INORANが17日、ニューアルバム『Between The World And Me』をリリース。昨年9月30日にリリースした前作『Libertine Dreams』の続編にあたり、昨年春のコロナ禍において日記のように完成していった楽曲を収録。コロナ禍の中で時代の鼓動を感じながら、自分の中に無限に広がる世界を旅してアルバムを制作したという。人の負の部分も真正面から鋭く見つめ、それでも決して光や希望に向かう気持ちを絶やさないようとする気概に満ちた作品となった。LUNA SEAのギタリストとしても長いキャリアを持つ。今作について話を聞くとともに、過去には「(音楽を)やめたいなと思ったこともあった」と話すINORANに音楽に対する想いなどを語ってもらった。【取材=キャベトンコ】
前回のアルバムを含め21曲で物語が完成
――今作は『Libertine Dreams』の続編となる作品とのことですが。
制作としては去年の4月~6月くらいの、いわゆるSTAY HOME期間がありましたよね。あの時に作ったのが30曲くらいあって、それの前半に作った曲で構成されているのが前回の『Libertine Dreams』で、後半に作ったのが今回の『Between The World And Me』です。だから作曲は2枚とも同じ時期に作っています。
――前回は曲ができた順番に曲が並んでいるということでしたが。
今回もほぼできた順ですね。『Libertine Dreams』は「Dirty World」という曲で終わりましたが、その次の日くらいにできたのが1曲目(「Hard Right」)だったんです。曲は作れる時はすごく作れるんですけど、だいたい自分の中で10曲単位というのが、アルバムという身についた“くせ”といったものがあるので、そういう一括りにした部分でリスタートしたのかもしれません。あと、やはり昨年4月~6月というのは、やはり自分も世の中もとりまく環境がだいぶ変わっていった時期だったので、そういう部分はあるかもしれないですね。
――確かに緊急事態宣言中と解除された後は、世の中の空気が大きく変わっていたのを覚えています。
4月のステイホームというのは、とりあえず時間は限りなくあって。状況はよく分からない中、元気に頑張ろうと思いながらも、次第にいろいろな情報が入ってきて不安な気持ちになったりした。一方で気候は夏に向かって気持ち良くなっていくという、いろいろ揺れた時期が後半なのかもしれないです。そしてこのアルバムの最後のトリートメントの期間が昨年10月~12月で、日々の生活を生きていく中で進んでいく方向がまた変わっていった。本当にいろいろな部分で、この2枚のアルバムはどうやって完成していくのか分からないパズルをはめていった感じですよね。
――INORANさんは昨年9月、10月にはオンラインライブを実施されましたが、その時の経験も今作に影響を与えていますか?
もちろんありますね。いわゆる普通の有観客ライブの代用品ではないな、と思いました。やっぱり新しい形だし。改めて、伝えたいという気持ちを強く持つことがすごく大事。それは以前までやっていたライブもそうだし、考えてみるとちょっとおろそかにしていた部分もあるな、と。それはなぜかというと、配信ライブで1人の弾き語りではないので。スタッフと作り上げていった時に、その先に伝える人に対して何を伝えたいかというフォーカスを合わせていかないといけない。「無観客だから盛り上がらないだろうな」なんていうスタッフが1人でもいたら、そうなってしまうんですよね。
配信ライブもライブという生き物なので、決して「今、これしかできないから」という代用品ではなくて。見てくれる人に対して、こちらから手を伸ばすこと。彼ら、彼女らが手を伸ばした時に、画面越しでも手を取れるようにパフォーマンスをしなきゃいけない。そのクオリティでいかなくてはいけない。それは別にお金をかけるとかではなくて、作り手と音楽を作っている人たちの責任としてやることなんだ、というのはすごく感じましたね。
――配信ライブはこれまでのライブではできない表現ができるのもメリットですよね。
VR、ARといったテクニカルな部分はあると思いますよ。ただスピリットとしてごまかすことはできないし、隠すこともできない。それは絶対に伝わる。その部分がすごく大事なんだな、と僕は思います。
――そういった思いも今回のアルバムに入っている、と。
そういう部分もありますけど、自分の中から生まれた物語としてこの2枚でちゃんとこのシーズンを完成させなきゃいけないな、と思ったんです。もちろん新しい音を入れたり、前作で培った経験をもう一度洗い直す作業もしたし。『Libertine Dreams』はデモテープに歌詞と歌が入ったみたいな、本当に作った時のそのままの状態だったので。もちろんミックスなどはしっかりとやりましたけど。今回は歌詞がまた新たに来たところに対して、もう1回トリートメントするとか。「サウンドともっと強くシンクロさせるのはどういう音だろう?」とか、そういうのはありましたね。
――今作を聴いて『Libertine Dreams』の世界がより広がり、2枚で一つの物語が完結していることが伝わりました。
例えて言うなら、物語の中に登場する「ある男」のいろいろな側面が、前回のアルバムだと10曲、10の側面だったけれど、それだけでは足りない部分が、やっと21曲、21の側面で完成したというか。物語の主人公はどこに向かうかとか、どういう物語だったのかというのは、ある程度は整理できたかなと思います。
――『Libertine Dreams』は自身の世界を自由に旅するというイメージのタイトルでしたが、『Between The World And Me』というタイトルはどういったところから繋がっていったのでしょうか?
今までアルバムの1曲のタイトルがそのままアルバムタイトルになったり、レコーディング作業の終盤になった時にアルバムタイトルを考えたり思いついたりしていたんです。でも今回は『Libertine Dreams』を出す前から決まっていて。僕としては珍しいですね。「最初のタイトルは『Libertine Dreams』、次は『Between The World And Me』だと最高じゃないか」と思っていて。『Between The World And Me』はアメリカの本のタイトルなんですけど、今の時代、そして今の自分の気持ちにも非常にリンクしていて、すごく心に残ったので。これにしようと決めました。
――本のタイトルからヒントを得られたのですね。
決してその本のとおりの内容ではないんですけれど、とても美しい響きだな、と。
――“Between The World And Me”という言葉のBetween、世界と自分との距離感というのは、INORANさんの中でどういったことだと捉えていますか?
葛藤という言葉が適切かどうか分からないですけど、日々考えていますよね。右に行ったり、左に行ったり、前に行ったり、後ろに行ったり…。ただ、自分が今までどんな歩幅で歩いてきたかとか、昨年はそういうものを検証することができた時期だなと思います。相手の歩幅や、自分の歩幅。それはこの世界が揺れた2020年、大きな犠牲を払ってまで訪れたものがくれた機会だと思うし。それを生かさなきゃいけないな、と思います。
――「歩幅」というと、どういったイメージですか?
さっきの配信ライブとちょっとニュアンスが違うかもしれないですけど、僕は去年の出来事とかを、“歩幅”として捉えるんですよね。近しい人でも、例えば明日を目指している人と今を一生懸命生きる人では、歩幅が違うと思うし。一人で歩いてたら、歩幅が広いか狭いかは分からない。今はみんなが一緒の経験をする中で、自分の歩幅が分かった感じがしているんです。
刺激を受けたい、知識を吸収したい
――アルバムの楽曲については、「Hard Right」では自分では信じられない世界に支配されそうになり、混沌の中で必死に自分を保とうと、もがく人を描いていて。2曲目「Adrenaline Rush」は自分のアドレナリンを弾けさせて生きるように伝える躍動感あふれるナンバーが続いています。現代の不穏な空気の中で感じる不安や衝動といったものが強く反映されている楽曲が前半に来ていますが、今回も前回と同様に英詞の作品で、INORANさんの思いを受け取って作詞家さんたちが形にする方法で制作されているそうですね。
簡単に言うと、「ここは前作よりパワーアップしているシーズン2だから」とか。そういうのを個々にコンセプトめいたものお渡しして書いてもらっています。「これは1曲目、これは2曲目」と伝えて。やみくもに書いているのではなくて、彼らのストーリーの仕上げ方でやってくれていると思うんですよね。作詞をしているNelson Babin-Coy氏とJon Underdown氏は前に1枚作っているから、そういう意味では後半にいくにつれて、どんどんシンクロしていくという感じです。
――INORANさんが求める傾向やワードの選び方もシンクロしていっている?
もちろん分かってくれた部分も、前回より強いと思います。
――INORANさんがコンセプトとして伝えたことが、1曲1曲ですごく深く表現されていて。
この2人というのは、それぞれ哲学めいたものを持っている人だから。だからたぶん僕はオファーしているし。
――お互いに共鳴しているからこそなんですね。
それも今回はありますね。でも海外の方は自分の出自を持っているから。イギリスの人だったら、仕事でも「僕は中流階級なんだよね」など自分を分かって表現していて、自分の根っこのところをすごく尊重していると思うから。宗教も関係していて、U2(アイルランドのロックバンド)でいったらプロテスタントとカトリックの間というものに対して、というのが土台になっていたりとか。だから日本人と少し違うところはあるかなと。かと言って日本人がダメとかではなくて。でも詞の世界でもそれは絶対にあると思うんですね。
――読めば読むほど、その人にとっての新たな気づきがある詞だと思います。
そういう意味で言うと、自分が創作活動をする中で作詞を他の人に依頼しているのは、そうやって刺激を受けたいということなんだと思うんです。本を読むのと一緒で、自分の知識として吸収したい。便利という言葉で片づけられてしまうかもしれないけど、ソーシャルメディアは自分にカスタマイズされた情報が入ってくるじゃないですか。YouTubeもそうでしょう? 好きなものしかない。でもこういう世の中だからといって、自分にとって都合のいいものだけを食べるつもりもないし。ラジオみたいに自分が思ってないものを聴くことができたりとか、こういった詞もそうだし。僕はそういうふうにいきたいな、と思いますね。
――自分が関心のあるものに囲まれている状況を、自分で壊していかないといけないんですね。
資本主義の中で、ものは豊かだと思うけど、音楽はそういうものではないと思うから。自分がアナログの出ということもあるかもしれないですけど、そういう部分は大切にしていきたい。それを否定するのではなくて、それを捉えながら、ですね。
――新型コロナは私たちの価値観を根本から問い直すものとなりました。
何だかんだいって、考えましたからね。今まで都会に住むか、田舎に住むかなんて議論なんて、絶対に考えていなかったじゃないですか。でも今は、みんなが考えたと思うんですよ。だから副産物としてはすごくいい時と言うか、大切な時をみんな過ごしているんじゃないかと。僕もそうだし、仕事として音楽をやるというのもそうだし。
――中盤は、夏の生命が輝く空気の中、明日に向けて進もうとする「Dawn of Tomorrow」や、生きることの意味を深く考えさせる「Between The World And Me」、友との温かな友情を歌った「Heart of Gold」と、視界がますます開けていく気持ちになります。さらに後半の2曲、孤独に向き合う人を静かに勇気づける「You're Not Alone」と、怖れに負けずに信じて跳ぼうと強く訴えるアルバムラスト曲「Leap of Faith」ではPia Sawhneyさんという、凛とした美しい歌声の女性ボーカルの方と一緒に歌われていますよね。もともとSNSでの出会いがきっかけだったそうですが。
最後の「Leap of Faith」を作って歌詞ができ上がってきた時に、自分の声以外が必要だったんですよ。いわゆるデュエットみたいな感じの帯域が欲しくて。その時にスタッフとたまたまSNSでPiaさんが歌っているのを見て、「いいな」と思ってオファーしました。
――「You're Not Alone」はまさにデュエットが歌詞とリンクしています。
歌だけじゃなくて形は何であれ、やっぱりたくさんの人と作っていった方が楽しいし、豊かにもなる。歌だけでいうと、やっぱり1人で歌うよりも全然いいとは思いますね。
――INORANさんのボーカルは、女性ボーカルの方との相性がいつもいいなと思います。
それは分からないですよ。男性ボーカルとやったことがないから(笑)。LUNA SEAでハモるくらい。でも、僕はわりと寄り添う感じは苦手ではないので。
本当に音楽の力を信じていなければ伝わらない
――ラストの楽曲「Leap of Faith」の歌詞<Take a leap of faith>にかけてお聞きしたいのですが、INORANさんがこれまで壁にぶちあたったのは、どんなことでしょうか。
壁と思ったことはないかもしれないですね。
――自然と乗り越えてきた?
いえ、自然とではないですよ。スランプはあるし。でも壁という表現はしないかもしれないですね。どちらかというと、自分のことよりも人がそうなった時にどうするか、を考えます。自分が壁にぶち当たった、とか思うことはないです。
――ちなみにスランプというのは、いつ頃、訪れたのでしょうか?
スランプは10年に1回くらいありますね。27歳、38歳。その後の10年はないかもしれないです。「やめたいな」と思ったことは…。
――え? 音楽をですか?
そうですね。今は思わないですけど。
――それは作品づくりというところで?
いいえ、違いますね。LUNA SEAが売れて、人が信じられなくなったということがあって。それは近いスタッフではないですよ。ただ、たくさんの人がいて、売れて近づく人もいたし。でも1回(活動が)止まったら、まったく人がいなくなって。そういうのが分かったというか。その中で「なぜ僕は音楽をやっているんだろう?」と。嫌いな人を増やすためにやっているのか、それでも人を愛せる? とか、です。でも、すぐ戻ってきましたけど。
――やはり自分にとって、音楽は切り離せないものだと。
これしかできないから、バンドやっていたんですよ。10代の時はこれしかなかったです。少なくともLUNA SEAの5人は、たぶんそうだと思います。そして30代後半のスランプは「燃え尽きた」状態だったんです。
――燃え尽きてから復活して再び燃え上がってくるのは、とても大変だと思うのですが。
でもその頃は「やめた」といってやめることはできないですからね。それぞれファミリーがいて、さらにファミリーにはファミリーがいるわけだし、自分の責任というのがあるから。ただやはりワクワクするというか、心が震えるような気持ちを抱いて、仕事としてプロとして進んでいかなきゃいけない部分をどう消化していくかということで。それ以外ないですね。
――そこで意識に大きな変化があって、今につながっているということなのですね。
いい経験だったと思うけど、できれば経験したくはないです(笑)。
――普通だったら側面に逃げたくなるけど、INORANさんはまっすぐぶつかっていかれるんですね。
今考えると、おそらく「なぜそんなつまらないことでケンカしたんだ? なぜあの当時、そんなつまらないことで怒っていたんだ? なぜそんなつまらないことをこだわっていたんだろう?」というレベルのことですよ。でも、今が答えですから。今でもこれだけバンドでもソロでも作品を出せるということが、すごく幸せなことだし、すべてに感謝したいですね。毎日の生活の中で音楽を作ることがすべてだと思うし、ネガティブなものもポジティブなものも題材であって、日々探しています。今はだいぶ上手くなったけど、たぶん若い頃はできなかったんじゃないですか。何か引っ掛かってしまうとか、そういうことかな。
――今は生のライブが難しいという状況もありますが、今後の活動についてはどのように考えていますか?
それなんですけど、ライブが難しいと関係者が思っていること自体が配信ライブをすごく軽んじているな、と思うんです。スタッフの中でもライブが難しいという人がいるけど。たとえは少し違うけれど、昔は「映画なんて映画館で見るもので、DVDなんて全然おもしろくない」と言う人もいたじゃないですか。でも今はNetflixとかでしょう? みんないつの時代でも本気で作っているんですよ。だからライブも、たぶんそうだと思う。絶対スタンダードになるんです。
――本当に配信ライブに対する意識が甘かったなと思います。
いや、決して批判とかではないんですよ。でも音楽業界自体がそう考えているなら、伝わるわけがないんじゃないか、と思うんです。CDが売れなかった時代も一緒です。音楽の力を信じていない。それは売れるわけがない。だから音楽の力を信じよう、ということなんです。そう信じていないと、やり続けられないというものもあるし。
――まさにそうですよね。
メディアの方もそうです。受け手じゃなくて、一緒に作っているんですよ。先日、ラリー・キングさん(米ブロードキャスター/CNNの生放送トーク番組『ラリー・キング・ライブ』の司会を25年以上務めた)が亡くなったじゃないですか。あの人も言っていましたけど、別にこちらから引き出すことじゃなくて、自然に彼らから他でもない話を言ってくるんだって。その場を作ることが、彼のすごかったところだと思うし。だから彼がいなかったらこの文化はなかっただろうし。今は世の中、ひとり一人がそういう人というか、餅は餅屋があって。みんなそれぞれの仕事でみんなを元気にしていく。そういうふうにやっていきたいなと思っています。
――自分の分野で力を尽くしていきたいと改めて思います。
僕らなんて恵まれていて、ライブを無観客でできるし。海外のミュージシャンなんかはロックダウンでスタッフが集まれないから1年くらいやれてない。ロンドンに集まるのって無理ですから。僕らはすごい恵まれていると思うし、やれることはやらなきゃな、と思います。
――そして今作は自分のあり方を改めて提示してくれる作品だと思うのですが、作品を通して、特に10代や20代といった若い世代にはどんなことを伝えたいですか?
いつの時代もそうだと思うんですけれど、全世代を網羅する、全世代の気持ちが分かるというのはたぶん無理で。どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、20代、10代にはその時の価値観があり、今の僕の価値観があると思うし。ただ、美しいものは美しい。だから全世代の人に、美しいものを一緒に見てくれればいいな、と。たぶん若い年代と僕らとの価値観の違いは、ディテールの話をしているだけで、美しいものは美しいんですよ。音楽ってそういうものだろうし。美しいという感情がわいてきたら、それですごくいいなと思います。
――10代の子が美しいと感じれば、そこで繋がるわけですからね。
僕らは生まれた時からスマートフォンがないわけですから、当たり前が違う。でも僕たち、この世代のミュージシャンとか音楽人というのは説教するのではなく、経験を教えるとかでもなくて、「俺ら、これ美しかったんぜ」だけでいいんですよ。ボブ・ディランもそういっていたし。実際そうだと思いますね。
(おわり)