音大卒で舞台経験も、異色の経歴 松阪ゆうき 演歌を選んだ理由
INTERVIEW

音大卒で舞台経験も、異色の経歴 松阪ゆうき 演歌を選んだ理由


記者:木村武雄

撮影:

掲載:16年05月27日

読了時間:約19分

セカンドシングル「南部恋うた」を発売した松阪ゆうき

セカンドシングル「南部恋うた」を発売した松阪ゆうき

 演歌歌手の松阪ゆうきが25日に、2ndシングル「南部恋うた」を発売した。幼少期から演歌や民謡に触れ、進学した音大では声楽を専攻。教員免許を取得するも、その後の活動はミュージカルと、演歌歌手では異色の経歴を持つ。それ故に体に染み込んでいる歌唱法は多岐におよび、甘いマスクから情感たっぷりに届けられる歌声にはオペラや民謡のエッセンスも感じさせる。愛嬌のある語り口や品格漂う雰囲気も手伝って女性の心を虜にさせている。後ろ髪を引かれる恋心―。そんな思いにさせる「南部恋うた」。新曲への想いとともに、なぜ演歌歌手の道に進んだのか、背景を聞いた。

オペラ、民謡の要素も

松阪ゆうき

松阪ゆうき

――新曲「南部恋うた」について伺います。私見ですが、前作「ふるさと帰り」とは全く異なる印象を受けました。前作を最初に聴いた時は「あれ?オペラの要素がある?」という印象を受け、2回目では「あれ?民謡だ」と。一方で新曲は、最初の導入こそ「民謡」の発声を感じさせるものの、全体的に「ザ・演歌」という具合で。この変化は何か意図されてのことなのかな、と。

 なるほど! 確かにそうですね(笑)。それは、オペラの癖が出ているかもしれませんね。まず「ふるさと帰り」は、民謡出身という所から楽曲を作って頂いた感じでしたので、なかには“あんこ”と呼ばれる民謡の一節が入っていたり、割と「パーン」と声を出すイメージのものもあって、民謡テイストのなかで歌わせてもらいました。それと自分は、音楽大学でオペラなどを勉強していましたので、そういう所が出ているのかも知れません(笑)。

 そして、今作は、広く皆さんにも聴いて歌って頂けるように、という思いがあります。先ほどもお話しましたが、前作には“あんこ”があって、その部分が「難しくて歌えない」という意見も多数ありまして。嬉しい事に最近は、カラオケ大会で自分の楽曲を歌って下さる方が増えています。しかし、「やっぱりあそこがすごく歌いづらい」という声を頂いて。南部地方、岩手のイメージですが、曲調は民謡の沢山ある東北のイメージを演歌調にして頂いたという感じです。

――前作も今作も民謡がベースなんですね?

 前作は本当に民謡を全面的に押した感じだったんですけど、今回はそこまで民謡が前面に出ているというか、ちょっと大衆的というか。先ほどもありましたが演歌調に作って頂いたという感じです。

――「“歌いづらい”というファンの声に合わせて曲調を変えた」という趣旨のお話がありました。聴いている方に寄せたということで宜しいでしょうか。

 曲の雰囲気はどちらかというと、聴いている方々にも歌って頂いて愛されて欲しいという思いもあったので、ディレクターさんなど色んな方と相談して作って頂いた感じです。

――松阪さんが持っている特徴的な歌声は、ベースがオペラや民謡だったりすると思いますが、それと、「リスナーが歌いやすいもの」という折り合いといいますか、“需給のバランス”を考えられたという認識は?

 どうなんですかね…。一作目ではどちらかというと「聴いて頂く」という方に寄っている感じなので、そこの差というのが多少あってもいいのかなという所で、二作目は「広く歌って頂ける」という方に寄せた感じではありますね。

――今後の作品についてはその時によってスタンスを変えていくこともありますか?

 今はまだその先がどうなるかはちょっと分からないですね(笑)。

自然と触れた民謡、演歌

松阪ゆうき

松阪ゆうき

――松阪さんのお祖父様が民謡をなさっていたという事ですが、民謡一家なかで育ってきたのでしょうか?

 民謡をやっていたというよりかは、好きで自らラジオやテープで民謡を聴いたり歌っていたという感じですので、そんなに本格的に「すごくやっていた」という訳ではないんです。

――民謡をやる会合などの場があって、お祖父様がそこに行くのに付いていったなどはあったのでしょうか?

 そういう「出て行って歌う」というよりかは…。自分が小さい頃、おばさんか誰かの結婚式の時に歌ったらしいんですよ。でも祖父が民謡が好きで聴いたりしてやっていたのは知っていたけど、人前で歌っているのはウチの親ですら聴いた事がなかったと。「それ、大丈夫なのか?」という感じだったんですけど、結婚式で実際に歌ったら「そんなに声が出るの!?」と皆が驚いたらしいんですよ。人前にガツガツ出て行くというような人ではなかったみたいなんです。

――そんななかで音大に進学したきっかけは?

 民謡とかというよりかは広く音楽を勉強したいなという事と、高校生の時は「中学校の先生になりたい」と思っていて、教員免許が音大に行ったら取得できますし、昔から音楽が好きだったので音楽の先生がいいかな、と思って音大に行ったという感じです。

――当時はどのような音楽が好きでしたか?

 高校生や中学生の時は普通にJ-POPとかが好きでしたし、カラオケに行ったらそうした音楽も歌っていました。でも、小さい頃に演歌や民謡に触れていたというのもあるので、ジャンルとかはあまりとらわれずに音楽という一つのくくりで勉強できたらいいかなと思っていました。

――松阪さんは音大をご卒業された後、ミュージカルの道を歩んで、そして昨年演歌歌手デビュー。異色と言えば異色ですね。

 そうですね。

――民謡や音大、そしてミュージカルと歩んでこられて、最終的に演歌の道を進まれた背景やいきさつに興味がありまして。色々な選択肢があるなかでなぜ演歌の道に進まれたのか。私の世代だと演歌は今よりも身近で、ものまね番組が盛り上がった時代と言いますか、“ものまね四天王”と呼ばれる方々が真似されている演歌をよく口ずさんでしました。松阪さんが演歌に触れるきっかけはいつ頃でしたか?

 小さい頃に祖父が聴いていたのが原点だと思います。3歳の頃ですかね。近所に住んでいたおばさんがカラオケが凄く好きで、当時のカラオケ機材、“8トラ”と言うんですかね。家にマイクを繋いで歌っているような人だったんです。自分は何も分からず、祖父にいつも連れて行ってもらって。歌っている姿を見よう見まねで一緒に自分も歌っていたという思い出はあります。

 そのおばさんが良く歌っていたのが、テレサ・テンさんの「つぐない」という事もあって、自分が最初に覚えたのもそれでした。小さい頃からそういうふうに触れていたので、演歌というところの導入部に関しては、自分は同じ世代の方々よりかは小さい時に身に付いた“免疫”があったんだと思うんです。かといってそればかりが好きだったという訳でもなく、中学生や高校生の時はみんなと同じように流行っていた曲も聴いていましたし。

――色んな音楽を自然に?

 自分が「いいな」と思っていたものを聴いていました。だからジャンルとか関係なく、「コレいいじゃん」と思ったら、聴いて歌って、という感じでした。

――まさに子供ながらの感性で選んでいた。

 「コレいいな」と本当に思うものを歌ったりしてたという感じですね。

――おそらく、子供の頃に身に付いたものは自身のベースになっていて、大人になってもそれほど変わらない気がします。

 子供の頃はそれが良いかというよりは、聴いていたのを覚えていったという感じもあるんですけど、中学生くらいになってくるとMr.Childrenとかそういったのも聴いていましたし、その頃の90年代に流行っていたようなB'zなども聴いていました。色々聴いていましたね。それで音大を受けるという事になってからは、クラシックとかオペラとか、オペラ歌手のテノールの曲とか、劇団四季とかがやっているようなディズニーのミュージカルの曲とか、色んな曲を聴きました。

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