BORO、病魔との闘い 生き様を反映したアルバム「OVERCOME」に迫る
INTERVIEW

BORO

病魔との闘い 生き様を反映したアルバム『OVERCOME』に迫る


記者:村上順一

撮影:村上順一

掲載:21年12月22日

読了時間:約8分

 シンガーソングライターのBORO(67)が22日、ニューアルバム『OVERCOME』をリリース。BOROは1972年に高等学校卒業後上京し、日本声専音楽学院ジャズ科でティーブ釜萢さんに師事し、ジャズ・ボーカルを学ぶ。その後、大阪・北新地でギターの弾き語りをしていたBOROの才能を見出した内田裕也さんのプロデュースにより、シングル「都会千夜一夜」で1979年6月にデビュー。同年8月にヒット曲「大阪で生まれた女」をリリースし『第12回 日本有線大賞 最優秀新人賞』を受賞した。

 BOROはC型肝炎で常に体調不良の状態が続き、2006年7月には上顎洞に膿がたまり、5年間で計5回、口中を計144針を縫う手術を行っている。2010年7月にはドラムのシンバルスタンドが倒れたことによる硬膜下血腫で、生死をさまよう手術を受けた。2014年にはじめたC型肝炎の新薬治療により回復。2021年1月に腎臓がんであることを公表。1月13日に左腎臓の腫瘍部分を摘出した。

 人生をかけて病魔と闘ってきたBOROが今回発表した作品は、2017年11月にリリースしたアルバム『SHOUT!』3部作の最終章を飾る作品で、コロナ禍ステイホーム期間で制作された「ガラス細工の飾り物」「小さな家」「病院で働く人に捧ぐ歌」の3曲に加え、困難を乗り越えろと熱いメッセージが綴られた全12曲を収録。インタビューでは『OVERCOME』(克服)というタイトルに込められた想いから、楽曲の制作背景、生きる事の喜びなど、多岐に亘り話を聞いた。【取材・撮影=村上順一】

朝からBOROしてやろう

村上順一

BORO

――ご使用されているギターはビンテージですか。

 ヨーロッパのジプシー的な音楽が好きで、フラメンコギターを昔習っていました。その先生がギターも作っていたので、材料費のみで作っていただいて。なので普通には売っていないんです。当時はフラメンコギターというのも一般的ではなくて、クラシックギターと同じように扱われていました。

――今作はこのギターとBOROさんの歌声のみで大活躍ですね。ところで、BOROさんは長い闘病生活がありましたが、本当に大変でしたね。

 今年の1月にも腎臓がんの手術をしました。それで、3月に神戸で復活ライブ『BORO Birthday 弾き語りLIVE』をやりました。ちょうどコロナが落ち着いていたときだったので、ギリギリライブが出来ました。

――想像もつかないほど辛い闘病生活だったと思うのですが、病名を知った時はどんなお気持ちだったのでしょうか。

 病名を聞いてホッとしたところも実はありました。不思議なんですけど、それがわかると治療方法もわかるような気になるんです。それは医学が発達している、というのも大きかったですね。あと、病気をしたことによってたくさんの出会いがありました。

――すごく辛かったと思うのですが、どんなことが支えになっていたのでしょうか。

 ロックしたいという気持ちでした。今年の1月に入院した時は、早期発見だったので痛くはなかったんですけど、術後はすごく痛くて、とにかく早く家に帰りたかった。でもその中で考えていたことはロックしたいという思いでした。3月からライブを行うために立って練習を始めたんです。まだちょっとしんどかったのですが、立ち稽古をやったら調子が良くなったので、ライブが終わってからもずっと続けていて。もう、朝からBOROしてやろうって(笑)。そこからいい風に変化していきました。

――「朝からBORO」すごくいいですね! 2010年にドラムのシンバルが頭に当たって入院されますよね? 

 練習の時にシンバルを運んでいたんですけど頭に当ててしまって、内出血してしまったんです。一月後にろれつが回らなくなって、その後に硬膜下血腫になってしまいました。ぶつけた時にすぐに病院に行けば良かったんですけどね。今までは苦しみ悲しみの代弁者ということを謳っていたのですが、今はその中に喜びも加えることにしました。ポジティブなワードも入れないとダメだなと思って。

 やっぱり地獄を見た後に気づくことも沢山あって、喜びや楽しさを探し始めるんですよね。そこから「道化師たちの住み家」という曲が生まれました。内田裕也さん、ショーケン(萩原健一)さん、桑名正博さんも心の中に出てくるんですけど、この人たちってみんな道化師なんだよなっと思って。天国から「BORO頑張れよ。もうお前しか残っていないよ。行け!」と言ってもらえている気がして。苦しみ悲しみの中にいるときこそ幸せの入り口に立っているんだと思うんです。

――そんなBOROさんが「病院で働く人に捧ぐ歌」という曲を今回収録されていて、説得力が違うなと思いました。

 コロナ禍になってから書いた曲が今作には3曲あります。「ガラス細工の飾り物」、「小さな家」、「病院で働く人に捧ぐ歌」です。これは3部作になっています。「ガラス細工の飾り物」は映像で見るコロナを喩えていて、新型コロナウイルスがガラス細工のように僕には見えたんです。それを飾ると大変な事になるよ、というメッセージと、それを打ち砕いていくという曲です。「小さな家」はステイホームで、家族が分断されて大変だったことや、改めて家族の絆を深めようということを歌っています。そして、「病院で働く人に捧ぐ歌」は医療従事者の方々へ激励する曲です。僕も病気の時にはすごくお世話になったので、援護射撃するような気持ちで書きました

――ちなみにBOROさんはステイホーム期間は何をされていましたか。

 僕の自宅の2階にスタジオがあるので、そこで作業をしていました。決まっていたライブも全部中止になってしまったので、もう歌を作ろうと思いました。

――そして、完成したのが『OVERCOME』なんですね。

 「頑張ろうよ!」という思いを歌いたい、今じゃないとダメだよと。そういった曲が揃ったアルバムです。ミスはミスで受け入れて、生きているからこそミスをするんだと。老いも病も楽しもうよ、というスタンスの曲が揃いました。

――タイトルはBOROさんが考えて?

 これはプロデューサーがつけてくれました。タイトルは「『OVERCOME』でいきましょう」と提案してくれて。『SHOUT!』も『RISING!』もそうです。人類でこのコロナを克服していきましょう、という想いを込めていて、タイトルを聞いた時に涙が出ました。でも、身分不相応な言葉だと思いました。

――それはなぜですか。

 俺はまだ『OVERCOME』してないよ...と思ったんです。でも、『OVERCOME』している、させなければアカンと思って。周りのみんなも「BOROは『OVERCOME』してますよ!」と言ってくれてね。この言葉を投げかけることによって本当に元気になると思います。こういったワンフレーズがすごく大事で、この言葉の響きだけでも元気になるんです。音楽や歌もそうです。

自分の中で完結したい

『OVERCOME』ジャケ写

――今回はBOROさんとギター、そしてハーモニカという弾き語りスタイルの作品になりましたが、どのような経緯があったのでしょうか。

 自分の中で完結したいという気持ちがありました。ずっと思い描いていたイメージがあってそれにたどり着いたのが『OVERCOME』でした。今やっとギターのみで出来たと思っています。70歳に近い自分が言うのも遅いとは思うんですけど、そういう気持ちが強かった。なので、『OVERCOME』に収録されている曲は、ライブでバンドが入ったとしても変にアレンジするのではなく、このまま押し上げてもらいたい、という気持ちがあります。

――「友の名は…」という楽曲がありますが、聴かせていただいてすごくグッときました。この曲の制作背景にはどのようなものがあったのでしょうか。

 病気がずっと続いて、もう長旅はできないよな…BOROはもう関西から出なくていいよと思ったことがありました。今は「日本全国を回るぞ!」と思えていますけど、ちょっと前まではそうではなかったんです。この曲は腎臓がんになった頃に書いたんですけど、「もう一回行くぞ!」という気持ちになれたんです。

――そう思えたきっかけみたいなものもあったのでしょうか。

 浜村淳さんは僕よりも歳上ですが、今でもラジオを続けていて、僕の感性を認めてくれて「BOROさん、頑張りまひょな」と、いつも言って下さるんです。そういった友もいっぱいいますけど、最終的には自分が「ロックしたい!」と入院中に思ったときに、やっぱり自分しかいない、自分はそのままでいい、という感覚になれたんです。

――そのままでいい、というのはどんなところに表れていますか。

 例えばレコーディングでも何回も歌い直したりすることをやめようと思いました。音がよれてもいい、それは自分でやっていることなんだから、と思えるようになって。今回、この「友の名は」が完成するプロセスの中で、僕は何回も泣いています。他の曲でも嗚咽しながら歌った曲もあります。実はこの「友の名は…」は7番くらいまであるすごく長い曲でした。もう5番くらいになると恨み節みたいな曲でね(笑)。なのでそこは全部カットして今の尺になって。こんなこと説明するな、と自分に言い聞かせながら作ってました。

――代表曲の「大阪で生まれた女」も、すごく長いんですよね。

 あの曲は18番まであって、30分以上ありますね(笑)。

――様々な経験をされたBOROさんだからこそ書けた曲だったんですね。「Mistake」もすごくポジティブですし、色んなことに気づかせていただきました。

 この曲、一番気に入っています。僕も乗り越えていないことは沢山あります。でもそれも含めてBOROなんですよね。それをこき下ろす人もいるかもしれないけど、ガンで引き裂かれるような思いをしたことに比べたら、全然ですから。「Mistake」はそういう歌でもあるんです。俺がそうなんだから、みんなも大丈夫だよ、ということを歌いたかった。だから、簡単に死ぬなよ、と若い方達に伝えたいです。ミスをしてもそれでも愛してくれるよ、と自分に言い聞かせている部分もあるんですけどね(笑)。今後はこういうスタイルの曲が主流になっていくと思います。

――理想にたどり着かれて。

 以前のBOROは何も信じていなかった。昔はSNSなどで自分をいじられるのが嫌でしたが、今はそうではなくて。誰も自分を悪いようにはしない、そんな人は一人もいないんですよね。今の制作チームは世界に行けてしまうんじゃないかと思えるくらいの感覚があります。「BOROが大きなこと言ってるよ」と、思われるかもしれないけど自分はそう感じています。失敗もしたけど『OVERCOME』しましたよ、というところに行きつけましたから。

(おわり)

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