INTERVIEW

福田麻由子

欠けている部分を埋めてくれた。
転機の主演映画『グッドバイ』


記者:鴇田 崇

写真:鴇田 崇

掲載:21年05月11日

読了時間:約7分

 NHK 連続テレビ小説「スカーレット」や映画『蒲田前奏曲』など、近年深みを増した演技を披露する女優・福田麻由子が、本作が初長編監督作となる新鋭・宮崎彩による映画『グッドバイ』に主演した。ゆっくりと、しかし確実に変わりゆく家族の変容と決別を描く本作で、福田は娘から女性に変わりゆく主人公・さくらを繊細に演じ切っている。映画は彼女の視線を通じて、家族のゆらぎを丁寧に切り取っていく。

 実は福田自身、本作のオファーが来た際、「心身ともに状態が良くなく、仕事に対して前向きに、胸を張って仕事を引き受けられる状態ではなかったんです」と当時の状況を明かす。しかし、意を決して出演を経た今は、「この作品は自分の欠けている根っこのひとつを埋めてくれた作品だと思っています。本当にいい経験でした」と語る。映画『グッドバイ』は、実力派女優にとってどういう作品になったのか。【取材・撮影=鴇田崇】

(C)AyaMIYAZAKI

初めての経験

――さくらという主人公の女性は、福田さんの当て書きだったそうですね。

 最初にいただいたプロットには当て書きとは書いていなかったんです。ただ、実はその当時、心身ともに状態が良くなく、仕事に対して前向きに、胸を張って仕事を引き受けられる状態ではなかったんです。すごく自信がなく、同世代の方がゼロから自主企画でやろうとしている気持ちに応えられる自信がなかったんですね。なので引き受けることに躊躇していました。

――それは迷いますね。何があったのですか?

 お断りするのも悪いと思い、監督にお会いすることになりました。その時に「途中から福田さんの当て書きになっているのでぜひ出ていただきたい」と、実際に面と向かってお願いされました。「当て書きです」と言われたことはなかったので、すごくうれしかったです。なのでその熱意に背中を押されるかたちでやってみようと決意しました。

――さくらを演じてみていかがでしたか?

 映画は、彼女が20代前半で会社を辞めるところから始まります。たぶん20代前半は、誰しもがそういう時期だと思うんです。わたしもそうだったからわかるのですが、さくらは会社というなんとなく決められたルートをひとつ捨てるところから始まって、自分の人生とは何なのか、自分が求めているものは何なのか、自分が本当にしたいことは何なのかを自問自答する。実家を出ようとする行動も、その表れだと思うのですが、そういう何を捨てて何を持ってこれからの自分は生きていくのかという時期のさくらとわたしは、本当にリンクしていました。

――福田さんの場合は、どういう悩みがあったのですか?

 撮影の仕方はドラマも映画も、なんとなくの進め方はわかっているので、台本を読んでいる時もシステムを想像しながら読みますが、既存のやり方に縛られている部分があるんです。そういうことにも疑問を持っていた時期で、仕事はそういうもの、と決めつけたくないけれど、どこかで自分で決めつけてもいて。このまま歯車みたいにドラマを作りたくはないけれど、そこからどう変わっていいかもわからないという、そういう悩みがありました。

 でも『グッドバイ』の現場は初めての経験が多く、スタッフさんの家を借りて撮影したり。キャストはホテルにいたのですが、朝行くと布団をたたみ、歯磨きをして「おはようございます!」と、そこで寝泊まりをしてる。そこまで純粋に映画を作ったことってなかったなあと。その時は劇場公開も決まってない段階で、監督をはじめみなさん映画が好きで集まって映画を作る。わたしは、すごくシンプルなことをやらないまま来てしまっていた。それがコンプレックスのひとつだったので、いろいろなものを積み重ねて来たけれど、根っこが、自分の人生がグラグラしている感じが「壊れるぞ!」みたいな焦りがあったんですね。この作品は自分の欠けている根っこのひとつを埋めてくれた作品だと思っています。本当にいい経験でした。

(C)AyaMIYAZAKI

怖いものはないと思えた

――なるほど。自分が思う基礎的な体験や自分の理想の段階を踏まずに有名になってしまったことに迷いがあった?

 それはあったと思います。10歳の時から今の事務所に所属させてもらっていますが、目の前のことを一生懸命やってきて、芝居も好きでやってきたけれど、トントン拍子にいろいろなことが進んでしまったんですね。高校卒業して上京して、ゼロからオーディションを受けて事務所に入る子もいるのですが、比べちゃいけないけれど、そういう子に比べて自分は何か欠けている気がしちゃうんです。今もそういう思いはゼロではないけれど、この『グッドバイ』を撮っていた時期は、もっとそういう思いに縛られてたような気がします。

 映画が好きという思いだけが集まったこの作品が、どれだけの方々に観ていただけるかわからないけれど、希望がある世界を見せていただいたというか、すごく感謝しています。劇場でも公開していただけることが決まり、よかったと思います。

――その足りない感覚は最終的には自分次第だということを、さくらを通じて気づいた?

 そうなんです。勝手に縛られている感じにすごく共感しました。

――気は楽になりましたか?

 そうですね。気は楽になりました。『グッドバイ』に映っている自分は……もちろん全身全霊で演じましたけれど、自分の人生にも役者の仕事にも迷いがあって、その迷いみたいなものも映ってるなと思ったし、人前に立つ仕事なので持っていなきゃいけない自信があると思うのですが、それを持たなきゃいけないと思ってずっとやってきたけれど、当時は人前に堂々と立てなかった。そういう状態で引き受けている負い目も撮影中はどこかにずっとあったりして、でも映画を観た時に、そういう自分の弱い部分や堂々と生きてないところが全部映ってて、でも作品はすごくいいものになっていて、自分の弱い部分をすごくさらけ出したような気持ちになったら、怖いものはないと思えたんです。

――それは大きな飛躍ですね!

 これを観られたらもう、なんでもあり!というくらい、わたしからしたらダメなわたしが映ってたので(笑)。しかもわたしのダメなところを、それを監督が作品のひとつの要素として、いい形でいい作品を作って頂いたので、とても感謝しています。それこそ過去との決別がひとつのテーマですけど、わたしもこの作品でさせてもらった気がします。

――とても共感を誘う作品だと思います。これから観る人にどうすすめますか?

 同世代の人には観てほしいという気持ちはまずありますね。キャッチーな感じではないけれど、同世代の人と話していても、一流企業に勤めていても、5年くらいで自分の生き方はこれじゃないと気づくみたいな話を聞くことがあったりするんです。

 でも今の時代はすごく変わってきていて、会社に勤めたら安泰ではなくなってきていて、今の20代・30代の若者とされる方たちがレールに乗っかるのではなく、自分はどうやって生きて行くのか、自分は何を大事にして生きて行くのか、何を持って生きて行くのか、わたしも含めて、みんなが今考えている時代だと思う。

 20代・30代の人たちだから、そこには自分の家族とどういう折り合いをつけていくのか、それはたぶん誰も逃れられないことだと思うし、自分の10代・子どもの時代とどう折り合いをつけていくのか、そういう話し合いをするような雰囲気だと思うんですよね。コロナ禍もあり、同世代の方にはすごく刺さる物語なのかなって思います。

福田麻由子

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