石川さゆり「重ねてきたものを届けたい」演歌界の至宝が語る歌い手の厳しさとは
INTERVIEW

石川さゆり

「重ねてきたものを届けたい」演歌界の至宝が語る歌い手の厳しさとは


記者:村上順一

撮影:

掲載:20年05月29日

読了時間:約12分

 デビュー48周年を迎えた石川さゆりが3月25日、通算126枚目のシングル「しあわせに・なりたいね」をリリースした。2月14日には1988年から始まった日本を綴る3部作『童~Warashi~』『民~Tami~』の集大成となるアルバム『粋~Iki~』をリリースし、今年も精力的な活動を見せる彼女。今届けたい歌として制作された「しあわせに・なりたいね」は、“多くの人の心に寄り添う歌を”をキーワードに作詞にKinuyo、作曲にクリエイティブディレクターの箭内道彦、編曲にギタリストの佐橋佳幸を迎え制作された心安らぐ曲。インタビューでは2月にリリースされた『粋~Iki~』について、「しあわせに・なりたいね」に込められた想い、歌い手としての厳しさについてなど多岐にわたり話を聞いた。【取材=村上順一】

「格好いいね」と言えるものを探しながら届けていく

――48周年を迎えてどのようなお気持ちでしょうか。

 こんな日を迎えられるなんて思いませんでした。中学生くらいの子が60歳を過ぎて皆さんに歌を聴いてもらえているなんて。

――当時はがむしゃら、という感じでしょうか。

 「何が始まるんだろう?」という感じでした。友人の代わりに出たオーディションで優勝して、何もわからないまま石坂洋次郎さんの小説をドラマ化した『光る海』に、沖雅也さんの妹役として出演することになったんです。8月に優勝して9月にはスタジオにいましたから。

――女優でデビューされていたというのは意外でした。

 歌手というのは頭にはあったんですけど、女優さんというのは考えていませんでしたから。そこからいろんな事務所さんからお話をいただいて、中学3年生の時に歌い手デビューすることになりました。歌い手がドラマに出るということもあったので、『トラック野郎』とか映画にも出演させていただきました。その中で『男はつらいよ』にもお誘いがあったんですけど、歌に集中したかったのでお断りしてしまったんです…。そこからはご縁もなく渥美清さんも亡くなられてしまって。

――それは少し後悔されている部分も?

 いえ、後悔とかはないですね。その時の選択として「今は歌しかないな」と思っていたので。

――私の中では演歌歌手というイメージが強いのですが、デビュー当時はアイドルという感じだったようですが、それについてはどう思われていますか。

 10代でデビューさせていただいたので、アイドルも何も有無を言わさずそんな感じだったので、特になんとも思っていませんでした。私が歌わせていただいていたのは谷内六郎さんの『週刊新潮』の表紙絵のような、叙情的な曲を歌う女の子みたいな感じで。そもそも当時は演歌という言葉がありませんでした。確かジャケットには流行歌と書いてあったのを覚えています。

――ちなみに「津軽海峡・冬景色」の時には演歌という言葉はあったのでしょうか。

 まだなかったと思います。「津軽海峡・冬景色」は阿久悠さんと三木たかしさんの作品なんですけど、演歌を書いたというイメージは先生方にはなかったんじゃないかな。きっと歌謡曲として捉えていたと思うんです。

――2022年には50周年となりますが、どんな歌を歌っていたいなど未来は見えていますか。

 その時に皆さんに提供できる歌、というのが時代の歌だと思いますし、それが私たちの生業だと思っています。今皆さんが切望するもの、欲しているものを歌っていきたいんです。歌というのは一番生活の中、身近にある文化だと思います。日本のみんなの側にある文化というのを、みんなが遠慮しないで「格好いいね」と言えるものを探しながら届けていくというのが、私のやらなければいけないことかなと思っています。

経験してきたことをちゃんと伝えたい

――2月にリリースされた『粋~Iki~』はすごくクールなアルバムでした。1曲目の「オープニング『火事と喧嘩は江戸の華』」はラップを披露されていて驚きました。

 前作の『民~Tami~』もすごく面白かったと思うんですけど、『粋~Iki~』はさらにディープなところに行きました(笑)。ラップでスタートしてみたかったんですよ。ラップで伝えて、そこから江戸の世界にタイムスリップするアルバム構成にしたいと思いました。

 イメージが出来た時に亀田(誠治)さんに「ラップってできるかな?」と相談をして、そこから自分で一度詞を全部書いてイメージを伝えました。そこで亀田さんがラップだったら「KREVAが素敵ですよ」とご紹介いただいて。そこから亀田さんとKREVAさんとで内容を詰めていきました。

――YouTubeで公開されているメイキングの映像でそのやりとりが確認できますね。すごく興味深かったです。

 KREVAさんはラップの詞を書くにあたって江戸資料館で色々見てきてくださって。それも踏まえた上でラップらしい言葉にして作ってくださいました。そして、次は音楽をどうしようとなった時に亀田さんが「MIYAVIも呼ぼう」となって。MIYAVIさんのギターも素晴らしくて、レコーディング中も私から「やっちゃえ、やっちゃえ!」とけしかけて(笑)。

――MIYAVIさんのギタープレイは石川さんにはどのように映ったのでしょうか。

 彼はピックも使わずに自身の手で弾いているわけじゃないですか。音からはシンセサイザーのような感じはするんですけど、雰囲気や感触は日本人的な感覚を持っているんだなと思いました。MIYAVIさんはスタジオでも「こんなイメージがいいんだけど」とか、「ちょっと10分、時間をください」と、フレーズも一生懸命考えてくださって。その姿をみて「なんて素敵なんだろう」と、みんなが音楽に対して真摯に向き合っていることがすごく嬉しかったです。

――下の世代も育ってきていることを実感なされて。

 育ってきている、というのとは違いますね。格好いい日本人が脈々と存在しているんだなって。KREVAさんやMIYAVIさんは今の音楽情勢を肌で感じながらやっていて、私は私で都々逸や小唄というものがどんなものなのか、とお互いディスカッションしながらやっていました。その中で面白いものが手探りで生まれてくる、というのはこういうことなんだろうなと思いました。それが私たちと彼らが一緒に仕事をする上での素敵なところです。私は阿久悠さんや吉岡治さんにたくさん教えていただきました。私は教えるなんて出来ないけど、経験してきたことをちゃんと伝えたいと思っています。

――「火事と喧嘩は江戸の華」の大サビ部分はストレートに歌われていて、石川さんの新たな一面を見れた気がしました。

 あれはもうアニソンシンガーのようなイメージで歌ったんです。曲によって求められる歌い方というのがあって、それを感じ取って歌えば良いんです。いろんな歌い手さんがいて自分のカラーだけで作っていらっしゃるのも素晴らしいことですけど、私は「この曲はどんな声が聴きたいのかな」というところが面白いと思っているので、そういった作り方をしてしまうんです。良い音楽というのは自分から「こういう声を出してよね」とたくさん発信してくれるんです。

改めて日本の発声の仕方は面白い

――「深川」はバリバリのロックサウンドです。

 突然ロックにしているのということではなくて、ちゃんと筋が通った解釈をした結果なんです。この歌の感じはきっとこういう人だったよね、とみんなで手探りで探しながら今の時代に持ってきました。実はこの曲、若いアレンジャーさんを紹介していただこう、と思って亀田さんに相談していたんですけど、曲のイメージを「“ヤンキー”みたいな感じ」とお伝えしたら、亀田さんから「僕がやってもいいですか」と名乗りを上げていただいて。

――そうだったんですね。アレンジといえば「猫じゃ猫じゃ」のベースとベイビー・ブーのコーラスというアレンジで興味深かったです。

 これは亀田さんにベースを弾いていただいているんですけど、楽器はベースだけで歌ってみたいと思ってしまったんです。それでもう「これは同時に録音するしかないね」となって。「深川」もそうなんですけど、聴いていただくと、これは同時に録っているのがわかると思います。すごくスリリングなんです。逆に「猫じゃ猫じゃ」はオケと歌を別々に録音してしまったら歌えないんです。この曲の歌詞はすごくスリリングでコミカルなので、それを表現するには同時録音が良いんです。

――猫の声も入っていますが、どなたが?

 あれは私なんです。うちには猫がいるので、猫の声は何を語りたいのかわかるくらいなんです(笑)。誰にも入れることなんて話していなくて、その場の空気で入れてみました。もし良くなければ録り直せば良いですし、みんなが面白いと思ってくれればそのまま活かせばいいかなと思って。

――すごくリアルだったので、もしかしたら本物の猫の声をサンプリングしてきたのかなと思っていました。「火事と喧嘩は江戸の華」からの「ストトン節」の流れも素晴らしかったです。アルバム全体を通しての流れが美しいなと感じました。

 嬉しいです。曲間もそれぞれ違いますし、セクションによってはワンセットで聴いてもらいたい、というのもあります。

――最後に収録されている「REPRISE『火事と喧嘩は江戸の華』」はフェードアウトで終わっていますが、これにはどのような想いが込めれているのでしょうか。

 時代は続いていく、ということ表現したかったので、バシッと終わらずにフェードアウトにしました。そして、また生まれては消えていくんだなって。どんどんビルとかも増えていくけども、ここから守っていかなければいけない、日本人の心意気を忘れてはいけないというメッセージを込めました。

――ジャケットの写真も印象的です。

 これ、私ちゃんと白塗りをして撮影をしているんですけど、暗くてわからないんです。それでもしっかりお化粧して撮影したのは贅沢だなと思います(笑)。これは三部作を並べていただくとわかりやすいんですけど、ジャケットからも音が聴こえてくるものになっています。『童~Warashi~』は琴、『民~Tami~』は太鼓、『粋~Iki~』は人の声、江戸の粋、お座敷というものをイメージしたので芸者さんなんです。

――そうだったんですね。そういえば石川さん、なかにし礼さんの紹介でこのアルバムのために歌を習いに行かれたみたいで。

 小唄で一番大きな流派である春日流に習いに行きました。アレンジしてしまうからといってそこは無視してはダメだと思いました。拍数で歌うのではなく三味線の伴奏で歌わせていただいて。もう足が痺れてしまって、「もう立てない」と思いながらお稽古をしてきました。

 ドレミファソラシドではない音楽のお稽古は面白かったです。お師匠さんは「もう好きに歌って良いんですよ」と仰って下さるんですけど、でもその好きがわからないし、日本の歌は自由だと言うんですけど、その自由がわからないんです。自由というのは真を自分に落としてこそ、自由になれるんだと思いました。お師匠さんからお墨付きいただいて、これでいろんな楽器と作らせていただきますとお伝えして。それが服部克久さんに編曲していただいた「虫の音」という曲に表れています。

――他にはどんな気づきがありましたか。

 数カ月通わせていただいたんですけど、改めて日本の発声の仕方は面白いなと気づきもありました。歌謡曲は一色なところがあると思うんです。その中でも私は色々チャレンジさせていただいている方ではあるんですけど。声の共鳴、当てる位置とか面白いなと思いました。それは浪曲や義太夫に挑戦した時も思いました。日本の芸能は奥が深くて、今回も小唄をやってみて、もっとちゃんと若い方々や海外の方にも知ってもらいたいなと思いました。

自分が重ねてきたものも皆さんに届けていきたい

――126枚目のシングル「しあわせに・なりたいね」がリリースされましたが、なぜタイトルに中黒(・)を入れたのでしょうか。

 これは「しあわせになろうよ」や「しあわせになれるね」でもなくて、幸せというのは皆さんそれぞれ捉え方があって、価値も重さも景色も違うと思います。ここで中黒が入ることで、一度深呼吸をしてその先はそれぞれが考えていただきたいなと思いました。

 この歌は重く考えるような歌ではなくて、48年間いろんなタイプの歌を歌わせていただいて、今作はテクニックの効かない歌を歌いたかったんです。今はそういう時代だと感じたので。みんながつぶやいたことを代弁できたらいいなと思いました。

――前回のインタビューをさせていただいた時に、共感出来る歌にザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」を挙げられていましたが、それが今作にも影響与えたところはありましたか。

 ありました。「悲しくてやりきれない」が頭にあって、その影響は「しあわせに・なりたいね」に繋がっています。

――箭内道彦さんに作曲をお願いした経緯はどのようなものだったのでしょうか。

 箭内さんと色々ご一緒させていただいていて、一緒に食事に行ったり、音楽の話をしたり素敵な仲間になれたんです。その中で箭内さんのライブを観に行かせていただいて、すごく心が揺れて涙がこぼれました。メロディや言葉がストレートに沁みたんです。それで「箭内さんの歌が出来たらまた聴かせて下さいね」とお話をしたら、何曲か送ってくださったんです。それを聴いたらまた涙が出て。その時に気づいたことが、気張ったり、ここは「こう歌うぞ」とかそういうことではなくて、歌がふと寄り添ったり、代弁したり呼吸するかのような歌もあると感じたので、それを皆さんに届けたいなと思いました。

――どのようなやりとりで楽曲制作は進んで行ったんですか。

 箭内さんのお家にお邪魔して、直接やりとりしながら作って行きました。その時に歌詞を書きながらイメージを伝えて。プロの作詞家に歌詞を書いてもらった方がいいと思うと話していたら、箭内さんが「技のあるものじゃない方が僕はメロディが湧いてくるので、このままでいいんじゃないか」と詞先で曲を作っていきました。

――石川さんのご本名であるKinuyoさん名義での作詞ですが、名前の使い分けはどのような意図があるのでしょうか。

 実はこれまでも人にわからないようにそっと歌詞を書いているものもあるんです。それは石川さゆりというフィルターを通すと、皆さんが違うように聴こえてしまうと思って。なので“イチ”都民として捉えていただきたい、と思ったからなんです。

――幸せがテーマになっている作品ですが、石川さんが幸せを感じる瞬間はどのような時でしょうか。

 季節の移ろいですね。みんな生きているんだと強く感じられるんです。今の季節は家に帰るとお花が咲いていたり、雨が降って雫が付いて、そこに景色が逆さまになって映っているのを見つけると感動します。テレビなどで流れるニュースは殺伐としていますけど、季節は変わりなく巡っている。その中で人はどのように過ごしていくのかなと。

 私たち歌い手は皆さんが心を解放したり、ほっこりしたり、元気になったりできるものをご提供できる喜びがあります。それがコンサートに来た時に一緒に歌ってくれたり、良い顔になって帰っていただけると、これが私のやっていることなんだなと。

――「しあわせに・なりたいね」はその想いを感じることができる1曲です。レコーディングは編曲を担当されている佐橋佳幸さんと同録でしょうか。

 そうです。なかなかこういう曲も難しいです。別々に録ってしまうと他人事のような音楽になってしまうんです。もう私と佐橋さんしかいないわけで、自然と2人で一緒に録る流れになってました。

――良い空気感が音から伝わってきます。さて、最後に石川さんは今どのようなプレッシャーを感じながら、歌い手として活動されていますか。

 美空ひばりさんや江利チエミさんなど、先を走ってくださっていた先輩方がいなくなってしまって、ここから先自分はどんな体力や思考を持ち、世の中を生きていって、それを歌に消化していくんだろう、と考えてしまいます。何か見本があればそれをお手本にして新しいものに焼き直して成り立つところもあるんです。それが今だんだん難しくなってきて、何を発信していこうかなという悩み、プレッシャーを感じています。歳を重ねてきて、ただ歌うだけというのもどうなのかなと考えていると、緊張してしまいます。

 いま(NHK)大河ドラマ『麒麟がくる』に出演させていただいて感じたことは、良い歳の取り方をすれば、役者というのはそれがすごく有効なんです。おばさんもお婆さんもそれぞれに人の味わいがありますから。でも、歌い手というのはそこだけでは納得していただけない。歌は10代の時と60代で変わるのは当然ですけど、周りから「歌、変わったよね」と言われてしまう。でも、10代の時と同じというわけにはいかないので、皆さんの思い出と今とのバランスを取りながらになります。これは歌い手の厳しさです。皆さんがイメージしてくれるものを守りながら、しっかり自分が重ねてきたものも皆さんに届けていきたい、それが今の私の課題です。

(おわり)

この記事の写真

記事タグ 

コメントを書く(ユーザー登録不要)

関連する記事