自分たちにしかできない音楽を探す、D-51 デビューから15年経て見える景色
INTERVIEW

自分たちにしかできない音楽を探す、D-51 デビューから15年経て見える景色


記者:小池直也

撮影:

掲載:18年11月03日

読了時間:約13分

自分たちでしかできない音楽

YU(撮影=冨田味我)

――デビュー15周年を迎えますが、振り返ってみていかがですか?

YU あっという間でしたね。

YASU 業界のことも何も知らない時に「NO MORE CRY」という曲でヒットさせてもらったんですけど…周りはすごい忙しそうにしていて、僕らはそれについていく様な感じでした。デビューしてからの数年はほとんど記憶がありません(笑)。

YU デビューから5年目くらいまでは本当に一瞬でした。今思うと、もうちょっと冷静になった方がよかったなと思います(笑)。特に今強く感じるんですけど『紅白』ってやっぱすごいんだなと。その時もすごいと思っていたんですけど、忙しすぎてよく分かってなかったんです。事務所から「『紅白』決まったよ!」と電話かかってきて、すごく喜ぶかと思いきや「そうなんですね」という感じでしたから。友達にも「『紅白』出るみたい」と話していました(笑)。もっと味わっておけばよかったなと。その時は本当に必死でしたね。

――デビュー当時とは、音楽の聴き方も売り方も変わりました。

YU 今は肩の力を抜いて活動できているので、そういう意味では楽しくやれてはいます。「もっとCD売れろよ!」とは思いますけど。

YASU CDだけで聴かない時代に寄り添っていかなければとは思っています。音源を作る時は少しでもいい音にしたいという気持ちはあるんですけど、友達とかが性能の低いイヤフォンで聴いているのを見ると、残念な想いもありますね。そういう土壌の中でどう自分たちが音楽していくのか、というのは課題ではあります。

 昔の方が良かったと言えば良かったかもしれません(笑)。ビジネス的には入ってくるお金も違いますし。でも、そこに文句を言っても仕方ないし、ポジティブに今できること「自分たちができることは何か?」「今音楽好きの人が求めているのは何か?」ということを考えていかないともったいないですね。

YU 情報量が増えて、若い子の曲のレベルが上がったと思います。歌が上手い子がいっぱいいたり、僕らの時代では何秒かで全てが見れたり聴けたりするじゃないですか。今の時代に音楽を始めたら違っていたかなと感じます。

――音楽に対する向き合い方などに変化は?

YASU デビュー当時はプロデューサーに書いてもらっていました。でも、途中から自分たちで曲を作る様になって。最初はかっこいい曲とか、自分たちの歌が上手く聴こえる曲を作りたいと思っていました。でも、どんどん年を重ねていって自分たちの本来のイメージとか、育った場所とかそういうものを出した方がいいんじゃないかなと。そういうことを2人で話し合う様になりましたね。流行りよりも、自分たちが今格好いいと思うものや、やりたいことをやる様にしています。

YU 曲を書かないとどうしようもないと思ったんです。頭の中にはやりたいことがあるけど、それを形にできないもどかしさがデビュー当時からあって。やっちゃんは早くから歌詞を書いていて、僕は歌っているだけでした。だから曲を作れる様になりたい、と。それで今に至ります。最初はリズムとベースラインとメロディだけで曲を作ったりして、アレンジャーに「なんだこの曲は?」と言われたりしました(笑)。でも今はやりたいことがあれば、何となく形にできますよ。

――シンガーというよりも、音楽家だという自己認識があるのですね。

YASU 歌の上手さで競いたくないと思った時期があったんですよ。若い頃は「誰よりも上手く歌いたい」という考えが強かったんですが、今は「自分たちだけのポジションが欲しい」と思っていて。D-51だからできる音楽を目指しています。

 業界に入って思ったんですけど、歌が上手ければ売れるということはありえません。そういう状況を見て、シンプルに歌が下手でも聴いている人が楽しんでくれることが大事だと感じました。だから自分たちでしかできない音楽を今は探しているんです。

 今必要なのは、知識や引き出しですね。曲を作っていても「前と同じじゃん」と思うこともあります。コード1つにしても、アレンジャーが少し手を加えてくれると「こういうやり方があるんだ」と勉強になるんですよ。そういうアイディアをもっと吸収したいと日頃思っています。普段の音楽の聴き方も分析的に聴く様になりました。

――新作が出たばかりですが、次作の構想などは?

YASU デビューしてからよく言われていたのが「沖縄の三線の音って入れないの?」ということです。僕らの周りのアーティストも入れている人が多いですけど、僕は故郷の楽器を自分がよくも知らないのに使いたくもないと思っていて。でも15年やってきて、今回も沖縄の夏をテーマにしました。なので故郷に向けての曲を書いてみたいなと思っています。三線の音を入れてみたいという想いもありますね。

 それから、12月からバンドを携えて「D-51 BAND TOUR 2018『Late Summer』」も始まります。バンドメンバーも沖縄の人なので、ライブハウスが沖縄の空気感になると思います。ビールでも飲みながら楽しんでください。

(おわり)

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