LUNA SEAのギタリストでもあるINORANが9月30日、ソロ作となるニューアルバム『Libertine Dreams』をリリース。今作は、アレンジ・演奏をすべてINORANが手掛ける。コロナ禍の状況下で想像の翼を広げ、ありったけの想いをのせて制作されたという。私たちの心を鼓舞する曲、一緒に踊ろうと気持ちを開放してくれるナンバー、そして苦しい状況を浄化するような楽曲が収録されていて、まさにリスナーを強く導いていくような、愛情にあふれた一枚となっている。今作を作り終えて、今、INORANが感じる日々の大切さ、未来への想いとは?【取材=キャベトンコ】
どれだけ人の「気」の中で生きていたのかを実感した
――『Libertine Dreams』を制作するにあたって、当初はどんなアルバムを作りたいと思われたのでしょうか?
今回は、アルバムを作るために曲を作ったわけではないんです。コロナ禍において、徐々にみんなルーティンを考え始めましたよね。僕にとってのルーティンが、曲を作ることだったんです。だから朝起きて、顔を洗ってコーヒーを入れて、朝食を食べて…といった一連の中に、曲づくりが自然に組み込まれていきました。だから過去の最近のアルバムの作り方と今回は少し違います。今まではやはりアルバムを作ると決めたら期間も決めて、その中で作曲を集中的にしていくというパターンの方が多かったですね。でも今回は日々の生活の中で、曲作りも入れていく形でした。その結果、最終的にアルバムができたらいいな、くらいには思っていましたけど。
――ちなみにルーティンが決まるまで、曲が作れない、といった状況になったことはありますか?
LUNA SEAのツアーが一気に延期になったわけではなかったので(2020年2月から5月まで、全国13都市をめぐるホールツアーを開催予定であったが、新型コロナの影響で2021年に延期)。半月先、1カ月後をどう考えるかを、ギリギリみんなで議論をして、最善になるように努力をしてミーティングを重ねていたし。それとクロスして、曲も作り始めたという感じでした。
――今回のように日々の中で曲を作ることと、今までの作り方でどんなことが違うと感じられましたか?
一番大きいのは、移動という自由を奪われていること。だからこそ、発想力を豊かにしていかなくてはいけないし、想像、妄想をふくらませて生きていかなくてはいけないので。今までの生き方をなぞるのは、やっぱり違うから。そういう中で、やはり「自由」というマインドが生まれてくる。そこでの曲作りの方向性だったり、音の選び方だったりということはありました。
――この作品ではINORANさんがアレンジ・演奏を1人で手掛けられたというのは、人に会えない、移動がNGといったところからも決断されたんですね。
もちろんそれも当然ありましたし、あとはソロでいつも叩いてくれている、ドラムのRyo(Yamagata)くんが去年の音源から、少し休まなきゃいけないということで、そのこともあったので。今のコロナ禍の事態が起きなくても、打ち込みになったかもしれないです。あと曲作りというのは、基本的にSTAY HOMEなので、自分で家の中で完結させました。
――ただ、人と話すことで解決したり、発想が広がったりすることを制約されてしまう、という状況に関しては、どのように感じられましたか?
それは仕方ないな、と。そのくらいすごい日々だったし。みんなもそうだと思うから。あるもので、作るしかなかったですね。でもやはり人に会えない、人の気を感じることができないのは、ものすごく切ないことで。今までどれだけ人の「気」の中で生きていたか、生活していたのか、勇気をもらっていたのかが分かりましたよね。もちろんいいことだけではなくて、悪いことも含めてですけど。たとえば、オンラインでのインタビューだとしゃべることはできるけど、気が感じられないですし、合間もやっぱりちぐはぐじゃないですか? これも新しい生活の常識だろうけど、慣れる気もないし。だから人に会えることは、どれだけ尊いことだったのかというのは、今回強く感じます。
――本当にそうですね。
そういった尊いことを、いろいろとこの時期に教わりましたよね。だからこそ人間と音楽の関係や、音楽がみんなの生きがいを与えるものなのかと考えて。決してストイックではないけど、本当に自分の中でありったけのものを紡いでいって、自分が音楽に対して思い描く「人と寄り添うもの」として作れたらいいな、と思って制作していました。
このアルバムは僕の日記かもしれない
――ちなみに今回、最初にできた曲は?
1曲目(「Don’t Bring Me Down」)です。曲順は、ほとんどできた順番です。
――そうなると、INORANさんがSTAY HOMEをしている時の、過ぎていく日々をたどっているような形なんですね。
そうですね。3月から4月くらいの日々だと思います。
――最初に「Don’t Bring Me Down」という強い曲がきたのは、打ち勝ちたいという思いからですか?
やっぱり頭からいろいろなことを、打破したかったんじゃないかな。
――歌詞は別の方が書かれていますが、コロナの状況と近い曲もありますよね。特に6曲目の「Soundscapes」は<Music is the godsend/音楽こそが神様からの贈り物>といった表現で、INORANさんが普段から話されている内容と本当に近いなと思いました。
やはりこの時代の中で、葛藤であったり、自分で決断しなくてはいけなかったりとか、譲らなくてはいけない時とか、勝負しなくてはいけない時とか…。曲調を聴いてもらって、そういうものをジョン(Jon Underdown)とかネルソン(Nelson Babin-Coy)さんに書いてもらったから、たぶんすごくサウンドと合っていると思います。
――5曲目「Missing Piece」と6曲目「Soundscapes」はサウンド的には踊れるようなダンスナンバーです。
おそらくこの頃は、バウンス(跳ねる、跳ぶ)したかったんじゃないかな(笑)。
――確かに、曲順が続いているというのは、時期もつながっているわけですからね。
そうそう(笑)。「とはいっても、バウンスしたいんだ!」とかね。
――自粛期間中にINORANさんはこうやって音楽と向き合っていた、という部分を見せていただいている感じがします。
そう、それは僕の日記かもしれないですね。
――そんな中で7曲目の「’75」はインスト曲ですね。
たぶん「Soundscapes」を作った後に、こういう曲が欲しいと単純に思ったんです。たとえば映画音楽でいうと、ハードボイルド的なものがあったらおもしろいな、という感じで作ったと思います。
――ちなみにタイトルの意味は?
これはふわっとしたノリというか。これは74年でもいいんですよ。僕が好きな映像作品とか、その時代の映像だったりするかもしれないし。75には特に意味はないです。
――そうだったのですね。70年代というと、どんな時代だったと言えるんでしょうか。
でも深読みしてみると、今と時代が似ているかもしれませんね。世の中、豊かさを求めて生きてきたけれど、オイルショックが75年にあったり。たぶん、海外では不況な場所もたくさんあっただろうし。
――今回のことで、75年には経験していなかった私たちも、その現実を目の当たりにしました。
でもやっぱり、これから先、そういうこともたくさん起こるかもしれないし。いろいろな意味で備えておかなきゃいけないというか。便利は不便だったんだな、という。だからこそ強く生きていきたいな、と思いましたね。
経験を重ねて、多くの人と共有したい
――今回、ランディ・メリル氏(レディー・ガガやジャスティン・ビーバー、テイラー・スイフト、アリアナ・グランデ、MUSE、アデルなど、数々のビッグ・ネームの作品を担当し、2016年にはアデルの作品『25』でグラミー賞『最優秀アルバム賞』を受賞したキャリアを持つ、ニューヨーク州のマスタリング・スタジオSTERING SOUND在籍)がマスタリングをされたそうですが、これはどういった経緯で実現したのでしょうか?
今回、ミキシングエンジニアの方が初めての方だったんです。いつも音の方向性とか話しながら決めていくんですけど、その方と話していてマスタリングエンジニアを決めていく段階で、彼が「この方向性だとしたら、ランディ・メリルとやってみたい」と言ったんです。それですごくいいな、と思って。話が進んで実現しました。
――INORANさんは、その提案を受けてどう思われましたか?
俺にも想像がつかない人をセレクトしたし。ミックスダウンの音とマスタリングというのは、切っても切れない関係で、最後に仕上げてくれる人だから。どうせだったら、やってみたい人とやった方がいいじゃないですか。ランディにとってもエンジニアにとっても、自分の作品だし。その自分の作品で、偉大な人だったり、尊敬する人だったりと同じところに名前が載るのは、絶対、一生残る作品になると思うし。こういう時代だからこそ、フルにグローバリゼーションを生かすということです。
――ランディ氏が手掛けた音を聞いて、どんな感想を持たれましたか。
作品をさらにブラッシュアップしてくれて、本当にさすがです。やはり超一流の人というのは、オンリーワンで理由があるなと思いました。
――最初にこちらのアルバムを聴いた時、INORANさんのボーカルと楽器の調和がすばらしいと思って聴きました。だからマジックだったのかなと。
本当にランディはマジックを与えてくれましたね。
――INORANさんがスティーヴ・リリーホワイト氏(世界的な音楽プロデューサー)とつながり、そこから派生してLUNA SEAのアルバム『CROSS』が完成して、ご自身が一緒にやりたい方とやれたわけですよね。今回ランディ氏とミキシング担当の方がつながったことについても、通じるものを感じます。ちなみになぜランディ氏にお願いしたいかという理由は聞かれましたか?
ミキシングエンジニアさんは音的なことは絶対に考えているので、そこは聞かなかったです。だけど「世界中の誰でもいいからやってみたい人を上げて」という、その言葉がきっかけになったんだと思います。ダメだったら、ダメでいいじゃない? と。言わないと、その人の意思は分からないですし。
――それを言えるのは、おそらくINORANさんがご経験されているから、というのもあるかもしれませんね。
うん。でも彼にもそういう経験を共有して、一緒にこれからも共有したいと思ったんです。作品はスタッフやメンバーがいてこそで、一人では作れないから。時間やその作品の達成度、満足度といったものを共有することによって、音楽を作るファミリーとして強くなっていって、自信を深めるものだし。だから僕はこの人とやりたいというよりも、みんなで決めていく方が好きかもしれないですね。
――エンジニアさんはとても喜ばれたでしょうね。
俺が一番喜んだかも(笑)。みんながそう思ってくれたら、すごくうれしいですよ。
――私も本当に幸運なことにスティーヴ氏が来日された際に、インタビューさせていただく機会をいただいたんですけど、超一流の方は本当に愛にあふれていて、本当に私たちの目線で語ってくださるんですよね。INORANさんのおっしゃっている、超一流の意味が分かります。
だからこそいろいろな経験をして、人に刺激をもらって、できるだけ多くの人と共有したいな、と思いますよね。先輩たちから得るものは、すごくたくさんありますから。でも年齢は関係なくて。たとえば世界のどこかの中で、僕より年下のDJだろうが、多くの人の注目を集めたり、多くの人に見られていたりする人は、絶対に尊敬する部分というか、刺激をもらえる部分があるので、いろいろな人と関わっていきたいと思います。
――今回、1曲1曲はルーティンから生まれたということでしたが、アルバムとしてまとまってみると、いかがでしたか?
最後ランディにマスタリングしてもらった時に「ああ、いいアルバムができたな」と感じて。この時期にしか、たぶんできなかっただろうな、成しえなかったつむぎ方ができたな、と思いますね。
もっと強く、音楽と向き合っていきたい
――9曲目の「Shaking Trees」は美しいメロディの楽曲です。後半にできた楽曲というのは、ちょうどこのコロナ禍において、何か見つけたような楽曲という位置づけでしょうか?
たぶん、この位置にこの世界観がほしかったんでしょうね。いつも曲を作る時はそうですよ。大まかな設計図はあるけれど、後はいきあたりばったりのところもありますし。感じるままに作る方を優先してしまうので。だから説明しようとすると「この時にこの世界観が欲しかった」という表現になるのですが。音に関してはメロディがあってリズムの世界観があって、深いバスドラと、そこにストリングスが鳴っている、というのを最初に思い描いたんです。それに沿って打ち込んでいきました。
――アルバムの中では一番抽象的なナンバーになりましたね。
そうですね。詞もそういう感じなので。
――最後が「Dirty World」という混沌とした曲で終わるのは、決して楽観視できない世の中だからこその締めくくり方だと感じる一方、どうしてこの曲が最後になったのかとも思いました。
人にはいろいろな感情があるし、1日ひとつだけの人格の人は、おそらくいないと思うんです。だからこそ9曲目までこういう人格で来たなかで、最後に何を植えていくのかを考えて。たとえばこれが1人の人のストーリーだとしたら、何が来るのかなと。それで最後は「Dirty World」という人格で締めたかった、という感じですね。
――今の混沌とした状況とも重なりますね。
もちろんその日々の中で作った曲なので、意識的にも無意識的にも、やっぱりつながっているところはつながっています。
――時代性もありますが、今回は「日々」がテーマで。
そうだと思います。それがリアルな感想ですね。
――昨年のアルバム「2019」では、まさに2019年という時代性を描かれていましたが、今回は毎日の暮らしという、細やかな視点の一枚となったと。
やはり音の紡ぎ方がまったく違います。もちろん両方大切につむいだつもりだけど、希望の持ち方が、「まばゆい」か、「強く」か。そのくらい違うと思います。
――ちなみに、このアルバムはINORANさんの50歳の誕生日の翌日にリリースされますね。
正直、49歳も50歳もあまり変わらないですよね。「50だけど、大丈夫?」みたいな感じです(笑)。でもまだもっともっと、いろいろなものを吸収したいし、それは強くなる一方ですよね。年を1年重ねると、またさらに強くなっていく状況です。そして50歳までバンドをやって、音楽を仕事として生きてきたことは、10代、20代、30代のころは想像もしていなかった。でもその誕生日にアルバムをまた出せるというのは、本当に感謝でしかないから。感謝すると同時に、やっぱりもっと強く、音楽に向き合っていきたいというのが、たぶん50歳の決意だと思います。
――今のINORANさんの夢は何でしょう?
ここ数年一緒なんですけど、もっと広く、もっと深く、自分がつむいだ音楽が生きていく上での糧になったり、強さになったりと、みんなに寄り添えるように、これからもずっと、音楽をつむいでいきたいと思います。漠然としていますが、それが僕の夢ですね。
――3.11や今回のコロナ禍で「エンタメは無力」と言われる瞬間があったわけですが、そういう時は、どういう思いでモチベーションを保たれていたのでしょうか?
芸術といったものを大事に思ってくれる国もあるし、思ってくれない国もある。でも、他人や世の中からどう言われようと、音楽は絶対に人の生きがいの一つの要素だと思います。僕らは音楽を信じていたし、信じているし、これからも信じ続ける。だからやれることをやっていくしかないんだと思います。
――まさに。
だから今回、エンタメがいろいろなことを言われたけれど、たぶん作っている人たち、携わっている人たちが本当に好きならば、強くなれるはずなんです。そう思っていない人たちは、ふるいに落とされて落ちていくというか。それは別に売れてる、売れてないじゃなくて、情熱の加減だと思うんです。だからエンタメ界もいい機会をもらえたんじゃないかと感じます。情熱を持って作らないと、伝わらないし。
見えないものというのは、何だろうと意識していくことがすごく大事な時代だと思うから。音楽は特にそうですし。だから強くなれるんじゃないですか? 逆に強くならないと、僕ら、マスコミとかエンタメと言われたものは、そのままの存在になってしまう。それはくやしいじゃないですか。だからこそ、みんなが強くなっていく。これからもつらい状況は続くと思うし、それは誰でも一緒でしょう。全世界の人が同じ境遇ではないですけど、これはきっと良くなるチャンスだと僕は思います。
(おわり)