甲斐バンドが9月23日に、ベストアルバム『Best of Rock Setかりそめのスウィング』(7月26日発売)を引っ提げて全国ツアー『KAI BAND TOUR かりそめのスウィング2017』をスタートさせる。10年ぶりとなるベスト盤は、ヒット曲「HERO(ヒーローになる時)」や「安奈」、カバー曲「非情のライセンス」など全23曲を収録している。今回のベスト盤を巡っては、収録曲順にツアーのセットリストを組むことを発案。そのため甲斐よしひろは「アバウトにやると自分達の首を絞めることになる。凄く切実に緊迫して考えた」と曲順案を100通り以上出して決めた。アルバムの芸術性をライブでも追求していくという甲斐が考える理想形とは何か。
誰もやったことがない所でやることがバンドの売り
――いきなりですが夏はお好きですか?
好きですね。でも今、20、30代の年齢だと大変だよね。この痛々しいような暑さの中で、フェスは観に行く方もやる方も(笑)。僕らが今20、30代じゃなくて良かったと思いますよ。
――そうは言いましても、昨年は真夏に『THE BIG GIG AGAIN 2016』のライブを…。
いわゆる晴れ男で、僕が何かやるときは絶対に雨が降らないんですよ。あの日はピーカンだったけど、暑くなくてカラッとしていて。風もちゃんと吹いていたからね。今、その映像の編集を延々とやっているところなんだけど、映像で観ていても全然辛そうじゃないよ。
――『THE BIG GIG』と言えば、甲斐さんはあらゆることのパイオニアです。例えば初めてワイヤレスマイクを使ったり、仮設トイレを野外ライブで初めて設置したりと。
僕らの同じ世代の人達は、野球場でしかやらなかった。そこだと、トイレもついているし売店もあったりして、便利じゃないですか。でも、それじゃ普通でつまんない。誰もやったことがない所でやる、というのがその当時、バンドの売りでもあったから。
最初は箱根の芦ノ湖畔でやって、その次は花園ラグビー場でやって。それで、いよいよ都庁の広い所でやろうとして、許可が出たときに「インフラ(注1)をどうする?」という話になって。ウッドストック(注2)では1968年のときに仮設トイレがあったことを急に思い出して、もう20年くらい経っているからあるんじゃないかと思っていたら、実は代理店があったんです。
(※注1:インフラ=電気、水道、トイレなどの公共設備。
注2:ウッドストック=1969年に米・NY郊外でおこなわれた、40万人規模の野外フェスティバル)
――仮設トイレの代理店ですか?
そう。逆に言えば代理店しかなかった。何個あるかというと20個近くある。それで3万人集まるということで、翌日にどれだけ生ゴミが出るかというデータもあの時にとっている。それが今のフェスの基礎になっています。
――今のフェスにも貢献しているデータなのですね。そういった新しいことは常に考えていらっしゃいますか?
いいや(笑)。5、6年前に薬師寺はやりましたけど。僕らが薬師寺をやったらみんなやり始めたよね? 花園ラグビー場をやったのは、「ロックは格闘技だ」みたいに言っていた時代で。「じゃあ花園ラグビー場へ行こうか」ということだから。バンドの成長とバンドの流れとバンドのスタイルに関係があるので。
――ベストアルバムについてお聞きします。9月23日からおこなわれるツアーと連動しているということで、今回のベストアルバムの曲順がそのままツアーの曲順、セットリストになると。
まず10年ぶりのベストアルバムの話からすると、ありきたりに曲を並べるだけじゃつまらないので、「かりそめのスウィング」と「ちんぴら」は新しくレコーディングしていて、そのときにカバーも1曲やりたいなと思って。『キイハンター』(*昭和40 年代の人気アクション・ドラマ)の主題歌を野際陽子さんが歌っていて、その「非情のライセンス」をやろうと。僕らの世代はみんな知っている有名な曲です。
作品としても非常に良い曲なので2、3年前にやろうと思っていたんだけど、今回ベストアルバムが出るので、じゃあということでカバーして。そういったフックがあった方が弾みがつくので、他に何かないかなということをずっと考えていて、じゃあベストアルバムの曲順通りにツアーもいこうと思いついた。
――フックですか。
これはアバウトにやると、自分達の首を絞めることになるじゃない? いざツアーの段階になると。だから、もの凄く切実に緊迫して曲順を考えたんだよね。一応、2ndシングル「裏切りの街角」から一昨年、船越(英一郎)さん主演のドラマ『新・刑事吉永誠一』の主題歌の「Blood in the Street」というところまで全部網羅されている、そういうベストアルバムです。「カバーもあります」、「ニューレコーディングもあります」、でもそれ以上にもっとアイディアがあったら面白いなと思って、アルバムの曲順通りにツアーもやりますと。
――ニューレコーディングされている曲を選ばれた基準はどういったものだったのでしょうか?
新しいアプローチを試したいということはずっと思っていて、例えば「かりそめのスウィング」だったら、オリジナルにはドラムは入っていないけど、ブラシを使ったドラムを入れて、もっとジャジーにしたいという思いはずっとあったんだよね。
――過去の楽曲を歌い直すということは、どのような心境でしょうか?
新しいアプローチを試したいと思わなかったら、別に歌い直さなくてもいいかな、ぐらいの感覚かな。全てが別にパーフェクトではないからね。時代によっての変化、時代の息吹みたいなことで、そういうアプローチを試したいという思いは出てくるよね。
――「グッドナイト・ドール」はニューリミックスですね。
最初にやったミックスがずっと気に入らなくてね。せっかく、こうしてベストが出るので、これはもう一回ミックスをきちっとやった方がいいと思ったんだよね。
――ベストアルバムとは、甲斐さんにとってどういう位置づけでしょうか?
こういうのは時代からの要求や、レコード会社のオファーがない限りはなかなか実現しないじゃない? 今回は時代の要請もあるし、レコード会社もそう言っているし、僕らもそう思ったし。
9月23日から甲斐バンドのツアーがある、レーベルはベストアルバムを出したい、僕らもベストの中でやりたいことがある、という感じ。ツアーに向けて何か新しいことをやりたいなと思っていて、だったら、凄く面白いベストアルバムが出来るかもしれないなと。
――カバーである「非情のライセンス」を歌ってみていかがでしたか?
思った以上に甲斐バンド的になったので、びっくりした。しかもファーストテイクでOKでさ。3回録ったんだけど、ファーストテイクが良いということは、そのアイディアとアプローチがちゃんとしているということなんだよね。
――ということは「HERO(ヒーローになる時、それは今)」などもファーストテイクが良かったりしたのでしょうか?
「HERO(ヒーローになる時)」は1テイク目で「安奈」は2テイク目だったかな。
――覚えているのですね。
そうだね。「安奈」は1テイク録って、やっぱり生ギターが必要だなと思っていたら、スタジオのロビーに「食事に行こう」と浜田省吾が迎えにきていたから「弾いてくれる?」と話したら「いいよ」と。浜田くんが快くやってくれて。
――すごいお話ですね。「HERO(ヒーローになる時)」のエピソードはありますか?
これは大変だった。ちゃんとナンバーワンを獲りにいかなければいけなかったから。当時CMがあって、それが何百億のビッグプロジェクトで。コケたら大変ですよ。でも、もう「その瞬間が来た」という感じだったから、プレッシャーはなかったね。当時バンドは中野サンプラザ公演を3日間やっても2時間でチケットが売り切れるくらいの感じで、シングルも売れていてアルバムもベストテンに入っていたのだけど、シングルのチャート1位だけがなかったから、そこを目指してという感じ。
――当時1位を獲ったときはどんな気持ちでしたか?
ナンバーワンを獲らないと見えない風景がある。その風景を見てみたいと思った。
――やはり、そこからガラッと世界観が変わりましたか?
そんなことはなかったね。あまり浮かれないようにしないとみたいになって。
アナログはもっと芸術性が高い
――今の若いバンドを見てどう思われますか?
今はネットもあるし、多様化してるよね。だからピコ太郎のような現象も起きる。色んな切り口があって、面白いと思う。僕らは僕らで、情報が全然ない時代でロックミュージックも市民権がない時代を切り開いていって、それはそれで面白かった。時代とともにどんどん変化して行くからさ。僕らの時代はアナログレコードだからね。
――アナログレコードからCDへ移る転換期には何か違和感はあったのでしょうか?
なかった。実際はそんなこと言っている場合ではなく、CDとレコードの2種類作らなければいけなかったし、ジャケットもサイズが全然違うから。アナログでもCDのサイズでも通用するようなインパクトのあるジャケットを選ばなければいけなくなる。当時はもの凄く考えたね。マスタリングも2回やるし、アナログとCDでは収録できる時間も違うからね。
――アナログにはA面とB面がありますからね。
A面が終わって、ひっくり返してB面の頭にまたインパクトのある曲を入れなきゃいけない、と考えるんだけど、CDはまた違うじゃない? だから、CDの場合はヒット曲などを前の方に並べていくことになる。アナログはもっと芸術性が高いというか、作品としてちゃんと成立するように作って行くんだよね。だからアナログの方が良いアルバムは生まれやすかった。A面の頭はもちろんインパクトがある曲を入れて、A面の最後はラストをかざる曲じゃないとな、という感じで。
――今、アナログレコードのリバイバルが起きているので貴重なご意見です。
でも、今はたぶんそんなこと考えていないよね? 気が付いた人はやると思うけど。ビートルズの『アビイ・ロード』も『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を聴いてもそうなってる。だからA面とB面がある方がやっぱり面白いよ。
――今作は2枚組ですが、そういった意味でも2枚目の1曲目はそう考えて選曲をされたわけですね。
そう。「非情のライセンス」はインパクトがあるから、そこに持ってきた。そうは言っても、それを全部ツアーの流れでやる訳じゃない? だから中盤に「かりそめのスウィング」とか「安奈」とか、そういうバラードっぽい感じの曲をやっておいて、Disc2の「非情のライセンス」、ここからジャンプアップしていくという内容になってて。聴いた人は何回か聴くうちにわかると思うよ。
――今回のライブの演出面はどのようになりそうですか?
かなり大掛かりになるかな。今はそれ以上言えない。秘密をバラすことになるからね(笑)。
曲順も100通りくらい考えた
――アルバムの芸術性はあると思いますが、ライブに対しても芸術性を求めますか?
アルバムって、昔はそういうものだった。Maroon 5やRed Hot Chili Peppersみたいなバンドは、そこをちゃんと考えてやっているし、世界にはそういうバンドがいてさ。ライブはインパクトがあって、どれだけ客を乗せられるかというのが勝負だと思うんだけど、もっと冷静に逆算しないといけないし。1曲目のインパクトがあればもういいんじゃないか、というものではないからね。
――もともと持っている感性を表現されたものがこういった形に表れるので、意識をしないでも浸透されるのは当然かなとも思います。
今回は特別だけどね。結局、この曲順がツアーの曲順になる訳だから、このベストアルバムを聴いた人が「HERO(ヒーローになる時、それは今)」が2曲目なのは当然だろうなと思うんだけど、ツアーのライブで観たときに「HEROが2曲目なの?」とびっくりすると思うんだよね。
だからどっちの客も満足させる内容にしておかなければいけなかったから、もの凄く緊迫しながら、考えた挙げ句にやっとここに到達しています。考え過ぎて死ぬなと思ったもん。オアフに10日間逃げたからね(笑)。
――選曲は、ライブを想像しながらでしょうか?
そうそう。「さあ、これからあと何日でツアーだ」ということでリハーサルをやり始めるよね。さっきも言ったけど、下手な選曲をしていると、自分の首を絞めることになる。「こうしておけばよかった!」みたいに。それだけは絶対に避けたかった。だから滅茶苦茶、緊迫してた。
――お客さんもCDを何回も聴いてライブに臨みますよね。
そうだね。CDとしての流れも成立していないとカッコ悪いじゃない? だからCDとしても、ツアーとしても成立させるということになると、もの凄く細い可能性の所を探っている訳で、小さな奇跡を起こすようなもんだから。でも、たぶんこれは大丈夫。何回もシミュレーションしたからね。
――そのようなところにも芸術性を感じます。
ライブも“流れ”がないと駄目じゃない? 流れるような“流れ”があって、気が付いたら最高にオーディエンスが盛り上がっていると。ちゃんと聴かせ所もあってインパクトもあって、エンターテイメントはやはり「おもしろうて やがてかなしき」ということが最高なわけだから。
――良いライブをおこなうコツなどあるのでしょうか。
ライブで抜群に良い出来のときは、忘れることだね。そのライブを思いながら次にやると、客は違うし街も違うから、その残像を追ってはいけない。悪いライブのことは覚えておきながら、良いライブは忘れる。それが長くライブが出来る秘訣だね。
――それは早い段階で気付かれたことなのでしょうか?
僕らはライブを年間150本くらいやってたから。しかも全部ホールクラスで。だから、そのことは20代の中盤くらいでわかってたね。今の若いバンドはそこまでタフにツアーをやらないでしょ。
【取材=村上順一】