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近藤真彦が出演する、スカパー!「日テレプラス ドラマ・アニメ・音楽ライブ」 (CS300)で『近藤真彦&前田亘輝 男ふたりの冒険旅 in タイランド〜風と歌を感じて』が3月16日(午前10時〜)放送される。本番組は2024年に還暦を迎えた近藤真彦と、2025年、同じくデビュー40周年のTUBEのボーカル前田亘輝が、タイリゾート地を満喫する姿を捉えた新しい大人のエンターテインメント番組。仲睦まじく2 人の自然体で飾らないやりとりが見どころで、共に旅をしているような気分に浸れる。インタビューでは、還暦を迎えた今もエネルギッシュに活動する近藤に、前田との出会いから、番組で尾崎豊の曲をデュエットした経緯、還暦を迎え葛藤がなくなったと話す、その真意に迫った。(取材・撮影=村上順一)
尾崎豊は静かに飲んでいるような人
――TUBEの前田さんとの2人旅ですが、前田さんとの最初の出会いはどんなものだったのでしょうか。
テレビ業界で人と一番会いやすいのは、BARだったりします。前田くんとは六本木あたりの飲み屋さんが一緒だったり、共通の友達が一緒だったので、それが最初の出会いだったと記憶しています。ただ、仕事でガッツリ会うのは今回が初めてのことでした。「前田くんとマッチってこんなに仲良かったんだ!?」と思う人もいると思います。
――僕もその中の一人で、意外な組み合わせだなと思っていました。
実際に本当に仲が良くて、ゴルフやご飯も一緒に行く仲です。今回この番組の出演のお話をいただいて、もう1人誰か入れたいとのことだったので、前田くんを推薦しました。前田くんはあまりバラエティー番組には出ていないので、出たら面白いんじゃないかなと思って誘ったんだけど、出てくれるかどうかは駄目もとでした(笑)。
――快諾してくださって。
「先輩、僕でいいんですか?」と電話がかかってきて、本当にラッキーでした。前田くんは本当にナイスガイなんです。皆さんは、前田くんが歌番組やライブで歌っている姿しか普段は見ていないと思いますが、この番組で普段とは違うところを見せられたらいいなと思いました。
――番組の中で前田さんと尾崎豊さんの「I LOVE YOU」をデュエットされていましたね。
それは前田くんのアイデアでした。スタッフと打ち合わせをしたときに、ピアノがあるBARみたいところに行きたいと話していて。前田くんがピアノを弾いて僕に歌ってもらうのはどうかという話をしていたらしくて、「尾崎さんのこの歌をちょっと口ずさめぐるぐらいに覚えてきてもらえませんか?」と前田くんからメールが来たんです。
――ところで、近藤さんは尾崎さんと接点はあったのでしょうか。
他の人もいたけど、一緒に飲みに行っていた時期がありました。同じぐらいの年齢だったし、六本木や麻布十番あたりのBARでみんなで飲んでいた中の一人でした。ただ、周りが派手な人が多かったからだと思うけど、彼はどこか地味な印象があったかな。それもあって当時は世間がいうような“尾崎パワー”みたいなものはあまり感じていなくて、僕はそのすごさを理解できていなかった。
――そうだったんですね。
亡くなってから、「そういえば尾崎豊って僕たちの仲間の中に居たよね?」といった感じで、10人ぐらいで飲んでいても、割と端の方で静かに飲んでいるような人でした。
「あの時、マッチが言っていたのはこれか!」
――さて、『近藤真彦&前田亘輝 男ふたりの冒険旅 in タイランド〜風と歌を感じて』で挑戦だったことはありましたか。
いろいろあるんだけど、裏テーマの挑戦があって、いかに自然体で僕と前田くんの2人がいつも話してるような感じでできるかというのは挑戦でした。カメラはどの角度からでも大丈夫なので撮ってください。いつでもマイクを向けてくださいって。前田くんも僕もこんな素の姿を出すのは初めてなんじゃないか? と思うぐらい、素の僕らが出ていると思います。
――とてもナチュラルでした。
60歳のおじさんたちが短パンを履いて海にいるシチュエーションは、ちょっと恥ずかしいところもあるんだけどね。
――浜辺を走りながら「青春だ!青春だ!」と楽しそうにはしゃいでいるお二人が印象的でしたし、とてもほっこりしました。私はいま40代半ばで近藤さんとは一回り以上離れているのですが、あんなふうに楽しめる自信はないです。
あはは(笑)。あんな風にできないと思うでしょう? ところが不思議なことに60歳を過ぎたらできるようになるんです。
――何か自分の中のチャンネルが変わるんですか?
そう。40代の頃の自分もそうだったし、ちょっと照れがあったりするから、まだあんな風にはしゃげないと思います。 50歳半ばくらいまでそういう気持ちで、60歳になるとどこか吹っ切れる感覚が僕はありました。今回の『男ふたりの冒険旅』を観てもらったら、「還暦を過ぎたらこんなに元気になっちゃうんだ!? 」と思うぐらい、何か希望みたいなものを感じてもらえると思う。改めて還暦には何かエネルギーみたいなものがあるんだろうね。
――近藤さんから還暦を迎える方へのアドバイスはありますか。
みんな50歳半ばくらいまでは大変だと思う。それはもう覚悟みたいなものを持っておいた方がいいと思います。どんな仕事の人も、一番大変な時期じゃない? 特に男の40歳から50歳半ばって、今までやってきた仕事がどうだったのか、これからどういう風に仕事をやっていけばいいのか、今の自分のポジションは正しいのか、そういうことに追われている人が多いと思います。言葉で説明するのは難しいのですが、60歳を過ぎたら、「あの時、マッチが言っていたのはこれか!」って思ってもらえると思います。
雰囲気で点数をつけられているような感覚があった
――誰もが通る道で、覚悟を決めて生きていくしかないと。ただ、還暦を機にそれもなくなっていくんですね。ちなみに近藤さんは昔はどのような葛藤がありました?
20代、デビューしてからの毎年は葛藤だらけだったと思います。看板がアイドルだったから、油断していると心が負けてしまうみたいな。アイドルって面白い仕事だけど、明確な数字で点数をつけられていない感じがしていて、どこか雰囲気で点数をつけられているような感覚がありました。レコードセールスとかテレビの視聴率とか、数字で評価される部分もあるんだけど、実はそこだけではない。また、アイドルはいかなる時も醜くなってしまってはダメで、たとえば油断して太ってしまい「体重が80キロ超えちゃった(笑)」とはなれないし、そういうところに特に気遣ってきたと思います。
――雰囲気で点数をつけられている、というところから、なぜ近藤さんがレースの世界にいったのがわかりました。レースはタイムが速い人が1番で、評価がとても明確ですよね? レースのそういった面にも惹かれたのかなと思いました。
うん。とにかくアイドルとは逆の方に行きたい、これまでとは違った軸で評価される方に行きたかったというのはあったと思う。あと賞金とか契約金も魅力的だった(笑)。レースやスポーツの世界は、来年はいくらで契約してくれるのか、今年は評価が低かったとか、そういうところも魅力的です。この車で走って、○秒を切りなさいと言われて、一生懸命努力してタイムを縮めていく。そうしたら契約金が上がる。そういう世界が好きだった。
――嬉しいですよね。今は昔のように葛藤することはないですか。
今はないかな。60歳を過ぎて変な責任みたいなものもなくなったような気がしていて、自由に楽しくやっています。
――最後に近藤さんの歌手としての展望はどのように考えていますか。韓国の番組に出演されて、それも話題になっていますが、この現象をどのように捉えていますか。
僕は作曲家、作詞家、アレンジャー、ディレクターに恵まれてきたと思っています。山下達郎さんとかすごい方々に曲を書いていただいて、マッチの色みたいなものは、曲を作ってくれた方がつけてくれました。僕の曲ってマイナーコードが多かったりするので、思いっきりポップスという感じでもないから、「スニーカーぶる~す」をデビュー曲としていただいたとき、とてもいい曲だけど、どこか地味だなと思っていました(笑)。「愚か者」もそうだけど、どこか哀愁があるので、還暦を迎えた今もコンサートで自然に歌える曲が多い。踊って歌うような曲は少ないから、バンドでしっかり音を聴いてもらって、間奏ではギターソロを堪能してもらうといった曲が多いから、僕はとても曲に恵まれていたと思います。
――音を体感してもらえるような活動をしていきたいという感じですか?
そう。今もライブをやっているんだけど、ミュージシャンはみんな僕より年上か、ほぼ同年代のミュージシャンで、決して若いバンドではないんだけど味があるから、とてもいい音を出していますし、自分もいい歌を届けたいと60歳を過ぎてからより意識しはじめました。それまではどこか勢いでやっていた感覚があるんだけど、コンサート、ライブはそれだけではダメなんだというのが、やっとわかってきました。ここからのマッチに期待していてください。
(おわり)
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