To Be Continued、岡田浩暉「あの感情が欲しくて」再始動への想い
INTERVIEW

To Be Continued

岡田浩暉「あの感情が欲しくて」再始動への想い


記者:村上順一

撮影:

掲載:21年10月29日

読了時間:約13分

 デビュー30周年を迎え再始動したTo Be Continuedが27日、ニューアルバム『Paradise in life』をリリース。1991年にシングル「君がいたから」でデビュー。1994年にドラマ『もしも願いが叶うなら』の挿入歌「君だけを見ていた」が50万枚を超えるヒットを記録し、その後もコンスタントに作品を発表していたが、2000年に活動休止を宣言。ボーカルを務める岡田浩暉は、音楽活動と並行し俳優としても活躍の場を広げ、ドラマ『半沢直樹』『逃げるは恥だが役に立つ』『下町ロケット』などに出演。2021年6月には、再始動第一弾としてシングル「君だけを見ていた2021 version.」を配信リリースし、10月には未発表曲だった「手紙」をアルバムに先駆け先行配信した。アルバム『Paradise in life』は6曲の過去作品をリアレンジし、新曲も含めた全10曲を収録。インタビューでは、岡田浩暉にデビュー30周年を迎え再始動の気持ちを尋ね、音楽や俳優活動に求めていることな、多岐に亘り話を聞いた。【取材=村上順一】

To Be Continuedじゃなければ解散を選んでいた

『Paradise in life』ジャケ写

――デビュー30周年おめでとうございます。初歩的な質問なのですがTo Be Continuedの名前の由来は?

 最初は違う名前でした。ローマ字で「takuma」というバンド名でやっていたんですけど、自分の所属していた事務所に先輩のアーティストにDREAMS COME TRUEがいたので、意味のあるような英語でいいのないかなと最初メンバー3人で探していました。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の最後にTo Be Continuedと出るんですけど、それもちょっと関係していたかな? To Be Continuedは意味のある英語のセンテンスというところで、格好よさを追い求めていきたいね、ということを常々話していました。ポップスなんだけど凝った音作りをして、詞は普段の生活を切り取ったものだけど、その中にスペシャルなものを感じてもらいたいというコンセプトもあって。自分たちも、意表をつくような言葉ではなく、To Be Continued=続けていく、という意味を持つ名前に満場一致で決まりました。

――当時、解散という方法をとらなかったのはこの名前があったからということをお聞きしたことがあるのですが、これは本当ですか。

 そうなんですよ! 最初は「解散」という選択肢だったんですけど、「To Be Continuedが解散、終わってしまってはダメだから無期限の活動休止にしよう」ということになって。自分たちの中では、少し離れて冷静になろうというのもあったけど、半分は「これで終わりだろうな…」という気持ちも正直ありました。だから「無期」と付けていますけど、To Be Continuedという名前でなければ解散という言葉を選んでいたかもしれないです。

――そして、いま再始動をされたわけですが、今の率直なお気持ち、活動の実感は?

 アルバムのレコーディングがようやく終わり、これからライブのリハーサルに入るのですが、どれもが懐かしく、「こうだったよね! こうだったっけ?」というような驚きと改めての認識と懐かしさ、色んなものが入り混じっています。ずっと休止の期間、僕はTo Be Continuedの曲も歌っていたんです。To Be Continuedの曲を歌うたびに、「何であの時俺はこの程度しか曲を理解できなかったのかな、歌えなかったのかな」と思うことが多くて、今だったらこんな風に歌える、こういう曲だということが伝えられるなと思うことがしばしばあって、「いつか」と思っていたもので。こういったかたちでもう一回To Be Continuedの曲に触れることに感謝の日々を送っているという感じです。

――歌詞の内容が当時の岡田さんの年齢から考えると大人びているものも多かったのではと思います。

 20代前半だったので、そうですね。特に僕より歳上の後藤(友輔)の書く曲はそういったものは多かったです。なので、詞の世界観というのは休止してから気づくことが多かったです。

――そういえばリーダーの後藤さんたちとの最初の出会いは質問攻めだったと聞いています。

 そうなんです。僕の下宿に来るというのでバイトを休んで待っていました。ところが約束の時間になっても全然来なくて、確か10時間くらい待ってましたね。それで遅刻したことを謝りもせずに家に上がり込んできて、開口一番何を話すのかなと思っていたら、「君、女の子にモテた?」とか「きょうだい構成は?」「股下いくつくらいある?」など、音楽とは全然関係ない話なんですよ。僕も音楽でプロを目指していたので「話すこと違うだろ」と、当時はとても立腹したことを覚えています(笑)。

――(笑)。家族構成のお話は重要なんでしょうかね…。

 後藤いわく、血液型や星座などよりも、家族構成の方がその人物の性格に与える影響は大きいものがあると、大学の教授が教えてくれたそうなんです。「彼女は長女か次女か」「あいつ長男だったのか!」とか、そういうことをしょっちゅう言っていましたね(笑)。バンドのフロントマンで、うまくやっていくということにおいて、僕は次男なんですけど、それがどうなのかなというところで彼としては一番聞きたいところの一つだったと思います。

――面白いですね。ところで、岡田さんが今回後藤さんに再始動の旨を伝える電話をされたみたいですね。けっこう勇気がいることですよね?

 まず僕のデビュー20周年、To Be Continued休止から10年くらいが経った時に20周年ライブをやりました。その時に後藤さんに「一緒にやってもらうことはできませんか?」と連絡したら「いいよ」と快諾してくれたんです。それがあったのでまずハードルは下がっていて。佐藤もその時は参加できなかったんですけどメッセージをくれたりしていて。

 それで2018年に放送された『音楽の日』(TBS)に90年代の懐かしのポップス枠に呼んで頂きまして、その時にも後藤さんに声をかけたら「やるやる」と言って出てくれて。その時すごくフランクに話もできたし、それぞれ仕事も落ち着いた状況になっていましたから。その時にとりたて話はしなかったんですけど、去年の暮れに電話することはそんなに問題はなかったんです。

――それまでに何度かやりとりがあったんですね。

 きっかけは浜田(雅功)さんがやっているロケバラエティ番組の『ごぶごぶ』(毎日テレビ)に、僕が出演していたドラマ『もしも願いが叶うなら』の共演者4人が27年ぶりに揃うことがあって。その中で、「To Be Continuedはやらないの?」と話もふられて。『もしも願いが叶うなら』の劇中歌に起用されていた「君だけを見ていた」が、クビ寸前だったTo Be Continuedにヒット曲を与えてくれて、つまりこのドラマはTo Be Continuedにとっては恩人なんです。その浜田さんや中山美穂ちゃんやみんなから背中を押して頂いたことで、僕の中ではもう今だろうと思いました。

「手紙」の制作背景に迫る

「手紙」配信ジャケ写

――ニューアルバムが完成しました。当時の雰囲気を残して頂いたままリアレンジされていると感じたのが嬉しかったんです。

 僕も経験があるんですけど、若い頃に聴かれた音楽は深いところに刷り込まれて入って残るものだから、音楽を聴いた瞬間に当時のことを思い出したりするんですよね。それだけ音楽って大事なもので。「君だけを見ていた」は凄く苦労したんです。20何年ぶりにTo Be Continued再始動するということは、僕らも大人になったわけだから当時を超えなければいけないという。だけど、あの頃から聴いてくださった人にも喜んでもらえるものではなくてはいけないということで、どうしたらいいだろうということで凄く悩んで。

 それで色々バージョンを作ったんです。凄く尖ったもの、ゆったりしたもの、色々作ったんですけどわからなくなってきちゃって。「ちょっと待って、当時の自分たちと戦おうとしちゃっているね」という話になって。やっぱり、あの頃の自分たちをオマージュ的に捉えるべきだという感じ、今の岡田の声を大事にするようなサウンドアレンジにすればおのずと答えは出るんじゃないのというところに行き着いて。あの頃の自分たちと戦うんじゃなくてリスペクトする、オマージュとして作るというところにたどり着いたのはとても大きかったです。

 今回のアルバムに関しても、旧作に関してはとにかく昔の音にできるだけ近いものをということで、セルフアレンジで音はもう一回作り直しています。アレンジはほぼ近いところで作って楽しんで頂こうというところでやったので、今そんな風に「逃げたりしない」のオーケストラヒットを喜んでもらえたのなら涙が出ますよ。

――本当に当時のことを思い出しました。To Be Continuedの作品はサブスクなどでは聴けないので、本作が出たらまたみなさんに聴いて頂けるんだなという嬉しさもあります。それもあり、昔のもをリスペクトしてオマージュという言葉が正にその通りだと思いました。

 アルバム22年ぶり、活動21年ぶりにするんですけど、この間、それぞれが皆んなでお互いに歩んできた年月をねぎらい合えたらいいなという気持ちもあるんです。俺たちも21、22年こういったかたちでもう一回To Be Continuedの曲を出して、ライブもこんな感じでやりました、みんなもここまで頑張ってきたよねという、そういったエールにもなったらなと思っています。

――特にライブで聴いたらよりそのパワーが凄そうですね。10月31日のBillboard Live公演も楽しみだなと、みなさん様々な想いがあると思います。

 1曲1曲大切に演奏していきたいなと思っています。今お伝えした言葉はみなさんにもしっかり伝えたいなと思っています。

――今作は選曲も難しかったのではないかと思います。どの曲を今のバージョンとして残すのか、新曲も入っているのでそのバランスなども。

 最初、旧作に関してはどうしようという話になりました。メンバーだけでは決めきれないので、僕のファンクラブに入ってくれている方に聞いてみたり、スタッフのみなさんにもう一回To Be Continuedの曲を全部聴き直して頂いて、今だったらどれが胸にヒットしたかということを投票して頂いて。そんな中で選ばれた6曲です。最終的にはシングルとなった曲が多かったです。アルバムの曲はシングルより個性が強いものもあったりするので、本当に聴きこんだ人だと「アルバムのこの曲の方が好きなんだ」という人もいらっしゃると思います。でも、広くTo Be Continuedがもう一回動き出すという最初の1枚としては、同じ得票数だったならばシングル作品をとったという感じですね。

――ちなみに、今回収録曲の旧作の中で印象深い曲は?

 今回のアルバムに入っている旧作はどれも濃いんです。一つに絞るのが非常に難しい。たとえば「逃げたりしない」だったら、この曲は「君だけを見ていた」がヒットした直後の曲で、「君だけを見ていた」が売れた時だったのでけっこう忙しかったんです。それで楽曲が上がってきて凄いタイトな中で、ドラマ撮影中だったんですけど「じゃあここからスタジオ行きますよ」と言って2、3時間くらいで全部とりあげて次の現場に行ったという感じでした。とにかくこの時は凄く集中力があったと思います。気合いで向かった1曲でした。あと、このMVは凄く覚えているんですけど、これも時間がない中で撮っていて、とにかく寝ずにでも戦っていくぞという前傾姿勢が凄くあった曲です。

――10月6日に楽曲「手紙」が先行配信されました。これは北川悦吏子さんが作詞で、過去作では「悲しみを知った」という曲も北川さんが作詞されていましたが、何か繋がりがあるのでしょうか。

 北川さんとはプライベートでちょっとお友達で、僕のソロアルバムでも「働き者な毎日~僕を説得して~」という曲があるんですけど、これも北川さんに詞を書いてもらっています。今回リリースした「手紙」は、To Be Continuedが休止間際にあった未発表曲だったんですけど、北川さんに曲を聴いていただいて歌詞を書くことを快諾していただいて。いい詞が上がったので、じゃあ歌も入れてアレンジもしっかりして完成していたんです。

 本来ならば、北川悦吏子さんに詞を頼んで未発表になるということ自体が本当はありえない話なんですよね。友達感覚で頼んでいて、「いずれ出る曲だと思うので」という話の中で進んでいったけど、完成したまま休止になってしまったので。他にもあるんですけど、それらの曲を聴くたびに「この曲いい曲なんだけどな。どこかで出せたらな」と、ずっと思っていました。

――歌詞は当時のまま?

 ままです。アレンジもほぼその時と同じで、ボーカルだけ録り直しました。

――今回改めて、どんなイメージでこの歌詞を歌おうと思いましたか。

 この曲の向こうにあるストーリー、そしてこの手紙を読んだ中で彼の心情の変化、これを自分なりにしっかりイメージして向かって行こうと思いました。今の女性はもしかしたらそうでもないのかもしれないけど、当時の女性は自分の気持ちに真っ直ぐ、自分に正直でいたいというタイプがクローズアップされるケースが多かった様な気もします。奔放な女の子と翻弄される男という図式というのはトレンディードラマや漫画にもよくなっていたと思うんですけど、そういった流れも感じました。

――確かにドラマっぽいなと思いました。

 男女の様々な想いがある愛において氷解した瞬間を歌っている曲なので、そのストーリーを自分に近づけて、わだかまっていたものが氷解していく彼の心のうつりざまを届けたかったので、なるべく近くに歌いたいなというところもあったのでボーカルも近いです。かといってあまりオーバーに表現するのも違うと思ったので、心の中で動いていくものをお芝居しているかのように、聴いている方に届くと信じて歌っていました。でも、これを最初に未発表のかたちで歌った時は、この男の人の気持ちってそこまでわかっていなかった。だけどこの20年の間で何回か聴くうちにこの人の気持ちがどんどんわかってきて。今だったら90%以上あますことなく歌えるんじゃないかなと思いましたし、この素晴らしいドラマチックな物語をみなさんにも聴いてもらいたいと思って。

音楽や俳優に求めている感覚とは

――岡田さんは役者としての活動もされていて、そちらがメインストリームの活動になる時もあったと思います。役者の活動が歌に与えている影響も大きい?

 大きいです。ミュージシャンを中心にやっている時は音楽があったので、それも一つのドラマを伝える大きな要素であったので、セリフ、歌詞を伝えるというものに関しても、歌詞とメロディをしっかり正確に伝えれば、歌は大きな部分はほぼ伝わるんです。だけど俳優に関しては音もメロディもないし、そこには言葉しかないから、その心象を伝えていく時にはもっと心の内面をしっかりと作って、その向こう側にある世界をもっと強くイメージして自分なりに提示していかないといけないというところがあるんです。

 そういった意味で、言葉に乗せる想いというのは、ミュージシャンをやっていた頃よりも、あるベクトルにおいては凄く深くなっていってると思います。あの時を超えられない表現とか気持ちなどがあるんですけど、ある方向においては役者をやったことによって、凄く音楽にフィードバックしているところはあると思います。

――おそらく岡田さんは役者をやろうと思って役者の道に入ったわけではなかったと思うんです。自分は役者としてもやっていけるなと思えたターニングポイントはあったのでしょうか。

 最初の『もしも願いが叶うなら』の時にめちゃくちゃ楽しかったんです。ダウンタウンの浜ちゃんや中山美穂ちゃんやスタッフのみなさんが、撮影中でも撮影以外でもその4人を兄妹として迎え入れてくれて。みんなでその世界にいる、世界を作っている感じが凄くあって楽しくて。

 音楽をバンドで作る場合はギター、ベース、ドラム、歌、みたいな感じで頭を突き合わせて作る場合というのは、わりとそれでもみんなでというところはあるとは思うけど、僕らのの場合は分業で、バンドではあるけどそれぞれが「怠るなよ」というプレッシャーもかけつつも、ある程度のラインを超えなくちゃダメだというところもあったので、バンドで和気あいあいと何かしようという感じではなかったんですよね。それが今でも愛せる曲として残っているのでよかったんですけど。

 今もこうやってお芝居させて頂いていますけど、僕にとって『もしも願いが叶うなら』は、よく鮭が生まれた川に戻ってきてそこで産卵するって言いますけど、それと同じように、あの感情がほしくて、それをまた感じたくてやっているような感じがどこかにあって。自分が役者ができるかというより、あの感覚を感じたいというところでやっているんです。音楽も実はそんなようなところがあるような気がしていて。

――音楽にはどのような感覚があるのでしょうか。

 僕が音楽に目覚めた小学校3年の時に、5歳上の兄貴が友達から借りてきたと思われるディープ・パープル(英・ロックバンド)の『ライヴ・イン・ジャパン』を聴いたらしびれてぶっ飛びましたね。感動というか本当に電気が走ったような感覚で。それで音源のイアン・ギランと一緒に歌っている時の興奮、あれをいまだに求めているようなところがあるようなところがあるんです。僕にとってはミュージシャンも役者もそんな感じがあって。

――それでは最後に、ファンのみなさまへメッセージをお願いします。

 再始動をさせて頂けた感謝をみなさんに伝えたいということと、「そんな気持ちを胸に20年間頑張ってきました」、「今こんなかたちでTo Be Continuedもう一回歌ってみました」という気持ちをアルバムを通してみなさんに聴いて頂きたいです。そして、音楽を追求していく旅はこれからも続いて行くだろうし、アルバムにはみなさんが今持たれている仕事、生活もキープオンしていけるように、僕らもキープオンしていくよ、というメッセージも込められています。そこも感じて頂きつつ、是非ライブでそんなみなさんの顔見せて頂けたら、泣いてしまいますね。

(おわり)

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