ニコニコ動画やYouTubeなどで"歌ってみた"動画を投稿する歌い手がいる。その界隈では大変な盛り上がりをみせており、そのシーンからメジャーデビューしたものもいる。歌い手のなかには楽曲制作から取り組むものもいるが、ボカロPがボーカロイドを活用して作った楽曲を歌うのが一般的だ。“原曲”の世界観を崩さずに個性を見せるのが歌い手の腕の見せ所ともいえる。今回は、その界隈で“新奇な歌い手”として注目を集める「宮下遊」について取り上げたい。【小町碧音】

ネットでのアーティスト活動10年

 宮下遊は作詞・作曲・編曲・イラスト制作などの全てを手がけることのできる、歌い手には珍しいタイプだ。ウィスパーボイス寄りの歌声には透き通った艶やかな面もあり、さらには歌の世界観や歌詞、メロディなどによって声の表情を自在に変える特徴を併せ持つ。

 そんな彼は16歳の頃からネットへの動画投稿を始めた。2012年9月には、詞・曲・イラスト・動画全てを手掛けた「悪鬼あざみうた」を公開。同人でアルバムもリリースした。2016年8月にはEXIT TUNESから「え?あぁ、そう。」「セクト」「メアの教育」などを収録したメジャー1stアルバム『紡ぎの樹』をリリース。

 今年7月にネットにおけるアーティスト活動10周年を迎えた彼はまだまだ精力的で、ボカロPであるseeeeecunと新ユニット「Doctrine Doctrine」を結成。6月20日に1stフルアルバム『Darlington』をリリースし、その発売を記念して7月21日に渋谷WWW Xでライブ『Conference』を開催。その第二弾となる『Conference Vol.2』を京都FANJでおこなった。

 ネットにリアルに、活動の幅を広げている宮下遊。そんな彼の最大の武器は、曲の世界観をさらに広げ、深くする歌声の表現力だ。

 宮下はそれを“歌ってみた”動画として9月7日に投稿した。

繊細な仕掛けで生むリアリティ

 その代表曲として「アイアルの勘違い」を挙げたい。この曲は、今年2月にボカロPとしての活動を開始した、「煮ル果実」の8作目の作品であり、『カゲロウプロジェクト』楽曲として注目を集めたボカロP・じんの楽曲「アウターサイエンス」などを想起させるような楽曲となっている。WOOMAが手がけたイラストは、歌詞と重なり狂気的に描かれヒステリックを含んだ楽曲の世界観を視覚で表している。

 その楽曲を宮下はどう歌ったのか。端的に言えば、彼の歌声が加わったことでミュージックビデオ(MV)の登場人物に息を吹き込んだようなリアリティが生まれた。

 それが顕著に表れている箇所を数点紹介したい。

 MVでは、2番のAメロで主人公の男性が煙草の煙を吐くシーンがある。原曲ではそこに音はなく、しばらくの無音、いわゆる間が流れているが、宮下はそこに実際の息を吐く音を加えた。煮ル果実は意図としてあえて間を持たせたように思われるが、宮下はそこにぴたりとリアリティを置いた。

 また、主人公を襲う謎の人物が一瞬、鏡に映りこむシーンがある。そこでは、先ほどと真逆に息を吸う音を入れている。“襲われる”を表現した、まさに息を飲む瞬間を“音”で表現したといえるだろう。

 さらに、2番のBメロの「殺したげる」の「る」をあえて巻き舌で歌っている。「たげる」は俗語であるため、一般的には「殺してあげる」という意味だが、「あげる」という言葉をあえて巻き舌にすることで、発言者、「あげる」側の狂気度を表している。

 もう一つ、曲ごと、もしくは曲中に、異なった声を入れ込むことも彼の特徴だ。あたかも別な人物の声かと思わせるのがその変幻自在な彼の声がなせる業だ。聴き手に飽きさせない新鮮を届けている。その例に「アイアルの勘違い」がある。この曲の後半では、主人公が狂気めいた表情に一変する姿が描かれているが、前半の歌い方とは正反対に、荒れ狂うように力強く歌っている。そのインパクトは、聴き手を驚嘆の渦に巻き込むようだ。

 これらのように、変幻自在な歌声を使って際立たせることで、曲の世界観に深みをつけている。原作者と作画者にいて成り立つ漫画やアニメのように、原作に声という形、それも繊細な仕掛けで入れ込む。斬新さも相まったその発想力はファンから支持を集める大きな要素になっているといえる。

センスと徹底

 こうしたセンスは最初から備わっていたものではない。過去にインタビューでこう語っている。

 「絵を描いてきたおかげだと思いますね。僕は歌と絵がほとんど感覚が同じで、歌うときは曲に絵を描いてるみたいな感じなんです。使う器官が違うから、思ったようにやれるまでには時間がかかりましたけど」(宮下遊とseeeeecunによるフレッシュなケミストリー Doctrine Doctrineより)

 楽曲を立体的にとらえる、それは絵を描いてきたことで培われた感覚なのかもしれない。

 彼は“歌ってみた”動画をあげた後で、少しのミスに気付くとすぐに動画を投稿し直すことがある。そこでいえるのは、彼は完成させた自身の楽曲を何度も聴き直しているということ。出来上がった自身の楽曲に落ち度はないかと徹底的に粗探しをする。

 作品が世に出る前にも徹底的に考え、チェックしているはずだ。にも関わらず、発表後もそれを続ける。それはネットならではの特徴なのかもしれないが、多面的にみれば、発表した以降も作品は更新し続けている表れではないだろうか。

 そして、その一点一画も妥協を許さない性格が彼の楽曲に磨きをかけてきたともいえる。しかしながら、そこには、遊び心を忘れてはいない。思いっきり遊ぶための完璧さ。そんな彼はこれからも様々な世界を魅せてくれるだろう。“歌い手”として“表現者”として、遊び心も兼ね備えた“宮下遊”。今後も“遊び心”を持った作品にも注目していきたい。

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