フレデリック、中毒性が高い楽曲はこうして作られた
INTERVIEW

フレデリック、中毒性が高い楽曲はこうして作られた


記者:編集部

撮影:写真»フレデリック中毒性楽曲量産の背景[1]

掲載:15年05月31日

読了時間:約18分

意識は「言葉とメロディ…どうやったら聴こえるようにできるのか」

写真»フレデリック中毒性楽曲量産の背景[3]

三原康司(Bass)

――康司さんが作曲、健司さんが歌を歌われるということで、お2人には合う部分が多いと考えられますが、それに対するとギターの隆児さんとドラムのkaz.さんからは見え方が違ってくるのかな、という気もします

隆児 そうですね。違うという風にありたいとは思っています。

kaz. でも、アレンジをしていく中で意識しているのは「言葉とメロディを、どうやったら聴こえるようにできるか」という方向。そこには2人ではなく4人が向いています。そのためにリズム隊はシンプルにしたり、ギターを1本減らしてシンセにしてみたり。みんなの向いているゴールがそこなので、そのために一つの意見があったらまずはやってみて、良かったらどんどん変えるということをやっていけたので、今回は今までのどの作品よりも本当に前向きにできた作品だと思っていますね。

――具体的にはどのように進化されたのでしょうか

kaz. たとえば『うちゅうにむちゅう』は、自分たちがいいと思ったものを貫いていて。どちらかというと、それほど変えたところがない。でも今回は逆で、レコーディングの当日まで「変えてもいいものになるのであれば」「歌と言葉がちゃんと聴こえるようになるのであれば」と、4人が積極的に、前向きに取り組んだアルバムになったと思います。

――康司さんが曲を作られるときに「隆児にはこうギターを弾いてほしいな」とか、「kaz.さんのドラムでこんな感じになればいい」とか、そういうイメージを意識はされていますか

康司 場面にもよるし、お互いが何をしているかというときにもよると思います。「こうはしてほしい」というイメージはどこかにあって「でも、こういうやりかたもあるよね」っていうこともありますし。

kaz. 康司くんのデモは、最初の頃と今は全然違っていて、ジャムったものをそのまま使ったり、「僕が好きなやつだ」みたいなこととか、隆児くんのフレーズとかを散りばめていたりとか。昔と比べると、デモ自体が成長しています。

康司 そういうことは、やっていくうちにわかってきていますね。メンバーの大事なところを、大切にしたいというか。

――以前と比べるとやっているうちにデモから変わる部分も少なくなってきているのでしょうか

康司 どうかな? 少なくなってきているところもあるかもしれませんね。

kaz. ただ、そのボーカルと言葉を生かすという方向に、みんなが向いているので、昔とは違うところを変えているところもあります。よりシンプルに、とか。特にドラムは、自分が考えたものよりも最終的にはシンプルになっている場合もありますし。

健司 最近はレコーディングでシンセも入れるようになったので、そういうところの差し引きという上でデモもだいぶ変わった、というところもありますね。

――その中でも言葉づかいには大きな特徴がありますね。たとえば「DNAです」という曲の中で「bunca、bunca」という言葉が使われています。これは以前のアルバムを彷彿するようで興味深い

康司 確かに。こういう遊び心は好きですね。このキーワードはこの曲にも言えることだと思って再登場させたんです。もともと最初のアルバムにあった「bunca、bunca」という曲で歌っていたことを、今回のアルバムの「DNAです」というナンバーでも言いたい、と。

――そういう意味では、3枚バラバラに出していますが、フレデリックの音としてつながっているものだという意識もあるんでしょうね

康司 そうですね。全部が自分たちの出してきた道というか、『うちゅうにむちゅう』もそうだし、『oddloop』もそう、『OWARASE NIGHT』もそうだけど、それが一緒につながっている感じって、大事にしていきたいと本当に思っている。人間的ですよね? 小学校、中学校、高校みたいな。その上で僕らもバンドとして成長していくし。『oddloop』で出してきたループ感というのも、今回の『OWARASE NIGHT』でも出せたと思います。「始まりと終わり」というのも、ずっとループするものですしね。

――「愛の迷惑」というナンバーが、他の楽曲と比較して何か「迷惑」と感じる仮想的な人の存在というか、ちょっと違う雰囲気を感じました。なにかアクセント的なものを考えてのことでしょうか

康司 いいえ。アルバムの曲は全部、自分たちの思いを誰かに伝えようということを前提として作ったので、「愛の迷惑」も含めて特に何か方向性の違ったものはないと思っています。その上で言うと、「迷惑」という言葉自体には「悪いイメージ」ってあるじゃないですか? 普通にちょっかいを掛けられ「迷惑だ」と感じることとか良いとは思わないけどど、親がくれるありがた迷惑は、悪いものではないですよね? 子供のためを思ってくれるものだから。

――確かに。普通の考え方だと思います

康司 でも、受け取る側の子供は思春期になればそれをそのまま「迷惑」と感じる。その言葉の裏に隠されたものって、スゴクたくさん良いものがあると思う。「このためにやってあげよう」とか、「この人のために俺は頑張って言い続けよう」とか、その言葉の裏に隠されたものが、始まることにつながるんじゃないかな。スゴク自分の中で思ったことで作った曲でもあります。「オワラセナイト」という曲も、「終わり」ってすごくネガティブな印象があるけど、やっぱり「終わらせることで一歩進めよう」というポジティブな意味でのメッセージ性だと思っています。そんな感じは、7曲全部に感じるものだと思っていますね。

この記事の写真
写真»フレデリック中毒性楽曲量産の背景[1]
写真»フレデリック中毒性楽曲量産の背景[2]
写真»フレデリック中毒性楽曲量産の背景[3]
写真»フレデリック中毒性楽曲量産の背景[4]
写真»フレデリック中毒性楽曲量産の背景[5]

記事タグ 

コメントを書く(ユーザー登録不要)

関連する記事