「狂乱 Hey Kids!!」(2015年11月)

 積乱雲が映し出される。激しく演奏するメンバーは赤く照らされ、無数のレーザー光線があらゆる角度からめまぐるしく放たれる。全面反響板の様な煌びやかな部屋も印象的。

 MVを印象付けさせる「明かり」が意味するものはなにか。色彩豊かな描写や照度の差、いわば陽と陰に何か隠されているのではないかと感じた。今回のMV撮影時に関係者に聞いた。この照度の差は意図しているものなのか―。答えは「そうではありませんが、監督がその時々の環境や物語に応じて最適な空間を演出していると思います」。

撮影現場のようす

撮影現場のようす

 今回の「気づけよBaby」の撮影現場でも明かりが強調されていた。メンバーを後ろから照らす明かりはまばゆいもので直視はできない。そして彼らの正面の左手には2つのライトが設置されていた。その強烈な閃光は、トンネルの奥に重なって、あたかも未知の世界から光線が放たれているようであった。

 そして、その明かりを背で受けるメンバー。同じようにドラムセットやギター、ベースの楽器、アンプ、ホームの柱やトンネル壁面のパネルも光を浴びていた。しかし、彼らによって光が遮断されたその先は暗い影を落とす。出来上がった映像はモノクロだが、こうしたコントラストに現場そのものがモノクロの世界になっているように感じた。

 一般的に彼らの音楽は、感情むき出しのサウンドと言われているが、果たしてそうなのか。この明かりが感情を宿すものだとしたら、対(つい)となる影の部分は何が当てはまるのか。

 物語には台本がある。それに沿って撮影を進める。環境が様変わりする事もあるが計画通りに詰めていく。そうやって初めて意図する映像が出来上がる。偶発的な事もシナリオの上によって起きるのであれば、映像を輝かせるエッセンスにもなり得る。

 彼らの音楽は緻密に作られている、というインタビューを思い出した。その先のリスナーの表情を思い浮かべながら、とも。しかし、完成した音楽は感情によってコントロールされても問題はない。いわば型に対する遊びだ。そして、出来上がった音楽のグルーヴに新たなグルーヴが加わることとなる。

モニターに映るメンバー

モニターに映るメンバー

 そうした考えは、どこか彼らのMVにも重なる。明かりの加減は言葉や態度に表れない彼らの本質が出ているのではないか。感情と緻密さのハザマにあるグルーヴ。あるいは重なって生まれたグルーヴ。それが明かりの照度で表されている。彼らのMVはいわば、ライブと音源のハザマで生まれた異なるグルーヴが映像となって表現されている。

 撮影現場では台本通りに進められた。しかし、メンバーが激しく演奏するシーンは紛れもなく感情が入り、グルーヴが生まれていた。台本という紙上で踊っていたグルーヴが、この空間、楽曲、音の大きさ、感情と相まって立体的に浮かび上がったのだ。

 先日彼らに同アルバムのインタビューを行った。本題を終えたところでこの疑問をぶつけてみた。感情むき出しのバンドと言われているが…。

 あきら「ライブでは感情が表れるけど、曲作りでは冷静で、こうやったらいいのでは、こうやって意表を突いたらリスナーは喜ぶんじゃないか。いつもリスナーの顔を浮かべて考えています」。山中「バランスが大事だと思っていて、いくらカリスマ的に技術が凄い人でも、それが相手に伝わらなかったら意味がないと思うんです。リスナーにどう届けるのか、どう聞いてくれるのかを考えて、良い音楽を届ける。バランスだと思います」。

モニターチェックをする山中拓也

モニターチェックをする山中拓也

 彼らの音楽は変調やブレイク、メンバーそれぞれの個性が反映されている。彼らの深層に触れたあとで訪れるメロディアスなサビ。ここにもバランスが隠されている。MVではそのバランス、グルーヴが明かりとなって表現されているといっても過言ではないだろう。

 最後の撮影を振り返り、奥藤祥弘監督をこう述べている。

 「見所は、“女の怖さ。を感じる、男の愚かさ”というところにあります。物語の主人公である彼女が最後に取った行動の真意とは何か? もはやそれを議論することさえも、きっと愚行なのかもしれません…。演奏シーンも、曲の世界観をどう体現するかを何度もメンバーとも話し合い、結果、非常に生々しくて泥臭い雰囲気で撮ることが出来ました。ミュージックビデオだから出せる、“ライブ以上のライブ感”が表れていると思います。周りに尊敬出来るスタッフが多いこのバンドとの仕事は、終始素晴らしい体験で、最後の最後まで勉強させてくれました。最後に、この仕事をやれて良かった!!」

 ▽「気づけよBaby」

(おわり)

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