盲目のバイオリニスト白井崇陽、“見えない人に手話を伝える”難題への挑戦
INTERVIEW

白井崇陽

「フラットな気持ちで観てほしい」“見えない人に手話を伝える”難題への挑戦


記者:村上順一

撮影:村上順一

掲載:22年10月26日

読了時間:約9分

 映画『こころの通訳者たち What a Wonderful World』 が、10月22日より新宿 K's cinema で公開。本作は耳の聴こえない人にも演劇を楽しんでもらうために挑んだ、3人の舞台手話通訳者たちの記録。 その映像を目の見えない人にも伝えられないか? 見えない人に「手話」を伝えるには という難題に挑戦。それにアドバイザーとして参加したのが、本作にも出演する白井崇陽(しらいたかあき)。

 彼は3歳の時失明して以来、親の勧めでバイオリンとともに育った。 本業はバイオリニストであり、作曲家。彩木の手話朗読劇にも参加。 パラ競技の世界大会では、三段跳びで入賞の経験もある。 インタビューでは、視覚障害者に手話を伝える、言語化するために考えたことや、ドキュメンタリーの舞台裏、コミュニケーションについてなど多岐に亘り、白井崇陽氏に話を聞いた。【取材・撮影=村上順一】

僕らの知らない情報がてんこ盛り

村上順一

白井崇陽

――手話を言語化するというお話を聞いた時どう思いましたか。

 当初、手話を言語化することは決まっていませんでした。手話通訳を舞台でやっているドキュメンタリーのショート映像に音声ガイドをつけるというお話で、僕は呼ばれたんです。やっていく内に「手話に一つずつ言葉を付けませんか?」というお話が出ました。このプロジェクトは終始分岐が多かったです。

――やりとりの中で白井さんちょっと怒っていたような(笑)。

 「ただ手話に言葉をあてるだけだったら、要らないですよね?」と言って、このプロジェクトを全否定しているみたいになっちゃったこともあったりして。でも、怒ってはいないんですよ(笑)。みんな、これが何をするための現場なのかわからなくて。「これは何の音声ガイドをつける感じでしょうか? というか、要りますか?」みたいなところから入りましたから(笑)。僕は見えないから、手話通訳の人たちがやっている細かなことまで知るという考えがそもそもなかったんです。喋っていることで演劇の内容はわかっちゃうし、ナレーションも入っていたので、その時点でどこで何が行われている現場なのかというのはわかっていました。

――理解されるまでに時間が掛かったんですね。

 目が見える人たちからすると、主役は演劇の舞台ではなく手話通訳者さんたちだから、その人たちの情報が僕らに入っているかといったら全然そうではなかったんです。音声ガイドの台本を3人で分担して書いてきてくださって、それを当ててもらった時に僕らの知らない情報がてんこ盛りでした。全体像は掴めていたと思っていたし、そんなに足りない要素はないと思っていたんです。通訳者さんたちが主役とするならば必要な情報がいっぱいあることをそこで初めて知りました。「じゃあやはり必要ですね」となって色々と進んで行きました。

――白井さんにとって今回、一番の発見は?

 いくつか大きな発見がありました。1つは、聴覚障害や視覚障害をもっている人というのは、お互いのことを知って意識はしているけど、なかなか交わることがなかったんです。映画に関しても、僕らは字幕を見ることはできないし、聴覚障害者の人が音声ガイドを聞くこともないですから。お互いそういうことをやっていることは知っていて「頑張ろうね」と応援はしているかもしれないけど、そこが混ざることは今までほぼなかったと思うんです。

 その中で一番びっくりしたのは、音声ガイドの内容を字幕にしてほしいということです。音声ガイドで何を言っているかを知りたい、もしくは知った時に面白いと思ってくれたことが目から鱗というか。字幕でフォローしていることをあえてもう少し深く説明していることだったりするので、それは不思議だなと思いました。実際それを聴覚障害者の人が見て面白いし、初めて音声ガイドの世界に触れることができて、「横並びだった世界がちょっと手を繋げた瞬間があった気がする」みたいな話を聞いて、それは僕も意外でした。

――斬新ですよね。

 健常者の人たちから見て障害者に壁があるとして、それを取り払うのがバリアフリーという発想だと思うんですけど、実際は障害をもっている人たちも自分で壁をもっているんだなと思っています。他の障害の人たちに対してわかる部分もあるし、健常者の人たちよりもわかり合える部分もあるけど、逆に言うとわかり過ぎて聴覚障害者の人たちには視覚障害者が使っている音声ガイドは要らないでしょと、僕らの方が思ってしまっていたのではないかなと。

 シネマ・チュプキ・タバタで字幕や音声ガイド付きの映画をやっている時に、僕は目が見える健常者の人と一緒に観に行きたいと思うんです。それは、僕らの感じている世界、僕らが必要としている世界や、それを聞いてその人の世界が広がったらいいなと思っているからなんです。だから音声ガイドを字幕にするのと同じことを僕は健常者の人たちにやっているわけなのに、聴覚障害者の人たちに対しては「要らないんじゃない?」と思ってしまったと。それって同じことなんですよね。

――確かにそうですね。

 だから本当は僕らこそ、それを思っちゃ駄目だと思う反面、僕らだからこそわかりすぎて障害を障害として区切ってしまう考えに無意識になってしまっていたというところに気づけたのが大きかったです。このドキュメンタリーの中の内容が精査されて、みんなが選べるような時代になったらいいなという気づきがありました。

 実際の手話通訳をやっている人たちの難色というところと、手話をやっている人たちのラベリング(手話を単語表記したもの)をする乱暴さというのを僕らは知らなかったし。その話を聞いて初めてわかって、一回「もうこれ、無理じゃない?」というところまでみんな考えが行ったと思うんです。でも何とかやる方法はないかというところで、プロデューサー 平塚(千穂子)さんがまた立ち上がってきてその熱意にみんなが引っ張られて完成までこぎつけたと思っています。

――私は攻めの情熱を感じましたから、そこは皆さんも感じてもらえるんじゃないかと思っています。

 白熱して「駄目かもしれないけどこうしたらできるかもしれない、立ち上がろうぜ」というところでスケジュール的に僕が参加できなくなってしまい、感動の場面には立ち会えていないんです。完成した映像を観てやっと追いつけたというか。みんなのグループメッセンジャーとかみていると涙の大団円みたいな感じだったので、僕自身は「何があった!」って(笑)。ただ、僕の立ち位置で言うと、参加できていたところまでで、自分の仕事は終えていけたのかなという気がしています。でも最後までいたかったという、思いはありました。

声の方がごまかしがきかない

村上順一

白井崇陽

――白井さんはコミュニケーションについて、どんなことを思いながら人と接していますか。

 音楽もそうですけど、僕は目が見えないということもあって、声や音という情報は何よりも大きな意味を持っています。でも、僕はもともと音声ガイドは使わないほうで、視覚障害者の人たちがみんなそれを必要として聞いているかというとそうではないんです。音声ガイドを聞いたことがない人、知らない人もまだまだ沢山いるし、知っていても使わないという人たちもいます。

――それぞれ違うわけで。

 僕はシネマ・チュプキ・タバタに行った際には音声ガイドを聞きたいと思っているんですけど、基本的に最初は音声ガイドがない状態で、まずそのまま感じたいというのが強いんです。僕も自分の作曲した曲を「いいですね」と言ってもらえて、それがSNSなどで拡散されたとして、そこで「この曲はこういうイメージの曲だ」みたいな感じで全然違う方向性で内容を拡散されたりしたら、やっぱり違うよって思うところがきっとあると思うんです。

――断定されてしまうと困りますね。

 でも別にいいんですよ。作品って、どういう感じで受け取ってもらってもそれは受け取り方で、僕らはそれに関して何も思わないし、ありがたいことだと思うんです。あくまで、その人の意見という形ならいいけど公式的な感じで「この作品はこういう表現をしています」という感じで、決めつけた形で発信してそれを拾われちゃうのは嫌ですけど。

 ある意味、音声ガイドは作品の中にないものをプラスしているので、台本を作っている人やモニターをやっている人のさじ加減や読み手の声の雰囲気、読み方ひとつとっても視覚障害者に対して作品に対する影響が大きいと僕は思っています。音声ガイド自体があることは意味があると思っているけど、最初はまっさらな状態で聞きたいなと思っていて。そこでわからなかったことやわかったことを、音声ガイドを聞いて「こういう答えもあったんだ」「こういう映像が映っていたんだ」という補完をする順序で聞きたいなと思っているんです。

――2度楽しめますね。

 それくらい声や音は、僕らにとっての情報源として凄く大きいんです。映画などで効果音があったり、息遣いまで入っていたり、それをカットしていないということはそこに意味があるわけじゃないですか? それによって僕らは凄く表現を感じることができるんです。なので、音声ガイドがない状態でも楽しめるようになるんじゃないかなと思っていたり。なければ絶対に無理なものもあるんですけど。

――音がないSNSはどのように感じていますか。

 やっぱり、SNSなどの文字だとわからないんです。もちろん読み解くことはできるし、慣れてくればその人の感情を拾うこともできるかもしれないけど、やはり直接会って話すと、人柄などは声や喋り方、テンポなどに凄く出てきます。表情が見えたとしても、表情よりも声の方がごまかしがきかないと思っています。ダイレクトに言葉のやりとりをすることで相手の言葉をちゃんと聞くし、聞かないと情報が得られないから、そういう意味で上の空にならないというか。相手の言葉をちゃんと聞いて、それに対して自分の言葉と声で返すところを気をつけることがコミュニケーションにおいて一番重要なことなんじゃないかと思っています。

――話を聞くというのは本当に重要なことだと思います。

 それが足りないと誤解を招くし、だから文字って怖いなと思っていて。そんなつもりなくても、LINEで送った一言に激怒されてしまうこととか。でもそれが電話だった大丈夫だったり。そういうのがコミュニケーションにおいて重要というのも、僕らは見えないからこそ強く感じているという気はします。

――確かに同じ言葉でも声のトーンで全然印象が違ったりしますね。

 そうなんです。音楽だってインスト、歌詞、歌ものがあって、全部イメージが違いますよね。有名な大ヒット曲でも詞だけ読んだら、よくわからないものもあれば、逆に詞は凄くいいのに曲を聴いたら「ん?」というのもあったり。僕は中学校での公演を10数年やっていて、最初の2年くらいは演奏とお話をしていました。でも子どもたちに対してもうひとつ届けられるものが足りない気がして歌を作りました。歌詞は最終的に書いていただくことになったのですが、歌になった瞬間の子どもたちの印象の違いを凄く感じました。インストが弱いというわけではなく、歌ってすごく強いんだなと。コミュニケーションの時に言葉にしてその人が喋ることが、歌にして届けた時の力と同じなのかなという気がしています。

――この作品はどのように観てもらえたら嬉しいですか。

 この映画を観た時に「これが正解だ」とか「こうすればいい」とか、そういう答えを知るための映画じゃないと僕は思っていて。これをやったことによって、みんなが色んなことを考えて、たくさんの人が「良し!」となるのならそれが正解になると思うけど、恐らくわからなかったり、否定する人たちも少なからずいると思うので、そういうのも含めてフラットな気持ちで観に来てほしいなと思います。これを観て「凄く大事なことを知ろう」という覚悟で来られると、もしかしたら誤解を招くかもしれないなと。

――何事においてもフラットというのは重要かもしれません。

 今回のプロジェクトの中で、みんなが一歩踏み出した結果がこうだったというだけですから。それを当たり前にされても困るし、他のものに当てはめられても何か間違いが起きてしまうのかなという気がしているので。純粋に面白いなと思ったら取り入れてほしいし、駄目だなと思ったら何が駄目なのかと、それを議論してもらえるのが一番いいなと僕は思っています。

(おわり)

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