ヴィジュアル系ロックバンドの「Plastic Tree」のボーカルとして、メジャーシーンを22年間走り抜けてきた有村竜太朗。2016年に初のソロ活動を発表。当時リスナーの間で大きな話題になった。以降は『個人作品集1996-2013 「デも/demo」』、『個人作品集1992-2017 「デも/demo #2」』をリリース。ライブツアーも実施している。しかしなぜ彼はソロ活動を始めたのか。その答えは、有村のソロライブとPlastic Treeの近年のライブに特徴的な“演出”と“曲構成”から垣間見ることができる。6月12日発売のライブDVD/Blu-ray『有村竜太朗 TOUR2019「デも/demo #2」-Road Show-』からもそれはうかがえる。【五十嵐 文章】

ステージ演出の違い

 有村竜太朗ソロでのライブ演出は、シンプルな構成が特徴的だ。2017年1月に品川ステラボールで開催されたソロ初の東京公演では、舞台上に一脚の椅子が置かれ、紗幕越しに有村がひとりでアコースティックギターを弾き語るパフォーマンスから開始したのが印象的だった。現在ではアルバム収録曲のアコースティックアレンジ音源が制作されていたり、アコースティックパートにアコーディオン奏者やピアニストを加えたりと表現の幅は広がっているが、基本的にはシンプルに「歌を聴かせる」ことに徹しているような印象が強い。舞台セットも限りなくシンプルに作られている傾向にある。バックにはスクリーンが配置され、「くるおし花/kuruoshibana」では枯れていく花の映像、「19罪/jukyusai」ではくるくると踊る少女のシルエットのアニメーションで描かれるというように、楽曲に合わせた映像が投影される。

 ヴィジュアル系ミュージシャンにとって、本人の衣装やメイクも演出のひとつとして大きな意味を持つことが多い。しかし、ソロライブ時の有村はメイクも薄く、ほぼノーメイクの状態で白いシャツとパンツにカーディガンを羽織るような、至ってシンプルないでたちであることが多い。

 一方、Plastic Treeとしての近年のライブ演出には、演劇的な要素が顕著である。舞台セットの背景にスクリーンが配置され、楽曲の世界観に合わせた映像が投影されるのは有村のソロライブと同様の演出だ。しかし、Plastic Treeのライブではそれ以外にもオブジェや緞帳など、公演ごとのイメージに合わせたセットが組まれることが多い。

 また、有村のソロライブと異なる点としては、有村自身がギターを弾きながら歌う楽曲が圧倒的に少ないという点も挙げられるだろう。ソロライブ時にはギターを弾きながら歌うことが多い有村だが、Plastic Treeのライブではハンドマイクを多用し、舞台狭しと動き回りながらパフォーマンスするのが常。マイクを手に歌うだけでなく、2018年5月に開催された中野サンプラザ公演では、「雨中遊泳」で黒い傘をさし、スクリーンに映る雨の中を歩くようなパフォーマンスを見せていたのが印象的だった。

 その中野サンプラザ公演では、「サーチ アンド デストロイ」のパフォーマンス中に本のような紙束を手にしながら歌っていた有村の姿も記憶に新しい。曲の最後ではその紙束をばらまき、紙吹雪のように舞う紙束の中に佇む、という非常に演劇的な演出が施されていた。

 2019年5月におこなわれた中野サンプラザ公演の「灯火」での片手にランタンを持つ演出など、時に小道具を駆使しながら、楽曲の中に込められた物語を演じるように振る舞う有村の姿が、Plastic Treeのライブでは特に散見される。

 また、メンバーの衣装やメイクも有村のソロライブと比べると大幅に異なっている。衣装は主にアーティスト写真と同じか、ライブごとの世界観に合わせたものが選ばれており、メイクもヴィジュアル系らしいアイラインやアイシャドウのしっかりとしたものが多い。

 ライブで披露される曲構成に関しては、ソロライブでの構成が特に印象深い。

パーソナルを表現

 現状ではソロアルバムは2枚リリースされているが、1枚目のアルバムがリリースされた当時からライブでPlastic Tree名義の曲が披露されたことは一度もなかった。徹底して有村名義の楽曲のみが披露され、ギター1本でのアコースティックアレンジバージョンやピアノ、アコーディオンなどの楽器を加えたバージョンなど、アレンジを変更して披露されていた。

 使用楽器やBPMを変更するだけで全く異なる曲に聴こえる有村の楽曲の数々からは、原曲のコード進行と展開の巧みさが垣間見える。同じ曲をアレンジが異なる3パターンのバージョンで演奏しても飽きさせない手腕には、ミュージシャンとしての有村の尽きないポテンシャルの高さと引き出しの多さを改めて見せつけられることだろう。

 有村にとって、Plastic Treeでの活動と個人活動は地続きでありながら全くの別物であることが、これらのライブ演出から想像出来る。Plastic Treeの楽曲としては日の目を見ることがなかった作品を世に放つというコンセプトが、ソロ活動では徹底的に貫かれているのだ。

 Plastic Treeのライブにおける有村の役割は、あくまで“Plastic Treeのボーカル”という名の、楽曲の中に込められた物語の主人公を演じる役者としてのものだ。戯画的・耽美的な世界観を基調とするヴィジュアル系アーティストらしいスタンスだと言えるだろう。

 対して、ソロ活動では有村自身のよりパーソナルな面を表現しているように感じられる。その姿勢の違いが、ライブにも現れているのだろう。

 有村はソロ公演のMCの際、必ず「僕のわがままを受け止めてくれたPlastic Treeのメンバーに最高の感謝を」と挨拶する。この言葉からは、有村にとってバンドがどれほど大切なものであるかがわかる。20年以上もの時間をバンドボーカルとして活動していれば、世に出せなかった無数の作品未満の楽曲も生まれるのが当然だろう。常にバンドのボーカルとしてバンドと共に生きてきた彼だからこそ、バンドのために自分自身を開示し、身を削って作ってきた曲たちを何らかのかたちで世に送り出したかったのだろうということが想像出来る。有村のソロデビューは、20年以上のバンドとしての活動があったからこそ、実現したものなのだ。

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