歌手の坂本冬美が11日、ニューシングル「ブッダのように私は死んだ」をリリース。クレイジーケンバンドの横山剣がミュージックビデオに出演した前作「俺でいいのか」から約1年3カ月ぶりとなった今作は、坂本が学生時代からファンだったと話すサザンオールスターズの桑田佳祐が作詞・作曲を手掛けた1曲。「歌謡サスペンス劇場」として描かれた同曲は、坂本の奥底にある新たな一面を引きだした。インタビューでは、YouTubeチャンネルを立ち上げるなど、新しいことに挑戦した2020年の活動を振り返りながら、「夢のような時間だった」と語る今作の制作背景、どのような意識で歌唱に臨んだのかなど、話を聞いた。【取材=村上順一/撮影=冨田味我】
聴いてくださる方がいらっしゃってこその歌手
――YouTubeチャンネルを立ち上げられてましたね。
もともと配信する予定はなかったんですけど、「俺でいいのか」の発売イベント生配信をする予定がコロナ禍でなくなってしまいまして。ファンの方からのリクエストも募っていたので、それを無視するわけには行かないと思い、良い形で何かできないかとスタッフとお話ししたら、「自主練しているみたいな雰囲気で映像を自宅から配信するのはどうですか」と。提案があったのでやってみたんです。そうしたらすごい反響がありまして。
――坂本さんご自身で曲の再生から曲を止めるまでやっていたのが面白かったです。
密を避けなければいけなかったので(笑)。お恥ずかしい話なんですけど、オーディオと呼べる装置はあれしかないんです。私は今だにMDプレーヤーを使っているんですけど、さすがにいまMDを世界に知らしめるのは恥ずかしいと思いまして。それでポータブルプレーヤーに入れたものを使ったんですけど、自分でセッティングしたら、まさかのシャッフル再生になっていて…。それであのようなドタバタ劇になってしまったという。
――動画はすごい長編でしたよね。
YouTubeは10分間ぐらいがちょうどいい、と聞いていたんですけど長くなってしまって。普段、私をテレビで観てくださっている方は、和服姿で真面目な人、というイメージがあったと思うんですけど、あそこまでドジだとは思わなかったと思うんです。事務所の社長は「次はまだやらないのか」とリクエストしてくるくらい気に入ってしまったみたいで。
――すごく面白かったです。
最近、テレビの仕事もまた増えてきて、TV局のスタッフさんが私と会うと笑うんですよ。「もしかしてYouTube観た?」と尋ねるとやっぱり観たみたいで(笑)。
――パブリックイメージとのギャップがありましたよね(笑)。さて、ステイホーム期間は歌と向き合った部分もあったのでしょうか。
YouTube以外でも自主練はやってました。自粛が明けた時にお誘いがあって、「歌えない」というのは良くないなと思っていたので2日に一回はしっかり練習して。テレビの収録が実際に始まった時に、検温したり消毒したりと3ヶ月間とは雰囲気が一変していました。その衝撃は大きかったです。コンサートもお客さんを入れてできるようになってきて、9月17日の名古屋公演が私にとって有観客でのスタートでした。
お客様が半分しか入れられない、というのはわかって行っているんですけど、たまたま客席が赤かったので空席が目立つんですよ。わかっていたことですけど、最初は心にずしっときました。でも「これが現実なんだ」と受け止めて、こんなに大変な中でこれだけの方が来てくださった、人数は関係なくお客様がいてくださることのありがたさを感じました。
お客様も声は出せないので、メッセージボードに「冬美ちゃん」と書いて持ってきてくれたりして嬉しかったです。声には出さないけれど、私の頭の中ではその声が聞こえるんですよ。キャッチボールがちゃんとできていることが確認できたことと、壁に向かって歌う切なさを何カ月も味わってきて、聴いてくださる方がいらっしゃってこその歌手なんだと再認識しました。
――しょうがないとはいえ、半分のお客さんというのはやっぱりショックですよね。
ショックなんですけど、私は10周年の時にもお客さんが少なかったコンサートもあったんです。入らないといっても8割はいつも埋まっていたんですけど、沖縄で10周年と銘打って行ったコンサートが始まったら3割しかお客さんがいない時があって…。その時は業者さんの手違いがあったと聞いていたんですけど、実際は何があったのかはわからないんです。その時の衝撃が今もあって。私はいつも全力投球なんですけど、あなたの人気がないから、と片付けられるのは納得いかない。
その時にスタッフさんに「私は絶対に手を抜かない、どんな状況でも一生懸命努めます。だからスタッフの皆さんもできるだけの努力をしてください」とお願いしました。そこからコンサートへの取り組み方も変わっていきました。例えばコンサートの場所で訪れた期間も1年半〜2年はあかないと、その場所には行かないと決めています。そうしないとあきられてしまうんです。そういう経験もあって、今回は事前に知っていたので、10周年の沖縄の時ようなショックはなかったんです。
夢のような時間でした
――さて、今作「ブッダのように私は死んだ」は桑田佳祐さんが楽曲提供してくださったとのことで、坂本さんの念願が叶った形なんですよね。なんでも2018年の『紅白歌合戦』での競演がきっかけで桑田さんに手紙を綴ったとのことで。どんなことを書かれたのでしょうか。
それは桑田さんへのラブレターみたいなものなので、詳しくは語れないんです。私がサザンオールスターズに出会ったきっかけなど書かせていただいて。
――どんな感じの出会いだったのでしょうか。
中学1年生の頃でした。当時は石川さゆりさんが大好きで、「さゆりさんのような演歌歌手になりたい」と、さゆりさん一筋だったときに、初恋だった山本くんが「勝手にシンドバッド」を聴かせてくれたのをきっかけにカルチャーショックを受けまして。最初は桑田さんがすごい早口でランニングに短パンで歌っている姿に衝撃を受けました。でも、聴いているうちにどんどん桑田さんの声に魅せられまして。
――当時、桑田さんのような歌のスタイルは唯一無二でしたよね。
そうなんです。私がデビューした当時、プロフィールの好きな歌手の欄には石川さゆりさんとサザンオールスターズと書いていたぐらい大好きで。その時からいつか桑田さんに曲を書いていただきたいと思っていたんです。でも、同じ芸能界にいてもジャンルが違うとお目にかかる機会もなくて接点がなかったんですけど、やっと紅白でお会いすることができて、そのリハーサルで「ファンです!」と握手をしていただいて。
――ファンに戻られて。
もうその時は完全にファンでしたね。本番になってもお客様と同じような気持ちで大興奮して。そうしたら「桑田さんに楽曲を書いてもらいたい」という気持ちがまた沸々と再燃しまして。時は流れて「35周年に向けて夢とかある?」とスタッフに聞かれたので「無理を承知で言いますけど、桑田さんに曲を書いてもらいたいです」と話したら、プロデューサーは言葉にはしませんでしたけど、「無理だよ」という顔をして。それで私は40年間の想いを手紙に綴って桑田さんに送ることにしました。
――その手紙を読まれて桑田さんは快諾して下さって。
手紙を書いたのは2019年の春だったんですけど、その年の秋になって桑田さんのスタッフの方からご連絡が来まして、桑田さんとお会いさせていただけることになりました。それで、断られるんじゃないかとドキドキしながら向かいまして。そうしたら、今作の歌詞を見せていただいて。桑田さんが歌われているデモも聞かせていただいたて。
――えっ! もう曲が出来ていたんですか。
そうなんです。もう私は言葉にもならず、涙も出てきてしまうほど感動して。それでタイトルを見てどんな曲なんだろうと思いながら、歌詞を拝見させていただいて。<目を覚ませばそこは土の中>と出だしの歌詞を見て、「あれ、私は生きていないの?」と思っていたら、桑田さんがこれは「歌謡サスペンス劇場」だと話して下さって。その言葉で私なりに理解して、私はこの主人公を演じれば良いんだと思いました。
――坂本さんにはこの主人公はどのように映っていますか。
この主人公はいくつかの恋愛をして、この人が最後と思って尽くした男性に騙されてあやめられてしまいます。そこで<やっぱり私は男を抱くわ>と歌詞にもあるように、生まれ変わったら、私が抱かれるのではなくて、「抱いてやるのよ」という強い思いを持ちますが、でも結局許してしまう。そういったことを私はこの歌詞から感じ取りました。騙されるとわかっていてもまた男性を好きになってしまうと私は解釈しています。
――桑田さんから歌詞について説明があったわけではないんですね。
はい。あえて聞いておりませんが、私が感じたまま歌わせていただきました。なので、聴いて下さった方のそれぞれの解釈をしていただければ、もしかしたらもっと深いかもしれないです。この主人公は私から見ても痛々しくて、可哀想で抱きしめてあげたいと思うんです。でも、男性への怨念みたいなものは一切感じないんです。
それは男性の桑田さんがお書きになられたので、きっとこういう感覚になるんだと思いました。おそらく女性が書いたらもっと怖いものになると思います。桑田さんの持つ女性に対する愛情なのか、これだけのテーマなのにそんなに重く感じないんです。これが演歌だったらもっと恨み節になっていると思います。桑田さんだからこそ刺激的な言葉もポップなリズムで聴かせることが出来る、全てが計算され尽くしている歌だと思いました。
――レコーディングには桑田さんも同席されて。
そうなんです。もう夢のような時間でしたね。レコーディングはまず私が歌ってちょっとアドバイスをくださる感じでした。この曲はムード歌謡やドゥーワップの要素も入っていたりするんですけど、<私、女だもん>のところは演歌のニュアンスも入っています。いろんな要素が入っているので、桑田さんからリズムの取り方だったり、ワンポイントアドバイスをいただきました。
――2番にいく前の坂本さんのアドリブ的なフレーズもフックになっていると思いました。
これはアドリブではなくて、こういう感じでとリクエストしていただいて歌いました。私の中では桑田さんはこういうアドリブ的なものをよくやられているイメージがありまので、都々逸や日本調なものを意識されているのかなと思いました。
さらに殻を破りたい
――そういえばレコードプレーヤーを購入されたみたいですね。
そうなんです。まだ、調整が上手くいってなくてジージーとノイズが入ってしまうんですけど、マイルス・デイビィスの『カインド・オブ・ブルー』を聴いています。レコードで聴いているとお酒が飲みたくなります(笑)。
――購入されたきっかけは泉ピン子さんの言葉からなんですよね。
ピン子さんが「ブッダのように私は死んだ」をラジオで初めて流した時に曲を聴いてくださっていて、すごく気に入ってくださって何度も聴いて歌詞をご自身で書き起こしていたみたいなんです。それでわからないところがあったみたいで、私に「歌詞を教えて」と連絡があって。その時のお話の中でピン子さんはすでに「ブッダのように私は死んだ」のCDとアナログ盤を何枚も予約して下さっていて、ピン子さんが私に「あなたは桑田さまの曲をレコードで聴きたいと思わないの!」と、私もすぐにレコードプレーヤーを買って。
――坂本さんの音源でレコードでリリースされるのは珍しいのでは?
そんなに多くはないですね。デビューからの3枚はレコードでもリリースされていました。そのあと細野晴臣さんと忌野清志郎さんとご一緒させていただいたHISというグループでも1枚リリースさせて頂いています。あと、歌手復帰した時に「気まぐれ道中」もレコードで出したと思うんですけど、私はまだレコードでは自分の曲を聴いたことがないので、セッティングをちゃんとして聴きたいですね。
――レコードで聴くとまた味わいが変わっていいですよね。さて、来年からデビュー35年目に突入されますが、どのような気持ちで活動されますか。
この勢いのまま突っ走りたいです。これまで色んなタイプの曲を歌わせていただいてきましたけど、私の奥底に眠っているダークな部分というのは、いままで引き出されてはいなかったと思います。今まで見せたことがない部分を今作で出させていただくわけですから、セミのように殻を破って出ていくような気持ちで、35周年を迎えられるようにしたいです。
――ここまでは序章だったという感覚も?
これまでがあったからこそですね。この歌を20代の時にいただいていても歌えなかったでしょうし、今しかないタイミングで桑田さんと出会えたと思っていますので、この曲をきっかけにさらに殻を破りたいですね。
――最後にいまの坂本さんの使命はなんでしょうか。
もちろん自分のためでもあるんですけど、ファンの皆さんが喜んでくれるから歌いますし、喜んでいただけるならYouTubeでもなんだってやります。それが私の喜びでもありますから。今作は業界の方に「よくぞこういう曲を出してくれた! 一緒にヒットさせましょう」と言っていただけたことは驚きました。身内のスタッフがそう言ってくれるのはわかるんですけど、たくさんの歌手や楽曲があるなかで、そう言ってくださったことがすごく嬉しかったです。私は桑田さんの“イチ”ファンとして公私混同しながらも、桑田さんへ恩返しするには、この曲をヒットさせることが、今の私の使命だと思っています。
(おわり)