キンモクセイ「やっぱりこの5人は特別」再始動で気づいたバンドの大切さ
INTERVIEW

キンモクセイ「やっぱりこの5人は特別」再始動で気づいたバンドの大切さ


記者:村上順一

撮影:

掲載:19年12月25日

読了時間:約14分

 5人組バンドのキンモクセイが12月25日、14年振り通算5枚目となるフルアルバム『ジャパニーズポップス』をリリース。10周年など幾度かのタイミングは上手く噛み合わず、満を辞して11年ぶりの本格的に再始動となったキンモクセイ。『ジャパニーズポップス』は80年代を彷彿とさせる楽曲が並んだキンモクセイ版『ザ・ベストテン』といった、良質な日本のポップスを彼らのスタイルで作り上げた1枚。インタビューでは、再始動までの経緯から、『ジャパニーズポップス』の制作背景、活動休止の中であったヒット曲「二人のアカボシ」のプレッシャーなど多岐に渡り、伊藤俊吾 、白井雄介 、佐々木良 、張替智広の4人に話を聞いた。【取材・撮影=村上順一】

僕の中でキンモクセイは過去のもの

『ジャパニーズポップス』通常盤 ジャケ写

――再始動の経緯はどんなものだったのでしょうか。

伊藤俊吾 昨年、相模原のイベント『さがみはらフェスタ』に誘って頂きまして、最初は僕がソロで出るつもりだったんですけど、出身地の相模原ということもあり、キンモクセイで出演出来ないかなと思いました。過去にも10周年のタイミングで集まろうと思っていたんですけど、スケジュールや精神的なタイミングが合わずチャンスを活かせなかったんですけど、今回はそれらが上手く合いました。

――活動を続けて行こうと思ったのには、そのイベントで良い手応えがあって?

伊藤俊吾 イベントとしてはすごく沢山のお客さんが来てくださいました。でも、ライブ自体はそうでもなかったんです。その時キンモクセイのCDを持っていかなくて、それぞれのソロのCDを物販で売ったんですけど、僕のCDがすごく売れまして...。

――皆さんとの格差が生まれたと他のインタビューで仰ってましたね。

伊藤俊吾 そうなんです(笑)。それで僕は勝手にみんなとの絆に亀裂が生じたと思っていて。

白井雄介 その格差で亀裂が生じてたら、20代の時にとっくに解散してるわ(笑)。

伊藤俊吾 (笑)。でも、その時に皆さんからキンモクセイでの活動再開を喜んでもらえたので、ちゃんとワンマンライブをやりたい、やらないと申し訳ないなと思い、今年の10月に相模原市民会館でワンマンライブ『キンモクセイ活動再開記念ライブ ちゃんとしたワンマン2019』をやることに決めて、一丸となって進んで行ったことがきっかけなんです。

――白井さんが一番、再始動することに難色を示していたとお聞きしました。

白井雄介 はい。全部僕のせいです(笑)。僕は単純にみんながキンモクセイをやりたいと思えばそれだけでやろうとは思えていたんです。でも、みんなから何か違う、「やるなら付き合うけど」みたいな感じもあって。みんなの気持ちが一致しないと、ファンの方やスタッフさんにも申し訳ないと僕は思っていました。その間も佐々木君から「やろうよ」と何年もしつこく誘われていて(笑)。そのなかで「俺もう辞めるわ」と佐々木君に話したこともありました。でも、こうやって再始動出来たのは、佐々木君との友情が大きかったと思います。

――佐々木さんの強い思いを受けて。

白井雄介 そうです。とりあえず一回みんなで会おうとなって、居酒屋で会うことになったんですけど、僕が先に着いて待っていたらイトシュンが来ちゃいまして...。10年間ぐらい、みんなとはほとんど会っていなかったので、ちょっとその時は気まずかったですね(笑)。5人揃うまでは不思議な空気感でしたが最後に後藤が入ってきて、昔の感じを思い出して。そこから相模原のイベントの話をイトシュンがしてくれたり。

――5人揃って時間が進み始めたみたいな。佐々木さんはキンモクセイをずっとやりたかったんですね。

白井雄介 佐々木くんは活動を休止した時も2~3年でまたやると思っていたみたいで。

佐々木良 もったいなさがずっとありました。再始動までの難題は何年かはイトシュンだと思っていたんですけど、そのイトシュンも時間が経って、地上へと浮上してきまして。

伊藤俊吾 どこにいたんだ(笑)。確かに活動休止をした時は自分が表に立って、もうパフォーマンスする事は出来ないと思ってました。メジャーでやっていくことの重圧に耐えられなかったので。

――それは時間が解決してくれたのでしょうか。

伊藤俊吾 時間もそうなんですけど、家族もいたので支えていかなければいけない、その中で色々やってみたんですけど、結局音楽だなと気付いたんです。

――張替さんは再始動となって、サポートのお仕事も多い中で、どのように思われましたか。

張替智広 確かにスケジュールの問題というのはありましたが、僕は常にフラットな気持ちでいたので、キンモクセイが始まればやりたいという感じではあったんです。なので、いつでもバンドに飛び込める状態にはしていました。

白井雄介 ハリー(張替智広)も後藤(秀人)も忙しい中、「キンモクセイをやろう!」と言ってくれたので。今ではハリーもムードメーカーで、前向きな言葉でバンドを引っ張っていってくれるんです。けど、いざやろうとすると中々スケジュールが合わないという(笑)。でも、イトシュンのやる気も出て、みんなもやりたいとなったのは大きいです。

伊藤俊吾 もう僕の中でキンモクセイは過去のものなんです。言い方は悪いんですけど、自分の中で「重要なものじゃない」、と思うようにしていて。軽い気持ちで出来るように仕向けていました。でも、飲み屋で5人が久しぶりに会うのはそれなりに緊張感もあったし、揃った時は、やっぱりキンモクセイは自分にとって大切なものだったんだなと改めて思いました。

 それで新曲を作ろうとなって、それを『さがみはらフェスタ』で披露するつもりでした。結局間に合わなかったんですけど、再始動第1弾はこういう曲にしたいと、イメージは明確にありました。それで録り始めたらめちゃくちゃ楽しくなって。

 偶然その時期に茨城に引っ越しまして、レコーディングが出来る一戸建てを借りたんです。そこをDIYでスタジオを作りました。全部自分で音が作れるのでそれが楽しくなって、細かいことは気にせず夢中になれたんです。最初はメジャーレーベルからリリースする予定ではなくて、自主で出そうと思っていたので気負いもなかったんです。レコーディングで精神的なものは払拭された感覚があります。

――きっと茨城という場所も良かったんですよね。

伊藤俊吾 それはあります。一人だったので本当に寂しかったんです(笑)。そこにみんなが来てくれたので嬉しかったというのもあります。

白井雄介 その時、イトシュン、誰が来てくれた、誰が来てないとか言ってたよね。

一同 (笑)。

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