“バタヤン”こと田端義夫さんの『島唄』を収録した「バタヤンの島唄ベスト」が、各音楽配信サービスで配信。また、奄美・沖縄にまつわる楽曲を集めたプレイリストも「Spotify」「Apple Music」「LINE MUSIC」で公開している。

 世界自然遺産への登録というニュースで注目が集まっている奄美だが、素晴らしい自然とともに、そこに暮らしてきた島の人たちが大切にしてきた文化もまた、奄美の魅力ではないだろうか?

 奄美は“唄う島”とも称されることもあり、独特の音楽文化を持っている。島の人々の喜びや悲しみを方言で歌い上げる「島唄」は、独特のこぶしと裏高い裏声が特徴とされ、奄美では欠かすことのできないものの一つといえるだろう。

 現在、音楽のジャンルとしてもポピュラーなものとなった『島唄』だが、今から59年前となる1962年(昭和37年)に、”バタヤンの愛称で親しまれた田端義夫さんが歌った「島育ち」が40万枚を超える大ヒットとなったことで、この『島唄』が一躍全国区になった。

 当時、偶然立ち寄った新橋の沖縄料理店で耳にした、ある歌に田端さんは心を奪われた。その歌は「島育ち」という歌で、奄美では戦前から愛唱されていた歌だった。田端さんは常々「人々の生活の中にある歌との出逢い」を大切にしていたそうだが、まさに心がしびれるような出逢いを果たし、レコード会社の反対を自身の強い想いで押し切りレコーディングを行った。

 その頃、周囲からは「バタヤン、もうあかんのちゃうか?」と、なかなかヒットに恵まれず低迷が続いていたが、地道な活動が功を奏して見事「島育ち」は大ヒット。翌年の1963年、「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たすこととなった。

 この「島育ち」の大ヒットから、いわゆる『島唄』が全国でも注目を浴びていき、その後の1975年には田端さんが沖縄で出会った、沖縄俗謡歌である「十九の春」をレコード化し大ヒットしたことで、いよいよ全国的にも『島唄』がポピュラーなものとなり、現在に至っている。

奄美大島を訪れた田端義夫(1)

 田端さんは、こういった数々の『島唄』を作品として残してきたことで、奄美をはじめとする島々との交流が続き、奄美大島名瀬市にある「島育ち」記念碑や、徳之島の「徳之島小唄」歌碑などからも、『島唄』を日本中に広めてきた功績を伺うことが出来るだろう。

奄美大島を訪れた田端義夫(2)

 今回、奄美が世界自然遺産への登録というニュースが出たが、改めて田端義夫さんが残した数々の『島唄」を聞きながら、奄美をはじめとする島々のどこまでも青い海と、美しい自然に想いを馳せてみてはいかがだろうか?

 そんな、多くの『島唄』を収録した「バタヤンの島唄ベスト」が、現在各音楽配信サービスで配信中。また奄美・沖縄にまつわる楽曲を集めたプレイリストも「Spotify」「Apple Music」「LINE MUSIC」でアカウント名『ep Japan』で公開中。

作品情報

「バタヤンの島唄ベスト」ジャケ写

■各プレイリストはこちらから

田端義夫「バタヤンの島唄ベスト」
https://lnk.to/D158

■「奄美・沖縄のうた」プレイリスト

https://lnk.to/6UZxqm

この記事の写真

記事タグ 


コメントを書く(ユーザー登録不要)