INTERVIEW

行平あい佳×越川道夫

生々しい美しさを撮りたかった。
映画『アララト』


記者:木村武雄

写真:木村武雄

掲載:21年05月13日

読了時間:約9分

 行平あい佳が映画『「アララト」誰でもない恋人たちの風景vol.3』(5月15日公開)で主演を務める。左半身に麻痺を抱える夫と生活するため深夜勤務で生活を支える妻の揺れ動く恋心を描く。妻に依存しなければ生きられない自分に苛立つ夫。行平は、夫を献身的に支えながらもすれ違う感情の中で優しい同僚に惹かれてしまうヒロイン・サキ役を演じる。城定秀夫監督作『私の奴隷になりなさい第2章 ご主人様と呼ばせてください』や『タイトル、拒絶』など話題作への出演を重ねる行平はどのような思いで臨んだのか。そして脚本を手掛けた越川道夫監督は本作に何を込めたのか。【取材・撮影=木村武雄】

あらすじ

 サキ(行平あい佳)は画家のスギちゃん(荻田忠利)の妻。スギちゃんは数年前に倒れて左半身が動かなくなり、すっかり絵を描かなくなってしまっていた。深夜のファミレスで働き生活を支えるサキは、彼にまた絵を描いてほしいと思っていた。道端の石ころや草花ばかり描いていたスギちゃん。そんな彼がサキのヌードを描きたいと言った時、彼女は本当に嬉しかったのだ。「また、わたしの絵を描いてくれるなら脱いでもいいよ」。しかし、スギちゃんは、サキに依存しなければ生きられない自分に苛立ちを感じていた。すれ違う身体と心。愛し合うことさえままならず、ふたりの間に大きな亀裂が生まれた日、サキはファミレスの同僚ユキオ(春風亭㐂いち)と結ばれる。そして、スギちゃんはサキと別れる事を決意するのだった。

(C)2021キングレコード

行平あい佳の本性が見たい

――制作の経緯と狙いは何でしょうか?

越川道夫 『誰でもない恋人たちの風景』シリーズの3本目ですが、このシリーズではヒロインの女優を美しく撮ることができたらいいなと。特にこのシリーズは女優の映画だと思っています。そのなかで、どうしたら行平さんが綺麗に見えるのかを考えていて、強さのある役を演じたら綺麗に映るだろうと。行平あい佳という女優の本性が見たいと思いました。日本古典に「説教節」というのがあって、そのなかに「俊徳丸」という演目があります。その物語の中に、呪いで病になり失明し物乞いする俊徳丸がいて、恋仲にあった乙姫が俊徳丸を見つけ出しガッと担ぎ上げる場面があって、これをヒントに映画化できればいいと思いました。「説教節」に出てくる女性は強くてたくましくて魅力的。行平さんが相手を支えるのではなくて、担ぎあげるような映画になったら、きっと行平さんの強さと美しさが出ると思って。その時にたまたま自身も左半身まひを抱える俳優である、荻田忠利さんと出会って。彼の芝居は何作か見て好きだったので、重ね合わせたら撮れるんじゃないかと。

――そういう構想の中で実際に手ごたえを感じた瞬間はありましたか?

越川道夫 お会いすること自体が初めてだから、こういう人だと決めつけてしまってはいけないと。僕のイメージの通りに行平さんは演じてくれると思うけど、それでは本性が見えない。だから、行平あい佳はどういう女優なのかを探りながらやるわけです。撮影前は、行平あい佳という女優に強さというシチュエーションを代入したときにどういうものが演技として出てくるかが楽しみでした。実際撮影が始まって、厳密には順撮りではないけど、現場で発見することが毎日あったんです。出来上がったものを観たときにも後半でいくつか綺麗だなと思う瞬間があって。キャラクターを演じているのではなく、行平あい佳という生身の人と女優としての役というその間から出てくる生々しい美しさが撮れたと思います。

――行平さんは、監督がいま話された意図は知っていましたか?

行平あい佳 聞いたことはなくて、いま聞いて「なるほどな」って(笑)。

行平あい佳

行平あい佳

危うかった、行平あい佳

――そもそもこの話が来た時はどう感じましたか?

行平あい佳 台本も出演者も何も聞かされていないなかで、タイトルだけ知った時に「きっと、誰かの救済になる作品なんだろうな」とは思って。私自身もそういう物語であって欲しいなと。でも台本を読んだときに、ともすれば共依存になってしまうかもしれない、そう見られてしまったら破綻するのではないかという不安も出てきて。そうならないためにも、強くならないといけないと。ユキオとのシーンは心情が揺れ動いてグラグラの状態なので、それ以外は張り詰めてやりたいと思いました。

――実際現場に立ってその不安はどうでしたか?

行平あい佳 現場では、キャラクターについて分からないところは監督に随時質問して詰めていきました。でも撮影中に考え込んじゃって。登場人物も少なかったので、ともすれば孤立しそうな瞬間があってどうしようかと。監督にどうすればいいかと話を聞いて、それで納得して臨めたところもあって。特にスギちゃんの実家に行くシーンはそうで、あと2日で撮影が終わるという時に監督と車で話して。その時に「あ、私、危なかったな」って。もしかしたら一人で終わっていたかもなって。

――それは独り相撲になっていた恐れがあるということ?

行平あい佳 そうです。誰にも心を開かないで「もういい、もう分からない!」ってなっていたかもしれないほど追い詰められていて。

――確かにサキは強いですけど、弱さも滲み出ていてふさぎ込んでいる一面もありますね。その不安が役にも反映された?

行平あい佳 そうなんです。でもそれが出過ぎたらまずいと思って。暗くなろうと思えばいくらでも暗くなれる、落ち込もうと思ったらいくらでも落ち込める役だったので、そのさじ加減が難しくて。でも役者としては本当にいい経験をしました。

予想をはるかに超えた動き

越川道夫監督

越川道夫監督

――構想通りに撮影は進みましたか?

越川道夫 行平さんもそうだと思うけど、現場では予想外のことが起きました。例えば荻田さんの芝居。介護についての指導の方をお願いしましたけれど、所作にどれだけの時間がかかるのかというのは分からない。こういう状態になった人がどういう動き方をするのかは、僕たちが想像していたものとのギャップがあて。例えばカレーライスを取って座るまでにどういう動きがあって、どれほどの時間がかかるのかは分からなくて。

行平あい佳 そうそう。台本を読んでいるだけだと動きもセリフも時間内に埋まるのに、全然足りない。

越川道夫 その間も他の役者は芝居をしないといけないから。その時のサキの在り方を探して環境を作ってその場で考えて埋めていくというのが結構あって。それが面白かった。

行平あい佳 そうした動きはト書きになっていなくて。

越川道夫 撮影現場では有機的に育っていくものがあって、僕が思い描く青写真の通りに行ったらつまらないというのもあります。僕が考えているサキと、行平さんが考えているサキは違うし、こっちの方が良いよとかこうしようよと言うけど、それで行平さんがどうするのか、それによって有機的に作品が育っていく。もちろん本通りにやっているけれど、僕が想像していなかったサキ、スギちゃんが出来上がっていたと思います。そうじゃないと映画はつまらない。想像していないその先に辿り着けたらいいと思うし、そうなったと思います。

――ベッドシーンで行平さんがスギちゃんに押しつぶされそうになって跳ねのける場面がありましたけど、それも?

行平あい佳 あのシーンもそうです。スギちゃんが覆いかぶさってくるけど、体が重たすぎて、壁を蹴って起き上がって。それが採用になったんです。でもああでもしなかったら、本当に押しつぶされていたかもしれない。喉元に体重もかかっていたから。

越川道夫 男の体重がそのまま押しかかるわけだからね、それは撮影に入るまでは予想もしないよね。

行平あい佳 とっさに壁を蹴って起き上がろうとする私自身の行動にもびっくりしちゃいました。

――追い込まれた人の行動があのシーンにあるわけですね。

行平あい佳 そうそう!

惹かれる魅力

(C)2021キングレコード

――人間の本質が描かれているとも思いますが、お二人は人のどういう所に魅力を感じますか?

行平あい佳 優しい言葉をかけようと思ったらいくらでも言葉が出てくると思うけど、そういうことではなくて、突発的に何かが起きたときにそっと手を差し伸べられることが本当の優しさなんじゃないかなって最近思っているんです。私の親戚はそういうタイプの人が多くて、私はそれができるかしらと思うことが多いので、そういうのは惹かれますし、なりたい人物像でもあります。

――なぜ最近、そう思うんですか?

行平あい佳 ステイホーム期間の影響が大きいですね。長らく会っていなくて久々に顔を合した時に、この人はこういう優しさがあったよなって再確認できて。4個下の“いとこ”が2人いて、もともと仲が良くて近しい存在なんです。2人とも困った時はさっと手を差し伸べたり、さっとおばあちゃんの荷物を持ってあげる子で。こういうことだよなって。それが人間的に好きですね。(目に涙を溜めながら)いとこがすごく大好きなので、優しい子に憧れます。

――監督は?

越川道夫 その質問困るな…(笑)、いやね、僕は自分も含めて人間が嫌いなんだよね(笑)。行平さんにはバレているかもしれないけど…。日常的に道端に咲いている花や野良猫をカメラで撮っているんですよ。私の妻に言わせると人間を撮った時とのクオリティが違うと。草の方に重点がいっていると(笑)。

行平あい佳 それってスギちゃんだ(笑)。

――スギちゃんは画家で道端の石ころや草花ばかり描いているという役どころでしたね。

越川道夫 そうですね(笑)。いつも考えているのは、うちに18年ぐらい一緒に住んでいた猫がいて、彼の僕を見つめる目は絶対的に信頼なんですよね。僕は大した人間ではないけれども、猫や犬たちが私たちに向ける視線は絶対的な信頼があって、もし僕が裏切ったら猫は人間全体を信用しないだろうなと。要するに1か0の見方をする。人間はそうした見方ができない。恋人でも誰でも同じで、それができないことにつらい気持ちを抱えていると思っていて。映画を撮ることは、人間を構築していく作業なんだけれども、その根幹にあるのはなぜ人間はあのようにできないのかとことです。自分ではないものに対してなぜ絶対的な信頼ができないのか、それがベースにあって今回の作品も映画を撮っているところがあって。人間は複雑な生きもので、右往左往をしている。その理由が知りたいと思い、何でだろうと思いながら映画を撮っています。

――でも『アララト』では行平さんの美しさを見たいと。その矛盾が監督としての性(さが)とも言えそうで面白いですね。

越川道夫 それはね…、生きものとしての行平あい佳は美しいからですよ。

――それは同感です。行平さんにはもともと備わっている純度の高い美しさがあって、それが画を通しても滲み出ていますね。

行平あい佳 うれしい! きょうは良く眠れそう(笑)。

越川道夫 そうそう。だから物語ではスギちゃんが、サキのそういう部分を絵に描こうとしていた。現場では厳しいことも言うけれど、でも結果的に美しく撮れなかったら僕たちがいる意味がない。服を着ていても裸でも美しい。それは行平さんに限らず、いろんな人にもそうした美しさは見つけられるはずだと思っていて。本作で言えば、生活感が出ている、例えばスギちゃんになんとか薬を飲ませようとする姿や怒っている姿も可愛いし、美しいなと思います。スギちゃんが入っているお風呂に、自分から服を脱いで入るあの後ろ姿の形も美しい。あれは絶対にカットしたくなくて。

――目指した行平さんの本性、ここで言う美しさが出ているわけですね。

越川道夫 そうそう。それは達成できたと思っています。

行平あい佳と越川道夫監督

(おわり)

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木村武雄
行平あい佳
越川道夫監督

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