上川隆也が、WOWOWプライムで11月22日放送スタートの『連続ドラマW 夜がどれほど暗くても』(日曜よる10時、全4話、第1話無料放送)で主演を務める。作家・中山七里氏の報道サスペンス小説が原作。容疑者家族となった週刊誌副編集長・志賀倫成役に挑む。これまで数々の役を演じてきた上川だが「演じてきたことのなかった様な人物」という。役を見出すところに面白味がある、役者として観る人の想像を裏切りたいとも語る上川はどのように対峙したのか。役者・上川隆也の本質に触れる。【取材=木村武雄/撮影=冨田味我】
やったこともないような人物像
『テミスの剣』以来3年ぶりの中山七里氏作品。その役どころは有名雑誌の副編集長。ストーカー殺人事件を起こした息子は被害者とともに自ら命を絶った。スクープを追う側だった志賀は一転、追われる立場となった。凶悪事件の容疑者家族として世間からバッシングを受ける日々。絶望の淵に立たされる中、ある出来事をきっかけに事件の真相に迫っていくことになる。台本を開いた最初の印象は。
「志賀の職業に世間の評価からある種、鼻白まれるような一面があることも含め、僕のキャリアのなかでなかなか巡ってこなかった人物像です。不遇に耐える役は幾度となく演じてきましたが、見舞われる境遇はそれらとは大きな差があると思いました。そうした携わったことのない役柄が惹かれた要素でもありました」
その「演じてきたことのなかった人物像」をどう作り込んでいったのか。
「いまだに役作りの定義は僕の中で曖昧模糊(あいまいもこ)とした物なのですが、志賀を理解してカタチにしていくことが役作りというのであれば、それは台本を開いた1ページ目から始まっていると思います。更にどんなお芝居がその日のシーンで生まれていくのかは、その日のそのシーンにならないと分からないことでもあります。ないまぜになったカタチがあるものとないものが現場で明確になっていくのが僕にとってのお芝居であり、役との向き合い方だろうと思います。ただそのなかで、彼の置かれている立場を理解することに何よりも重きを置いていました」
原作がある作品では、脚本や演出の違いはあるにせよ、テイストは限りなくその人物像に近づけている印象があり、原作へのリスペクトが感じられる。
「原作を読まれている方が100人いらっしゃったら100人が違うことを想像して、あるいは想定して読み進められているのが当然と思います。これをいわゆる最大公約数に持って行くのは不可能。ですので、僕は僕のイメージをなるべく沢山の人とすり合わせることにしています。監督をはじめプロデューサー、衣装さんメイクさん、スタッフ。今回でしたら志賀という男を形作って下さる方に「こうはどうでしょう?」と。「だったらこうしましょう、ああしましょう」と、矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)をできるだけするようにしています」
高い評価があった一例に、実写ドラマ『エンジェル・ハート』(2015年、日本テレビ系)での冴羽獠役がある。漫画やアニメは、小説と異なりキャラクターが絵として示されているため役作りとしての目指すべき姿が明確だ。その分、読者を納得させるまでに作り上げるプレッシャーはある。“冴羽”上川はそれを限りなく再現させ、原作ファンからも好評を得た。
「冴羽獠には『正解』があります。原作漫画が描き出した人物にピントを合わせ、そこに歩み寄って行けば間違いがないのでしょうが、小説の人物は実像のない存在ですから『エンジェル・ハート』とは条件が違います。だからこそ監督が持っていらっしゃるイメージ、プロデューサーが持っていらっしゃるイメージ、何枚もの像を重ねて浮かび上がってくる一番濃い輪郭ににじり寄っていく方法を、今回は採りました」
役者として抱く想像を裏切りたい
役には、役者の個性も反映される。もともと備わっている人柄とこれまで演じてきた役柄が重なり合い、個性は更新されていく。原作を読んでその役者が演じている姿が思い浮かぶのは、役者の個性でもある。
「それは役者としてはありがたいことだろうと思います。ですが、それをどこか裏切りたいと思っている部分もあります。具体的なプランを現場までは持ち込まないようにしようと思っているのはそれが大きな理由かもしれません。予定調和に陥ってしまうことで面白みを欠いてしまうように思いますし、シーンによって自分でも思いもよらなかったところに行ってみたい。そうした限定されない何かを共演者、スタッフの皆さんと探すのも現場の醍醐味だと思います」
役者として想像を裏切りたい――。『一億円のさようなら』(2020年、NHK)では爆発事故に端を発する化学メーカーの社内抗争に巻き込まれ、家庭では様々な問題を抱える加能鉄平役を好演。一方の『ノーサイド・ゲーム』(2019年、TBS)では主人公と敵対する冷徹な常務・滝川桂一郎役を怪演。どれもそれまでの印象とは異なり、その言葉の裏付けになっている。
加藤シゲアキの印象
上川は役作りにおいて「その日のそのシーンにならないと分からないことがある」と語った。人物像を想像し、すり合わせ浮かび上がった輪郭。撮影現場に立って生まれるその人の性格や感情。となればロケーションや共演者は重要だ。本作の共演者には加藤シゲアキがいる。加藤は週刊誌記者・井波渉役。井波は若手記者で、週刊誌報道の正義を巡って上司である志賀とぶつかる。やがて井波は追われる側となった志賀を密着取材することになる。
「以前から加藤さんがNEWSというアイドルグループに所属していながらも小説などを執筆なさっていて、才能をマルチに展開されていたのは存じ上げていました。今回共演させて頂くことを知り、多岐に渡る才能は理知的な部分も含めて、どのようなお芝居をされるのだろうという好奇心へ思いを至らせていました。想像していた以上に物語に踏み込んで、また役柄を深く理解して演じられているのがみてとれて、とても知的なお芝居をされる方だと思いました」
その“井波”加藤と現場に対峙して引き出されたものは。
「裏付けのある上で、抑制の効いたお芝居を構築してくださいました。だからこそ、後半の展開に無理なく繋げて行けたようにも思っています。もちろん加藤さんは、そこまで見越した上で適材適所・要所要所のさじ加減を考えて臨まれたのでしょう。その辺りは、最後の1文を見越して小説を書く立場を経験なさっているからこその、俯瞰具合なのだろうと思いました」
一方、妻役の羽田美智子とは3度目の共演となる。「信頼関係は築かれていますから、奥さんとして何の疑いもなく相対することができました」と語る。社会をテーマにした作品では、家庭内の様子も多く描かれており、“外の顔”と“家庭での顔”のギャップも見所の一つだ。演じ分けはあるのだろうか。
「どなたでも身に覚えがあるのではないかと思いますが、よくよく考えてみると友達と話している時、または親と話している時や仕事の現場で同僚やと話している時、これらは一様ではないものです。同窓生と話している時と上司に報告をしている時では声色も違ってくるでしょう。それと同じようなことを役の目線でしているだけだと思います。キャラクター達が、条件によってそれぞれに向き合い方が変わるのは当然ですから、そのギャップを楽しんで頂けたらと思います。志賀は当然、家庭に愛情と安堵を感じていたでしょうし、そう思える空気を羽田さんは創って下さったと思います」
上川隆也の本質、人物への関心と芝居
これまでに警察官や検事、会社役員など様々な職業、様々な役職を演じている。特殊な職業から一般的な職業までどのように向き合っているのか。
「職業はもちろん大きな要素だと思いますが、何よりも大事とは捉えていません。誤解を恐れずに申し上げるなら、例えば『ふりかけ』みたいなものだと思います。ふりかけも、たまご味と焼肉味では全く違います。でもそれは表面を覆っているもので本質ではありません。警察官という職業であれば、向き合っている事件が人命を扱うのか、それとも事務方なのかで、大きく変わるでしょう。一般の職業でも、扱い方を間違えれば命に関わるものを取引しているかもしれないですし、豆腐屋かもしれない。それぞれの味があってしかるべき。その上で、職業というふりかけが何にかかっているかが、更に大事な気がします。お米なのか、麦飯なのか、それとも赤飯か。そこが人物の本質に当たる部分だと思います。味の組み合わせは計り知れないでしょうし、それがお芝居の面白みの一つだと思っています。もしかしたらサンドイッチにかけているかもしれない(笑)」
そうなれば相当、あくが強いキャラクターになりそうだが…(笑)。
「確かに(笑)。でも、それが必要とされるのならば考えていかないといけない場合もあります。そこを限定しないことも、役を見出していく醍醐味なのかもしれません」
過去にテレビ番組で「芝居するのが楽しい」と話していたことがあった。その本質には色んな人物、いわゆるふりかけではない、かけられている部分を考えて、演じていくという意味が含まれているのではないか。
「間違いなく一つの要素だと思います。でもそれにとどまらないからこそ、更にお芝居が楽しいと感じているのも確かです」
そんな上川の活動の原動力とは。
「役を考える時間や、いかに演じるか、またはどう演じるか分からないことを形にしていく行程、更に観て下さった方がどのように受け止めて下さったのかなど、演者として享受できる喜びは様々にあると思います。それらを全部ひっくるめて芝居が好きだと思いますし、それが原動力なのかも知れません」
そんな上川が見せる新たな人物像に期待が高まる。番組を楽しみにしている方へ一言。
「作品のタイトル『夜がどれほど暗くても』は未完結の言葉で、それを完結させるために後に続くのは「いずれ明ける」だと思います。志賀が落ち込んでいく境遇は暗澹たる物ですが、その暗闇はやがて夜明けに通じている。この物語に登場する様々な人物が、いずれ昇って来る朝日をどのように浴びるのかが今回の物語の最終的な、そして本質的な見所なのではないかと思います。たとえ微かでも、そこに差し込んでくる陽光を、ご覧になって下さる皆様に見届けて頂きたいと思います」
(おわり)