sads加入のYUTAROがシーンを斬る、開拓者・清春が与えた影響とは
INTERVIEW

sads加入のYUTAROがシーンを斬る、開拓者・清春が与えた影響とは


記者:木村武雄

撮影:

掲載:17年06月12日

読了時間:約16分

清春率いるバンド、sads。YUTARO(左端)の加入はバンドにどのような影響を与えるのか

 清春率いるロックバンドのsadsに、ベーシストのYUTAROが加わった。YUTAROは、90年代から00年代、清春プロデュースのパンクバンド、ゼリ→のメンバーとして、メジャーシーンで活躍。その後はいくつかのバンドを渡り歩き、現在はシシド・カフカなどのサポートも務めている。中学時代に清春の存在に衝撃を受け、強い憧れを抱いた。その気持ちは今も変わらない。常に時代の先端を歩き、過激な発言やパフォーマンスの一方で、ファッション誌の誌面を飾るなど、V系ロックのカルチャーを底上げしてきた清春を、彼はどう見てきたのか。そして、彼の加入によってsadsはどうなるのか。7月にツアーもおこなうsads。ある意味、清春を一番近くで見てきたYUTAROがその素顔を明かすとともに、“きれいにまとまっている”という今のロックシーンを斬った。

清春に、嫌われている

――sadsに加入した経緯を教えてください。

 いくつかのバンドをやった後に、自分の音楽レーベル(ART LOVE MUSIC)を立ち上げて。そこでもバンドを作って活動していまして。去年のある日、偶然入ったお店で清春さんがいたっていう…ドッキリ的な15年ぶりの再会ってやつですね。

――その時はお互いどのような感じでしたか?

 ばったり会ってしまって…もう挨拶するしかなくて。清春さんは「おお、元気でやってる? こっち来いよ」と言うので…。それで、連絡先を交換して、そのまま「BABYLON」(清春がプロデュースするバー)に行きました。けっこう話し込み、お腹が減ったので、清春さんと途中でご飯を食べに行っちゃったり(笑)。

 その日を境に普通に話せるようになっていて、それで2回くらい「BABYLON」に行くなかでさらに色々と近況などを話すことになっていきました。もっぱら僕の話を聞いてもらう感じでしたけどね。

 それで、ある日突然、電話がかかってきて。もうシンプルに「来年忙しいの?」と。「スケジュール結構空いてます」と返答したら「sadsやろうぜ!」と。二つ返事で「はい」ということで加入です。

――清春さんはYUTAROさんの最近のプレイは見たことあるのでしょうか。

 1回はあると思いますね。いや、多分昔から結構ライブを観てもらっていたと思います。それもゼリ→時代(90年代から00年にかけてメジャーシーンで活躍したパンクバンド)だからかなり時間が経ってますけどね。

 この前(4月幕張で開催のイベント)sadsとしてプレイをしましたけど、とにかく曲のテンポが速いなと思いました。清春さんには「もっと自由にやっていいよ」と言われていますが、この先どうなるかは分かりません…。

――そもそもなぜ、清春さんに嫌われていると思っていたのですか?

 清春さんには、ゼリ→1st album「RODEO GANG」までをプロデュースしてもらって、2枚目を作るという時のミーティングで「自分たちでやりたい」というふうなことになっちゃって以来、話もできていなかったんですよ…。そんななかで、当時あるインタビュー記事を見ていたら清春さんがゼリ→への悪い感想を普通にガンガン言っていて…。清春さんは包み隠さず本音を言っても許される人だから、僕もそういうところが好きだけど、その“口撃“する対象が自分たちになった瞬間、「うわ! 俺たち、嫌われてる感じだ」と凄くヘコんで…(笑)。それからはずっと「離れ方が原因で嫌われているだろうなー」と思い込んでいました。

――当時の清春さんはどういう感じでしたか?

 雰囲気は今も変わらないですね。見ているだけで参考なるので…特にプロデュースしてもらっていた時期には、音楽やファッションなど多くを学びましたし、その時期関わってもらった時のやり取りは感覚的な要望・アイデアが多かったような気がします。当時はついてくのに必死でしたし(笑)自分の感覚が追いついたかと思えば、清春さんはまた先のイメージが見えているんで、当時も今も「ある答えを持っている人」という感じです。

――YUTAROさんはもともと清春さんに強い憧れを抱いていたという話を聞いたことはありますが。

 それが…実は…ぶっちゃけた話…そうなんですよね(笑)僕は中学の頃からで、黒夢がインディーズ時代に出したアルバムに『生きていた中絶児』というのがあるんですよ。その時は中学生で、まだ「中絶」とかその他歌詞カードに書かれた数々の言葉の意味がよく分からなくて(笑)曲だけでなく色々と好きだったもんだから誰かと共有したくて、音楽好きの両親に「これ聴いて! 格好良いから」と勧めたものの、タイトルを見て「は?」と。まずCDすら手に取ってくれないという破壊力…(笑)そんなことあります?(笑)。あの時の「は?」の表情は今でも鮮明に覚えていますよ。そもそも、こんなタイトル付ける人はそうそういないですからね(笑)。

――ゼリ→は名古屋で結成しましたよね。その頃は名古屋に?

 いや福岡です。自分だけ出身が福岡なんですけど、高校卒業のタイミングで留年のお知らせが来て…、“ダブる”のは格好悪いと思ったので、飛び出した感じです。先輩のバンドでローディーみたいな事をやっていて、そのバンドが名古屋に行くということで、それに便乗して。だけど、学校の友達や先生には「俺、デビューする話があって」と嘘ついて。

 黒夢としては『FAKE STAR』を出した頃。名古屋で『FAKE STAR』を買おうか買うまいかと…。家を離れる時に親から5万円をもらって。そのうちの2万円ぐらい、新幹線代で消えて。残りのお金で生活していかなきゃいけない。アルバムに3千円の出費は痛いな…と。「万引きをするか、買うか」という選択で…。結果、買ったんですけどね。

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