浜端ヨウヘイ「新しい場面が来た瞬間」寺岡呼人との出会いが開いた扉
INTERVIEW

浜端ヨウヘイ「新しい場面が来た瞬間」寺岡呼人との出会いが開いた扉


記者:村上順一

撮影:

掲載:19年02月11日

読了時間:約12分

 身長192cmという存在感を放つシンガーソングライターの浜端ヨウヘイが1月23日、寺岡呼人(JUN SKY WALKER(S))プロデュースのシングル「カーテンコール」でメジャーデビューした。山崎まさよし全国ツアーのオープニングアクトに抜擢され、全50会場に帯同したことがきっかけとなり、2014年にオフィスオーガスタに所属。その年の11月に1stシングル「結-yui-」でCDデビュー。2017年からはスペシャルプロジェクト「福耳」にも参加し、近年さらに注目されているシンガーの1人だ。インタビューでは、デビューまでを振り返ってもらい、新たな幕開けを感じさせる壮大な楽曲「カーテンコール」についてや、寺岡呼人との制作の背景に迫った。【取材=村上順一/撮影=冨田味我】

良いものを作って活動していけば繋がっていく

浜端ヨウヘイ

――2007年から音楽活動を始められた浜端さんですが、シンガーを目指そうと思ったきっかけどんなものだったのでしょうか。

 ただシンプルに歌とギターとピアノが好きだったというのもあるんですが。大学を卒業した後に沖縄のゲストハウスで住み込みで働いていたことがあって、そこに旅人たちがやってきてはギターを弾いたり歌ったりしていたんです。その空間がものすごく良くて、自分でもこんな時間を作っていけたらいいなと思ったのがきっかけです。

――それ以前から作曲したりしていたのでしょうか。

 いえ、楽器を弾いていたぐらいです。それこそ山崎まさよしさんのコピーをしたり。『ONE KNIGHT STANDS』のスコアを買って、「どう弾いているんだろう?」みたいな。

――山崎さんといえば「Fat Mama」とかコピーのしがいありますよね。

 まさに当時は「Fat Mama」が僕の最終目標でした(笑)。

――その憧れの山崎さんのツアーにも過去に帯同されてましたけど、どんな心境でしたか。

 もう、盗めるところは盗んでやるといった気持ちで前座をやらせて頂いていました。リスナーの時の僕とは全然違う自分がいたのを覚えています。その時に得たものは、とてつもなく大きかったです。

――そして、オフィスオーガスタからCDデビューされましたが、その時はどのような心境でしたか。

 あの時は体感したことのないスピード感で物事が進んで行って、それについて行くのに精一杯でした。オーガスタに入る前は、自分で電話して全国各地をライブしていたんです。年間で250本やることもあって(笑)。ライブをすることしか、プロモーションの方法が思い付かなくて、そんな本数になってしまったんですけど。オーガスタに入ってからは初めて経験することづくしで目まぐるしかったです。

――それにしても250本ってすごいですね…。

 当時、(竹原)ピストルさんもそれ以上のライブをやっていたと思います。それもあって、その全国を回っていた中でもよくピストルさんに会いました。ライブのブッキングでよく一緒になって、ピストルさんが「またお前か(笑)」みたいな感じで。あと、2人で車の中でこれからどうしようかとか話したのを覚えています。

――会社も辞められて、音楽一本でやっていくと決めてから凄いスピードだったんですね。

 会社は28歳で辞めたんですけど、30歳を過ぎてからでは尻込みしてしまうだろうなと思いました。でも辞めることに関しては、あまり悩まなかったんです。もう音楽一本で行こうと決めていたので。

――その年間250本というライブの中でどんな発見がありましたか。

 週に5回くらいワンマンをしていた時期があったんですけど、最初のうちは自分がどこにいるかもわからなくなったりして。それが段々と慣れてきて地図を使わなくても会場に行けるようになったり、些細なことの変化にも気づけるようになったり。街が変われば僕の歌も変化していくということに気づけたことが大きいかもしれないです。それは嬉しい発見でもありました。

――地方でワンマンが出来るというのも並大抵のことではないですよね。

 最初は1人も自分のお客さんはいなかったですから。回っているうちに少しずつ増えていって、ワンマンが出来るようになるまでになりました。

――良いものを作ってやっていけば、しっかりとレスポンスがあるという良い例ですね。

 僕もそれはピストルさんのライブでまざまざと見せつけられましたから。良いものを作って活動していけば繋がっていく、ということをずっと信じてやっていました。

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