INTERVIEW

森口博子

デビュー35周年記念アルバム『蒼い生命』1万字インタビュー


記者:木村武雄

写真:

掲載:21年08月19日

読了時間:約20分

 森口博子が、デビュー35周年記念アルバム『蒼い生命』(あおいいのち)をリリースした。オリジナルアルバムとしては実に24年ぶり。常々、ファンの求めがあって歌い続けられると感謝を口にする森口が、この時代に伝えたい想いを天性の歌声をもって届けるのが本作。不遇の時代を乗り越え今こうして歌手として記録を打ち立てる自身の歩みに感謝しつつ、歌に真摯に向き合う。本作に込める思いを1万字にも及ぶインタビューで語る。【取材=木村武雄】

『蒼い生命』制作背景

――「GUNDAM SONG COVERS」のヒットで歌への向き合い方は変わったというのは過去にも話されていますが、コロナ禍での変化はありますか。

「GUNDAM SONG COVERS」がオリコンウィークリー3位にランクインして、おかげ様で日本レコード大賞 企画賞をいただいたのが、2019年でした。長年のファンの方々はもちろん、私の歌を知らなかった方々までも「心震えた」と言ってくださったり、すごく報われたと思ったんです。そこから良い流れができたところに 『GUNDAM SONG COVERS 2』は緊急事態宣言が発令されレコーディングが中止、延期になり、リリースも延期になりました。でもこれを音楽の熟成期間だと受け止め、練習する時間に当てたり、アレンジなどいろんなことをゆっくりと考える時間にできると前向きに捉えようとしましたが、想像以上に続いて。『GUNDAM SONG COVERS』は、ファンの皆さんの投票でランキングに入った曲をカバーするというのがありますので、ボーカリストとして皆さんの想いをしっかりと握りしめ良い形でお届けしたいという気持ちでした。そうしたこともあって、こういう時代だからこそ伝えたい想いが明確にありました。今回の「蒼い生命」はこのご時世だからこそ生まれた歌詞ですし、アルバムタイトルが決まっての楽曲でもあります。

――今回のアルバムはそういう流れがあったんですね。

 そうです。壮大なテーマにしたいという話をしていました。三密を避けるなか人と人が触れ合えない、直接会いに行くことができないことが、こんなにも閉塞的で苦しかったんだと改めて思いました。私はいつも「平凡は軌跡」という言葉を口にしていますが、それは厄年の時に体調を崩して、仕事も人間関係もちょっとうまくいかなくて人生が四面楚歌になったことがありました。その時に「普通に生きられることはこんなにも奇跡的なことだったんだ」と思えて、そこから「平凡は軌跡」と言い続けてきました。ここ数年は災害や震災、天災が立て続けに起きて、さらにその言葉が自分の中で大きくなっていたところに地球規模のこの困難が発生したのですごく響いて。こんなにも会えないなんて。離れていても心と心は繋がっている、繋がれていると思えることが生命線になっています。その思いをアルバムとして、リード曲として伝えたいと思いました。歌詞はシンガーソングライターのQoonieさんの温かい世界との共作で、シンプルな詞をストレートに、書かせていただきました。

 私の母は84歳で福岡にいます。いつもなら私がいる東京に重たい荷物を背負ってしょっちゅう来てくれます。自分でチケットの予約もとってすごくアクティブに行ったり来たりする母ですが、そんな母とも会えない。コロナ禍で行動が制限されていますから。でも毎日、母と電話で話しています。最初は脳トレもかねて毎日しりとりをしていましたが、そのうち飽きてしまい、今は音声だけであっち向いてホイをしていて。始めはうまくいかなかった母も回数を重ねてくるとすごいテンポでついてくるようになって。とても80代とは思えないその瞬発力にも感動して。電話中はお互いに爆笑もしていますが、切った後にやっぱり会いたくてウルっときます。

 それはファンの皆さんも同じで、新曲リリースはいつもでしたら、ショッピングモールツアー、握手会や2ショット撮影会で直接会ってお届けすることができます。でも去年はそのイベントや東京国際フォーラムで開催予定だった35周年のアニバーサリーコンサートも中止になって。人とのふれあいが大好物の私としては、直接エネルギー交換ができないのが悔しくて。皆さんを思うと涙が出ます。母のこともずっと元気でいてほしいと思っていますし、母もずっと私のことを思ってくれています。ファンの皆さんも私のことを思ってくれていると思いますし、私も思っています。そういう思いがあってこの事態を乗り切れているといいますか、モチベーションになっています。いつまでもこのままじゃないよね、という気持ちをこのタイトルに込めました。会いたい一心で生まれた作品です。

選ばれし者、「蒼い生命」

――リード曲「蒼い生命」は聴いていて救われます。リリース前に行われたYouTube配信ではジャケットにもこだわりがあると話されていました。衣装や空、青にかけた想いを改めてお聞かせください。

 このタイトルの漢字がポイントです。「青」ではなくこの「蒼」にしたのは、草冠に倉という漢字は青く茂る草木みたいな緑かかった青を意味するんです。私たちが住んでいる地球は、青色の海、緑色の大自然があり、青と緑は地球の色でもあります。その地球にいる私たち、同じ地域に住んでいれば本来でしたらお互いに助け合えますが、このような時代になって密を避けるため直接的には助け合うことができません。でも地球という一つの命によって私たちは今繋がれています。一緒にこの危機を乗り越えていくという思いを「蒼」に込めました。

 それと、私のデビュー曲『機動戦士Ζガンダム』のオープニングテーマ「水の星へ愛をこめて」の歌い出しに<蒼く眠る水の星にそっと>とありますが、作詞家の売野雅勇さんから私が17歳のときに、書いていただいたんです。いわゆるこの天地創造ですよね。この世の中に命、いろんなエネルギーが生まれる瞬間、その生命の力を哲学的に気絶しそうなほど美しく書いてくださったこの曲の出だしの「蒼く眠る」も「蒼」。ですので裏テーマとしてはデビュー曲のオマージュもあります。

――「蒼い生命」の歌い出しがすごく透き通っています。もともと森口さんの歌声はそういう声質はありますが、それをさらに意識されたような。それは透き通った空をイメージされてより美しく歌われたのかと。

 そう言って頂けて嬉しいです。透明感はすごく大切にしました。TD(トラックダウン)の時もできるだけ、イコライザーでシャキシャキとさせないで、生の肉声の響きを大事にしたいと伝えました。これは『GUNDAM SONG COVERS 2』に収録された「月の繭」もそうで、神秘的で神聖なる世界でしたので声の響きをすごく大切にしました。ですのでTDもマスタリングも私の希望を伝えて、スタッフの皆さんと「これがこうするとこうなるからこういう仕上がりになる。でもそうするとここが削られる。どっちを優先するのか」というところまで話し合い、こだわりました。

――それと最初に入っている音色はフルートですか? すごく壮大です。

 あれはティンホイッスルです。私の中では、ティンホイッスルの音色は国境を越えるイメージです。この音が入ったことによってより壮大な広がりが見せられていると思います。田熊知存さんのアレンジも素晴らしくて壮大でいて尊厳があり、シンフォニックな世界がより地球の生命を感じさせます。

――その音色はアイリッシュで歴史も感じさせます。MVの衣装でもその世界観を表現されていますね。

 あれはワンピースですが、下はどうしても「蒼い命」の「蒼」を表現したいと思いました。実はワンピースの上にブルーのスカートを2枚当ててベルトで留めています。2枚のスカートのうち1枚はスタイリストさんが作って下さって。もう1枚はベルトに縫い付けて着て、コントラストを付けました。

――風の流れも感じますね。

 そうです! 袖で風の流れや優しさを表現して。下の部分の青は強さもあって。

――ギリシャの神殿のような場所が出てきますが、ガンダムの女神にふさわしいロケーションです。

 どうしても突き抜けるような空を入れて壮大さを表現したくて外でのロケを監督やスタッフの方々にお願いしました。関東にあったんです、ギリシャが(笑)とても神秘的です。どうしても突き抜けるような空を入れたくて、それに合わせて衣装選びにもこだわって。ギリシャ神話に出てくるような柔らかいイメージにしました。

――しかも緑も生い茂って。

 そうです! 地球がそこにあるように。

――音楽ではありますが、一つの映画を見ている感覚にもなりますね。

 透明感があり、その後ろに緑のきらめきもある。あれもすごく奇跡的でした。梅雨時のど真ん中、天気予報はずっと雨。でも14時台には太陽の光が欲しくて。外の画(え)が撮れないときのために室内を用意していました。監督も「森口さん持ってますね」って。「なかなかこういう画はこの時期に撮れない。もう半ば僕はもうあきらめていました」と。こういう優しい木漏れ日が欲しいと言霊のようにずっと言っていて。みんなにも「大丈夫だよ、晴れるよ」と言っていましたら本当に晴れたんです。まるで緊張感の中で、今を生き抜いている私たちの一筋の祈りのような光でした何もかもがもう35周年のアニバーサリーに相応してみんなの愛が結集して起きた奇跡だと。

――映画の角川春樹監督も晴れが欲しいと言ったら晴れるというエピソードがありますね。選ばれし者はそういう天気までもが味方してくれるものなんです。

 でも普段は雨女なんです(笑)。ここ数年は晴れが続いていたので選ばれし者の方に入れているのかなって(笑)。

――欲しい時には欲しいものが手に入るというのは選ばれし者だからだと思います。

 嬉しい! ありがたいです。でもそれはずっと歌声を必要としてくれているファンのみんなや支えてくださっているスタッフのみなさん、お世話になっている方々たちの目に見えない力だと思います。みんながいいものを作りたい。なんとかしたいという情熱を言葉にしたり、願うことで言霊のように繋がって現実になるということを改めて思いました。

――その感動を与えた人、共鳴した人が増えれば増えるほど、分母が大きくなればなるほど、そういうものが起こりやすくなるかもしれないですね。

 待って下さる方がいるという想いと、こんなにもたくさんの方に支えられている、求めて下さっているという実感が強さになっていると思います。

――その強さが森口さんの歌に宿り、曲そのものの力になっているかもしれないです。

 私もそう思います。4歳から歌手になると決めて、どんなにオーディションに落ちても「歌手になりたい」ではなく「なる」と思って前を進んできました。当時は子供で気が付かなかったけど、大人になって神様が私にこの歌声をプレゼントしてくれたんだなって。両親やご先祖様からのギフトとしてこの歌声を頂けたんだとここ数年は特に強く感じています。ですので感謝して社会にお役に立てる自分でいたいと思っています。私もすごく生かされていることを実感しています。

――森口さんは昔から活躍されていますが、でもここ数年は歌に生かされているようにも見えますね。何か使命と言いますか、そういうのに突き動かされているように見えます。

 正にその通りです!!50代にしてデビュー30年以上も経って、オリコンで28年2カ月ぶりにトップ10入りして、またベストテンに帰ってくることができたなんて!!日本の女性アーティストインターバル記録というのをいただきました。そして第61回日本レコード大賞で企画賞まで。 新人の頃にも立てなかったあの大ステージに、年末立たせていただき幸せでした。30年以上経ってからは想像もつかないです。デビューの頃って新人アイドルはみんな、プッシュしてもらえるのに私はスケジュールが薄くて。今でこそアニソンは世界に誇る文化になりましたが、85年のあの頃はまだ地味な存在でした。 スマッシュヒットしたものの、その後堀越学園卒業間近にリストラ宣告も受けましたし。「才能がないから」って。どうしても歌が歌いたくてどんな仕事でもがんばりますといただいたのがバラエティーと言う新しいジャンルで。必ず歌につなげると言う思いで必死に挑戦しました。そして再び91年に今度はガンダムの映画「機動戦士ガンダムF91」のテーマソング「ETERNAL WIND 〜ほほえみは光る風の中〜」を歌わせて頂き、初のオリコンウィークリーベスト10にランクインすることができて。その後、CD自体が売れない時代に突入しますが、ここにきて今まで以上に歌のお仕事をさせて頂いていることや、時代が変わるなかでランキングに私の曲が入っていること自体がありがたいなと。でもそれは『機動戦士Zガンダム』という長きに渡り愛されている大きな作品でデビューさせていただいたからこそ。たくさんの方に聴いていただける機会に恵まれて、オリジナル曲もそこからスタートしていますから。アニメ以外でも、例えば岸谷 香さんが書いてくださった『夢がMORI MORI』のテーマ曲「スピード」「ホイッスル」もそうです。名曲揃いのオリジナルが続いて、今現在もこういった素晴らしい結果に繋がっていることに感謝しています。こう振り返ると守られているとしか考えられないです。

初回限定盤

歳を重ねることの楽しさ、「ホイッスル」

――その「ホイッスル」のアンサーソング「ポジション」が収録されています。作詞は森口さんで作曲は、編曲も担当されている時乗浩一郎さんと共作になっています。

 本当はアルバムの前に35周年のシングルを去年リリースする予定でした。でも『GUNDAM SONG COVERS 2』が延期なったことでその予定もずれこんで。今年に入ってその話になった時にディレクターさんが「これだけファンの皆さんをお待たせしたのでアルバムにしませんか」と言って下さって。何年も前からコンサートでファンの皆さんと声を出して歌える曲が欲しいと思って作りかけていた曲を入れたいと伝えました。でも会場で声が出せないこんなご時世でどうしようかと。その時にそのディレクターさんが「声は出せないけどみんなが元気になれるホイッスルのような夏をイメージした曲は」と。それなら続編を作ろうと思って書いたのがこの曲です。

 あれからみんな年齢を重ねていろんなことがあったと思うんですよね。私も当時は体調が悪くてたくさんの人に支えられて乗り越えてきました。でも最終的には自分が頑張らないといけない。「ホイッスル」は当時の私の心境でしたが、あれから28年が経っていますが、大人になっても気持ちは揺れ動くものだと思います。でもそこにいられること自体に感謝だなって。私の中で譲れない場所はやっぱり音楽でありライブ。それと同じように皆さんにもあると思います。そういう譲れない場所で、愛を込めて感謝を込めて何かを届けるその核はぶれない。でも日々の生活でやる気がなくなったり体調が悪かったり投げ出したいなって思ったり、でもちゃんとやりたいというのはあると思います。そういう大人へのエールソングです。

――大人は揺れ動いてはいけないものだと思いましたが、揺れ動いてもいいわけですよね。

 私も揺れない大人でいようと思いました。でも揺れるんです(笑)。そういうのは大人になってもあると思います。

――それが人間らしさでもありますね。

 そうです。でも、そういう気持ちでも仕事を投げ出すわけではなくて、やりたいと思っているけど、やる気がない日だってある。それならまず考えるのは、仕事があることへの感謝だよねということで、そこからもう一度丁寧に向き合っていこうというのをこの曲に込めています。

――曲調もアンサーソングともあって「ホイッスル」に寄っていますね。

 それは意識しました。切ない夏歌でキュンとくるものをと。タイトルも最初は「譲れない居場所」でした。でも「ホイッスル」はカタカナですし、それならカタカナでと。

――入りのギターも気持ちがいいですね。

 時乗さんのこだわりです。大人になったということを表現するにあたり、エレキギターで激しくというイントロではなく、少し余裕のある大人のテイストになっています。まさにアンサーです。歌詞もそうです。西脇 唯さんとの共作「ホイッスル」では<ぶつかる波がまぶしい>と出てきますが、いろんなことを乗り越えてきた主人公が前向きになって突き抜けている「まぶしい」で、「ポジション」の「まぶしい」は体に堪えるまぶしさです(笑)。その「まぶしい」の受け止め方も年齢を重ねてすこし変わってきているという(笑)。

――昔は歳をとることに抵抗がありましたが、この曲は歳をとるのもいいものだなと思わせてくれます。

 そうです。もちろん失われていくものはあります。体力も20代の頃と違いますし、日々のコンディションも揺れ動くわけで、仕事のスピードもささっとできていた事がすごく時間がかかったり。その一方で、一つのことに対して感じやすくなっていたり、ありがたみも増したり、気づかなかったことにも目を向けられるようになったり、味わい深いというのはこういうことなんだとか。例えばお弁当。パッケージについている和風の柄も、綺麗なお花が描かれていたり、それはどなたが描いたんだろうとか、色合いも考えて下さっているんだとか、そういう作り手の細かい仕事など、若いときは気づかないところに目を向けられて感動できるのはすごく素敵なことだと思います。

――森口さんの曲もそうですよね。一つ一つにすごくこだわりがある。そうした細かいものが重なって一つの曲になっているわけで。

 そう感じて下さるとうれしいです。音楽は、感覚の中でこみ上げてくるものだと思います。聴き手としての感動は理屈では説明できないものだと思っていて、それは音楽そのものの魅力、プラス作り手の緻密に計算しているところもあって、それが合わさって一つの曲として聴いた時に震えたりするものだと思っています。ですので私も作るときには皆さんが気付かないかもしれませんが、細かくこだわりをもってやりたいと思っています。

――目には見えませんが、それが1つ欠けていたとしたらあの理想の曲はできないわけですからね。

 そうです。こだわればこだわるほど感じてくれた方の感動ポイントが増えていきますから。

――それと「ポジション」では息の抜き方も印象的ですね。

 高音はあえて抜いたほうが私の声がきれいに響くと思いました。ちなみに「蒼い生命」の1コーラス目のBメロと2コーラス目のBメロでは声の出し方は違います。1コーラス目はファルセットで2コーラス目は地声で出していて、歌詞の意味や強さによって使い分けてます。

――その意図を聞くと聴き方も変わってきますね。

 それで言うと「ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜」のサビ<光る風の中>、91年の リリース当時は1コーラス目も2コーラス目、3コーラス目も全部地声で歌っていました。でも、大人になって「あれ、ちょっと待てよ」と起承転結を考えた時に1コーラス目は繊細な世界でオケも薄いですし、ファルセットで抜いてみようと。今2コーラス目で地声に戻しています。歌い回しや節回しを変えているわけではなくて、歌い方をそのままに発声、声の当て方を表現の一部として変えています。ファンの皆さんには「表現力が増した」と言っていただき、嬉しい限りです。

涙があふれた、「陽だまりのある場所」

――「陽だまりのある場所」は、『涼宮ハルヒの憂鬱』など多くの主題歌や劇伴を手掛ける神前暁さんが作曲・編曲されています。森口さんとは初のタッグです。

 現在放送中のレギュラー番組BS11「Anison Days」にゲストでお招きしたときに楽曲をカバーさせて頂きました。あまりの曲の美しさと切なさに、自主練でもリハでも涙が止まらなくて。曲に特別な思い出やアニメの作品を見ていたという立場ではないのにもう止まらなくて、いつか曲を書いていただきたいという思いがあり、今回ラブコールをしましたら快く引き受けてくださって感激いたしました!!先ほどの話しと重なりますが、『GUNDAM SONG COVERS』でオリコンやビルボードのランキングに入ったり、長年やっていると良いこともあって、夢には終わりがないということを実感しました。若いときのテンションとは違うかもしれませんが、それでもやっぱり目標や夢を持つのはいつなっても遅くないんだという気持ちを書いていただきたくて、切ない陽だまりというイメージを伝えました。まだまだ光を途絶えさせないという想いも込めて。

――曲調は少し明るめですが、歌詞が切ないと思っていましたので、それが体現されていたんですね。

 歌詞は私が書かせていただきました。曲が出来上がってきて、感動しました!美しさと切なさの極み!!大好きな神前さんのメロディであるがゆえに想いが溢れ過ぎて最初、詞が全然まとめられず書けませんでした。想いそんなときに地元福岡で長年皆さんに愛された遊園地が閉園になるというニュースが飛び込んできて、胸が締め付けられました。子供の頃、家族とよく行った思い出の場所で。緊急事態宣言が発令されなければ終わるはずのない遊園地でしたので。もう本当に信じられなくて。 やるせない気持ちと「かしいかえん」への感謝とそんな中、夢とどう向き合っていくのかという想いを歌詞に書こうと。でもそれでも完成しないままオケ録りを迎えることになったんですが、レコーディングスタジオに入り、生音を聴いた時にもういきなり涙がこぼれて、その場で詞を書き上げました。

――閉園というワードが歌詞にありますね。悲しさはありますが、2番からは前を向いて歩いていくという意志も感じられます。

 100年前に流行ったスペイン風邪でたくさんの命が奪われて、それでも人は向き合い、100年後にこうやって日常生活が送られています。それは、みんなが乗り越えるために向き合ってきたから普通の生活を手に入れられたと思います。だから今のこの状況前の生活と全く同じのように戻れるかは誰にも分かりませんが、それを信じて歩いていくことが大事だと思っています。神前さんに「仮レコーディングの歌を聴いた段階で、曲が大化けしたと思いました。歌が素晴らしくて、本当に感動しました」と言っていただき、うれしかったです!!

神秘的、「水の星へ愛をこめて」

――「水の星へ愛をこめて~35人の森口博子によるアカペラヴァージョン~」では、35人分のアカペラ多重録音に挑戦しています。『GUNDAM SONG COVERS』での「めぐりあい」でもアカペラに挑戦していますが、35人分はかなりスケールが。

 その時の「めぐりあい」にすごく感動して、声を重ねていく作業は神聖なる作業だと思いました。私は本当に歌うことが好きということを改めて実感して、作業中は気が遠くなるくらい大変でしたが、これがどういう風に重なるんだろうというワクワク感、そしてその完成形を聴いた時の感動が忘れられなくて。ファンの皆さんからも「神秘的で涙が出た」「鳥肌が立った」と反響をいただけて。ですので、35周年は、デビュー曲の「水の星へ愛をこめて」を35周年にちなんで35人でやってみたいと思いました。

 コーラスはもちろん、メインパート、楽器、例えばストリングスやトランペット、ベースも全部歌い、35トラックを目指して1トラックずつ、3日かけて声入れしていきました。その1トラックがこの35年間、いろんなことを乗り越えて生きてきた1年1年のようで。35人の私イコールみんなとの歴史です。まさに音楽人生そのものが詰まっています。神様から頂いた歌声でこれからも伝え続けるという決意も含めアカペラをアルバムの最後に入れました。

――35トラック分、しかも様々な音を歌で表現するのは相当大変だったと思います。

 自分で言っておきながらもう大変でした(笑)。「めぐりあい」よりも難しいフレーズでしたし、時乗さんも「かなり難易度が上がるから大変だと思うよ」とおっしゃっていて。私も途中「これ脳トレですか?」と言うほどでした(笑)。楽器だからこそ奏でられる音があって、それを人間の声で出すのは大変で、なかなかその音にいかないんです。「この音がとれない!」というのが何回もありました。私も「大丈夫かな? 歌えるかな?」と思いながらなんとか挑戦して。大変でしたがそれも含めて充実感でいっぱいです。腰は痛かったですけどね(笑)。難しいから音をとるのに時間がかかり、立ちっぱなしで腰にズシッときました。

――ドラマで言えば、いま撮影しているシーンが完成したときではないとどう映っているのかが分からないように、音を入れているときは完成形がどうなるのかは想像もつかないわけですよね。

 ひたすら、多重録音に集中するのみですね。時乗さんの素晴らしいアレンジのおかげです。「めぐりあい」よりもレベルアップしているとも言われました。というのも前回はすごく一生懸命に歌った感じでしたが、今回は例えばベースでしたら本当に私がベースを弾いている感覚で音を歌っていてそのなかで自然とグルーヴも出てきて。ストリングスも私がミュージシャンになって弾いている気持ちで歌いました。

――『GUNDAM SONG COVERS』の時に、いろいろなミュージシャンと共演されて、楽器と会話されている感覚もあったと話されていましたが、その経験が今回生かされた部分も?

 あるかもですね。それとゴールをした時の快感を知っていましたので、大変なことも乗り越えられたと思います。

――歌声はまだまだ進化を遂げていますね。

 ありがとうございます。それはやっぱり、ファンの皆さんのおかげです。ライブで涙を流してくれたり、笑ってくれたり、こぶしを突き上げたり、そのエネルギーで歌声を育ててもらったというのが大きいです。

ファンに助けられた

――今後が益々楽しみですが、こういうご時世でもあるので難しいところもあります。

 そうですね。でも、必ず10月には東京国際フォーラムをリベンジしたいです。去年いろんなことが中止になったので、まだまだ35周年の延長のような感覚で一緒に盛り上がりましょうと。ファンの皆さんもそう言ってくれているので!

――支え合っていますね。

 本当にありがたいです。実は最近とある出来事があって、一瞬絶望するようなことが実はありました。その時でも奮い立つことができたのはやっぱりファンの皆さんの声でした。このアルバムを発表した時のあの反響。「絶望なんてしていられない」と思えました。大人になると色々とあります。でも絶望したから今回、生まれた歌詞もあります。

――スペイン風邪の話がありましたが、日本の女優第一号と言われている松井須磨子さんは大事な人をスペイン風邪で亡くしながらも舞台に立ち続けました。その背景はいろいろとありますが、観客が求めてくれる限り立ち続けるというのはどこか重なると。

 松井さんは相当辛かったんだと思います。私はこれまでたくさんの方に支えられながら根拠のない確信や自信でなんとかやってこられました。リストラにあっても絶対歌い続けるとか、仕事がなくてもこの先ずっと続けていけるんだとか。言霊ではないですが、そうやって形になってきました。でもその社会の仕組みでどうしても叶わないときもあります。先ほどの話は私にとって初めての絶望でした。芸能界で35年間生きてきて、そのたぐいの絶望はなくて。これまで叶えてきた私がどうしても乗り越えられなくて、どうしようかと。その時に支えになったのはやっぱりファンの皆さん。私の歌声を必要としている方がいると知った時に、そう求めて下さる方がいるから歌い続けられると思えました。ファンの皆さんが今こうやって喜んで下さっているのであれば絶望することはないと思えました。もう本当に助けられました。助けられたから、救われたからまた前を向けました。丁寧に音楽を作って、届けてくださっているスタッフの皆さんにも支えられながら。

――そういった意味でも今回のアルバムはより特別なものになるということですね。

 そうです。いろんな打撃を受けながら置かれた環境の中で課題が降りかかり、よくできたなって思います。守られていて感謝しています。本当にありがとうという感謝の想いと決意が詰まった35周年のアルバムです。

(おわり)

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