東野純直「灯台のような存在になりたい」ラーメン店と音楽活動で生み出すコミュニティ
INTERVIEW

東野純直

「灯台のような存在になりたい」ラーメン店と音楽活動で生み出すコミュニティ


記者:村上順一

撮影:村上順一

掲載:21年01月29日

読了時間:約12分

 シンガーソングライターの東野純直が、シングル「明日のカタチ」をリリース。東野純直の代名詞とも言える『君3部作』(「君とピアノと」・「君は僕の勇気」・「君だから」)に続くシリーズ作で、『明日3部作』の第2弾。東野は1993年4月に「君とピアノと」でデビュー。今年デビュー28年目に突入する。現在、自身が店主を務めるラーメン店と音楽活動の二足のわらじで活動していることでも話題となっている。インタビューでは半生を振り返りながら、このコロナ禍でどのような気持ちで音楽活動を行っているのか、多岐にわたり話を聞いた。【取材・撮影=村上順一】

音楽とお金が直結して欲しくない

東野純直

――東野さんの音楽の原体験はどのようなものだったのでしょうか。

 一番最初はABBAの「Dancing Queen」で、幼稚園の時に聴いて身体が凍りました。それで、母親から500円札をもらってレコード店に買いに行ったのを覚えています。そこから80年代の歌謡曲を聴くようになって。僕はピアノが好きなんですけど、男がピアノをやっているというだけでバカにされるんですよ。それを隠すためにドラムを始めて、当時ブームだったパンクバンドもやったりしていました。

――カモフラージュですね(笑)。

 そうです(笑)。家に帰ってピアノを弾いていました。友達がラジオでエアチェックしたテープを作ってくれたんですけど、その中にビリー・ジョエルが入っていて衝撃を受けて、そこからビリー・ジョエルが聴いていたルーツ音楽、ビートルズとかも聴きまくっていました。色んな音楽を聴きましたけど、自分の中で「最高だ!」と思えるものはポップソングが多かったです。

――プロの歌手になりたい、という想いが芽生えたのは?

 もう小学生の頃から自分は人前で歌う仕事に就くんだろうな、とはなんとなく思っていました。バンドでもデビューしたいとも思ったんですが、コンテストで賞を獲ったとしても、なかなかデビューは難しくて。それでPA(音響エンジニア)になろうと思って、福岡にあるサウンドエンジニアの専門学校に入ったんですけど、歌を仕事にするのを諦めかけていた時に、YAMAHAが主催する『MUSIC QUEST』で審査員特別賞をもらうことが出来たんです。

――デビューされて「君は僕の勇気」であっという間に売れましたよね。印税もすごい入ってきて怖かったと感じていたみたいですね。

 本当にすごい大金が入ってきましたけど、すぐ無くなりましたね...。こんな若造がこんな大金をもらって、なんていう気持ちもありましたし、こんなことがずっと続くとも思ってはいなくて。怖かったという表現よりもよくわかっていなかったというのが適切かもしれないです。

 当時あまり働いている意識もなかったんです。いま僕は飲食店をやっているのでお客さんから1000円をいただくということがどれだけ大変かというのは分かっているんです。でも当時はCDを買ってくれているお客さんがいて、お金が入ってきているという実感がどうしてもわかなかったんです。おそらく同じ年代で大金を手にしてしまった人達は同じ感覚だったと思います。だから税金のことなんか考えずに湯水のように使ってしまって、後で衝撃を受けることになるんですけど(笑)。

――どんなことにお金を使っていたんですか。

 ほとんど音楽に繋がることに投資していました。僕はお酒は飲まないのでそういったことにはほとんど使っていなくて、海外に長期滞在して、いろんなパブを回ってジャズメンの演奏を聴いたり、そういう方にお金を使っていたと思います。

――経験に投資した感じですね。ちなみに「君は僕の勇気」ができた時は、売れるという手応えはありましたか。

 あまりそういった概念はなくて、とにかく良い曲が出来たからみんなに聴いてもらいたい、という思いの方が強かったです。売れなくなった時に身の程を知ることになるんですけど、純粋に自分の音楽を聴いてもらいたい、と言う気持ちの方が大きくてそれは今でも変わらないです。

 僕の中では、音楽とお金が直結して欲しくないという思いがありました。ある時“音楽”と“お金を稼ぐ仕事”の二つを持ちたいなと思うようになったんです。実業と虚業というのを棲み分けさせたいなと思っていて。そうすることによって自由に音楽ができて、自分が納得ができたものをみんなに聴いてもらう、というスタイルに早く行きたいと思っていました。

――実業に選んだ仕事がラーメン屋だったのはどんなきっかけがあったんですか。

 単純にラーメンが好きだったんです。それでよく通っていたラーメン屋のマスターに「働きたい」とお願いして修行時代に突入したんですけど、バイトや就職なんかもしたことなかったですし、履歴書を持っていくということすらも分かっていなくて、ラーメン屋のマスターに明日、正式に話を聞きたいから来て欲しいと言われた時は手ぶらで行ってしまって(笑)。修行時代は体は疲れていましたけど、「働いている」という実感がすごくあって、そこには希望しかなかったです。

――充実されていたんですね。

 ミュージシャンだけをしていた時は生活のリズムは昼夜逆転していましたが、ラーメン屋の修行している時から、お日様を浴びて、接客をして、間違いのない美味しいものを作って、夕方に帰ってくる、これが社会生活なんだという実感がありましたから。もちろんミュージシャンやっていた時の生活も嫌いではなかったんですけど。

――音楽にはどんな変化がありましたか。

 ラーメン屋を始めてから書く歌詞がこれまでとは変わってきました。みんなの大変な思いとか分かるようになってきて、これを若い頃にフィードバックしたかったなあという思いが出てきたり、もしかしたら当時は夢や理想論のような歌詞しか書けていなかったのかなとか、後悔したり。

 でも、浮世離れした状況じゃないと書けない歌詞もあるというのは事実で、間違いではないんです。全てはローマに通じるんです。ただもっとみんなに寄り添った曲を聴いてもらいたいと思った時は、浮世離れした生活がどうなんだろうだと思う時がミュージシャンは絶対来ると思います。状況やタイミングが違えど、どういった形で具現化するのかそれぞれだと思うんですけど、それが僕は飲食だったということなんです。

皆さんとの心のキャッチボールこそが命

「明日のカタチ」ジャケ写

――8年の修行を経てご自身のラーメン屋である「玉龍」を開かれるんですけど、2階はレコーディングルームになってるとお聞きしました。

 そうです。厳密に言えばプリプロルームなんですけど、何でも録れる空間を作りました。

――ドラムもレコーディングできたりするんですか。

 さすがにドラムは録音できないんです。築40年で風がピューピュー吹き抜ける部屋なので(笑)。2階にプリプロスペースと事務所スペースを作ってるんですが、従業員も「もうこれ外と変わんないよね」と言ってましたから(笑)。

――昨年10月にリリースされた新曲「明日のカタチ」もそこで制作されて。

 そうです。ラーメンを作ってる時に思いついたものを、休憩時間とかにボイスレコーダーに録音して2階で形にすることが多いです。今回のシングルは汁なし担々麺を作ってる時にできた曲なんですよ。汁なし担々麺を作りながら「やばい良いメロディーが出てきてしまった」と思って(笑)。その時はお客さんも満員だし休憩できる感じではなかったんですけど、伝票を見たら焼き餃子の注文が入っていたので、これはチャンスだと思って。

――焼き餃子はチャンスなんですか。

 焼き餃子はチャンスなんですよ(笑)。火入れに時間がかかるので、焼いてる時の音も相まって仕事をしている風な演出ができるんです。その隙に裏に隠れてボイスメモに歌を録音しにいくんです。僕の場合、リラックスしている時とか楽しんで何かをやっている時に曲が思いつくことが多くて。調理してる時にメロディが思いつくことは本当に多くて、きっとリラックスもしているし、すごく集中している状態なんですよね。

――楽曲制作とラーメン作りは似ているということも以前おっしゃっていましたね。

 本当に似ていると思います。詞が麺で、メロディがスープというものですよね。それは正しくて、どの職種も核心は一緒だと思うんです。僕にとってラーメン屋の厨房はスタジオでありステージでもあるんです。僕の中ではどちらも同じもので、どちらもすごく大好きで大切なものなので。

――その大事なものが今コロナ禍で窮地に立たされていると思うのですが、東野さんは今どのような心境ですか。

 本当に厳しいですね。ライブは人が集まってエネルギーを交換する素晴らしい場所なのに集まれない。国が集まっても大丈夫だと言っても、お客さんが来ない。ファンの皆さんは「ライブに行きたい」と思ってくれているんですけど、家に高齢なご両親がいたりとか、お子さんがいたりして、もし外に出てウイルスをもらってきてしまったら大変なことになってしまう、そう思うとなかなか難しいところはあると思います。配信という方法もありますけど、やはり熱の伝わり方が違うなと感じています。配信自体をやりすぎると、いずれ壁にぶち当たると思いますし、音楽業界的にもすごく追い詰められているなと感じています。

 飲食の方も現在集客はこれまでの1/4です。僕の店は遠方から来られる方が多いんです。『Go Toキャンペーン』が稼働していた時はそれを使ってきてくれていたので、今ほど大打撃感というのは感じてはいなかったんですけど、いまは業態を変えて生き残っていくしかないなと思っています。通販もやっているので、非対人型の店舗というのも考えてはいるんですが、僕のモットーとしては人が集まれるコミュニティーを提供することがお店をやる一番の醍醐味だし、核心じゃないかなと思っているんです。

――非対人型だと意味がなくなってしまいますよね。

 美味しいものを提供するだけがお店ではないと思っていて、地域に貢献することも重要だと思っています。その地域にいらっしゃる皆さんとの心のキャッチボールこそが命だと思うので、今はお店にしても会話はできないですけど、そこにほっこりとした美味しい味があれば心も休まりますし、日頃の疲れも飛ぶこともあると思うんです。それは音楽も同じで、集えるコミュニティを提供していきたいという想いは音楽もラーメンも変わらないんです。それもあってお店を閉めるという発想は全くないです。何とかしてでも続けていきたいと思っています。

自分にとって過去はガラクタ

東野純直

――デビュー当時と現在とでは音楽へのこだわりというのは変化した部分もあるんですか。

 デビュー当時は曲を作ろうと思って作っていた節がありました。今思えばそれは少しビジネスチックだったのかなと思うところがあって、今は自然と出てきたメロディーを細かくメモをすると言う作り方に変えました。自分の作る楽曲もオーガニックなところにこだわっている感じはしています。「明日のカタチ」の歌詞をを作っていた時も、お店にお客さんが来れなくなってきた時に作っていて、これじゃいかんと思って、自分が毎日一歩を踏み出して行かないと、自分の生活どころか音楽も飲食もなし崩しになってしまうので、まずは自分が奮起する歌詞を書いてみよう、明日があるから大丈夫だよ、というのを自分自身にフィードバックしたかったんです。

――もう未来しか見ていないんですね。

 見ていないですね。自分にとって過去はガラクタなんですよ。それはファンの方が青春時代の1ページとしてを宝物にしてくれて、もちろんそれらは僕にとっても宝物なんですけど、楽曲制作をする上では少しガラクタかなと思っているぐらいの方が、常に新しいもの作る上では良いのかなと思っています。

――そう思えるのはご自身がすごく成長している証でもありますよね。

 でも自分だと成長しているとは思えてはいなくて。前の作品を見返して現場と比べることはセンシティブに判断をしているんですけど、自分では成長したかどうか分からないし、それを知るのが怖いから前だけを向いているというのもあるんです。どこか臆病者なんですよね(笑)。

 僕は過去の話をするのが実はそんなに好きではなくて、あの時は良かったねというのはいいんですけど、その後に次はどうしようかという話にならないとダメなんです。ノスタルジックに浸るのもすごくいいんですけど、じゃあそれを踏まえて今をどう生きるのか、何をするかというのを常にビルドアップしていかないと社会も変わっていかないですし、自分も変わっていかないと思っています。常に前を向いていたいから、デビューした時もアルバムをアルファベット順に出すと決めていましたし。

――なぜアルファベット順だったんですか。

 何か十字架を背負わなければいけないなと思っていて、自分自身がすぐ怠惰な生活をしてしまって、いつまでもリリースをしない感じもあったので、そういった制約を設けたんです。

――それもいずれ終わりが来るとは思うのですが、そうしたら新たな制約を?

 考え方次第だと思うんです。Zまでいったらとりあえず第1章の終わりという感じにはなると思うんですけど、また戻ってAから始まってもいいと思いますし、「いろはにほへと」に行く手もありますし(笑)。今は“明日3部作”ということで作っているんですけど、3作目が出てくるのを待っているところです。

――以前も『君3部作』を出されていましたが、三部作というはお好きなんですか。

 結構好きですね。僕は『スターウォーズ』が大好きなんです。僕は特にエピソード4、5、6が好きなんです。3部作というのは僕の場合すごくストーリーを作りやすくて完結しやすいんです。“明日3部作”が終わっても、きっとまた何か3部作を探して行くんじゃないかなと思っています。

――すごくポジティブな東野さんが生きてきた中で一番嬉しかった事って何ですか。

 これは音楽もラーメン屋も共通して言えることなんですが、届けた相手が喜んでくれた時が一番嬉しいです。それが何よりの幸せで、ラーメンだったら美味しい、ライブだったらすごく良い笑顔で観てくれていたり、感動して泣いてくれているのをみると最高に嬉しいです。なのでその一番の瞬間は沢山あります。

――笑顔というのがキーワードですね。

 小さい頃に周りからも「歌ったり踊ったりして人を喜ばせた方がいい」と言われていて。僕自身もそういうのが好きだったので、頼まれていないけど、当時やっていたとあるCMの真似をしてお尻を出したりして(笑)。

――僕はいまだに一番嬉しい事ってなかなか即答できていなくて、模索中なんです。

 でも、そういう方が多いから、すぐに即答出来る人、旗を持って先導する人がどの業界にも必要だと思うんです。僕は引っ張って行くなんておこがましい事は言えないけど、楽しい事を提示することは出来るなと思っています。僕はいつも変わらずにその場所にいてみんなを照らせるような、灯台のような存在になりたいと思っています。過去に「Light house」という曲を作ったんですけど、それは僕がみんなが集える目印になりたい、という気持ちを込めた曲なんです。

――最後に今、東野さんがやっていかなければいけないことは?

 まずは悲観的にならないことです。自分の中のポジティブとは何なのかをもう一度見直しています。いま大切なのは自分がどれだけナチュラルに歩けるかというのを模索して、自然体でいることかなと思います。僕らは地球から見たらすごくちっぽけな存在だから、いまは宇宙的に考えるべきなんじゃないかなと思っていて、そうすることで見えてくるものもあるんじゃないかと思います。いま僕らは岐路に立たされているのは事実で、社会のシステムではなく大自然の中でものを考えて見るようにする、というのが大切だと思っています。そうすることで自分を追い詰める事もなくなるような気がしています。

(おわり)

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村上順一
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