坂本冬美、イメージは「私が惚れる男性」男歌に臨む姿勢
INTERVIEW

坂本冬美

イメージは「私が惚れる男性」男歌に臨む姿勢


記者:村上順一

撮影:

掲載:23年05月22日

読了時間:約13分

 デビュー37年目に突入した歌手の坂本冬美が10日、シングル「再会酒場」をリリースした。昨年は自身34回目となる紅白歌合戦に出場を果たし、東京スカパラダイスオーケストラと共に美空ひばりの「お祭りマンボ〜スカパラSP〜」を披露し、大晦日を盛り上げた坂本冬美。前作「酔中花」から約1年ぶりのリリースとなった「再会酒場」は、坂本の原点でもある男歌。カップリングには過去に『ENKA II ~哀歌~』で歌唱した吉幾三の「酒よ」を収録している。インタビューでは、約1年前に完成していたという「再会酒場」の制作背景から、いま坂本が再会したい人や、いま追求していきたいことについて話を聞いた。(取材=村上順一)

坂本冬美が思う美空ひばりの凄さとは

「再会酒場」ジャケ写

――昨年の紅白で、坂本さんが巻いていた帯は、美空ひばりさんのものとお聞きしました。

 ひばりさんから直接いただいたわけではなくて、ご子息の(加藤)和也さんからいただきました。藤あや子さんと一緒にある番組の企画でお宅に伺ったことがありまして、そのお礼にと、あや子さんと私にくださいました。私がいただいたのは「みだれ髪」のときにつけていらっしゃった帯でした。本当に大変貴重なものを頂戴して、ひばりさんの歌を歌わせていただく時に締めさせていただいてます。昨年の紅白は「お祭りマンボ」で出演させていただくということで、この帯を締めさせていただいて、それに合った着物を選びました。紅白の前にはひばりさんのお宅に伺って、お仏壇に手を合わさせていただいて、和也さんと奥様とお話もさせていただきました。

――「お祭りマンボ」、紅白で披露されていかがでした?

 ステージで何度か歌わせていただいてる曲でしたので、歌詞を覚えるということを改めてしなくても大丈夫なのですが、なにせ自分の曲でも歌詞を間違えてしまう紅白です。本当に緊張していて、リズムに乗って歌う曲ですし、パッと歌詞が出なかったらどうしようと思い、本当に本番ギリギリ、ステージに上がってからも「私のとなりのおじさんは」と復唱してました。緊張している私を見かねて、スカパラの谷中(敦)さんが、「楽しみましょうよ」と言ってくださり、それで吹っ切れたんです。

――坂本さんから見たひばりさんの凄みというのは、どこにあると思いますか。

 全てです。男歌、女歌、ポップス、ジャズ、浪曲、民謡、英詞の歌とあげたら切りはないぐらい、あらゆる歌を全てひばりさんのものにされてしまう。よく「七色の声」と表現されますけど、まさに色んな声色を使って、デビュー当時の声も出されますので、男の啖呵も切れますし、声を自由自在に操れる、本当に全てがすごいです。

――生前、ひばりさんとお話しされたことはあったのでしょうか。

 お話ししたことはないのですが、私がデビューする前、猪俣(公章)先生の内弟子時代にひばりさんが出演する番組収録がTBSであり、猪俣先生の勧めもあり、スタジオの隅でちょっと観させていただいたことがあるんです。その番組は映像が残っていないみたいで、私の中でも幻の出来事です。紅白前にひばりさんのお宅に伺ったとき、和也さんにそのことをお話したら、「映像、残ってますよ」と送っていただいたのですが、それがどうも私が内弟子に入る前の映像みたいで、私が覚えている番組とは違いました。

――残念でしたね...。

 ところがそのDVDの中に他にも違う番組も収録されていて、その番組こそが私が拝見した美空ひばりさんのお姿でした。

男歌を歌唱するときの心構え

(撮影:田中聖太郎)

―― 新曲「再会酒場」がリリースされました。男歌をリリースされるのは10年ぶりなんですよね?

 2年前に「俺でいいのか」という曲がありましたが、それも男歌なのですが、ちょっとしっとりした歌でした。「あばれ太鼓」や「祝い酒」のようなスカッとするような男歌としては、2013年の「男の火祭り」以来なので10年ぶりになります。

――「再会酒場」はどんな気持ちで歌われたんですか?

 「お待たせしました」という気持ちです。実は前作の「酔中花」の時に完成していた曲で、同じ日にレコーディングもしてるんです。当時は「ブッダのように私は死んだ」の後だったので、女歌を歌いたいという気持ちもありましたし、「再会酒場」を届けるのにはまだ早い、と思い1年間寝かせていた楽曲なんです。 5月10日に発売が決まって、新型コロナも5類になり、これからは今まで通り行動制限もなくなるということが発表になったので、本当にピッタリのタイミングで届けることができると思います。皆さんもこの3年間我慢が続いて、やっと開放的になってきたところに「待ってました!」という感じだと思います。とはいえ、コロナ禍でも外食はしてましたけど、どこか遠慮があったじゃないですか? これからは皆さんそれぞれが気をつけながらですが、みんなで再会を祝して乾杯というのもいいのかなと思います。皆さんがこの歌を一緒に口ずさんだりしながら盛り上がっていただけたらと思ってます。

――ところで、坂本さんの中で男歌はどのような心構えで歌われているのでしょうか。

 女性が歌う男歌ですから、こういう男性だったらいいなと思いながら歌っています。その反面、女性の部分が自分の中にあるので、私が惚れる男性というイメージもあります。

――「再会酒場」はどのような男性をイメージされましたか。

 今回は具体的なイメージというのはなくて、お酒が好きで、そして心の拠り所としてちょっと母親に似た女将さんがいる居酒屋に行ってる。家族とまた違う心の拠り所みたいなものを求めに行ってる男性です。常に寂しい人というわけではなく、お酒をたくさん飲みたいというわけでもなく、そういう雰囲気を楽しんだり、自分の時間を作りたくて飲みに行ってるイメージです。私の想像ですけど、やっぱり男性はどこか子供のように、母親に甘えたいみたいなところが大人になっても抜けてないところがあると思います。もちろん100%皆さんがそうかと言ったら違うとは思うのですが、この曲の主人公の男性は母親と女将さんを重ねてるところがあると思います。懐かしさとか、ほっとする部分とか、そういうところがいつまでも自分から抜けきれないんだなって。でもそれは、「俺はだからダメなんだよ」ではなく「しょうがねえな自分」という感覚だと思います。

――そういう男性は嫌じゃないですか?

 私は比較的そういう人を好きになるかもしれないです。自分が強いので、同じように強い男性だとちょっとケンカになっちゃったり。やっぱりどこか「しょうがないな。もう私がそばにいなきゃ」ぐらいの人の方が好きかもしれない。ですので、この曲の主人公、男性のことはよくわかるんです(笑)。

――この曲をうまく伝えるコツはどんなところにありますか。

 気持ちとしては、皆さんと再会して3年間我慢してた気持ちを開放的にして、「みんなで乾杯しよう。これからいいことあるよな」というところだと思うんですけど、歌う時に一番気をつけたいのは出だしの<開けて巣篭もり>です。曲調も明るい感じで始まるのに意外と低くはいるんですよね。ポーンっていきたいところをちょっと<開けて巣篭もり>の「あ」の音がスコーンと抜けないので、頭の部分を明るいトーンで、ポーンとタッチを強めに歌われたら世界観が明るくなっていいと思います。

――約1年前にレコーディングされた曲だと仰っていましたが、録り直したいとか思われないですか?

 この1年の間も練習しているから、確かに今の方が馴染んでると思います。でもレコーディングの時って慣れてきた歌よりも最初の2、3回目のテイクの方がいいといったケースも多いんです。回数を重ねるとだんだん計算して歌っていくようになるじゃないですか? でも最初の時ってどこか荒削りだったりして、その良さというのはもう出せないんです。今レコーディングし直したいなと思うけれど、逆に最初の方がインパクトとしてはあると思います。

――コンサートで常に更新していくみたいな感じでしょうか?

 そういう感じもありますが、先日初めてテレビでこの曲を収録した時のことです。レコーディングしてから1年が経ってるというのもあって、いまは自分なりに計算して歌っているわけです。そうしたらディレクターさんから「もっと荒削りに歌ってください。YouTubeの歌い方がいいです」と、テレビで一生懸命に歌ったものよりも、YouTubeで歌ったものの方が良かったみたいなんです。「再会酒場」のような歌はみんなで楽しく飲んで歌ってるような歌い方の方が良いんだなと、改めて思いました。

――上手く歌うことが正解ではないこともあるんですね。

 レコーディングの時、よく猪俣先生が「レコードは自分のお手本だから」と話してくださいました。歌い続けていくとちょっと変わってきたりするので、迷った時はレコーディングした時の歌を聴きなさいと。CDになって世の中に出たということは、それがもしかしたら一番いい状態なのかもしれない。ですので、歌い直す時とか当時の歌を聴き直すこともあります。そうすると、あの頃すごくいい声出してたなと思ったりするんです。

坂本冬美が再会したい人とは?

――本作のリリースに向けて、半年ぶりにユーチューバーとしての活動もありました。『坂本冬美の再会酒場放浪記』という企画で酒場に立ち寄られていましたが、どんな気持ちで回られていたのでしょうか。

 普段私は積極的に飲みに行くことはあまりないのですが、皆さんが人生を生きていく中で色んなことがあって、癒しを求めてそういうところに行かれると思います。例えば居酒屋で隣に座ってる人が他人だったとしても、ちょっとお話しをする機会もあるじゃないですか。やっとアクリル板がない状態で皆さんと楽しく飲めたり、お食事ができる雰囲気というのは最高です。「再会酒場」なので、私はマネージャーに、酒場に行って皆さんと楽しい雰囲気で飲んで、歌って帰ってきましょうよという気持ちでした。ほとんど台本もなかったのですが、その中でマネージャーが仕込んでいたのが、久しぶりの再会となったゴルフ仲間でした。

 そして、最後に訪れたお寿司屋さんは初めてお目にかかったのですが、実は紅白歌合戦に何十年もお寿司を届けて下さっているお店でした。さらに「風鈴」という曲を出した時のキャンペーンにいらっしゃった、当時まだ子供だった女の子が大人になられてという再会での感動があったりして。ゆるいYouTube 企画ですが、懐かしさや感動があって、自分自身も楽しんだ企画になりました。

――昔は坂本さんもキャンペーンで酒場を回られていたのかな? と想像しながら拝見してました。

 私の時代はそういったキャンペーンは少なくて。昔はよく「夜キャン」といって皆さん飲み屋さんを回っていたみたいなのですが、私は一度も経験がなくて、カラオケサークルが集まっている喫茶店などでキャンペーンをしてました。

――喫茶店ですか!?

 カラオケが盛んで500人ぐらいのキャパの所でカラオケ大会があって、そこのゲストとして歌わせていただいたり、あるいはカラオケ喫茶みたいな20人ほどしか入らないようなお店で歌っていたんです。とにかく現場に行ってみないとどんな感じなのかわからない。デビューから4〜5ヶ月で100カ所ぐらい回ったと思います。でも、もっとすごいのは私が行った場所はほとんど伍代夏子さんが回られていて、どこに行ってもサインが飾ってあって驚きました。

――伍代さん、さすがですね! それだけ回られているとハプニングもあったのでは?

 ハプニングという感じではないのですが、印象的だったのは徳島にキャンペーンに行った時のことです。レコード屋さんの方に連れて行っていただいた場所が民家で、車を降りて玄関をみたら靴がいっぱい並んでいて、私は「ちょっと失礼します」なんて言いながら入らせていただいて。

――それ、普通のお家ですね。

 タンスをバックにしたステージで、司会の方が「新人の坂本冬美さんです。それでは『あばれ太鼓』歌っていただきましょう」みたいな感じで紹介してくださって、そうしたら今度は奥の方にいらっしゃったおじ様が工事現場や刑事モノでみるようなライトを私に当ててくださって。私は「眩しい!」みたいなね(笑)。

――すごくアットホームなキャンペーンでしたね。

 私、大型新人ということでデビューさせていただいたのですが、大型新人なのにこういうキャンペーンやらなきゃいけないんだ、と思ったのを覚えています。心のどこかで演歌歌手の通る道なんだ、そんなことを意識しながら各地を回っていました。

――そういう方たちとまた再会できたらいいですね。

 それができたんです。徳島にコンサートで行った時に「徳島といえばすごい思い出がありまして」と話したら、「あの時見たよ」という方がいらっしゃったんです。私は「何十年も前だけど、あの時はお世話になりました」と話して、もう感動でした。そういうことがあると、あの時お邪魔して良かったなって、キャンペーンの一つひとつがしっかり今に繋がってるんだと感じました。

――いま坂本さんが再会したい人にはどんな人がいらっしゃいますか。

(撮影:田中聖太郎)

 たくさんいますけど、猪俣先生はもちろん、デビューした当初ついてくださっていた初代マネージャーの一柳さんでしょうか。当時は新人ですから移動は基本電車なんですけど、一柳さんは自分の車で送り迎えしてくださったり、先述のキャンペーンにもついてくださってました。一柳さんはキャンペーンで私が歌ってる時に、観てくださっている皆さんに必ず歌詞カードを配ってました。移動中でも、疲れているのでちょっとオフになりたいところを、一柳さんはタクシーの運転手さんに、「デビューしたばかりの坂本冬美です。『あばれ太鼓』という曲を歌ってるからよろしくね」と必ず行く先々で丁寧に宣伝をしてくれていました。本当にマネージャーの鏡ですよね。

――1番近くにいらしてた人ですね。

 デビュー前に出演した、ニッポン放送『ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』という、チャリティーの生放送が12月24日と25日にあって、まだどの曲でデビューするかも決まってない。だから衣装と呼べるものもなかったのですが洋服を集めてきてくださって。その時の衣装は黒いスカートだったんですけど、あの頃はまだ粘着クリーナーなんてないですから、一柳さんにガムテープでホコリを取ってもらったりもしてました。私は男の人にそんなことをされたことないから、ビックリしてしまったんです。でも一柳さんはマネージャーの仕事なんだから当然、なんだってやります というスタンスでした。でも私はそれに慣れてなかったから本当に驚きましたね。私がちょっと腰を押さえてたりしたら「腰、大丈夫か?」と腰を押してくれたりもして。マネージャーというのはすごいお仕事だなと思いました。一柳さんが私から離れて、「夜桜お七」をリリースした頃には入院されてしまったんです。

――体調を崩されて。

 その時に私がお見舞いに行ったら「夜桜お七」がオリコンの演歌部門で 1 位だったのかな?「ほらっ」てランキングを見せてくださって。もう私の担当から離れてけっこう経っていたのですが、亡くなるまで私のことを気にかけて、そして見守り続けてくださっていたんだと思います。そして、猪俣先生は「夜桜お七」が発売されるちょっと前に亡くなられてしまいましたが、再会したい方です。

――猪俣先生といえば、「あばれ太鼓」の時に坂本さんは「この歌は売れないですね」と先生におっしゃったというのは本当なんですか?

 そこだけ切り取られると「なんて新人だ」と思われるかもしれないのですが、私は石川さゆりさんに憧れて歌手になりたいとこの世界に入りました。デビュー候補曲が8曲くらいありまして、その中に1 曲「あんちくしょう」という女歌があって、『チャリティーミュージックソン』でも歌っていたので、私はその歌でデビューしたいなと思っていました。でも、8曲の中でちょっと苦手だなと思っていたのが「あばれ太鼓」で、それがデビュー曲に決まってちょっとショックを受けまして。デビュー曲というものは一生ついて回るものです。だから自分の気持ちだけでもしっかり伝えようと思ったのですが、ちょっと言葉のチョイスを間違えてしまい、「先生、この歌はたぶん流行らないと思います 」と、ストレートに言い過ぎてしまいました。「新人が売れるとか売れないとか、流行るとか流行らないとか100年早い」と先生に叱られました。

――そういう経緯があったんですね。最後に坂本さんがいま追求していきたいことは?

 それほど何かを追求したことがないんですけど、私は歌だけではなく、舞台やお芝居、YouTubeだったり、最終的には歌や舞台に立った時に必要なものしかやってないんです。ですので、歌を追求していくことが最終的には全てなんだと思います。歌は本当に難しいですし、もちろん楽しいこともたくさんあって、ステージに立ってる時は「何て幸せなんだろう」と思うけど、それ以上にやっぱり難しいなあと思うことがたくさんあります。そのためには歌だけではなく、お芝居など舞台に立った時の所作が綺麗に見えるように日舞の先生にご指導いただこうとか思うのも、全ては中心に歌があるからなんです。

――坂本さんがまだやったことがないことで、今チャレンジしたいことはありますか。

 今、お三味線を習ったりしてますけど、お客様の前で楽器を弾いたり、ステージで披露して「そんなこともできるの!?!と皆さんに思ってもらえることができたらいいなと思うのですが、これはなかなか簡単にできることではないんですよね...。ですので、いまやってみたいことは携帯でお金を払うことかな?

――電子決済ですね!

 そうです。買い物や食事に行かれたら、みなさん携帯でお支払いするじゃないですか。私、まだQRコードとか使って色んなことができないので、そういうことが普通にできるようにならなければと思っています。例えば電車に乗る時も改札でピッとかやったことなくて、いまだに飛行機に乗る時も紙のチケットがないと安心できないんです。そういうのを自然に格好よくやってみたいですね(笑)。

(おわり)

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