<記者コラム:オトゴト>
 「アルバムをまだ覚えているかい?」これは、昨年惜しまれつつも亡くなった米ミュージシャン・プリンスさんの言葉だ。グラミー賞授賞式でプリンスさんが口にしたその言葉に解釈は様々あるが、音楽文化の移り変わりや音楽流通の変化に対しての鋭いメッセージだったように感じられる。

 2017年現在、配信リリースや動画鑑賞、サブスクリプションサービスで音楽を聴くことが主流となり、リスニングに小一時間を要する「アルバム」で音楽をじっくり聴くというスタイルが減少傾向にある。アルバムという存在自体が求められなくなっててしまうのではないか、ということに対するミュージシャンの立場からの懸念を耳にすることすらある。

 音楽の楽しみ方はもちろん人それぞれであり、色んなミュージシャンのお気に入りの1曲を集めてアラカルトに楽しむのも、ある種現代的で最高の楽しみ方だ。しかし、ミュージシャンにとって、十分に録音作品を楽しんでもらえる方法は、やはりアルバムを聴いてもらうことだろう。

 ミュージシャンが制作するアルバムは、ミュージシャンのその時に掲げた主題や想い、その時に深く感じたこと、音楽でしか表現できないような人間の意識が、その時、その時代のベストな形で収められている。

 主観と客観、そして共感と問題提起、その全てが主題に沿ったフルコースで音として網羅され、起承転結がつけられた物語のような展開を一枚のアルバムに収めた小一時間の世界。その中では、どんなに出来の良い楽曲であっても、アルバムの流れや主題から外れた楽曲は除外されるというシビアな側面もある。

 アルバムには、1曲目がインストや環境音だったり、途中で「この曲要るか?」と、人によっては感じてしまうような楽曲が挟まれていたり、その1曲だけをピックアップして聴くと「?」となる楽曲が収録されていたりする。“捨て曲”と表現されたりもする。

 グラミー賞授賞式で「アルバムをまだ覚えているかい?」と口にしたプリンスさんは、その「リードトラックばかりを聴いて満足していない?」ということも言いたかったのではないかという気もする。“捨て曲”を挟んで聴いて楽しむ“アルバム”の存在意義とは何なのだろうか。(後編へ)【平吉賢治】

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