starRo(撮影・小池直也)

 政府の緊急事態宣言が全面解除されてから1カ月が経つ。一連の新型コロナウイルス禍によるライブハウスへの自粛要請や営業の制限により、音楽文化が不要不急のものであることが浮き彫りになった。それにともなって、生き方を転換せざるを得ない音楽家もいるだろう。今後ミュージシャンとして生計を立てていくことは、さらに難しいものになるかもしれない。

 音楽現場のリアルな声に耳を傾ける当連載、第4回目に話を聞いたのは、グラミー賞「最優秀リミックス・レコーディング部門」にノミネートされた実績を持つ、プロデューサーのstarRo。彼にこの危機のなかで見出した「真にインディペンデントな生き方」、そして未来の音楽のゆくえについて話を聞いた。【小池直也】

――まず、このコロナ禍で活動がどの様に変わったのか教えてください。

 僕には音源での“給料”がないので、以前は経済をDJやライブで補っていました。それが無くなり、予定していたリリースや制作も延期。おかげで2カ月ほど無収入でした。昔からお金の苦労は慣れていましたが、いつまで続くか分からない状況に病みましたね(笑)。お金よりも音楽家という存在自体の危機を感じました。

 なので、この期間は結果的に「音楽をする」ということを吟味する機会になりました。稼ごうとして売れそうなものを作ると僕の場合は空回りしてしまうし、だんだんと音楽でお金を稼ぐのが不健全に思えてきて、最後はもう「金にならないことをやろう」と。みんなが困っている状況ですし、自分のできることをしようと思ったんです。

――それが今starRoさんが力を入れている「SustAim」の活動ですね?

 そうです。当初「SustAim」は海外からの助成金の受け皿になって、お金を分配することに重点を置いていました。でも活動のなかで、これは単純な経済の問題ではないなと。こういうことがまた起こった時のために、アーティストが長期的に健全な活動ができる手助けをする必要があると感じたんです。お金のハンドリングに力を注ぐと、そのサステナビリティの部分がおろそかになるので、だんだんと余裕があれば助成金にも関わるというスタンスになっていきました。

 現在はインディペンデントな音楽活動の形を模索し、紹介しています。アート・ファーストな活動のために長いものに巻かれず、一般的に「こうじゃなきゃいけない」とされる以外の活動を探して、実践すること。これが本当の「インディペンデント」だと思うんです、音楽ジャンルのことではなくて。

2016年、Mayan Theaterでの公演(撮影・Nicole Lemberg)

――なぜ、そのような考えに至ったのでしょうか。

 それを感じたのは先ほどのコロナ禍でお金に困った時です。DJなど現場メインの人たちの仕事が無くなった一方、レーベルや事務所と契約していて、そこまでダメージを受けなかった人もいました。でもレーベルや事務所と一緒にやることには悩みも付きまとう。そのどちらかしかない、みたいな感じを何とかできないのかと考えていたら、最終的に日本には「インディペンデントで活動する」という発想自体が無い気がしてきたんですよ。

 ダウンロードの時代になり、世間的に以前と比べ“音楽”を買って聴くという考えが薄らいでいるなかで「一生懸命に制作している音楽家にお金をもっと払うべきだ」という議論もありますが、僕はそうは思いません。リスナーが対価を払いたくなければ当然ですし、もともと音楽は買うものではない。ただ、音楽家も生活しないといけないから、中世には貴族のパトロンが支援していたわけです。その認識に立つと今の時代に音楽家として生きていくのはとても難易度が高い。それをまず理解しないといけないと思います。

 例えば矢沢永吉さんほどの成功は現在において、ほぼ無いわけですよ。それを追いかけてもマーケットは縮小しているから、音楽家への還元は今後ますます少なくなる。それでも音楽をやりたいなら別の方法を探すしかない。オルタナティブを用意して自分に合った音楽活動を選択できるようにすること、それは最終的に健全な生き方に繋がります。

――特に日本において音楽に関わろうとすると「食える/食えない」という視点で、見られがちな気がします。
 
 国内の業界的な音楽のイメージは「プロダクト」なんですよ。音楽が盤に記録されて売りものになってから、たかだか数十年。それまではライブだったのに、今はビジネスをし続けるための商品としての音楽を固持している気がします。作り手にも「音楽は売れなきゃいけない」と思ってる人が多いのではないでしょうか。

 だから日本において音楽をやるには「金銭的なメリットがある」という前提の上に成り立っていると思います。だから「プロにならなければ、ただの趣味」「やるからには儲ける」という感じになってしまう。

――では、アメリカにおける雰囲気はどうでしょう?

 ぜんぜん違いますよ。やはりアメリカには音楽が根付いています。それは音楽リスナーの人口が多いとかではなく「演奏したり歌う人が生活のなかに普通にいる」ということ。海外では当たり前に教会で演奏したり、父親がギターを持っていたり、隣のおばあちゃんが歌って踊っていたりする。

 そういう人に「食えないのに音楽やるの?」とは誰も言いません。もちろんアメリカといえども仕事をする年齢になってから「僕は音楽しかやりたくない」と言えば周りは心配しますが、「音楽なんてやっても、しょうがなくね?」という雰囲気にはならない。

――なるほど。

 一番わかりやすいのは料理です。日本でも普通に家で料理しますね。でもレストランを開かないといけないわけじゃないし、仕事にしないからって「料理やめろ」とは誰も言いません。極めたい人は店を開けばいいし、店もお母さんの食堂みたいな場所もあれば、3つ星のレストランだってある。おふくろの味をリーズナブルに出したら、そのお金でヨットは買えないけど、それでもいいと思う人もいる。それが海外における音楽のイメージかもしれません。

 表現って喋ることと一緒なんです。話す時は高い声が出たり声量がなくても、独特な言葉づかいができるとか、声のトーンが優しくて気持ちいいというのが個性になります。僕は最近シンガーのパートナーに指導してもらい歌を練習していますが、歌もスポーツ的な上手い/下手ではなく、生活のなかに自然とあるもの。そういう意味では、本来みんながミュージシャンなんですよね。

――たしかに母親は子守歌をスキルを気にせず歌いますし、その声に子どもは安心しますね。ただ、まだまだ日本での芸能に対する風当たりは強いと感じます。「SustAim」などの活動でそれを変えていくことはできると思いますか。

 変えるのは時間がはかかると思います。多分、僕が生きている間には「SustAim」の目指すゴールへたどりつけないかもしれません。変えられるという確証はないですが、自分が死んだ50年後、100年後に「アーティストがアートするのは当たり前」という状態になっていればいいですね。僕はこの活動がカルチャーだと思っています。

 音楽家が事務所やレーベルの助けを必要とするメリットの一つは、目標に到達するスピードを加速できること。ただ、そのスピード感が本当にいいことなのかを考える必要があります。「SustAim」でtoeというバンドを紹介しましたが、彼らの様に時間をかければ、若いバンドよりもよっぽど強いファンベースができるんですよ。

 それは本来、自然発生的にできるものであり、ある程度時間がかかります。でも人はとかくそれを1年や2年で達成できないとチャンスがもう来ないかと思い、無理にそのスピードを早めようとする。そこに弊害が出るのは当然だし、そのひとつがアーティストのメンタル的な危機でもあります。ゆっくり時間をかけて自然に育つのを待つ、というアプローチはアーティストだけでなく社会問題などさまざまな問題の改善に活かすことができると思います。

2016年、Mayan Theaterでの公演(撮影・Nicole Lemberg)

――では、これからの音楽について思うことなどがあれば教えてください。

 僕は今、心の部分が音楽に影響しているものに惹かれるし、そういう作品が増えている気がします。AIが作曲できる様になると「どういう曲が売れるか」と分析して作る人は仕事を奪われるでしょう。そうなると、やはりAIにはないエモーションや精神的な部分を音楽にする人が生き残っていくのかもしれません。昔から音楽自体はずっと変わらずに、それをどう届けるのかが変わっていくんです。だから音楽家の進化って活動の仕方が変わることなんじゃないかなと。僕は結局「活動形態そのものが作品」だなと行きつきました。

筆者紹介

小池直也 ゆとり第一世代の音楽家/記者。山梨県出身。サキソフォン奏者として活動しながら、音楽に関する執筆や取材をおこなっている。
ツイッター:@naoyakoike

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