「タッチ」や「キン肉マン」、チェッカーズの「涙のリクエスト」、中森明菜の「少女A」など数多くのヒット曲を生み出している作曲家の芹澤廣明。70歳を迎えてもなお飽くなき探求心は変わらず、今年は『Light It Up!』で全米歌手デビューを果たした。6月20日に作曲家35周年を記念してリリースしたベストアルバム『ANIME GOLDEN HITSTORY』は彼が手掛けたアニソンのうち35曲を収録しており、まさに軌跡を振り返ることが出来る。今回のインタビューでは「タッチ」や「キン肉マン」の楽曲が生まれた背景や、作曲家としての心構えなどを聞いた。あの「キン肉マンGo Fight!」のメロディは「本当は寂しい孤独な男じゃないか」という考えから生まれたという。名曲の秘密を探った。【取材=村上順一/撮影=片山拓】
キン肉マンは寂しい孤独な男
――作家活動35年という途方も無い数字ですが、ここまで長かったでしょうか。
いや、長くないよ。35年なんてすぐだし、70歳なんてすぐ。10代、20代、30代は時間が過ぎるのがけっこうゆっくりなんですよ。でも40代、50代になるとめちゃくちゃ早いから。
――60歳あたりから海外に音源や資料をレーベルに送り始めていたとのことですが、海外に興味を持ち始めたのはいつ頃でしょうか?
子供のときだね。15、16歳くらいのときかな。
――その頃にはもう音楽を生業にしていこうと?
そう。高校在学中にもう仕事をしていましたから。学校をサボってね(笑)。だって米軍のキャンプで演奏したら1人5千円もらえるから、そりゃそっちに行くよね(笑)。それもあって高校を卒業するのがやっとだったけど。
――楽器はいつ頃から始められたのでしょうか。
ギターを10歳くらいからだね。
――約60年前ですとエレキギターは相当高価でしたよね?
Fender(フェンダー)のギターが当時でも20万円ぐらいしましたからね。今の物価だと200万円くらいかな? TWIN REVERB(Fender製のアンプ)とセットで50万円くらいしたから高かったね。
――当時は今のような教則本なども無かったと思うのですが、ギターの勉強はどのように?
耳だね。当時は楽譜も読めないからそこから勉強したよ。楽譜が読めないと仕事ができないから。それが17か18歳くらいかな。譜面を読んで初見で弾けるように頑張りました。
――当時はどのような音楽を聴いていましたか?
当時流れていたほとんどのジャンルを聴いていました。好きなのはブルースとかR&Bとかロックとか。ハンク・スノウとかカントリーのルーツも好きでよく聴いていました。
――元々バンドをやられていて、作家に特化するようになったきっかけなどは?
作曲をすると印税がもらえると聞いて(笑)。印税で生活できるというのが不思議だなと思った。「どういう仕組みなのだろう?」と最初はわからなかったし。著作権というのがわかったのが20歳くらいになってからで。当時の作曲家の方などが話をしてくれて。中村八大さん(※日本の作曲家、ジャズピアニスト)とかその当時の大御所の方たちが「一千万円、二千万円、すぐだぞ」って(笑)。そうしたらやりたいと思うでしょ?
――思います(笑)。しかし作曲は特殊技能ですよね?
その当時の先生方は有無を言わさず「まあ、やれよ」と。僕に才能があるみたいなことを言われたので。
――先生方は芹澤さんのメロディラインが優れているとか、そういったところをみてそう仰った感じでしょうか?
いや、顔つきじゃないかな。だって僕の曲聞いてないから(笑)。そういうもんだよ。雰囲気・目つきでわかるよね。
――さて、楽曲についてお聞きします。何でも5分くらいで曲が出来てしまうとお聞きしました。
そうです。もうそんなに考えないですね。ポップスってワンコーラスが1分半から2分くらいでしょ。だから1分半から2分くらいのことを考えれば出来ちゃうわけ。そうすると合計5分くらいで曲は完成します。編曲の方が大変で、作曲はそんなに大変じゃないですけど編曲は時間がかかります。
――「タッチ」についてですが、この曲はどういったテーマで作り始めたのでしょうか?
最初に絵コンテをもらってそれを見ながら作曲したのを覚えています。僕は作曲と編曲を同時にしてしまうんです。
――ではあの“名イントロ”も同時に出てきたのですね。ギターがまた印象的で。
そう。あのギターは矢島 賢さんだね。当時はほとんど矢島さんじゃないかなというくらい。実はあのイントロを考えるのにちょっと時間がかかった。半拍ずらすか頭にするか。結局、半拍ずらした方がスピード感は出るからそっちを採用して。あそこは一時間くらい考えていたんじゃないかな。
――野球というテーマは意識していたのでしょうか?
いや、していなかった。というのも原作者が「アニメの音楽じゃないようなテーマソングを作ってほしい」というオーダーだったんです。好きにやっていいんだと思って(笑)。
――楽曲の構成が素晴らしいですよね。
そうそう、AメロをやってBメロをやって、またAメロに戻るのよ。あれは典型的に歌いやすい流れで。要するに1分半の中でどれくらい覚えてもらえるかという法則があってね。カントリーなんかでもよくあるんだけど、Aメロをもう一回もってくるというのは、Aメロとその間のメロディも凄く印象的になるんだよね。だからAのメロディがもう一回出てくるというのはヒット曲の典型的なパターンなんです。
――「キン肉マンGo Fight!」も手掛けられていますが、この曲のメロディラインが切ないなと感じまして。「キン肉マン」は少年漫画でプロレスを題材にした作品ですが、イントロからの<Go! Go! Muscle!>の部分はいかにも少年漫画的な勢いを感じるんですけど、その後の切なさはどういった意図の組み立てなのかなと疑問に思いました。
よくそこに気づいたね。「キン肉マン」は、本当は寂しい孤独な男なんじゃないかというイメージが僕にはあったんです。だからキーをマイナーにするかメジャーにするか、さんざん考えました。「キン肉マン」シリーズは全部で16曲くらい書いたのかな? 似て非なるものを作らなきゃいけないから大変でした。次の「炎のキン肉マン」ではメロディを変えているけど、前作と内容は似ていると思うね。今聴いてもね、なかなかよく出来ているんだよ(笑)。よく出来た歌詞で作りこんであるなと。
――レコーディングにも立ち会われたのでしょうか?
僕はほとんど立ち会ってますよ。「キン肉マン」はレコーディングのときに随分メロディを変えたのを覚えています。「キン肉マン」は串田(アキラ)さん以外に考えられなかった。最初から彼でいくって決まってたからね。「彼が歌えばこんな感じになるんだろうな」ということを考えながら書きましたから。アニメファンの人っていうのは決して曲も忘れないんだよね。それは書けて本当に良かったなと。
『タッチ』『キン肉マン』『機動戦士ガンダムΖΖ』など、あのへんは言ってみたら同じようなジャンルなんだよね。何でかと言うと全部テーマソングになっているから、イントロ含めてだいたい1分半に収めないといけないんです。そうなるとああいう形、構成が出てくるんです。
――芹澤さんの中の一つの方程式?
そう。一回でわからないと色んなことに関係してくるじゃないですか? 最終的に音楽家というのが何だといえども、売れないと相手にしてもらえない訳です。結果を見据えて「こうやったらより良い結果がでるんじゃないか」ということを考えていくのがアニメ音楽なんです。しかも発注するのが監督だからさ、凄いことを言う訳ですよ(笑)。その要望を受け入れなければいけないから。
――印象に残っている要望はありましたか?
『機動戦士ガンダムΖΖ』の時の富野由悠季さん。何を言ってるか全然わからなかった(笑)。細かいことを凄く指示されたんだけど全然理解できなかったから、もう途中から聞いてなかった(笑)。でも完成したらすごく喜んでくれたし4曲くらい書いたと思うんだけど、結果的には良かったです。
――今作には収録されていませんがチェッカーズのようなポップスとアニメソングは作り方が違うのでしょうか。
違います。チェッカーズの場合はバンドという中で歌えるものということです。バンドの中で歌えるもので、ヤマハも喜んでくれて、ポニーキャニオンも喜んでくれて、みんなが喜んでくれるというパッケージにしなきゃいけない訳ですよ。それを考えなきゃいけないので。
――いわゆる職業作家と呼ばれる方の思考なんですね。それがないと職業作家にはなれないでしょうか。
厳しい言い方かもしれないけど、なれないと思いますよ。期待されて注文を受ける訳だからそれに応えなきゃいけないですから。







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