現在大ヒット公開中の『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』は、かのハリー・ポッターが生まれる前の物語にして、魔法動物学者の魔法使い、ニュート・スキャマンダーの新たな冒険の旅を描くファンタジー超大作だ。今作では“黒い魔法使い”グリンデルバルドという最強の敵が立ちはだかり、ニュートと仲間たちによる活躍を描くが、「ハリー・ポッター」シリーズの原作者J・K・ローリングが自身で脚本を担当しているだけに、確かな魔法界の描写にファンも納得の一作だ。
この大ヒット作でナギニ役を演じる女優が、近年『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』でヘレン・チョ博士を好演以来、国際的な活躍が続いているクローディア・キム。ナギニは魔法サーカスで動物に変身する能力を悪用されているが、それはマレディクタスという自分の意思と関係なく動物に変身してしまう呪われた血によるもので、実に複雑なキャラクターだ。そこで来日したクローディア・キムに、普段は美しく若い女性の姿で魔法サーカスのスターとして活躍している彼女について、そして撮影中に日々聴いていたという不思議な音楽のこと、また今年急逝したスタン・リーやJ・K・ローリングという巨大ユニバースを生み出したレジェンドたちとの仕事を経ての感想など、さまざま聞いた。【取材=鴇田 崇】
――今回のナギニというキャラクターは、キャスティングが決まった時点で話題になっていましたが、どのように理解して演じたのでしょうか?
彼女の中にある二種類のコントラストについて考えていました。彼女はすごく繊細だけれど、パワフルでもあります。その直感みたいなものを大切に演じました。動物が直感で動くように、クリーデンス(エズラ・ミラー)と一緒にいる時の彼女は人として彼を守ろうとしていて、彼を愛す人であり、本人自身がすごく繊細でありながら、ヘビのような直感で周囲の危険を察知しようとしています。
それは彼女が自分自身の意志で変わろうとして変わっているのかどうかはわからないですが、まるで何か危機に直面した際、ヘビのほうが人間に取って代わるということがあったとは思います。
――確かにファンタジックな設定ではあるけれど、人間的な要素をしっかりと演じられているので、リアリティーがありましたよね。
デヴィッド・イェーツ監督を信じることが大切でした。わたしたちには死角がたくさんあり、自分たちが次にどこにいくかもわからなかった。そもそも彼女が、いまどこに存在しているかすらわからない。もちろん自分たちで想像するストーリーはあって、それはジャングルの中で家族と引き離されたかもしれない、サーカスの中で人質状態だったかもしれないなど自分たちだけの想像ではありましたが、監督は彼女はパワフルであることが重要と主張していました。いつもエッジが効いた状態でいて、ものすごく過敏で、神経を研ぎ澄ましている。彼女は弱いけれども強い、そういう話をしていました。
――完成した映画を観て、いかがでしたか?
みんなで本当に大好きになりました。ただ、受け入れる作業は大変でした。二回観ましたが、二回目に観た時、まったく違う感想になりました。それぞれの物語にたくさんの層があり、シーンの中にも隠されたディテールが散らばっていて、それはハリー・ポッターに続いていくヒントにもなっています。だから観終わった後は放心状態で、あと10回くらい観なくちゃいけないという感想でしたが、みんなで好きになりました。
――さまざまな<リンク>で言うと、日本のファンはダンブルドア役のジュード・ロウさんが振り向く、最初のシーンだけで騒然となりそうですよね。
そうですね(笑)。撮影現場でも、みんな“かっこいいダンブルドア”って言っていました。ずっと言っていたましたね。インタビューの時も、からかっていました(笑)。
――また、同シリーズでは音楽も重要ですが、たとえば撮影中に聴いて気分をアゲていたような音楽などありましたか?
実は撮影中は毎日、エズラ・ミラーの歌を聴いていました。モンゴルの独特のホーミーという歌い方で歌っていて、のどを開いて歌う歌い方。わたしは「マルコ・ポーロ」という作品をやっていたので知っていますが、それを撮影前にエズラが実践していました。すごく興味深かったことは、そういうことを彼がするとは思っていなかったので、意外でした。でもすごく魂に響く世界観で、印象的でした。ほぼ毎日でした。
――ところで2015年の『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』でヘレン・チョ博士を好演以来、国際的な活躍が続いていますね。
こういう機会は滅多にないもので、まったく対極にある世界だと思いました。一方はスタン・リーで、一方はJ・K・ローリング。まだスタン・リーが元気だった頃、J・K・ローリングにツイッターでメッセージを送ったことがあって、ハリー・ポッターの世界に自分のキャラクターがほしければいつでも言ってね、みたいなことを言っていましたよね。彼が亡くなったことは本当に残念だけれど、その世界を経験して今回また違う世界を経験しました。でも、みなこの映画に出たことで、おめでとうとは言わない。この世界へようこそと言う。素晴らしい経験ですよね。
Hey @jk_rowling if you ever want me to send Doctor Strange & The X-Men to Hogwarts to teach a few classes, just let me know. I think they could also hold down the fort against Voldemort.
— stan lee (@TheRealStanLee) 2018年5月27日
――マーベルとハリー・ポッターという二大ユニバースに出演を果たしたいま、どういう心境で仕事と接していますか?
本当に大きなユニバースですよね。本当に光栄なことで、アベンジャーズの撮影は一部韓国でも行われましたが、映画の規模が大きいということではなくて、特別な世界に自分が参加していること自体が、特別なことのように感じていました。俳優としては、そういう経験が持てることが素晴らしいことです。また特にわたしがアジア人として、こういう大きな作品のひとつになれるということはとても大きな意味を持っていて、アジアのファンも応援してくれていて、すごくうれしいです。J・K・ローリングには、アジア人のキャラクターを作ってくれたことをすごく感謝しています。
――拠点は韓国なのですよね?
そうです。アメリカで働こうと長い間思っていましたが、それはアメリカの映画を観て育っているからでした。子どもの頃6年間アメリカで育っていますので、自分の中でもアイデンティティー・クライシス、自分は誰なのか? という葛藤がありました。子どもの頃にカルチャーショックを受け、自分が韓国人なのかアメリカ人なのか分からなくなった時もありました。そこでさまざまな経験を経て自分は一体何者か? と問うた時期もありましたし、当時は不安定と感じていたものが、それがいまは贈りものとなっていまのわたしに活かされています。そのおかげで出られた作品もあったと思いますし、ひとつの場所にだけいた人間ではなかったので、こういう多岐にわたる作品の中に参加することができたのかなと思っています。
――最初はネガティヴだったことが、後に武器となるという。
自分の中にあるものの話ですが、アメリカに行くとアジア人であることを実感するし、アジアに行くとアメリカ人である自分を感じるという、つねに揺れ動くものですね。教育もそうで、国際関連の大学で勉強をしていましたが、その学校ではすべて英語。グローバライゼイションのことや、いろいろな文化がどんどんひとつになってきていることを学び、いろいろなことが自分の頭や体の中に染み込みました。それがやっぱりオーディションで出てくるものです。特にハリウッドのオーディションの時は、パワフルな女性が好まれます。アジアの女性がパワフルではないと言っているわけではないですが、アジアの女性が醸し出す雰囲気はパワフルな感じではないですよね。だからナギニを演じている時、とてもアジアな自分が出ているところもあります。クリーデンスを守ろうとしているところも含め、あれはアジアの女性特有のものかもしれないですが、でも彼女はそれだけではなくて、彼女にはビーストな部分というものもある。それは、まったくのコントラストですよね。
――魅力的なキャラクターでしたよね。スクリーンに映っていない時も気になる存在でした。
ありがとう。わたしがこの役を演じるということが発表になる前から、いろいろとファンのみなさんが方向性などを考えていたようで、そういうことを知ったり、観たり、楽しかったです。でも最終的にハリー・ポッターのファンの方たちは頭がいいので、結局はたどり着く。ナギニを演じるということが発表された時、すごくファンの方々がサポートしてくれました。彼女がハリー・ポッターで観る、あのヘビにどうやってなっていくかをもっと観たいと言ってくれた。それがすごくうれしかったです。
――この映画は大人気なので放っておいても大ヒットすると思いますが、あえてのご自身のセールスポイントはいかがでしょうか?
これはすべての世代に普遍的に共感していただける作品だと思っていて、これに似たような作品は全然ないですよね。ハリー・ポッターに直接つながっていくことが、この作品のすごく大きなセールスポイントでしょうか。ホグワーツ、ダンブルドア、ナギニが出てきて、そのコネクションが、みんながパズル絵を埋めるためにどうしてもほしいところにつながっていくところですよね。そして根底にあるとても大切なメッセージは、相手を受け入れる、どこかに自分の居場所を求める、それから友情や映画の中の それぞれがなんらかの選択をしていかなくてはいけない、その中でどの選択をするかということ。1作目の時よりも、今回のほうがスケールが大きいとも思いました。本当に映画館で観ることをすごく楽しみにしてほしいと思います。