歌手の佐々木秀実が、ここまでの活動の集大成となるベストアルバム『シャンソン・ベスト』をリリースした。今作にはデビューアルバムでも歌唱していた「枯葉」や「まるでお芝居のように」の2曲を新たに歌を再レコーディング。さらに作曲家・古関裕而氏が1946年に作曲し復興をうたった幻の曲「歌謡ひろしま」を、初CD化したことも話題になった。インタビューでは佐々木秀実の生い立ちから、シャンソンの歴史、魅力を聞くとともに、「歌謡ひろしま」をどのような思いで歌い上げたのかなど、多岐にわたり話を聞いた。【取材=村上順一】
歌えなくなることはそんなにたいしたことではない
――佐々木さんは日本舞踊など和の要素が強いご家庭だったんですね。
父方の家は料亭を、母方の方も飲食店をやっていて、小さい頃から芸者さんが家に来たりといった環境でした。物心がつくかつかないか、という頃から三味線音楽や日本舞踊などを観て、凄いなと感じていて。
――ご自身が日本舞踊、三味線を習っていたというのも嫌々というわけではなかった?
全然嫌々ではなくて。自分がもうやりたくてしょうがなくて。
――その中で、13歳の頃に急性咽頭腫瘍になってしまいましたが、当時はどのような状況だったのでしょうか。
もう自分は幼い頃から歌で生きていくと、それしか考えていなかったんです。その中で13歳の時に声帯に腫瘍ができてしまいました。4回手術したんですけど、「声は出せるかもしれないけど、歌を歌うことは諦めなきゃいけないかもしれないよ」と主治医の先生に言われて、とても落ち込みました。その時の私の母が何を思ったのか、エディット・ピアフ(仏・歌手)のベストアルバムを持って病室に来てくれたんです。手術の前の日だったから、私は全然眠れなくてずっとそのCDを聴いてました。歌はフランス語だったので対訳を見ないと歌詞の内容はわからなかったんですけど、声の迫力とか、全部歌い上げてしまうその姿、音にとにかく感動しました。
――言葉は分からなくとも、凄みを感じて。
同時にピアフの自叙伝をずっと読んでいたんですけど、その波乱万丈な人生を読んで、私はこの手術をしたからといって命を落とすわけではない、ただ歌えなくなってしまう、それはそんなにたいしたことではないんだ、と思うことができたんです。もちろん今まで通り歌えたら一番嬉しいけど、歌えなくなったらピアフのような歌を聴きながら生きていけばいいし、もし声が治ったら私はピアフのような歌を歌ってみたいなと思いました。それが私とシャンソンとの出会いです。
――生きるという大きな視点で考えることができたのですね。
そうですね。当時は小児病棟でしたから、色んな患者さんの友達がいたんです。耳鼻科だけじゃなくて、喘息だったり、赤ちゃんなのにそのまま亡くなっちゃったりするのを見ていると「生きるってなんだろうな」とか「生きることの意味」というのを多感な時期にもの凄く感じて。
――手術をされて声の変化はあったのでしょうか。
手術が終わってから2週間は発声禁止なんです。それからリハビリになるんですけど、声を出す瞬間はビクビクしていましたけどね。ただ、「声が出た!」という喜びが強くて、以前の声とどう変わったかというのは正直なところ覚えていないです。声が高くなっちゃったりしぼんだりということはなかったんです。
――さて、シャンソンというのは、ジャンルとしてのイメージはあるんですけど、実際はどのような音楽なのでしょうか。
シャンソンというジャンルは、諸説あると思いますが、この言葉は英語で言うところの「song」なんです。シャンソンは日本の中で一人歩きを始めたジャンルの一つで、歴史を紐解いていくと難しくなるんですけど、戦前、小林一三さんが宝塚を作った時に電鉄を引っ張って、温泉とか施設を当時作って、そこで催し物で歌舞伎や大衆演劇とか和物が多かったんだけど、小林さんは凄くハイカラだったのか、宝塚を作って。
1937年にパリ万博があって、小林さんはそこで見たらしいんです。それでこれを日本に持ってきたいと思い、自分の演出家をパリに派遣させて日本に持って来たんです。それがおそらく日本とシャンソンの歴史の始まりだと思います。そこから淡谷のり子さんの時代になっていきます。洗練された音楽ということもあり、どんどんシャンソン愛好家が増えて行った時代です。戦後、シャンソンは色々変化していきましたけど、日本におけるシャンソンというのは1930〜1960年の頭くらいまでの歌謡曲を日本の場合はシャンソンと定義しているみたいで。
――確かに昭和はシャンソンというイメージは強いです。今回、調べていて今まで勘違いしていたことがありまして、今作にも収録されている「枯葉」は、ずっとジャズのスタンダードナンバーだと私は思っていたんです。改めて調べたら、実はフランスからきてジャズのスタンダードになったという流れだったと知りました。
それよく言われます。意外にそういう曲ってシャンソンにあるんです。「枯葉」なんか本当に一番いい例だと思うんですけど、元々「枯葉」はバレエ音楽で作ったんじゃないかな? その後イヴ・モンタンが映画の中で歌っていて。この曲はコード進行がピアノやサックスがとても演奏しやすくて、「枯葉」はジャズのスタンダードナンバーになりましたよね。
――その「枯葉」は2002年のデビュー作『懺悔』に収録されています。今作で新しくボーカルを録り直されていますね。
ボーカルだけ吹き込み直したのは「枯葉」と「まるでお芝居のように」の2曲なんですけど、『シャンソン・ベスト』と銘打つからには、「愛の讃歌」とか「さくらんぼの実る頃」とかに並んで「枯葉」は入れたいよねと。だけど『懺悔』の時のいわゆるカラオケ、あれもいいし使えるんじゃないかなと思って実際にそれを使ってレコーディングしたわけですけど、当時頭の部分は“せーの”でピアニストと入っているんですけど、今回はカラオケなのでそこに合わせなければいけなくて…。
――タイミングが難しいですよね?
ええ。だからその当時の自分になってみたりとか、「ごめん間違えた、もう一回やらせて!」って。そこだけは苦労しましたね。
――録り直してみて新たな発見はありましたか。
約20年前の「枯葉」を聴いて、次に新しい「枯葉」を聴いて、「まるでお芝居のように」も今のと聴き比べてみてください。やっぱり20年弱という月日は人間を大きく変えます(笑)。デビュー作というのは緊張ももの凄いし、人間としての経験値も浅はかだし…。20歳の子が男と女のドロドロした部分を頑張って歌ってるのよ! 私としては可愛いんだけど、やっぱり深みがないのよね(笑)
心の豊かさで包み込んであげたい
――今作で外せないのが「歌謡ひろしま」だと思われますが、これを歌われるまでの経緯はどんなものだったのでしょうか。
最初はコロムビアさんから「古関裕而先生の曲を歌ってみないか?」というお話を頂きました。それで資料もいくつか頂いて、古関先生に関してのことは、作曲家としてはよく知っています。今、朝の連ドラで『エール』をやっていてその主人公が古関先生で、その作品にちょっと入れませんか、という話になっていきました。私は歌を作るにあたっては、出来た経緯やその歌の時代背景や作者の想い、自分の想いなど、色々自分の中で噛み砕く時間がないと私はできないタイプなんです。「これあるから、これ歌ってね」と言われてもたぶん歌えないタイプで。
今回最初に頂いた資料が3つあって、1つは昭和21年の8月に掲載された中国新聞の記事がありまして、そこに詞と歌ってきた経緯、古関先生の楽譜が載っていました。2つ目が、コロムビアの方が、その楽譜を見て作ったおおよそのイメージの伴奏音源でした。それが私が今回歌ったものとは全然テンポが違ったんです。古関先生の当時のテンポですから、おそらくシャッフルのリズムで歌う、当時はそういう風にお書きになったんだと思います。楽譜もそういう感じになっていましたから。
そして3つ目の資料がこの曲のイメージが覆ったんですけど、広島の原爆資料館に残されている音源でした。この「歌謡ひろしま」という曲が一回たりともレコード、カセット、CDにもなっていないという中で、戦後で地元の方には歌われ続けて、口伝えでずっときたものがあると思うんです。
その原爆資料館に残されているものは、公園かなんかで録ったような音源なんですけど、アカペラでワンコーラスだけ歌っているんです。初めてそこで人間味を曲に感じました。それまでは楽譜と、「こうであろう」という伴奏のものしかなかったのに、そこに初めて人間の声で聴いて凄いなと思ったんです。それが3つ、自分の中でもらって解釈した部分と、あと「何故私がこれを歌うべきか」ということをもの凄く考えました。シャンソンでも戦争をテーマとしている曲ってあるんです。
ただ、古関先生を意識をした時に、先生のある文章にそれが載っていたんですけど、かなり戦時歌謡を先生は書かれていて、兵士達はその曲に送られて「お国のために」と戦地へ出ていくわけですよね。作詞家も作曲家も歌い手も当時は慰問に行ってましたし、そういう時代の中で古関先生だって本望じゃなかったのは事実で。
――きっと複雑ですよね…。
兵士達を並べてお偉い兵士さんが部隊の上に立っていて、「この歌を書かれたのがこの方です。古関先生どうぞ一言何か歌に対する想い、兵士への想いを言ってください」と質問された時に古関先生って「一言も何一つ語ることができなかった」と書いてあったんです。それは、一回自分の歌に送られて出て行って何人還ってくることができるんだろうと。その想いってもの凄いことだったと思うんです。戦争が終わって次の年、歌に残されているように、まだそこまで復興なんかしてませんよ。
でも詞から紐解いていくと、戦争が起こる前の水が豊かで山も綺麗で花も咲いて、以前の広島に早く戻ってほしい、先生は当時自分が戦時歌謡を書いたそのつらさや切なさ、鎮魂というのも含めてレクイエムみたいな気持ちで先生は、もしかしたらお書きになったんじゃないかなと思いました。
じゃあ私はどうやって歌おうかなとアレンジを考えている時にテンポの部分をかなりゆったりとったり、現代に伝わる心の豊かさというものを表現したかったんです。古関先生はご存命ではないので語ることはできませんでしたけど、常に古関裕而さんという作曲家と山本紀代子さんという作詞家と、姿はないけど歌を通して私はたくさん対話をしました。それでこれならやりたいな、こうしていきたいなというものを作り上げて、今回レコーディングできたことはとてもありがたいと思っています。
――残っている音源がない中で、佐々木さんの「歌謡ひろしま」がお手本のようになっていくと思います。そこへのプレッシャーはありますか。
あります。たぶん憶測だけどこういう歌なんじゃないかなと思った資料、伴奏が残っていたりして、ここまで古関先生の世界観をガラッと変えていいものなんだろうかとか。当時の口伝えで知っている方に対して失礼ではないかとか、考えました。それと同時に私は自分の今回のアルバムを作っていく中の流れというのをもちろん考えて、叙情歌的なものが今こそ私は必要だと思うんです。もちろん佐々木秀実の歌でヒットしたら一番いいし、もちろんそのつもりで歌っていますけど、そうじゃなくてゆったりした気持ちになれる、心が豊かになれる歌があるんだなと思って口ずさんで頂いて、それが学校で歌ってみようとなったり、合唱でやってみようと思ったりとか、そんな風に歌が発展していけば私は嬉しいなと思います。
音楽療法士でもないんですけど、今みんなコロナの中でもそうだし、そうじゃなくてもインターネットという社会で生きていったりコミュニケーションをとったりする中で、今までに感じたことのない深いところでストレスを感じていると思うんです。そんな中で、私はここのところ1、2カ月、1日の中で2時間スマホとTVを見ないという時間をあえて作っています。
その間はじっくり音楽を聴くとかして。1回シャットアウトするということは3日くらいはつらかったですけど、一人の豊かさというのを感じなきゃいけないと思うんです。そうじゃないと人間ってすぐ折れそうになるから。今世の中にはそういう人が凄く多いと思うの。その中で「君なら大丈夫だよ。頑張れ!」って言うんじゃなくて、もっとおおらかさ、心の豊かさで包み込んであげたいっていうのかな…「歌謡ひろしま」はそういう歌にしたかったです。
想像力に訴えかけていきたい
――さて、シャンソンの楽しみ方についてですが、シャンソンのどういうところを聴いたらより楽しめるようになりますか。
佐々木秀実のシャンソンという風に定義をした方がいいと思うんですけど、一人芝居と歌というものの間にいると思うの。どっちに寄り過ぎてもいけないけど、両方の要素がないといけないし。小説を読んだりとか映画を観たりする感覚で、特に私達日本人は想像力は凄いものがあるので、そこに訴えかけていきたいですね。歌を1曲聴くというだけで主人公が見えてきたりとか、物語があったりとか、そこで自分が聴きながらの感情が入っていったりとか、私のシャンソンはそういう歌であってほしいなと。
――確かに今作はどの曲も情景が見えやすかったのですが、私は「アコーディオン弾き」という曲が特に情景が想像できました。
それは本当にシャンソンなんですよ。ちゃんと物語が1、2、3番と変わっていって、それこそが“ザ・シャンソン”という感じですよね。そういう部分って意外とみなさん知らない、知って頂くチャンスもないだけで、ハマる人には絶対ハマると思っています。だから多くの人に、みなさんに、本当だったら生で観てほしいけど今はできないという中で、逆にこれを逆手にとって何かアピールをしたいなと、みなさんに聴いて頂くチャンスにと思っています。
――「佐々木秀実のシャンソン」という表現をされていましたが、元々あるシャンソンとは差別化を図りたい、といったところがあるのでしょうか。
そうではなくて、今歌ってらっしゃるシャンソン歌手と言われる方には、もちろん先輩もいますし、同じくらいの年代もいる、ちょっと下の世代もいます。さらに色んなジャンルの人もシャンソンにきているんです。例えば音大でずっと声楽をやっているクラシック出身の人、役者からきた歌い手の人、ミュージカルをやっていたという方、色んなところから来ていると思うんだけど、とかくシャンソンで自分の歌を探そうとすると、選曲に対してもよりマニアックになってくるし、より凝ったものをやろうとする、そのチャレンジは凄くよいことだと思うんですけど、自己満足になりがちな世界でもあるの。
――本当にマニアックな方に行ってしまいますよね。
そうなんです。何を歌っているのかがわからなってしまうとシャンソンってよさがないと私は思っていて。私の場合はわかりやすいシャンソン、聴いている人が想像しやすいシャンソン。おしゃれなものというのではなく、本当に演歌や歌謡曲以上に、農村、漁村で流れるシャンソン、そういうものを目指したいんです。
――生活に密着したような感じの?
そう。だって想像するということはどんな生活をしている人だってできるじゃないですか? だからそこに訴えたいなって。
――そうすると、先ほどお話にも出た叙情歌に繋がりますね。最後に読者にメッセージをお願いします。
今回、8月26日に発売になりました佐々木秀実『シャンソン・ベスト』というのは、もちろん私がシャンソン歌手として歩んできた人生の中での、現時点での集大成でもありますし、シャンソンを聴いたことがないという方、そして佐々木秀実を知らない方もそうだけど、自分ではできるだけわかりやすいように、自分を聴き手になって作ったアルバムでもあるので、「1回聴いてみて!」というところがあります。
みなさん聴いてみるとたぶん何かしら感じて頂ける部分はあると私は思っています。CDを作るということはミュージシャンもエンジニアもプロデューサーもディレクター、今こうして取材をしてくださる方、パッケージしてくださる方、そこには色んな人の人生が詰まっているので、やはり手にとってもらいたいです。きっとシャンソンという引き出しは誰しも持っていると思っているので、私はその引き出しをちょっと開けたいんです。是非みなさん聴いてみてください。
(おわり)
作品情報
佐々木秀実『シャンソン・ベスト』
https://VA.lnk.to/chansonbest