ジャズバイオリニストの寺井尚子が4月15日、約2年ぶりとなるアルバム『フローリッシュ』 をリリース。アルバムは今年の1月に北島直樹 (piano)、古野光昭(bass)、荒山 諒(drums)とカルテット編成でレコーディングされた。収録曲にはジャコモ・プッチーニ作曲の歌劇「トゥーランドット~誰も寝てはならぬ」やパット・メセニーとライル・メイズの共作曲「ジェイムス」などのカバーから、寺井が作曲した「エモーション」など全10曲を収録した。自然な流れを大切にしている寺井の自然体から生まれる音が詰まったアルバムになっている。インタビューでは今作の制作背景はもちろんのこと、アドリブに対しての意識、自由の質が変わったと話す寺井尚子に話を聞いた。【取材・撮影=村上順一】
今の自分を表すならこの言葉
――約2年ぶりのアルバムですが、この2年間はどのような活動をされていたのでしょうか。
コンサートは通常通りやっていましたが、アルバム制作としては充電期間にしていました。でも、いつレコーディングになってもいいように、バンドの状態を保ちながらライブを行なっていました。
――30周年という節目を迎え、ライブにも変化はありましたか。
プロデビュー30年という重みを感じてはいましたが、特段変化はなかったです。気持ちを新たにというのはあったと思います。
――その気持ちを新たにというのが、今作のタイトルにも表れているのではと思いました。
この『フローリッシュ』という言葉は、曲が全て出揃ってから、エグゼクティブプロデューサーと相談して付けたタイトルで、今の自分を表すならこの言葉が良いと思いました。
――この充電期間でアルバムの構想は練られていたのでしょうか。
いつも、制作が決まった時に決めるようにしています。サウンドを固めておけば構想はいつでも練れますから。
――それが先程お話ししていたバンドの状態を保つというところに繋がるわけですね。
そうです。2019年にベーシストが新しく変わったので、そのサウンド作りを行いながらの活動でした。ベーシストの古野光昭さんは、優れたグルーブ感と美しいベースラインを併せ持った、このジャズ界を牽引してきた素晴らしいプレイヤーです。
――今作のレコーディングもほとんどが1テイク、2テイクで録り終えたとお聞きしています。
今回も早かったです。昨年の秋頃からリハーサルを重ねて、今年の1月に2日間で全曲を録り終えました。
――選曲はどのように決められたのでしょうか。
今まではクインテット(5重奏)でしたが、パーカッションの松岡matzz高廣さんが体調不良で治療に専念したいということで、参加できなくなってしまいました。他のプレイヤーを入れる事も出来たのですが、自然な流れでカルテット(4重奏)でいこうとなりました。ですので、まずはカルテットのサウンド作りから始まって、その中でみんなが活きる曲、自分が表現したい曲を探していきました。
――カルテットでのレコーディングはアルバム『セ・ラ・ヴィ』以来7年ぶりとのことですが、当時との印象は変わりましたか。
今感じるカルテットのサウンドは、当時とは違いますね。やはりメンバーが違うので、その点で大きな違いは出ています。どちらが良いというものではなく、それぞれに違った良さのサウンドになっていると思います。
――寺井さんが思うカルテットの魅力とは?
私にとってのファースト・ジャズは、ピアノ・トリオの編成でした。その演奏に魅了され、自分自身がピアノ・トリオと共に自由自在に弾いているイメージがあふれてきました。ですから私にとって“カルテット”は基本の編成なんです。今回の演奏では音の会話の中に“間”が感じられ、そこが魅力であり、これからもさらに極めていきたいと思っています。
――以前から演奏していた曲もありますよね?
「セルタオ」と「ジェイムス」は以前から演奏していた曲です。あと「トゥーランドット~誰も寝てはならぬ」は収録されているものより長いアレンジで演奏したことがありました。このサイズになっては何度か演奏したことはあったのですが、さらにそこからアレンジを詰めました。
――制作で特に大変だったところは?
時間は掛かりましたが、全体を通して楽しく作業出来たので、大変だとはあまり感じていません。
アドリブでは“無”を求めている
――「セルタオ」は寺井さんが共演した事もあるアコーディオン奏者のリシャール・ガリアーノさんの作品ですが、リシャールさんの魅力はどこにあると感じていますか。
リシャールさんは瞬間瞬間で音楽をしていく方で、その一瞬を逃さずに音にしていくのですが、プレイヤーとして音色も演奏技術、作曲家としての楽曲の構成も本当に素晴らしいと思います。とにかくメロディが印象的なんです。一回聴いたら忘れない強さを持っています。そして、躍動感のあるものからメロウなもの、お洒落なワルツなど色々なタイプの曲がたくさんあり、曲調の幅広さも素晴らしいです。
――ライブからもそれを感じる事が出来るのですが、2008年に行われた『東京JAZZ 2008』の演奏はお2人の空気感と言いますか、演奏を楽しんでいる様子が映像からも伝わってきます。でも、あのライブは寺井さんが出演する予定ではなかったんですよね?
そうです。もともと出演予定だったバイオリニストの方が来日できなくなってしまって、ライブの3日前に出演依頼がありました。ちょうどたまたま私のスケジュールが空いていたので是非やりたいとお返事して。それで選曲など聞こうと思ったのですが、そのときリシャールさんはすでにパリから飛行機に乗ってしまっていて連絡がつかなくて...。
――それでは練習のしようがないですよね。
とりあえずリシャールさんのバンド「タンガリア」の音源をCDショップにあるもの全て買いました。確かスタジオ盤やライブ盤含めて3枚ぐらいだったかな。それでその両方に入っている曲は必ずやるだろうなと予測しました。オリジナル曲が多く初見だと難しいので、おそらく演奏するであろう5曲を、本番前日のリハまでに譜面に起こしました。
――かなりタイトだったんですね...。
私は急遽決まったエキストラでしたが、だからといって2~3曲、以前にも一緒にやったことのある「リベルタンゴ」などを弾く、というのは嫌だったんです。せっかく参加できるなら「タンガリア」の曲に参加したい、こんなチャンスは二度とないと思いました。そして、運が良いことに譜面に起こした曲が全部プログラムに入っていて。
――予想が見事に的中されて。
1曲を除いて全曲参加する事になりました。でも、あのライブはすごく緊張しましたね。曲を身体に入れなければと練習して、ずっと緊張感が続いた3日間でしたが、とても充実した時間でした。
――今作にも収録されている「セルタオ」も演奏されているので、今作と聴き比べて頂くのも面白いと思いました。さて、バイオリンを弾くに当たっていつもとは違う意識された曲などありますか。
特にありません。ただ、オリジナル曲とカバー曲では意識は変わります。今作だと「トゥーランドット~誰も寝てはならぬ」や「シンドラーのリストのテーマ」は有名な曲ですから、リスナーの中にも原曲のイメージがあると思います。原曲のイメージを大切にするというのは絶対です。そこで私がどのように“歌う”のかというのが重要なのですが、実はそんなに考えて弾いているわけではなくて、自然とそうなってしまうんです。
――「シンドラーのリストのテーマ」はイントロを新たに作ったり、オリジナリティも感じさせてくれます。
イントロとエンディングができたことが収録の決め手となりました。オリジナリティという部分では、アドリブの存在が大きいと思います。おそらく他の方がカバーをされる場合はメロディを弾くことに重きを置くことが多いと思います。でも、私たちの場合は原曲にあるメロディを歌った後に出てくる、“自分の歌”というアドリブを乗せているので、そこでバンドとの会話もあるというところが他とは違うところだと思います。
――そのアドリブというところで寺井さんはどのようなことを考えて弾いているのでしょうか。一般的にはスケールというものを意識して弾く方もいらっしゃるとは思うのですが。
なかなかなれないですが、無を求めています(笑)。スケールは大事ですが、“歌う”というのとはまた違います。ですので、自分なりのメロディを歌うという意識で弾いています。スケールだけをなぞっていても面白くないので、まずはその曲がどのような曲調で、どこに歌いどころがあるのか、というのを探っていきます。
自由の質が変わったアルバム
――さて、今作はカルテットということで寺井さん以外にも3人のミュージシャンが参加されていますが、それぞれのハイライトはどこでしょうか。
まず、「セルタオ」での荒山諒さんのドラムソロです。これは是非聴いていただきたいポイントです。それから、「トゥーランドット~誰も寝てはならぬ」でのドラミングも。オーケストラの編成だったものを4人で演奏するので、ドラムの比重が大きいのですが、とても歌えるドラマーで、クラシックにも精通していて、この曲のような壮大な世界観も出せるので素晴らしいです。
今回新メンバーの古野光昭さんの私のハイライトは「ピーター・ガン」です。この曲でのベースラインの美しさとグルーブ感は注目して聴いていただきたいです。そして、北島直樹さんは共同プロデュースと作曲もしていて、今作に4曲書いていただきました。自分の体の中から出てきているメロディだから、どの曲も非常に素晴らしいプレイをしています。
――北島さんが作曲された「月夜に柳」は独特な雰囲気で印象的でした。
すごく和の要素がありますよね。それをジャズにする、2ビート、4ビートで演奏したらこうなったという感じです。
――アルバムの最後を締めくくるのに最適な1曲でした。作曲といえば寺井さんも「エモーション」という楽曲を作られています。「シンドラーのリストのテーマ」からの「エモーション」の流れが秀逸でして、すごく救いがあるように感じました。
そう言っていただけて嬉しいです。この曲はイメージより先にメロディが頭でずっと鳴っていました。それを書き留めておいて、次の日にもまたメロディが出てきたので、これは曲にしてみようと思いました。結果的に1時間半ぐらいで完成しました。
――メロディというのはどのような時に浮かぶことが多いですか。
音楽とは違うことをしている時が多いです。その時は大体仕上げられないことが多いのでメモしておきます。私の場合はそのパターンがほとんどですね。
――「エモーション」で注目してほしいポイントはありますか。
私が書く曲はマイナー調の曲が多いのですが、今回は明るい曲調でドラマチックに進行していきます。その中でのバンドとの会話が聴きどころになると思います。演奏としては意外とストイックなことをやっていて、みんなからも難しいと言われて(笑)。曲としての聴きやすさと演奏の難易度の高さというバランスが面白い曲になったかなと思います。
――「ジェイムス」はスリリングで聴いていて高揚感がありました。過去にも演奏されていた曲ですが、改めて演奏してみていかがでしたか。
この曲は今回収録した他の曲と並べた時に相性が良かったのと、このメンバーで演奏してどのような展開が生まれるのか、というのがポイントの1曲でした。昔から演奏はしていた曲ですけど、それを収録するのに今かどうか、というのが大事なんです。ライル・メイズさんとパット・メセニーさんは長い間一緒に曲を作ったり、アルバムを作ってきた信頼関係がある2人です。その信頼関係は本当に素晴らしいと思います。
――その時がきたという感じなんですね。そして、北島さんが作曲された「シテ島」はタイトルからも伝わってくるように、パリの情景をイメージされた1曲です。
バンドでのパリ公演を行った際に、ファンの方もコンサートを観にいらしていて、空き時間に一緒にシテ島を巡りました。その時の印象を北島さんが曲にしたものです。素敵な景色だったので、すごく印象に残っていたんじゃないかなと思います。この曲のイメージ通り本当に素敵な場所でした。
――これはやはりシテ島に実際に行ったことによって、空想とは違う説得力がありました。この曲を聴くとシテ島にいった気分になれますし、行く機会があればこの曲をBGMにするのも良いですね。最後にこの『フローリッシュ』という作品は寺井さんにとってどのような作品になりましたか。
皆さまのおかげで大きな節目を迎えることができて、しっかり充電期間があり、また新たなという気持ちで取り組むことができました。本当に大切なとっておきのアルバムが完成したと思っています。考え方というのも、生きていると色々変化していくと思いますが、それも音楽にシンプルに表れているかもしれません。
――考え方の変化とは?
捉われないこと、大事なことはごくわずかで、それさえあればあとは自由という考え方です。以前からそういう部分はありましたが、これまではもう少し枝葉、これもあれもというこだわりがありました。今はピンポイントで大切だと思える部分があれば、他はメンバーに任せるなど自由な部分が増えました。自由の質が変わって、そこに可能性をみるという感じになってきたので、そのことがアルバムのカラーにもなっていると思います。
(おわり)