「黄色と黒は勇気のしるし 24時間戦えますか~」

 三共(現・第一三共)の栄養ドリンク「リゲイン」のCMソングとして1989年に発売された『勇気のしるし~リゲインのテーマ~』の歌いだし。バブル経済で沸くこの時代を象徴する歌としてバブル世代には懐かしい一曲。この『勇気のしるし』がヒットした時代がどのようなものだったのか? 20世紀J-POP史に詳しい経済評論家の鈴木貴博氏とイントロマエストロとして活躍する音楽評論家の藤田太郎氏にこの時代を語ってもらった。

社会人が共感していた「勇気のしるし」

 50代以降のビジネスパーソンにとっては、日本経済の中でも特にこの時代の印象が強い。バブル景気の絶頂期に発売された曲が『勇気のしるし』。当時はCDがよく売れた時代で、若いビジネスマンは発売直後に8センチシングルを即購入し、毎日ガンガンかけているような時代だった。

 当時の社会人は自宅ではミニコンポ、外出先ではウォークマン、車の中ならカーオーディオという感じで24時間J-POP漬けだった。お気に入りのJ-POPはカセットテープにダビングして10曲分のマイベストを作ったりする時代。それを車の中でガンガかけるときに盛り上がりのピークに持ってくるのがこの『勇気のしるし』だったという。車の中が盛り上がってみんなで合唱になるといういい時代。

 この『勇気のしるし』はテレビの音楽番組でほとんど流れなかったヒット曲でもあった。当時は『ザ・ベストテン』とか『歌のトップテン』とか音楽番組がとても盛んだったのに『勇気のしるし』はランキングに入っていても牛若丸三郎太こと時任三郎さんは番組に出演しない。「鞍馬山で修行中」という理由でテレビには出てこないのだ。確か出演したのはフジテレビの『夜のヒットスタジオ』に一回だけ。

 シングルCDを持っていない人はCMで流れるサビの部分しか知らない。その代わり、CMが毎日何回もテレビで流れるから誰もが知っている曲になる。この時代、もうひとつ重要なのは有線で、当時はショッピングモールでもファミレスでも居酒屋でもなぜか有線放送がいつも流れていて、それで初めて歌詞を全部聴いた、という人も多かった。

 さてこの『勇気のしるし』の歌詞の「24時間戦えますか」は今の働き方改革のご時世から考えたら時代錯誤もいいところなのだが、なぜこの歌があの時代にヒットしたのか、あの時代を語ってみたい。

 ひとことで言えば、あの時代、この歌は結構若い社会人みんなが共感していたのだ。今、管理職になった40・50代がこの歌をカラオケで歌ったら非難轟々でパワハラで人事部に訴えられそうだ。しかしあの時代はみんなが共感していた。

 その理由はあの時代、歌詞に歌われている「ジャパニーズ・ビジネスマン」の前には無限のビジネスフロンティアが存在していたからだと思われる。当時はプラザ合意の後の円高で日本企業はコストダウンのために一斉に海外進出していた時代。日本人にとって海外という新しいフロンティアが目の前に広がり始めたちょうどその時代にこの歌が誕生した。

 確かに歌詞の「24時間戦えますか」の部分は、次のフレーズでは「はるか世界で戦えますか」になる。そして2番では同じフレーズの歌詞が「北京・モスクワ・パリ・ニューヨーク」となる。

 バブル期といえば日本企業がアメリカのロックフェラーセンターを買ったりと、やたらスケールの大きい話が出た時代だった。CMでも時任三郎扮するスーツを着たジャパニーズ・ビジネスマンが外国人のビジネスマンと交渉成立して最後に握手するパターンです。なんかでかい仕事を成し遂げた感満載のCMだったのだ。

 時代として重要なことは、あの時代、あと5時間働くか、働かずに帰宅するかでビジネスの成果が100倍違う可能性があったということ。深夜22時に仕掛かりの企画書に目を落としながら、リゲインのキャップを開けてくいっと飲む。そこから気合を入れて企画書が完成するのが午前3時。タクシーで帰宅して仮眠してシャワーを浴びたら翌朝午前9時からの経営会議に提出する。

 当時の社会人はそれで経営者に「イエス」と言わせた成功体験とかたくさん持っている。歌詞には「朝焼け空にほほえみますか」という箇所があるのだが、まさにそんな感じの時代であった。深夜のオフィスでの大仕事がほぼ仕上がったときに、顔を上げたら窓の外では空がうっすら明るくなっていたというのがバブル期の社会人あるあるだったのだ。

 この状況は今の時代とは全然違う。今はあと5時間働いたとしたら5時間分の作業が処理できるだけ。だったら「自分でやるよりも社員の数を増やしてよ」と若者は考える。あの時代はそうではなく日本に無限のビジネスフロンティアがあったからこそ限界まで働くことにみんなが共感した。そんな時代に登場した歌だったのだ。

選曲のセンスが重要になるカラオケラウンジ

 あの時代、筆者の『勇気のしるし』の歌についての思い出を語ってみよう。六本木のカラオケラウンジでの思い出がある。今の若い世代にはわからないかもしれないが、まだカラオケボックスが主流になる直前の時代で、カラオケはステージのあるお店でたくさんのお客さんの前で歌う時代だった。

 イメージとしてはキャバクラやホストクラブにステージがある感じ。知らない人たちに聴かせるから、選曲のセンスが重要になる。その時に『勇気のしるし』を選ぶと店全体が震動するぐらい盛り上がった。

 知らないお客さんと一緒に盛り上がるというのは新宿の歌謡曲パブみたいだが、あれはノスタルジーバージョン。そうではなく当時のカラオケラウンジは時代の最先端バージョンだった。

とっておきの思い出で、今は面識ないけれども、当時はまだ通産官僚だった西村新型コロナ担当大臣とかもカラオケが得意で、同じ店で通産省とコンサルファームのグループが盛り上がって歌合戦になった思い出がある。西村大臣はものまねメドレーが得意で当時は六本木の街では人気者だったのだ。

 あんな感じで日本経済が世界のナンバーワンに上り詰める可能性があったんだなと思うと、『勇気のしるし』を聴くとなにか懐かしいけれども寂しい気もする。バブルの時代を切り取った一枚のCDシングルだった。【藤田太郎/鈴木貴博】

▽藤田太郎プロフィール

イントロマエストロ。約3万曲のイントロを最短0.1秒聴いて曲名を正解する能力が話題になり、『マツコの知らない世界』『ヒルナンデス!』等多数のメディアに出演。クイズ大会などプロデュースも多数。ラジオBayFM『9の音粋』水曜日の担当DJと出演中。

▽鈴木貴博(すずきたかひろ)プロフィール

経済評論家。主要オンライン経済メディアに連載を持ち経済の仕組みや問題をわかりやすく解説する論客。
本業とは別にアングラ、サブカル方面にも詳しく、芸能や漫画などに知識も深い。

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