森山直太朗「瓦礫の中から原石に出会えた」新曲「さもありなん」に迫る
INTERVIEW

森山直太朗

「瓦礫の中から原石に出会えた」新曲「さもありなん」に迫る


記者:村上順一

撮影:村上順一

掲載:23年03月05日

読了時間:約13分

 昨年、メジャーデビュー20周年を迎え、現在“全国一〇〇本ツアー”と銘打った20thアニバーサリーツアー『素晴らしい世界』を開催中の森山直太朗が、3月1日に配信シングル「さもありなん」をリリース。同曲は松山ケンイチと長澤まさみの初共演映画『ロストケア』(3月24日全国公開)の主題歌として書き下ろされた。映画『ロストケア』は、優しく献身的な介護士が連続殺人犯であることが判明し、検事と対峙。なぜ彼が殺人を犯したのかに迫る社会派エンターテインメント作品。「さもありなん」は、『ロストケア』でみられる高齢化社会における介護や社会問題を、普遍的な優しさで包み込むようなバラード曲に仕上がっている。インタビューでは、「さもありなん」の制作背景から、「ただ表現したい人」と語る彼が音楽を続けていく理由など、森山直太朗の現在地に迫った。【取材・撮影=村上順一】

自分が思っていた以上の問題を孕んでいると思った

村上順一

森山直太朗

――「さもありなん」が生まれた背景として、『ロストケア』のあるシーンに感動したとコメントを寄せられていましたが、どんなシーンだったのでしょうか。

 松山ケンイチさんと柄本明さんとのやりとりのシーンです。柄本さんが松山さんに向かって語りかける場面なのですが、すごくグッときました。「自分じゃなくなっていくことが怖いんだ」というようなことを言っていたんです。これは社会が潜在的に抱えている問題でもあるし、個人が抱える拭いきれない問題でもあると思いました。この映画は、親子が抱えている普遍的な問題である高齢化社会における介護の実情が切り口になっているんですけど、それだけではなく、人間の尊厳に関わる多くの問題が絡み合っていることを指し示す、重要なシーンだったなと思います。柄本さんの鬼気迫る表現にも度肝を抜かれました。僕が観させていただいたのは、まだ編集される前の映像だったのですが、そのシーンを観た時に、自分が思っていた以上の様々な問題を投げかけている映画だということを感じましたし、だからこそ、音楽を通じて自分にしかできないことが何かあるかもしれない、と思えた瞬間でした。

――映画『ロストケア』を手がけた前田哲監督から、楽曲の方向性などリクエストはあったのでしょうか。

 特にそれは、あえてなかったです。例えば、僕もイチ制作者として楽曲のアレンジとかクリエイターに仕事をお願いするときに、具体的なリクエストはあえてせずに、どのような物語を経てこの楽曲ができたのかといった背景だけを説明することで、その人のクリエイティビティを引き出すというやり方をしています。こういうイメージの曲がほしいと話せば、イメージ通りにはなるけど、それは自分の想像を超えるものにはならないんです。今回も監督からはこういう物語なんです、という背景だけをお話していただいただけたので、とても信頼されている感じがしました。あわせて制作の方の熱意と役者さんの緊張感みたいなものが、映像からひしひしと伝わってきたので、それだけで僕には充分だったんです。

――ライブ会場限定で販売されている弾き語りアルバム『原画』にも「さもありなん」は収録されています。ピアノバージョンといった装いですが、これがもともとの姿ですか?

 もともと弾き語りで作った曲なので、これも一つの姿といった感じです。

――YouTubeで公開されている48分という長尺のMVにも、ピアノバージョンの「さもありなん」が観れますよね。海辺でピアノを弾く森山さん、シチュエーションも最高でした。

 夕方に撮影したんですけど、本当にシチュエーションが良かったです。あのアップライトピアノは、佐渡島の廃校からお借りしました。少数精鋭であのMVは作ったので、出演者とかスタッフとか関係なく、それこそみんなでピアノをあの場所まで運んで、また廃校まで戻して。撮れている画は幻想的ですけど、あの撮影はかなり力仕事だったと感じてます(笑)。

――あの構図は森山さんのアイディアで?

 番場(秀一)監督のこだわりです。潮がもっと満ちて、ピアノが海に少し浸るくらいのイメージもあったみたいですけど、やっていくうちにちょっと違うなと思ったみたいで、今の感じになりました。

――YouTubeチャンネル『森山直太朗のにっぽん百歌』で、「さもありなん」を旧相川拘置支所で歌唱されているのも印象的でした。拘置支所の扉が全て開いてましたが、あれはもともとなんですか。

 いえ、最初は閉まっていたんですけど、開けることによってドアの存在感が出るなと思って。そして、ここはもぬけの殻、がらんどうです、というのが伝わるといいなと思いました。

――さて、「さもありなん」の歌い出し、<二十億光年前のこと>というのが気になりました。もしかしたら、谷川俊太郎さんの詩集『二十億光年の孤独』と関係しているのでは? と予想したのですが。

 もちろん大好きなポエムの一つですけど、繋がりはなくて。自分の中で現実味がなければないほど良かったんだと思います。こんなこと言ったら身も蓋もないんですけど。実際、二十億光年なんてどれぐらいの距離みたいな話だし、僕たちが生まれる前の感覚と言いますか、世界観をそういう領域に持っていきたかったんだと思います。

――二十億光年もそうなのですが、<「フラクタル=愛」の理論>という歌詞も印象的でした。

 なぜ、この言葉が出てきたのかよくわからないところもあるんです。一人で作っている時は、メロディーの奥にある言葉を、自分なりに掴み取るといった作業なので、深く考えずゴロだけで作っていくこともあります。

――宇宙というのは「さもありなん」の中で、一つの大きなテーマになっていると感じているのですが、それは『ロストケア』の奥底にあるものから宇宙を感じたのでしょうか。

 「アルデバラン」もそうだったのですが、最初は理由もなく曲を作っているんです。AIちゃんに曲を作ってほしいと言われたことが自分の中のどこかに残っていて、それが「アルデバラン」を作らせたのかなと思っています。作っているうちにだんだんAIちゃんっぽくなっていき、それが後にドラマの主題歌にもなりました。今回も割とその時の感覚に似ているなと思います。「さもありなん」は、昨年『素晴らしい世界』というアルバムが完成して、様々な取材とか受けている中で、ふと生まれてきた曲なんです。その時にちょうど『ロストケア』のお話をいただいて、まだ作りかけだったのですが、大体の骨格だけができていました。

――書き下ろしではあるけど、曲の大枠はできていたんですね。

 主題歌としてお願いされたときに、不思議と曲と映画が合う、シンクロするところがたくさんあるな、と思ったので「さもありなん」を提案しました。自分を信じて曲を作っているとそういう出会いが巡ってくるんです。

音楽を続けている理由

――タイトルの「さもありなん」は、どの段階で決めていました?

 タイトルは曲ができてからつけました。2021年にリリースした「カク云ウボクモ」も同じだったのですが、歌を積み上げていった先に、「さもありなん」と自然と歌になっていく感覚です。でも、そのときは「さもありなんって何だっけ?」みたいな。口語として普段使わないじゃないですか。それが、面白いものでタイトルとしてつけると、日常でも使うようになったり。

――面白いですね。

 幼少の頃から僕の中で不可思議に思っている言葉があるんです。古典が好きとか、理論的に学んだりということはないんですけど。言葉の響きとしてとても色気がある、趣がある言葉が好きなんです。本作にある<ことほどさように>もそういうところからで、とても音楽的だなと思っています。さもありなんの意味を辿っていくと、『ロストケア』にある普遍的な人間的な問題や、社会的な課題への光、それらへの肯定として、とても合うんじゃないかと思いました。僕がイチ歌い手としてのメッセージという次元ではなく、宇宙の視点として、みんなでこの感覚を共有したら、きっと争いは争いでなくなるし、差別や分断みたいなものも、違うものになっていくような気がしています。どの口が言っているんだと思うこともあるんですけど、僕は普遍的な違う存在にアクセスしながら歌っているという感覚なんです。

――森山さんが思う宇宙とは?

 宇宙というのは、どこまでが宇宙なんだ? と議題にのぼることもありますが、あなたがここまでが宇宙だと思ったら、そこまでが宇宙だ、という結論もあったり。それは僕たちの心にも言えることで、実は宇宙というのはとても身近にあるものなんだと思います。昔、料理家の土井善晴さんと一緒にお味噌汁を作ったことがあったのですが、「お椀の中に宇宙がある」と仰っていて。味噌汁は何でも許容する、例えばトマトを入れたとしてもそれも許容してくれる。言い得て妙だなと。

――確かにすごく身近です。

 今、弾き語りでライブをしているのですが、とてもアコースティックなミニマムな空間なんですけど、そこにも宇宙は存在するんです。何が宇宙なのかと言うと、例えばステージと客席を隔てるロープがあったとして、その境がなくなった感覚をおそらく宇宙と定義できるんだろうなと思って。自分が誰であれ、今の状況のように取材をする人、受ける人という概念があってそうなるんですけど、その概念がなくなった瞬間に宇宙は存在するし、それって「素晴らしい世界」のときの感覚にすごく似ていて、自分の中にあるものなんです。

――本当はもっと自由なはずなのに、余計な概念が邪魔をしてしまうんですよね。

 肉体とか上下とか、そういったものがあるから中々そこに辿り着けないんですけど。とはいえ、悩みや執着から解放される瞬間ってあるじゃないですか。それがずっと続いたら、きっと世界は平和なんですよね。必要悪も含めて、人間が成長していくための歴史や出来事、介護福祉などの社会問題があるんです。いずれにしろ我々は何を学んで手放して行くのか、常に問いかけられていると思います。

――さっきの境界線のお話は音楽にも通じるところがあるなと思いました。ジャンル分けというのは、定義するのに都合が良いですけど、すごく幅を狭めてしまっている感じもあるなと。

 音楽にはそれぞれの役割があると思っています。矢沢永吉さんには矢沢さんの、友部正人さんには友部さんの音楽の役割があって、何か表現した人の先にどんな世界が待っているのか、という区分はあると思います。僕は肩書きとして音楽家、フォークシンガーと名乗ってますけど、そこに位置した方が色んな意味でわかりやすいだけで、本当はただ表現したいだけの人なんです。それがたまたま音楽というものが主軸にあるだけの演者で、お芝居だろうがタップダンスだろうが、表現さえできていれば何でも楽しいんです。でも、社会を見ていく中でどうやら僕の中では、いつも音楽が引き金になっているし、そこにきっと何か役割があるかもしれないと思っていることが、20年間以上も音楽を続けている理由なんです。

――自分の音楽はこうあるべき、というものも見えてきましたか。

 自分に見合ったカタチというのは、表現のスタイルとして弾き語りだったり、ブルーグラスをちょっとやってみたり、色々あるんですけど、僕の本質というのは弾き語りにあるのかなと思っています。それがまず根っこにあって、色んな表現形態がある。例えば、中学生の頃にバンドを組みたいとか、高校生になって音楽サークルに入るとか、一切そういうことをせずに今までやってきましたし、御徒町凧とユニットのようなカタチでやってきたけど、基本的には自分一人の名義でやってきました。弾き語りというのは20年やってたどり着いた、僕にとって無理のない表現スタイルなのかなと思います。

壊した瓦礫の中から「さもありなん」という原石に出会えた

村上順一

森山直太朗

――本作では坂本美雨さんがコーラスで入っていますが、どんなきっかけがあったのでしょうか。

 「ここは美雨さんだ」という直感でした。基本僕が1人で歌っているんだけど、違う視点から声が聞こえてきてほしい、というのが音楽的な流れとしてありました。誰でもいいわけではなくて、大きなエネルギーを伝えていくうえで、美雨さんに楽曲の一部になってほしいというのがすごく強かった。僕がコーラスをやるというのはよくあるのですが、他の人が入るというのはすごく珍しいんですよね。この曲を象徴する存在としていてほしかったので、美雨さんにお願いしたのかもしれません。

――ちなみに坂本美雨さんは森山さんから見て、どんな印象、イメージがありますか。

 僕は彼女がすごく母性の強いアーティストだと思っています。猫とか好きでおっとりしているイメージなのですが、姉御肌で芯が通っている、根っこの部分はそういうのが強くある人だと思っています。

――そして、アレンジはアルバム『素晴らしい世界』に収録されている「papa」でもアレンジを担当された田中庸介さんですが、これにも意図が?

 庸介くんってすごく面白いミュージシャンで、博士みたいなんですよ。うちに遊びにきた時、ルーパー(録音したものをループ再生する機器)の練習をしていたのですが、それは仕事という感じではなく、いわゆる団欒でした。当時、「さもありなん」ができかけていたので、僕が「こんな感じの曲を弾きたいんだよね」と弾いていたら、そこに庸介くんがルーパーで参加してくれて。そこにディレイ(山びこのように音を繰り返すエフェクト機器)など色んなものを駆使していて、実践としてやってみたいと思い、僕がギターを弾いて、妻が足踏みオルガンを弾いて、「なんか曲ができちゃったね」と。なので、アレンジャーに頼むとかではなかったんです。

――自然とできてしまったんですね。

 仕事でもなく遊びみたいなものなんですけど、そういう境のない時間でした。音楽をやっていて一番理想的なカタチで、そのまま庸介くんに、「これを再現するようなカタチになってしまうけど」と話して、真っさらな気持ちで作ってもらいました。こういう有機的な作り方って、バンドでもない限りなかなかないと思っています。

――セッションで生まれたものを再構築したようなカタチだったんですね。さて、「さもありなん」は、森山さんにとってどんな立ち位置の曲になったと感じていますか。

 20年やってきて、「いくぞ!」みたいなアスリート的な表現も昔はあったんです。でも、こういったお喋りの延長線上にあるような音楽を作り続けたいと言ってきていたのですが、仮に作っているときはそういう風にできたとしても、ライブなどで披露する時に力が入ってしまうものなんです。「さもありなん」はそういった境がない曲で、同じようなコードを連続して弾きながら、響きの良い言葉たちで表現できた曲だと思っています。こういう曲にずっと出会いたかったんだなと思いました。「素晴らしい世界」という曲ができたことは自分の中でもすごく大きかったのですが、ある意味これまでの森山直太朗を否定、壊す表現でもありました。その壊した瓦礫の中から、「さもありなん」という原石に出会えたという自負はあります。自分に無理のない表現を体現している曲です。

――『原画』も「素晴らしい世界」の延長線上にありますよね?

 『原画』は、自然体も自然体で、本当だったらこんなところを見せるのも恥ずかしいというくらい、とても僕の日常に近いものなんです。

――ノイズもそのままですし、着飾ってないですよね。

 うん。去年の6月、7月に弾き語りライブをやったのが大きかったです。そこからさらに核心的なところに迫ったときに、曲の本質みたいなものは恥ずかしさの奥にあるんじゃないかって。緊張したり自分が失いたくないと思うものや、手放せない弱さはもちろんのこと、エンターテインメントする上で自分のサービス精神があるのは事実です。でも、そういうところを取っ払ったところに、原石としての本質があると思ったので、ここは一度自分なりに、作品に落とし込むということをしたかったんです。これを再現するのはまた違う緊張感がありましたけど、弾き語りで培った無限の空間や、「さもありなん」ができるまでの過程は、自分の中の体感として大きかったかもしれないです。

――『原画』や「さもありなん」のような曲がリリースされ、21年目に突入した今、原点回帰といった面もありますか。

 あります。僕、10周年、15周年の時も原点回帰と話していて、取材の度に毎回「原点回帰です」と言ってる気がするんです。でも、これが最後の原点回帰だなと感じています。それは、たぶんこれ以上掘り下げても何も出てこないと思ったからで、もし、またどこかで原点回帰とか言っていたら、ツッコんでください(笑)。

(おわり)

■映画「ロストケア」主題歌
森山直太朗 「さもりありなん」
https://lnk.to/samoari

■映画『ロストケア』 3月24日全国公開
公式サイト:https://lost-care.com/

出演:松山ケンイチ 長澤まさみ
   鈴鹿央士 坂井真紀 戸田菜穂 峯村リエ 
加藤菜津 やす(ずん) 岩谷健司 井上肇
   綾戸智恵 梶原善 藤田弓子/柄本 明
原作:「ロスト・ケア」葉真中顕 著/光文社文庫刊
監督:前田哲 脚本:龍居由佳里 前田哲
主題歌:森山直太朗「さもありなん」(ユニバーサル ミュージック)
音楽:原摩利彦
制作プロダクション:日活 ドラゴンフライ
配給:東京テアトル 日活 ©2023「ロストケア」製作委員会 

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