アニソン歌手から異色転身、哲学ラップ大木貢祐 伝わらない空虚埋める音楽
INTERVIEW

アニソン歌手から異色転身、哲学ラップ大木貢祐 伝わらない空虚埋める音楽


記者:木村武雄

撮影:

掲載:19年07月03日

読了時間:約14分

「0」と「1」、すべては消費者視点に

――大木さんはなぜ音楽をやっているのでしょうか?

 何ででしょうかね…。真剣に音楽をやっているとなった場合、“真剣”って何だよ? というところがあるじゃないですか? そういうところに疑いを持っているので、僕の「別に音楽やってなくてもいいんですよ」みたいなのを本当に怠惰とか無力感みたいな感じでいつも捉えられちゃうんです。すぐ「何でもいいです」って言っちゃうし。

 それでも根源的な絶望感とか言葉に対するあいまいさの確信みたいなのがあっての態度なので、「何で音楽をやっているんだろう」となったときも「音楽って何?」って思っちゃうし、ここで「みんなを笑顔にする」って思ったところで「それって結局自分のためじゃん」って一発でひっくり返るものだし。「みんなが喜んでいるのを見る自分が嬉しいだけでしょ?」という風に。だから、何でですかね? みんな何で音楽をやっているんですかね? そこはちょっと空けておきたいところですね。

――未完で?

 はい。そこはずっと考えていきたいし、音楽ではなくても表現の仕方はありますし。

――未完でいえば、音楽でも「余白を設ける」というのがあります。文章なら「行間を読む」という。それを体現されている?

 ブツ切りのまま提示しているんですが、それも余白を生む作業だし、その言葉そのものの、そこにある物質性の違和感みたいなものをゴロっとさせる、「このカレー全然野菜切ってないな」みたいな、そのゴロゴロ感というか。

――違和感とはまた違う?

 違和感とそれが繋がりますよね。あっけらかんさと、いくらでも繋げられる接続性みたいなものが同時にあるという。グレーゾーンにしておきたいというか、何かを決めることを先延ばしにしたいという、この面倒臭さがあるんですよ。

――でも、お話の内容は一貫していますね。根本となっているのは、ずっと未完だからということが全ての考え、行動の発端でしょうか。

 そうですね。自分で決めて空虚なものに向かっていかなきゃいけないなって。何が正しい、何が良い、というものとかが、自分が「これが良い、正しい」と引受けてやっていくしかない。自分で決めないと納得いかないじゃないですか?

――絶望感と言っていましたが、絶望感がある?

 ありますね…みんな何となくあるんじゃないでしょうか?

大木貢祐

大木貢祐

――今のご時世ってSNSは内向きな集まりというじゃないですか? ある人の考えですが、行動を支配するのは思考だから、プラス思考ではないといけない、というものがあって。でもSNSはマイナス思考に支配されているとも思えるし。

 ある哲学者が、ハイパーコントロール社会が来ると言っているんですが、少し前までは規律をもって僕らを統制していたんですよね。でも、SNSに代表されるように高度に情報化された社会の中で僕らはもう「勝手に生活することによって管理されていく」という形になっていて、それが今のコントロール社会。SNSは「0」と「1」の世界。0と1の情報の海です。コンピュータのプログラミングで使われます。そして僕らはもう消費者の目線しか持たないから、労働者、とか色んな肩書きで自分を個体化することは難しいんです。新しいスマホが出たとしても、極論を言えば新旧の差異だけを消費している。使い勝手や機能は大きくは変わらないから。その差異に価値を生ませるのはマーケティングや広告だったりする。「0」と「1」の並びや広告に理性が溶け出している。もしかしたら夢を見る権利も脅かされるかもしれない。夢に広告が入るかもしれない。そこまでいくとハイパーコントロール社会です。

 それは、労働していない時間もずっと広告を浴びているからなんです。大手企業は広告を駆使しして、感情に働きかける。もっと言えば、みんなのデータを集めることがそのまま商売につながっている。商品を見ていたら「あなたにおすすめ」という他の商品が勝手に出てくるように。自分たちの欲望が完全にスマホなどに予測されている。全ての行動が意識せずに管理されている世の中になってきていると思うんです。理論を理解しようと考えず、感情任せに行動する。そういう「0」か「1」か、広告に溶け出している。

 感情で動くようになってくると何が起こるのか。それはポピュリズム政治みたいな、恐怖を煽りつつの人気取り政治です。僕はその状況をあまり好意的に見ることがどうしてもできないから、もっと物質としての自分みたいな個別性でもって、「0と1ではない」「自分は広告ではない」という意識が必要じゃないかと思います。

――「0」と「1」は二進法、コンピュータの信号に使われるものですが、それらも含めて管理社会の一部になっていそうですね。この人の趣味趣向は「01000……」とか。楽曲の話からいろいろな話へと広がっていきました。がお伺いできて楽しかったです。ちょっと難しかったかもしれませんが。

 こういう話はなかなかできないので楽しいですよ。普段は「どうでもいい」とか言ってしまうので。

――今日のお話を聞く限り、その「どうでもいい」のなかにも意味があることがわかりました。

 本当はそうなんですよね。「どうでもいい」ことはないんですよ。普段なら「どうでもいい」で照れ隠ししているところを、音楽で表現しているのかもしれませんね。

大木貢祐

大木貢祐

(おわり)

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大木貢祐
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