スタ☆レビ根本要「今をそのまま見せる」原点回帰のニューアルバムに迫る
INTERVIEW

根本要


記者:村上順一

撮影:

掲載:20年07月25日

読了時間:約14分

 スターダスト☆レビューが7月22日、通算42枚目となるアルバム『年中模索』をリリース。アルバムは昨年リリースされたシングル「うしみつジャンボリー」、2020年1月にリリースされた「ちょうどいい幸せ」、6月にアルバムリリースに先駆け配信された「偶然の再会」など、今のスタ☆レビを感じられる全12曲を収録。MusicVoiceではアルバムについてのインタビューを実施。前編ではコロナ禍における、根本要(Vo.Gt)の配信ライブなどにおける思いを聞いた。後編ではオリジナルアルバム『年中模索』で、どのような気持ちでアルバムを完成させたのか、制作背景に迫った。【取材=村上順一/撮影=冨田味我】

考え方を変えたのも大きかった

根本要

――『年中模索』が完成しましたが、前作『還暦少年』に続いて、四文字熟語のようなタイトルになりましたね。

 そうですね(笑)。実は前作『還暦少年』というタイトルは、ファンの間で賛否両論になるかなと思っていたんです。メンバーからも「わざわざ『還暦』のおっさんの歌なんて聴きたくないのでは」との指摘もありましたし。でもそれがライブも含めて、とってもいい感じに受け止められてるように感じたんです。そんな自信がこのアルバムへと繋がってるとも言えますね。

 前作はプロデューサーの佐橋(佳幸)がいてくれたおかげで、ひたすらスムーズにストレスなく僕が目指すものを突き進んでいけた作品だったんです。そして40周年さらに前作を超えるアルバムを作りたいと佐橋におねがいしました。

 とは言うものの、『還暦少年』で佐橋はできなかったこともあったと思うんです。お互いに更に上を狙いたいという思いは一緒だけど、前回とは違うアプローチがちゃんとできたのは嬉しかったですね。

――語らずとも感じる部分があったんですね。

 加えて、2枚目ということでお互いの反省点もあると思うんです。例えば僕は曲作りの根本を変えました。それまでは、KANちゃんがプロデュースしてくれた『SHOUT』の時もそうだったけど、同じミュージシャンでありライバルでもあるわけで、僕はデモテープの段階でKANちゃんや佐橋にも「どうだすごいだろ!」と言ってほしくて、こねくり回すんですよ。でもそういう作品ってことごとくボツになる(笑)。

 そこで分かったことはプロデュースしてもらうということは、取捨選択はプロデューサーに任せて、素材となる曲をたくさん作ろうと。ひねりを加えるよりアイデアをポンポン出していった方がいいと思ったんです。

――アルバムのために何曲くらい作られたんですか。

 2週間くらいで20曲くらい書いたかな。シングル曲としての「うしみつジャンボリー」と「ちょうどいい幸せ」が出来上がっていたから、それに加えて8曲作ろうと思ってました。結果12曲入りになったけど、アレンジをまだしていない曲も5〜6曲残っているんです。それくらいコンスタントに曲が出来てましたね。

――今回、コンセプトは設けていたんですか。

 一つあるとしたら、せっかく40周年にベストアルバムではなくオリジナルを作るんだから、「スタレビの今をそのまま見せるんだ」というコンセプトで、何でもありで作ろうと思いました。

――その、“今”という言葉を聞いて面白いなと感じたのですが、私は今作から“記憶”というキーワードが浮かんだんです。それは収録曲の「偶然の再会」や「同級生」から感じたわけなんですけど。

 なるほどね。上手く説明できるか疑問だけど、30周年を過ぎた時あたりから周りのミュージシャンたちに「だんだん曲が作れなくなるよ。まず詞が書けなくなる」という話をよくされてね。50歳を過ぎて、例えば「学校の帰り道に君を待って」とかおかしいじゃないですか(笑)。

 だから恋愛という言葉でいえば、恋というよりも愛の歌になっていくんだなと思ったけど、還暦を越えても生きてきた記憶は年代とともにしっかり頭に残ってて、その思い出が僕にたくさんのドラマを観せてくれるんですよ。いま歌詞はメロディ以上にどんどん出てきてくれますね。

――視点を変えたことが良かったんですね。

 自分なりに最近考えたんだけど、デビュー当時の曲ってこんな詩の世界を歌おうとか全くなくて、メロディと歌詞はほぼ同時に出てきてたんです。きっと自分が作りたいサウンドに合うような歌詞を何となく当てはめていたんでしょうね。正直当時は歌詞はそんなに重要視してはいなかったです。だから、いつも書く度に「歌詞が弱い」と言われてましたね。

 僕とパーカッションの林で書いた5枚目のシングル曲「夢伝説」がCMソングになったことで、スタレビも多少は知名度は出たのですが、相変わらずシングルヒットが出せず。

 それで作詞家の方に頼むようになるんですけど、以前KANちゃんから「プロの作詞家は時代を切り取るのがうまい。でも10年経つとそれが微妙にズレて、この言葉は俺っぽくないなという部分も出ますよね」という話をしてくれて。

――時代を切り取るのが上手いが故に、デメリットもあるんですね。

 それで、作詞家に書いてもらいながらも、自分でも書きたい気持ちがあったので、95年の『艶』というアルバムから出来るだけ自分で書くようになりました。そのアルバムでは渡辺なつみさんにも書いてもらってんだけど、そのときに色々相談に乗ってもらって、僕なりに作詞を少しずつ覚えていって。

 さらに2002年の「STYLE」では初めて外部のプロデューサーを立てました。95年から7枚、オリジナルだけでなくベストやライブ、さらにアカペラまで色んなスタレビを作る中で、「次はどんなスタレビを」となった時に、「そういえば自分の後ろ姿は見たことない。そんなスタレビの後ろ姿まで含めた音を形にしてくれる人がいいなと思って、熊谷昭という当時エレファントカシマシとかをやっていた方にプロデュースをお願いしました。曲に対しては一切不満を言わなかった彼だったけど、歌詞を持って行ったら「かなめさんは普段はあんなに面白い話をするのに、随分つまらない歌詞を書きますね」と言われて(笑)。つまり、もっと正直に自分の言いたいことを書かなきゃダメだって。

――大きな転換点ですね。

 本当に彼には勉強させてもらいました。詩に対してのこだわりがちゃんと持てるようになりましたし。そんな中で、今ならデビュー当時のようなサウンドにへばりついた歌詞もありだということに気づいたんです。先ほど話に出た記憶という部分で言えば、フィクションとノンフィクションを上手く混ぜてストーリーが作れるようになったんだと思います。前作あたりから詞を書くことがこんなに楽しいなんて、と思い始めてたからね。

――それが今作にも強く出ていると感じました。

 一番嬉しかったのは「偶然の再会」という曲を作っているときにね、佐橋とマニピュレーターの3人でアイデア出しながら、最終的なアレンジは2人に組み立ててもらうんだけど、その間に僕はロビーで歌詞を書いてたんです。もうその時には曲のイメージがブワッと広がってて、とりあえず1番だけなんとなく出来て、アレンジも上がったので1番だけ歌ったら、佐橋が目をキラキラさせて「この2人、この後どうなるんですか」と聞いてきて(笑)。僕は巨匠の小説家になったかの如くね「この先はな…」なんてね(笑)。それで、自分でも書く楽しみができちゃって。おそらく今までは自分のプロデュースの中で、出来上がりのサウンドも何となく予想がついてたけど、イメージを越えたサウンドだから、より言葉が広がったんだと思う。

――根本さんは、なぜそうなったのか、その根拠のようなものをしっかり考えるんですね。

 いつも、なぜそうなったのかというのをあとから考えるタイプですね。何かをやろうとした時、その瞬間はあまり考えずに行動することが多いから、終わってから何故そうしたのかを考えるんです。たとえばハンバーグを食べようと思ってレストランに入ったのに、実際はカレーを注文しちゃうことってあるでしょ。きっと潜在意識に何かあるに違いないってね。迷っている中で突発的に発した言葉。考える自分と考えない自分、それを楽しもうとしているんです。

――このお話を聞いて思ったのですが、根本さんがライブがお好きなのは、突発的な出来事が多いからなんじゃないかと思いました。

 そうなんですよ。実は今、突発的ライブで思い出したんだけど、僕が一番情けなかったと感じているライブがあるんです。スタレビの90年代って「ちょっとおしゃれなシティポップ」ってイメージでたくさんの人に聴いてもらえたけど、それによって失くした部分もあったんです。その一つがライブ感でした。シーケンサーによって曲の流れが制御されてたから、曲のサイズも決まっていてコール&レスポンスも一度もやらないようなライブも当時はあったわけです。

――今では信じられないですね。

 確か福岡の野外で何組かが出るオムニバスライブでした。その時はノセるというよりは聴かせるタイプのミュージシャンが多かったのですが、それでもスタレビでいい感じに盛り上がってきて、最後の曲のイントロであと16小節ぐらい伸ばせばみんな踊りだしそうだって時に、ドラムとキーボードが曲を始めて、僕一人ステージ前方に取り残された状態(笑)。もちろん今は、何があってもフレキシブルに対応できるバンドになりましたけど。

1stアルバムのようなアルバムを作りたかった

根本要

――『年中模索』はオリジナルアルバムとしては24枚目なのですが、デビュー当時と比べたらこだわるところがすごく変わってきたんじゃないかなと思います。

 変わった部分というよりは戻ったというのかな、今回は何でもありのアマチュアの如く作ろうと思ったんです。40年やってきて「こいつら全然学んでないじゃないか」という、1stアルバムのようなアルバムを作りたかった。1stアルバムのレコーディング中はまだアマチュアなんです。一番ありがたかったのは、当時のスタッフはそのアマチュアの僕らにやりたいように作らせてくれて、更にそれが売れると評価してくれてたんです。本当に自信をもらいました。

 ほとんどのミュージシャン達は売れるために色んなことを衣替えをさせられる。音楽性どころか時にはメンバーチェンジだってある。ところが僕らは本当に自由に作らせてもらえたんです。その記憶が新鮮に残っているので、精神的にはそんな1stみたいなアルバムを目指しました。

――その中で1stアルバムらしさが出ていると感じている曲はありますか。

 1曲目の「働きたい男のバラッド」かな。普通、君らがこれやっちゃいけない、必要ないでしょ、という音だもんね。僕にとっては70年代のハードロックだけど、聴いた人からは「スタ☆レビでヘッドバンギングするとは思ってなかった」、みたいなね。でもそれをあえて僕は1曲目に持ってきたというのが大きいかな。曲自体を入れることに反対はされなかったけど、この曲を1曲目にすることに関してはみんな反対してたからね。今のスタ☆レビファンはこれが1曲目にくることを望んでないんじゃないかって。

――今になってみると逆に1曲目以外で考えるのも難しいですね。

 そうそう。だから佐橋はずっと考えていたみたいで。どの曲からこの曲につながるかを試していたけど、結果つながる必要のない1曲目になって。みんなは満場一致で「センタクの人生」がスタ☆レビらしさがあっていいって1曲目に推していたけど。
それだとどうしても、このアルバムでちょっと尖っている曲、「働きたい男のバラッド」、「僕の中の君」、「おとなの背中」、「同級生」がそうなんだけど、それらが邪魔に聴こえてしまうというか。だったら僕は「働きたい男のバラッド」、「僕の中の君」から入って、このアルバムはこういうものだ、というのを見せるべきだと思ってあえて1曲目で推しました。

――そのような意図があったんですね。

 結果、みんなは僕がそこまで言うのなら、と折れてくれたんだけど、僕はまとめようがないアルバムの方が、今回のらしさ、模索さを見せられるかなと思ったんです。ラストは「うしみつジャンボリー」で終わってるんだけど、「約束の地へ」のような壮大な曲で終わるというのもひとつだったと思います。でもそれを僕は嫌ったんです。

――「うしみつジャンボリー」も個性が強めですよね。

今回改めて思ったことなんだけど「うしみつジャンボリー」がなかったら、今回のアルバムに収録された曲を書いていなかったと思うんです。というのは、「ゲゲゲの鬼太郎」の中にある社会感、善と悪、慈悲の心、悩み、そういう思いがこのアルバムのすべてかもしれません。その観点で今作は全部書いていた気がします。僕が普通の社会通念で歌詞を書いていたらここまで達観して、思い切って書けなかったと思いますよ。

――曲順のマジックもあり、ひとつの作品としてまとまったんですね。

 今はダウンロードで1曲ずつ購入して聴けてしまうけど、アルバムとして12曲でまとまったものとして一度は聴いてもらいたいです。大げさに言えば組曲みたいなものですから。

――1曲1曲のクオリティも高いので、バラバラに聴いても問題ないのですが、アルバムとしてのストーリーを感じていただきたい、と私も思いました。

 流れの話で言うと「約束の地へ」は頭に雷雨のSEが入っていますが、実は曲順を考えながらウォーキングをしていた時に、風の音がイヤホンに入ってきたんです。その偶然入ってきた風の音が曲の雰囲気にハマっていたので、みんなにSEの提案をしたんです。

――偶然から生まれたSEだったんですね。

『年中模索』

 偶然の産物といえば、ジャケット写真もそうなんです。『還暦少年』がイラストだったこともあり、今回もイラストが適性だろうと思って、デザイナーから面白そうな絵を観せてもらっていました。その中に船に動物が4匹乗って海原を漂っているものあって、今作にピッタリだなと思ったんだけど、著作権の関係で使えなかったんです。

 でも何となくのイメージは出来てきて、たまたま今回のアーティスト写真をチェックしていたら、スタジオの屋上のウッドデッキで撮った写真があって、そのメンバーの満面の笑みがすごく良かったです。それで、ウッドデッキをイカダに見立て、海原に漂うスタ☆レビはどうだろう、とデザイナーに連絡しました。上がってきたものを確認したら、こんなことは滅多にないんですけど、一瞬でOKを出しました。更に、写っているのは4人なんだけど、僕らはステージにサポートメンバーも含めて6人で立っているので、犬と鳥を追加してもらったんです。

 これから嵐が来るのか、過ぎ去った後かはわからないけれど、何が起こるかわからない大海原で風を受けて笑っていられる、というのがスタ☆レビそのものだなと思ったし、それが『年中模索』なんだなと。

いま模索していることとは

根本要

――今、このような希望感じられるジャケット写真は嬉しいです。もちろん楽曲からもそれが伝わってきますし、今の現状にもリンクします。

 「働きたい男のバラッド」の歌詞は90年代に僕と林(“VOH”紀勝)で作ったものなんです。当時、企業戦士が取り上げられていて、僕らもそれを応援する曲を作りたいと思って、書いていたらその時のスタッフからメンバーから「サラリーマンやったことない人から、こんなこと言われても嬉しくないんじゃないの」と、あっさり却下されて(笑)。その後、僕が勝手にギターを弾きまくるための曲を作ってその歌詞を載せて遊んでたんだけど、今回こんな曲があっても面白いんじゃないかと思って、佐橋に提案したら、バッチリ乗ってくれて。今になってみれば、今働けない、動けないスタ☆レビをそのまま表現しているかもしれないなと思ったし、歌詞のひとつひとつも、結果的にコロナで陥ったこの現状を意識した言葉に聞こえてくるのは、不思議ですね。

 5月に配信したーシャルディスタンス☆アコースティックライブ『39年の感謝を込めて、リクエスト大作戦!』。リクエスト上位3曲に選ばれた「春キャベツ」「トワイライト・アヴェニュー」「道~The Song For Us~」というのは、今のみなさんの心境を表しているに違いないと思ったんです。もちろんコロナのことなんて考えて作ったわけではないけど、曲も違って聴こえてきたりというのは、音楽の力なんですよね。何気ないものが突然沁みてきたり、力を持ってきたり、昨日までわからなっかた曲が年齢によってわかるようになったり。

――「同級生」は、年齢を重ねるほど沁みる1曲かもしれません。

 この曲は去年の末に亡くなってしまった同級生がいて、一番仲が良かったそいつに捧げた曲なんです。僕がバンドを組み始めた中学2年ぐらいからの音源も全部持っているし、年賀状まで保管していて。長い付き合いで一度も喧嘩したこともないくらい。きっとあいつがいなければ、こんなにも同級生達と仲良くしてなかっただろうなと思うんです。今も新年会を毎年やってるし、ウチのライブにもみんなよく来てくれるし、そんな同級生との仲を繋いでくれた奴なんです。
すごく明るいやつだったんで、しんみりした曲は嫌だなと思って。

――歌詞の最後で、同級生の名前がわからない、というオチの意図は?

 中学時代の友達はみんな名前もよく知っているし、高校ぐらいの方が歌詞としては面白いかなと思って、その時代に話をすり替えて、フィクションでストーリーを作ったんです。僕はほとんど行ったことないけど、やっぱり出会うなら新橋の機関車の前だろうみたいなね(笑)。<でもお前早生まれ 俺よりイッコ下だよね>や<100年経っても同級生 死んでも同級生>は、その彼のことを思って書いた部分です。

 同級生感というのは、年齢を重ねるほど面白くなる。いま僕が同窓会に出られているのも、あいつが誘ってくれたのがきっかけです。だから今もみんなと楽しく飲んでいられるんです。

――最後に根本さんがいま模索していることはなんでしょうか。

 一番はライブです。配信という新しい形態も出てきたから楽しみな部分もあるけど、何を以てライブと呼ぶのか、これからしっかり考えなきゃいけないことですよね。音源もダウンロードとパッケージとあるけど、CDは作品を形として残すために、これからも頑張っていこうと思っていますし、ライブもリアルのライブで育ってきた人間だから、少しでも長く残るように頑張るけども、配信の魅力もあるわけで、選ぶのは世の中だからね。その方法論を模索している状態ではあります。

――なかなか思うような活動ができない世の中でも、希望はあるんですね。

 もう、僕は音楽ができるだけで希望です。僕からギターと声を取り上げられてしまったら何をしていいのかわからなくなると思うけど、音楽ができるんだったら、それにそった形で僕らしく何が出来るんだろう? と考えます。

(おわり)

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