「アナ雪2」日本版EDに抜てき 中元みずき、家族のために歌う19歳の素顔
INTERVIEW

「アナ雪2」日本版EDに抜てき 中元みずき、家族のために歌う19歳の素顔


記者:村上順一

撮影:

掲載:19年12月27日

読了時間:約9分

 シンガーの中元みずき(19)。現在公開中のディズニー映画『アナと雪の女王2』の日本版エンドソング「イントゥ・ジ・アンノウン~心のままに」のシンガーとして抜擢されたシンデレラガールだ。ディズニーがデビュー前の新人をエンドソングに起用したのは初ということで話題で、今もテレビで見ない日はないほど注目されているシンガーだ。これまでは週6日アルバイトをしながら歌手になるための活動をしていた。苦労しながらも歌い続けることが出来たモチベーションの裏には家族の姿があるという。大晦日に行われる『第70回 NHK紅白歌合戦』の出演も決定した中元みずきの素顔に迫った。【取材・撮影=村上順一】

負けず嫌いで選ばれなかった時は悔しくて一晩中泣いていた

中元みずき

――テレビなどメディアに多く出演されていますが、今どのような心境ですか。

 素敵なアーティストの方々と共演したり、お会いできるので毎日宝物が増えています。X JAPANのToshlさんにお会いした時はテンションがすごく上がりました。

――充実した日々を過ごされていますね。さて、プロフィールでは5歳からシンガーを目指し始めたとのことですが、そもそも音楽の原体験は?

 音楽が大好きで音楽が流れていると、私は全然覚えていないんですけど、哺乳瓶を加えながら踊っていたと母から聞いています(笑)。それを見た保育園の園長先生が「歌やダンスを習わせた方が良いのでは?」と母に話してくれたみたいなんです。それで5歳から始めたのがきっかけなんです。レッスンをやっていくうちに歌手の道しか見えなくなって。

――5歳の時から歌は上手かったと思うのですが、当時のご自身の歌は聴いたことありますか。

 あります。母はピッチもリズムもとれていたし、普通に上手かったよと言ってましたけど、自分ではそんなに上手くなくて、下手だなと思いました(笑)。

――お姉さんも音楽活動をされているとのことなのですが、ご両親も音楽に携わっているのでしょうか。

 両親は音楽好きではありますけど、何か音楽をやっていたとかはないです。姉も歌手活動していますが、私がレッスンに通い始めて、私がやるならと一緒に入った感じなんです。

――そうなんですね。当時はどんなアーティストに憧れていたんですか。

 AIさんのパワフルボイスが大好きで、私もAIさんのように力強く歌いたいなと思っていました。

――広島にいた時、大変だったことや辛かったことはありますか。

 半年に一回、通っていたスクールの発表会があったんです。そのオーディションがあって、そこに私はすごく掛けていて、入るのに苦労したのを覚えています。選ばれなかった時は悔しくて一晩中泣いていました。私は何事にも負けず嫌いで、運動会の徒競走も1位じゃないと嫌でした。

――でも、それをバネにして頑張ってきたんですね。歌手として生きていくことを決意したのはいつ頃でしたか。

 小学2年生くらいの時には、「絶対歌手になる」と思っていました。

――早いですね。広島から大阪にレッスン場所が移りますが、これはどのような経緯で?

 小学6年生の頃にカラオケ大会に参加しまして、その時に声を掛けて頂いて、EXPG STUDIOの大阪校の特待生として入りました。その時は広島から大阪まで通っていたのですごく大変で。たまにバスも使っていたんですけど、基本、母と祖母が交代で車を運転して片道4時間掛けて通っていたんですけど、祖母が背中を押してくれて大阪に引っ越しました。そして、高校の入学を機に東京に移りました。

――ちなみにそのカラオケ大会は何を歌われたんですか。

 確か、MISIAさんの「飛び方を忘れた小さな鳥」を歌ったと思います。

――小学6年生の「飛び方を忘れた小さな鳥」聴いてみたかったです。さて、上京されてからはアルバイトを週6日やっていたみたいですけど、それはなぜですか。

 何回も引っ越しをしていたので、その費用もかなり掛かって、家族に迷惑をかけているなと思っていました。高校生になってアルバイトが出来るようになったので、身の回りの事は自分でやりたかったんです。ケータイ電話の料金や洋服、美容院の費用など自分で稼いで、家族の負担を減らしたかったんです。

――噂ではレッスン費用も高額なところに通っていたというお話も聞いたことがあるのですが。

 レッスンに通っていましたけど、そんなに高額ではなかったです。家賃など主に生活費を捻出するためにアルバイトをしていました。特に母に迷惑を掛けたくなかったんです。母もやりたい事があったと思うんですけど、それをせずに全部私のために使っていたので、中学生ぐらいからバイトが出来るようになったら、なるべく自分で出来ることは自分でやろうと考えていました。

――アルバイトをしていた時の1日はどういったスケジュールだったんですか。

 早朝からお昼までアルバイトをして、午後からレッスンをしたりしていました。

――あまり寝る時間もなかったのでは?

 睡眠に関しては母と祖母がすごくうるさくて(笑)。なので、寝る時間もしっかり確保していました。あと、食事に関しても今日は何を食べたのかなど、生活については厳しかったです。それもあって体調管理には自信があります!

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