津軽三味線演奏家の上妻宏光がCDデビュー20周年を迎え、10月に多彩なゲストアーティストを迎えたソロデビュー20周年特別公演 『上妻宏光‐伝統と革新‐』を開催する。上妻は伝統と革新をテーマに、三味線と様々なジャンルとコラボし、津軽三味線の新たな魅力を打ち出している。デビューからオリジナルアルバムをコンスタントにリリースし、三味線の可能性を常に広げてきた。昨年リリースされた『TSUGARU』は古典、民謡にフォーカスし、長谷川勝枝、成田雲竹女、澤田勝秋、本條秀太郎といった大御所と共演。同じ三味線でも普段共演することがない楽器とのコラボなど新たな道を作った。インタビューでは、CDデビュー20年を振り返りながら、上妻が今大切にしていることや、上妻が三味線を教えていた志村けんさんとのエピソードなど多岐に亘り話を聞いた。【取材・撮影=村上順一】
自身にとってのコンサートの意義
――昨年、アルバム『TSUGARU』をリリースされましたが、反響はいかがでしたか。
20周年ということで矢野顕子さんと作った『Asteroid and Butterfly』とソロの『TSUGARU』という2枚のアルバムをリリースさせていただきました。『TSUGARU』は民謡を中心とした古典のアルバムになっていて、従来の三味線のファンだという方も多いので、去年の秋からツアーを回っています。コロナ禍でお客さんは半分しか入れられなかったのですが、どの会場もそのキャパでソールドしたので良かったです。
――コンサートの雰囲気はいかがでしたか。コロナ禍で様変わりしてしまったものもありますが。
昨年行ったコンサートはやっぱり緊張感はありました。でも、この状況の中で来てくださった皆さんは本当に演奏を聴きたいと思って来てくださった方達だと思うんです。なので、拍手がすごく熱かったですし長さもあったので、キャパは通常の半分でしたが、フルキャパ以上の熱気を感じたコンサートでした。
――日比谷音楽祭にも出演されていましたが、オンラインでのステージはどのように感じましたか。
コロナ禍でコンサートができる機会も少なくなって来ていたので、開催できたことに感謝しました。それもあってミュージシャンの熱量は高かったと思います。もしこれでお客さんが入っていたらもっとすごかったんだろうなと思いましたから。リアルタイムでやっていたことには変わりはないので、その熱量は配信でも伝わったんじゃないかなと思います。オンラインでの可能性も感じつつ出来れば音楽は生で肌で感じて欲しいと思います。
――上妻さんにとってのコンサートとはどんな意味、意義を持っていますか。
三味線は生で聴ける機会も少なくて、生の三味線の音を知らないという方は日本でも多いと思います。この状況は自分が大きくなったら変えたいと思っていました。その想いもあってデビューして間もない頃から『生一丁』というコンサートを続けているんです。
――さて、『TSUGARU』は古典にフォーカスしたアルバムで、そういったコンセプトの作品は久しぶりだったと思うのですが、注目して欲しいところはどこでしょうか。
一人で演奏する分には慣れているので大丈夫でしたが、今回、津軽三味線の大御所の方や普段なかなか演奏することのない違うジャンルの三味線の名手の方、民謡の歌手の方とご一緒させていただいたので、伴奏力が求められる場面もありました。皆さんすごい方なのでその方々がスタジオに来るということで、いつも以上に緊張感がありました。リスペクトを感じながら、かつ対等にアンサンブルができる、それを実現出来たという喜びもありました。その中でも本條秀太郎さんとのアンサンブルは珍しいので、そこも聴きどころです。違うタイプの三味線同士がアンサンブルするというのはなかなかないんです。そこは自分にとっても新しい試みではありました。
――なぜ、一緒に演奏する機会が少ないのでしょうか。
三味線には3種類、太竿、中竿、細竿とあって、そうなるとシンプルに音のボリュームが違います。あとは流儀の違いもあるので、イベントで一緒になることはあっても、アンサンブルというのはほぼないんです。
――今年に入ってアニメ『ましろのおと』がスタートしました。三味線をテーマにしたマンガやアニメがあることで、三味線のシーンも変わって来ていますか。
若い方たちが三味線を習いに来たりもしますし、大会でも若い方の姿が多く見られるようになりました。僕が大会に出ていた頃はご年配の方が多かったんですけど、10代から30代が多く見られて時代が変わってきたなと感じています。
――昔と言えば、上妻さんのSNSで子供時代の写真とともに「ある意味今より上手い」とコメントされていたのが印象的でした。ある意味というのはどのようなことなのか興味が湧きました。
純粋さです。今にはない良さが当時にはあったという意味で書いた言葉でした。大人になるにつれリズムや間、構え方だったりというものが知識として入ってきた技術の向上はありますけど、子供の時は無心で楽器に臨みますし、練習もたくさんしていました。
――どのくらい練習されていたのでしょうか。
名人と呼ばれる方のカセットテープを聞いて耳でコピーしたり、毎日4時間以上はやっていたと思います。アニメを観ながら弾いていた時間もあったり。
――常に楽器に触れている感じですね。
どれだけ楽器に触れていたかも大事で、あとは集中するところなどの切り替えのバランスが大切なのかなと思います。三味線には他の楽器と違ってスケールというものがないので、自分なりにフィンガリングを考えたりもしていました。ハンマリングなどフレーズを考えてそれで何回出来るかなどゲーム感覚でやって達成感を感じたり。
志村けんさんとの思い出
――練習といえば、昨年他界された志村けんさんに三味線を教えていたんですよね。思い出深いエピソードはありますか。
志村さんが選曲する曲には、僕のオリジナル曲もあったのですが、なるべくオリジナルに忠実に演奏したいと仰っていました。ただ、技術的に高度な曲もあったので、シンプルにしようとすると、これじゃないんですよね、といったこだわりを見せる場面もありました。本当に難しいフレーズもあったんですけど、ご自身で練習されてしっかり超えてくるのも印象的でした。
あと、北野武さんのタップダンスと共演された時も印象に強く残っています。志村さんは三味線の演奏歴もそれほど経っていない中で、ご自身の音で演奏していて。その時の演奏に関しては僕は全くタッチしていなくて、お一人で弾き切った時は感動しました。
――三味線を教えるきっかけとなったのはどのような経緯があったのでしょうか。
志村さんが三味線を弾いてみたいとある時お話していて、その時、僕はよくあるリップサービスかなと思っていました。でも、2回目にお会いした時に僕の「紙の舞」という楽曲をすごく気に入って下さって、その曲を真剣に弾きたいと仰っていて。そこからお互いのスケジュールを合わせて練習するようになりました。多い時は月に3〜4回ぐらいやっていたと思います。
――志村さんが亡くなられた時はさぞかしショックで...。
最初聞いた時は信じられなかったです。まだあの時は新型コロナもちょっと遠い存在のように感じていました。でも、そこからすごく身近に感じるようになって...。お見舞いにも行くことが出来なかったですし、お会いできなかった辛さと、新型コロナの怖さを同時に感じました。
上妻宏光のターニングポイントとは
――CDデビュー20年の中でのターニングポイントを3つあげるとしたらどこになりますか。
まずはデビューアルバム『AGATUSMA』をリリースしたことです。洋楽器と一緒に演奏するオリジナル曲というのは、それまで作ったことがなかったのですが、初めて5曲制作しました。その中に「游-YUU-」というシャッフルの曲があるのですが、三味線でそういったリズムの曲はこれまでなかったと思います。そこからインスパイアされて演歌の方たちがステージで演奏してくれたり、三味線の演奏家がコピーしたという声も上がっていて、一つの自信に繋がりました。
2つ目は色んなジャンルの方とコラボしたいという欲求があったので、マーカス・ミラーやハービー・ハンコックといった一流ミュージシャンと演奏出来たことです。一緒に演奏してその凄さをより知ったわけなんですけど、それはソロをとっている人の演奏しっかりと聴いて、ボリューム調整だったり、音としてのスペースを作っていて。モニタースピーカーからではなく、生の演奏での音量調整やアプローチというものを学びました。これが本物なんだと思いました。
そして、3つ目はニューヨークでコンサートをやって、その時に感じた熱量も自分の自信に繋がりました。アプローチの仕方によって海外でも三味線音楽を聴いてもらう事が出来るんだと。デビュー間もない頃に西海岸でやった時は、初めてスタンディングオベーションを体感して、それも衝撃を受けました。
――今コラボしてみたい方はいらっしゃいますか。
僕は運良く自分がやってみたいと思える人とコラボ出来ています。その時は自分の曲やコラボ相手の曲、もしくはカバーなど洋楽の音楽理論やコード進行の上で演奏してきました。それらは打ち上げ花火のような面白さがあって、それで盛り上がることももちろん出来るのですが、点と点だけでは物足りなくなってきて。
――点と点ですか。
例えばアストル・ピアソラはバンドネオンという楽器の存在を押し上げたかったんですよ。それはタンゴだけではなくクラシックの要素も取り入れたいとヨーロッパに学びに行ったのですが、先生に自国に素晴らしい音楽があるのだからそれをやった方がいいと言われたみたいで。そこで学んだ和声の理論を用いたことでタンゴのフィールドだけではない方達がピアソラの曲を弾きたいということで、いま演奏されている。自分もそういったサウンドを作って広げたいという思いが強いんです。なので、今は誰かとやりたいというよりは構築させていくことに興味があります。
――確かにピアソラの「リベルタンゴ」はジャンルの垣根を超えて色んな方が演奏されています。
しかもバンドネオンの演奏が絶対入っているわけではなくて、バイオリンやギターなど色んな楽器で演奏されていることが素晴らしくて。僕は三味線の響かせ方を最大限活かした曲を作っていくのですが、三味線だけではなく、ギターやフルートなど色んな楽器やジャンルの方に弾いてもらいたい、という憧れがあります。
――その構想が生まれたのはいつ頃だったのでしょうか。
2005〜6年頃だったと思います。とあるレコーディングのゲストに呼んでいただいたときのことです。三味線の音は音があまり伸びない減衰の楽器なので、ドラムなどの打楽器とタイミング合いすぎてしまうと音がマスキングされて聞こえづらくなってしまうんです。リズムが合うので褒めていただいて嬉しかったんですけど、ちょっと敢えてタイミングをズラすか音色を変えないと、音が前に出てこなくて。
――すごくシビアなんですね。
ただその時にある程度のジャンルでは自分のリズムは対応できるということがわかりました。もちろん、すごいリズム感の方は沢山いるのでまだまだ自分も追求するところはあるのですが、西洋のフォーマットではなく三味線が活きる形の音楽をやりたいと思ったのがその頃でした。
そこに加えて歌舞伎など純邦楽の方との横の繋がりというのも、さらにやっていきたいことです。ただそれでまとまってしまうのもダメで、最新機材を使った音楽というのも変わらず突き詰めていきたいと思っています。俯瞰して見ることも大事で、それは海外に行って日本の良さをより理解することに似ているんです。日本をベーシックに音楽を作って行けたらと思っています。
――その中で三味線の可能性というものもより強くなっていますか。
昔に比べると少なくなって来ているというのが正直なところです。いまは広くというよりも深さを追求していくことが多くなりました。それは楽器の鳴らし方なんですけど、どれだけ脱力して弾けるかというのも追求していることの一つです。
あと、三味線を始めた若い子達の指慣らし、練習曲として良いものはないかと考えたりもしていて。人に教え伝えるということを音以外でも出来ることを探っています。昔は教えるということに力を注ぐつもりはあまりなかったのですが、今はそこにも力を入れるようになりました。
――上妻さんが演奏するにあたって大切にしていることはなんですか。
音楽にあるベーシックなリズムを知るということです。ロックにはロック、民謡には民謡のグルーヴがあります。僕はそれを捉えるのが割と得意なんじゃないかなと思っていて、他ジャンルの方とセッションした時にドラマーの方が楽屋に来て「良かったよ」と言ってもらえたことがあって。教えるときも上辺のテクニックだけではなくて、リズムを感じる、捉えることが大切なんじゃないかなと思っています。
――10月にソロデビュー20周年特別公演『上妻宏光‐伝統と革新‐』がありますが、どんなステージにしたいですか。
お祭りみたいなコンサートにしたいなと思っています。色んなジャンルの方が参加してくださるんですけど、この公演でしか見れない共演も観れますし、自分がこれまでやって来たスタイルの集大成、自分の生き様が感じ取ってもらえるような公演にしたいと思っているので、楽しみにしていて下さい。
(おわり)