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シンガーの高橋洋子が12月19日、約1年ぶりとなる新曲「Teardrops of hope」をデジタルリリース。本作は『ゴジラ』と『エヴァンゲリオン』シリーズという二大コンテンツのコラボレーションが実現するパチンコ新機種『P ゴジラ対エヴァンゲリオン ~G細胞覚醒~』搭載曲。
高橋は代表作であるTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』主題歌「残酷な天使のテーゼ」(1995年)、『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 シト新生』主題歌「魂のルフラン」(1997年)を歌唱。2021年の大晦日には、『第72回紅白歌合戦』に初出場し、特別企画「カラフル特別企画 〜明日への勇気をくれる歌〜」で、「残酷な天使のテーゼ」を披露し、お茶の間に感動を与えた。
新曲「Teardrops of hope」の作詞・作曲は高橋洋子本人で、作曲を手掛けたのは2015年発売のマキシシングル「真実の黙示録」に収録されたカップリング曲 「新しい星」以来7年ぶり。また「残酷な天使のテーゼ」編曲や「魂のルフラン」作・編曲を手掛け、他にも多くの高橋の楽曲を担当してきた大森俊之が本楽曲の編曲を担当。インタビューでは、デビュー当時のことから、歌手としての覚悟を決めた瞬間、新曲「Teardrops of hope」の制作背景など、話を聞いた。
プロとは何かを学べた5年間
――小さい頃、合唱団に所属されていたんですよね。どんなきっかけがあったのでしょうか?
両親が合唱団の恋愛結婚で、父親が福島出身で音楽家を志していました。でも家族から反対されていて国鉄職員になり、転勤族になったんです。それで家族で合唱したりハーモニーをつけることを当たり前のようにしていました。小学校二年生の頃に合唱団があることを知り、入団しました。それ以降、今でも合唱団のみんなと繋がっているのでやりとりをしています。
――その時期に歌手としてプロになるという想いも芽生えたのでしょうか。
ないんですよ。みんなで歌うのは好きなんですけど、一人で歌うのはそんなに好きではなかったので。ソリストは一番苦手なジャンルというか。
――コーラスなどをやっていた時のほうが性に合っているなと?
そうです。
――その後、久保田利伸さんや松任谷由実さんのコーラス隊として活動されるわけですが、どんな経緯が?
久保田さんのコーラスに入ったきっかけはオーディションでした。私は当時駒澤大学のサークルに入っていたので、そのバンドでコンテストに出ました。それは優勝するとCDデビューできるというものでした。そこで「ベストボーカル賞」を頂いて。そのコンテストを主催していたのがキティレコードという会社で、「コーラスを探しているから洋子ちゃんオーディション受けてみる?」と誘われて受けたのが久保田利伸さんだったんです。
――そうだったんですね。
でも、それは期限付きのものでした。AMAZONSというコーラスグループが松任谷由実さんのツアーのため参加できなくなり、そのグループが戻ってくるまでの期間のみの活動だったんです。久保田さんは本当にいい方で、私を兄妹のように可愛がってくれたのですが、辞めるのが決まっていることもあって仲良くしていることがすごくつらくて...。離れなきゃいけないのがわかっているから、こんなにつらい思いをするのだったら「もうコーラスはやりたくない」と思いました。
――離れた時に悲しさが倍増しますよね。そして、その後に松任谷さんのコーラスを担当されて。
由実さんのツアーが終わった時、AMAZONSが久保田さんのところに戻るということは、今度は由実さんのコーラスに欠員が出るわけなんです。そうしたら今度は由実さんのオーディションに誘われて、そこで受かって5年間ツアーに参加させて頂きました。凄く、こだわりがある現場でした。今でこそダンサーとミュージシャンはある程度分けられていると思いますが、当時はコーラスだけどダンサーでもありました。とにかくめちゃくちゃ踊るんですよ。
――歌いながら踊らなければいけない。
そうです。移動距離もあるし、踊りながら歌唱していくので、大変でした。もしご興味がある方がおられたら、『WINGS OF LIGHT "THE GATES OF HEAVEN" TOUR』のライブ映像を観て頂けると、若い頃の私が踊っているところが観れるので、是非チェックしてみてください(笑)。
――80年代や90年代初期の頃はバックバンドの方も踊っていることが多かったですよね。
専門外を正に専門のごとくやらなければいけなくてプレッシャーでした。でも、あれ以上大変なステージを経験したことがないというか。
――コーラス時代はどんな期間でした?
プロとはどういうものかということを学べた5年間でした。曲が出来ていくまでの過程、音楽との向き合い方、音楽と共に生きていく姿を後ろから見ていて、トップでいるということが並大抵の努力ではないことがわかりました。それを見てきたことは私にとって宝だと思います。
諦めかけていた紅白出場
――昨年の紅白歌合戦のステージにはどんな気持ちで立たれましたか。
正直、アニソンはみんなの曲であり、私個人の私有物ではないというような気持ちがあります。アーティストが自分のアイデンティティを出して「私はこういう生き方でこの曲を歌う」というものではなく、アニメに寄り添って歌うものだから。私は1995年に歌わせて頂いた時から今も、歌い方を変えないように極力気をつけて、そのイメージが古くなることがないようにと心がけています。
色んなもので注目して頂ける時期がずっと続いていたので、「どこかでチャンスがあればいいな」と思っていましたが、数年前の紅白でアニソンメドレーのコーナーがあって、「残酷な天使のテーゼ」を別の方がカヴァーしていたんです。それを観た時に「もう私が紅白に出る機会はないだろう」と思っていました。
でも、昨年企画コーナー「〜明日への勇気をくれる歌〜」でみんなに勇気を与える曲として、アニソンやゲームが改めてピックアップされたことで、私も出演する機会ができました。『ドラゴンクエスト』、『鬼滅の刃』、『新世紀エヴァンゲリオン』という作品が繋がるコーナー演出も、すごくいいなと思いました。
実は『ドラゴンクエストライブスペクタクルツアー』に、私が出演した時に、いまずっと一緒にパフォーマンスしているダンサーさん2人と、メイクさんの女性と出会い、そこから一緒に活動することも大変多いのです。その関係値もあったので、紅白のすぎやまこういちさんのコーナーの時、みんな袖で泣きそうになっちゃって。そして、LiSAさんにもやっとお会いできたんです。SNSなどのやりとりはあったんですけど、なかなか実際に会うチャンスがなくて。間接的にですが、色んな話を伝え合っていたので、会えて嬉しかったです。
それから、私の登場直前にはアニメ映像を使った『エヴァンゲリオン』の世界観と司会の大泉洋さんのコラボ演出もあって、このような作品と楽曲と出会い、紅白という舞台に立てたというのも、感謝以外のなにものでもないという想いで歌わせて頂きました。本当に歌手をやってきてよかったなと思います。
――衣装もエヴァ初号機のような色合いもありつつ凄かったですね。
私がお願いしている衣装さんは、いつもイメージに合わせて全部オートクチュールで作ってくださるんです。私は1991年デビューで、1992年のレコード大賞に出た時も彼女が私の衣装を作ってくれました。何十年と一緒にやってきて、今回『エヴァンゲリオン』の楽曲で憧れの紅白に出られるということで、ふさわしいものをと考えてくださったんです。
――凄くインパクトがありました。そういった大舞台の前日はどう過ごされるのでしょうか。
いつもと変わらず過ごしていました。私は日々のルーティーンがあって、それをこなす中で毎日過ごしています。毎日1時間半から2時間は歌の練習をしますし、ヨガやウォーキングなど、けっこうやることがいっぱいあって。休憩時間にネットやアニメを観たりして過ごしています。
――歌の練習は毎日やることが重要?
そうですね。逆に、お勤めしている人は毎日仕事に行くじゃないですか? それと同じ感覚で、歌うことが私の仕事ですから。私は昔より今のほうが練習しています。
――以前のインタビューを拝見したら、音域が今のほうが広いと。
高音域も低音域も前より出ます。人によると思いますが、私の場合は低い音域の練習もしないと高い音は出ないんです。
――日々そういった練習もされているのですね。そんな高橋さんにとって、歌とは?
生きることです。生活の中に歌が入っているから、生きかたが歌になる。だから「どう生きるか」ということを注目しながら歌っているという感じです。生きかたが作品になるから。
全力で最大限できることをやると決めた
――高橋さんが覚悟を決めた瞬間は?
私は一度、勝手に引退みたいなことをしたことがありました。でも結局、オファーがあって、お仕事はちょこちょこやらせていただいてました。事務所を辞めてフリーになった時期もありました。
芸能界って上げ底してもらえる世界だから、綺麗にメイクしてもらい、様々なサポートを音響さんにやってもらって…。これは私に限ってですが、そんなちやほやされて上げ底されて生きていて、「これじゃいけない」と思ったこともありました。そして音楽活動を辞めてみて、資格を取ったり、介護の仕事をしたりしました。でも、結局そこでも、音楽療法をやったり、ご縁があって、音楽と繋がっている状態でした。
――この世界に戻ってこられてよかったです。
ある日の夜、凄く綺麗な星を見た時「この星のひとつにもならないくらいの私が一体何をやるの、やらないのとか勝手なことを言っているんだろう」と、思ったんです。どんなものでも全部「Yes」と言って仕事をやろうとその時に決めました。一人でも「私の歌を聴きたい」と言ってもらえる人がいるんだったら、自分はどんなかたちでも歌い続けるというスタンスじゃないといけないと強く思いました。
そう心に決めた頃、ちょうど遊技機の『エヴァンゲリオン』がスタートして、そこから急に、DVD―BOXの再発売などが動き出して、「何が起きているの?」と驚きました。それが偶然なのか必然なのかわからないですけど。
――すごいですね!
それで私は歌手としてもう一回きちっとやっていこうと思って少しずつシフトしました。そこからはとにかくどんなものでも全力で最大限できることをやると決めたんです。練習もそうですが、ちょっとしたコメントにしても、私ができる限りのことをやる、歌もその時にこれ以上できないというくらい練習して臨んでパフォーマンスして、妥協しないと決めて、そこから今日まで走り続けてきました。
――ところで、介護の仕事を選んだのはなぜですか。
年齢的に就職も難しく、資格取得に助成金が出るというのを知って申し込み取得しました。あと、音楽療法の資格も取って。そこで、これまでの音楽活動とは全く違う体験がありました。施設では、皆、私が歌手だとは知らないから、「あなたは誰?」という状態の中で、歌で引きつけるという究極のライブで、色々工夫してやりました。あの時に教えて頂いたことがたくさんありました。
――色々経験したほうがいいですよね。
この世の中、やるかやらないかなんじゃないかなと思っています。やった人は経験が糧になるから、経験したぶん前に進みますよね。経験を前に進む材料にするかしないかは自分次第ですけど、やって合わなかったり失敗したりしたら「次はこうしよう」というのがありますよね? でも、やらないとその先に行かないから、やればいいと思うんです。自分が「これかもしれない」と思うものがどこかにちゃんとあるから。それがわからないんだったら、スキルアップをするためのことをどんどんやってみてほしい。やっていけばどれかに繋がるから、知らなかったというのはもったいないですよね。やれるチャンスがあるのに。
――何をやったらいいかわからないと悩んでいる方は多いと思います。
たぶん、やれない理由を探していると思う。「忙しい」とか。この世の中、やるかやらないかの2つしかないなら答えは明確じゃないですか? だから私はやるんです。それでもできなかったら、そのできない中の幸せをなんとなく模索するのもありだと思うんです。いつの間にか気がついたら「なんか私、これも好きなことかもしれない」というところにいるんじゃないかなと思います。
最近、スクワット30回に腕立て伏せ10回を毎日のルーティンにプラスしたんです。忙しい中なのですが、やると大したことないんですよ。だから、「やる」という自分のルールを作るというか。
――そこまで課せるのは凄いです。
そのおかげで、今でもお仕事がもらえると思っています。常に歌えるようにしておくというのは努力が必要で。毎日やるというのが大事です。
幸せに生きて行く未来を祈りたい
――さて、「Teardrops of hope」は7年ぶりの作曲のようですね。
実は作曲や作詞は、個人活動含め、かなり経験があるのですが、シングルで出るのは7年ぶりですね。「ミドルテンポで」「今までの高橋洋子ではない方向で」とリクエストを頂いて、それは新しい高橋洋子を聴いてもらうのに凄くいいきっかけだと思いました。アレンジは沢山の私の楽曲を手掛けてくださっている大森俊之さんにお願いしました。
――楽曲が採用された経緯は?
パチンコの『PゴジラVSエヴァンゲリオン〜G細胞覚醒〜』のタイアップがあります、「今回、洋子さん作詞作曲してみませんか?」とオーダーを頂いたんです。「わあ嬉しい。いいんですか?」と言ったら「じゃあ英語で」と言われて「えっ!」と。もう学生からやり直しみたいな感じですよ。たまたま、娘が大学生でイギリスにいるんですけど、そのネイティブたちに厳しい指導を受けながら(笑)。
そうしたら、「ママ。何これ? こんな文法ありません!」と言われて(笑)。でも歌詞にはまらないからと話したら、「この“a”は、書くけど発音しなければいいの」とか、そんな感じで何度もやりとりしました。その後はレコーディングの前に発音チェックです。
――歌詞の後にも発音という厳しい試練があるのですね。
娘から「何を言っているんだか全くわからないとネイティブが言ってます」って(笑)。ここまできたら、今ワールドツアーもやっているし、世界中の人に聴いて頂けるひとつのきっかけになればいいな、という思いもあり頑張りました。 イギリスの人たちからは、「ちゃんと歌詞が聴き取れれば、ネイティブじゃないんだからネイティブに歌おうと思わなくていい」「一生懸命自分が作ったものを、発音に気をつけながら歌っていることだけでも好印象だから」と、言われました。変に英語訛りにしているほうがおかしいと。拙い感じが逆にキュートにみえるみたいで。
――歌詞や発音には時間がかかっていたんですね。
凄くかかりました! もうずっと考えちゃって、深夜にも「あそこの歌詞が!」と思い立っては歌詞を直して娘にメールして。イギリスと時差があるから娘は起きているのですぐに返事がきて、一方、日本にいる私は寝られないという(笑)。
――高橋さんの努力の結晶ですが、特に気に入っているフレーズは?
<Cut my wings>のところです。“翼を切る”というのは誰しもなんとなくわかるでしょう? そして<Keep me on the ground Anchor my soul>と、アンカー(いかり)で自分の魂を繋ぎ止める、これはみんな想像つきやすいんじゃないかなと思い、気に入っています。
――タイトルの「Teardrops of hope」に込めた想いとは?
最初「The Girl」というタイトルにしていました。一人の少女が希望を持って立ち上がって生きていくことをイメージしてつけていたタイトルでした。でもクライアントから『teardrops』を入れてほしいというオーダーがあって。でも、「teardrops」だけだとちょっとネガティブなイメージがあるし、どんな困難があっても最終的に希望や光がある、ちょっと背中を押せるような楽曲にしたかったので、「Teardrops of hope」になったという経緯があります。
綾波(レイ)だったりアスカ(・ラングレー)だったり、少女たちが命を削って生きて行く先が希望であってほしいという想いがありました。どんな苦労があっても人のために自分が傷ついたとしても、その人たちが幸せに生きて行く未来を祈りたいという想いで書きました。私自身もみなさんの助けがあってここまで来られたというのもあるので、自信を持って聴いて頂きたいなと思っています。
――楽曲を制作するにあたって、どんな発見や気づきがありましたか。
いま自分ができる最大限の努力をしたかたちがこの曲です。歌詞を構成するにあたってシェイクスピアなど、そういった文献をいっぱい読みました。日本の翻訳されたものも見たり、英語の原文を見たり勉強しながら作りました。わからない単語だらけで言い回しも古い言葉だから読むのは難しいのですが、「こういう風に構成するんだ」というのがなんとなくわかったり、発見もありました。
――最後に、高橋さんの2023年の展望は?
5月28日にZepp Shinjuku (TOKYO)でワンマンライブがあります。私は『エヴァンゲリオン』をテーマとする単独・有観客コンサートは初めてなんです。東急歌舞伎町タワーが来年4月14日に開業することが決まり、施設内に誕生する劇場、ホテル、映画館、ライブホールで『エヴァンゲリオン』が楽しめるコラボ企画「EVANGELION KABUKICHO IMPACT」がおこなわれます。今回こういった素晴らしい企画の中で初めてコンサートをさせて頂けることになったので、ぜひ東京までお越し頂き、エヴァ三昧して頂けたらなと思います。
(おわり)
作品情報
「Teardrops of hope」
https://lnk.to/Teardrops_of_hope
ライブ情報
高橋洋子ワンマンライブ開催決定
『エヴァンゲリオン』シリーズをテーマとした初の単独公演
日時:2023年5月28日(日)
会場:Zepp Shinjuku (TOKYO)
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