40歳で一回人生は終わった
――プレッシャーは凄まじいものがありそうですね。作家としてのスランプはありましたか?
30年くらい前は「そろそろ終わりかな」というのはありました。きっとくたびれちゃったんだね。やっぱり毎回期待されるとくたびれちゃう。人間難しい所でさ、期待に応えられるというのが一番良いことなんだけど、いつも応えられる訳ではないんだよね。
40歳で一回人生は終わったなと思って、私の場合はここで一度仕切り直して「さて何しようかな」と。それで一回プラプラしてみようと思いました。働かないで朝がきたら「今日は何をしようかな」という感じで、その日その日に決めて、毎週2〜3回ゴルフをやって、友達と会ったりどこかに遊びに行ったり。そんな感じで10年くらいプラプラしてたんだけど「これ、人間が駄目になるな」と気づいて(笑)。
――そしてその状態から10年経ち、50歳になってからまた音楽への情熱が再燃されて?
そうそう。それで50歳になってからロンドンに行きました。そこで編曲家に会ったりするんだけどなかなか事が進まなくて。じゃあこれは誰かマネージメントをしてくれる人を探すしかないなと考えていたときに、現在やってくれているアレクサンダー(アブラモフ)さんに出会ってね。それが60歳ちょっと前くらいです。
――そこからまた曲も作り始めたわけですね。
うん。最初は全然駄目だったけどね(笑)。
――海外に向けた音作りもあると思います。まずはどのような行動をされていったのでしょうか?
まず英語がわからないと駄目じゃない? それをちゃんとできるように英会話をやったり、書いたり読んだりから。同じ映画を観て文字に起こしたり、それは5年くらいやってたかな。
――英会話スクールとか行かずに何故そうしようと思ったのでしょうか?
丸覚えというのはできるものなのかどうなのかと。結果覚えたよ。
――ちなみにどんな映画で実行されていたのでしょうか。
『インサイダー』(※99年に公開された米映画)だね。あえて難しい映画で挑戦してみようかと思って。それで1年くらいしたら英語が喋れるようになってた。映画はありとあらゆる手法を使って描写するじゃない? イメージも全て入ってくるから、普段生活するレベルの英語力を身につけるのには映画を1本丸覚えすればほとんど大丈夫なんだよね。映画の内容が難しければ難しいほど、日常会話が楽になりますよ。
――難しい映画というところがポイントですね。
そうそう。スポーツと一緒だよ。下手な奴と一緒にやっていたら上手くならないじゃない? 作曲も同じで、レベルの高い所でやってみたいとなるとやっぱりアメリカやイギリスしかないんだよね。誤解をして欲しく無いのは日本のレベルが低いという訳じゃなく、自分が生きてきた音楽生活よりもハードルが高い所でやりたいと思って。何て言うんだろうね…自分が前に進まないと気が済まない性格で、下がれないんだよ。突き詰めないと気が済まない性格で「ここでいいや」というのがない。だからきっと、何歳になってもこうやってやっていると思うよ。







作詞界の“炎の戦士”森雪之丞、キン肉マンとタッグ
剛力彩芽、ゆでたまごがCDジャケット初描き下ろし 怪獣「ゴーリキ」風に