藤吉久美子「女優よりも歌手になりたかった」デビューの舞台裏を語る
INTERVIEW

藤吉久美子「女優よりも歌手になりたかった」デビューの舞台裏を語る


記者:木村武雄

撮影:[写真]藤吉久美子インタビュー1

掲載:15年02月21日

読了時間:約6分

 女優の藤吉久美子が4月23日に自身初のライブを東京・南青山MANDARAで開く。NHK朝の連続テレビ小説『よーいドン』(1982―83年)でデビュー。その後、数々のドラマや映画、舞台に出演。昨年はNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』で黒田官兵衛(岡田准一)の継母・ぬいを演じた。輝かしい女優人生を歩んできたように見えるが、意外にも女優業を志して芸能界入りしたわけではないという。これまで明かされなかったデビューの舞台裏、そして初のライブに懸ける思いを聞いた。

<ドラマ情報>土曜ワイド劇場「温泉(秘)大作戦(15)」

断り続けた女優への道

 藤吉久美子と言えば女優一筋のイメージが強い。しかし、昨年出演したテレビ番組で「女優ではなく歌手になりたかった」と告白し、大いに話題となった。改めてその事を聞くと「あら」と笑みを浮かべ「ダンスがしたくて大学に進学したの」と語り始めた。

 高校時代はピンク・レディーに憧れた。ダンスや歌が好きで、特にモダンダンスに魅了され、開業医・厳父の反対を押し切り、大阪芸術大学芸術学部へと進学、舞踏を専攻した。このままダンスの道に進むはずだった。運命を変えたのは劇団☆新感線との出会いだった。

 「舞踊専攻の先輩が演技演出専攻(劇団☆新感線)の振り付けを手伝っていました。その先輩が卒業するので、代わりの人を見つけないといけない。そこで創作舞踊をやっていた私に『振り付けできるでしょ』と声がかかり携わることになりました」

 「最初の公演『飛龍伝』が終わり次作『広島に原爆を落とす日』をやることになって。そこで演出家のいのうえひでのりさんに『君が主役で舞台をやりたい。だから役者になってくれ』と言われて。でも私『嫌です』と断ったんです。『ダンスがやりたい』って。そうしたら『君がやらないならこの公演はやらない』と言われて。その言葉に責任を感じてやることになったんです」

女優人生を決定づけた舞台、そして朝ドラ

[写真]藤吉久美子インタビュー2

インタビューに答える藤吉久美子。ドラマには欠かせない存在だが意外にも女優業を目指して芸能界入りしたわけではないという

 この舞台がその後の女優人生を決定づけさせることになった。舞台を観劇したNHKのプロデューサーから「朝ドラのオーディションがあるから受けてみないか」と誘われた。しかし「お芝居に全然興味がないので」と拒否。それでも説得され受けることになった。それが『よーいドン』だった。

 関東地区の最高視聴率は43.1%(ビデオリサーチ調べ)を記録。無名だった彼女の名を一躍全国区にした。「もしオーディションを断っていたら今頃はダンスの講師をしていたかもしれないですね」。

 劇中では歌うシーンもあった。撮影前に脚本家の杉山義法さんから渡されたのは関西弁の方言指導テープ、そしてパルチアーノ・パヴァロッティの楽曲テープと譜面だった。「歌唱力も認めてもらえた気がしました。銭湯で歌うシーンは楽しかった」と振り返る。

 ドラマがクランクアップすると、昭和の大女優の一人とうたわれた沢村貞子さんが所属していた山崎洋子事務所に所属する。芝居専門の事務所だったが、藤吉の歌声に惚れ込んだ音楽関係者が歌手デビューを持ち掛けた。

閉ざされた歌手への道

 「レコードを出しませんかという話を頂いて、宣材用の衣装を何着も用意してくれて写真を撮りました。ただ、嬉しさのあまりデモテープを録る前日に風邪気味だったのにも関わらずお酒を飲んではしゃいじゃって。当日声が出なくなってしまって。バンドもスタジオも抑えてあったのに結局カラオケだけ作ってもらって1週間後に1人で歌いましたね」

 デモテープ用に歌ったのは憧れていた松任谷由実の「翳りゆく部屋」「ひこうき雲」「卒業写真」、中島みゆきの「わかれうた」「悪女」。そのデモテープは松任谷由実の手にも渡ったようで松任谷が「この子は自分の歌の世界を持っていていいわね」と話していたことを関係者伝いに聞いて感激したようだ。

 厳格な事務所の社長からは「100%売れるんだったらレコードを出しても良い」と言われたようだが、歌手デビューの話はまとまらず、結局流れてしまった。ドラマやCMが相次ぎ決まるなど売れっ子だった藤吉には、歌手を専念できるだけの時間的余裕はなかった。

 「役者一本の事務所だったから、音楽に関する知識もなかった。少しでも音楽にゆかりのある事務所にいたら違ってたなって思う事もありましたね。でも、諸先輩方々にお芝居の事を沢山教えてもらいました。当時本当に歌手になりたかったらもっと悔しかったと思うし、女優のお仕事で頭がいっぱいでしたし。能力が10しかないのに100ぐらいの仕事ばっかりやっていましたから。それだけで精一杯でした」

 歌手の夢は遠のいたが、厳しい社長、そして恵まれた先輩のもとで演技力は磨かれ、芝居に欠かす事のできない存在へと成長していった。

クラシックとの出会いで見出したもの

 女優人生33年を迎えた彼女がいま改めて自身の夢と向き合う。しかし、なぜ今ライブなのか。きっかけは高校時代の同窓会でゴスペルを歌ったことだった。「歌い出したら楽しくて。コールアンドレスポンスをできる人がいないので学ぶことになった」。

 ゴスペルを本格的に学びたいと門を叩いたのはゴスペル歌手でボイストレーナーの亀渕友香さんだった。師に教えを仰ぎ東京文化会館で行われたクリスマスコンサートに出演、手ごたえをつかんだ。

 「所属していた合唱団の先生(ソプラノソリスト)に『ゴスペルはリズムで歌うものだけど、クラシックのベースはすべての音楽の根源ですよ』と言われ、亀渕さんにも『R&Bでも発声を伸ばしていく、良い声を出すのはクラシックが大事』と。レッスンを重ねてオーケストラをバックに歌ったら全く違う声が出せるようになっていた。サラ・ブライトマン(ソプラノ歌手)の音域も出るようになって。先生も『ハイソプラノね。人が練習しても出せない音域を出せる先天的なものをもっているね』と認めてくださって」

 新たに見出した発声力が歌に対する自信へと繋がった。女優で培った表現能力を組み合わせることで何かが生まれる。初のライブで緊張もあるが、期待は膨らんでいる。

 「昔歌ったユーミンの楽曲を今歌ったらどのような表現ができるんだろうという期待が自分のなかにあります。何が出てくるかは当日のお楽しみ。芝居に絶対ありえない3分間のドラマが歌にはあると思います。俳句や短歌のように行間やメロディラインに込められた物語。既に役が出来上がっている舞台ではなく、ライブでチャレンジすることで歌にしかできない表現方法でファンへの感謝の気持ちを伝えたい」

 夫・太川陽介とはおしどり夫婦でも知られている。その太川の本業は歌手だ。晴れの舞台ともあって共演も期待されるが「こちらからお呼びするのは失礼。まだ太川さんの域まで達していないので」と茶目っ気たっぷりに語った。それでも「そのうち向こうからオファーがきたら行きたい。デュエットいつでもまってるよ。ご要望があれば」とラブコールも忘れなかった。 

(取材・木村陽仁)

 ◆藤吉久美子(ふじよし・くみこ) 1961年8月5日生まれ。福岡県久留米市出身。劇団青年座映画放送所属。大阪芸術大学舞台芸術学科在学中にNHK連続テレビ小説『よーいドン』で女優デビューし、テレビ大賞新人賞を受賞。これまでに数々のドラマ、舞台に出演。代表作に大河ドラマ『毛利元就』などがある。現在、テレビ東京系ドラマ『保育探偵25時花咲慎一郎は眠れない!!』(毎週金曜後7時58分)に出演中。3月28日にはテレビ朝日系土曜ワイド劇場『温泉(秘)大作戦(15)』(土曜後9時)にも出演する。『温泉―』は、温泉宿の仕掛け人が経営不振のホテルを立て直しながらそこで起こる殺人事件を解決する人気シリーズ。今回の舞台は縁結びで有名な出雲地方にある玉造温泉。ゲスト出演となる藤吉はホテル再建のために銀行から派遣されてきた女将・姫島玉緒を演じる。

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[写真]藤吉久美子インタビュー1
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