安田顕が主演する映画『私はいったい、何と闘っているのか』。お笑い芸人・つぶやきシローの同名小説を実写映画化。職場のスーパーでは万年主任、家では典型的なマイホームパパの主人公・春男(安田顕)が理想と現実のギャップに苦しみながらも奮闘する姿を描く。春男の妻・律子役は小池栄子、長女・小梅は岡田結実、職場の部下・高井はファーストサマーウイカ。更に春男が心の拠り所として通う食堂のおばあちゃん役を白川和子が演じる。本作に込めた思いを、メガホンを握った李闘士男監督に聞く。【取材・撮影=木村武雄】
素晴らしい人生なんだ
――安田さんとのタッグは『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』(2018年公開)以来になります。出演の経緯と安田さんの魅力は?
この作品は大きな事件や出来事が起こらないんです。外で起こる出来事なら分かりやすいけど、この作品は内面的なアプローチなのではっきりと見えない。だから役者と監督は共通の意識を持たないとブレるんです。初めて出てもらう役者となるとそういう見えないものを共有できるのか、意思の疎通がちゃんとできるのか少し不安になるんです。よく役作りの話を聞きますけど、3分話して分かり合えない人とは絶対に分かり合えないと思っていて、そう考えると以前にも出てもらって何かある人の方がいい。それが一つの理由で、もう一つは、この作品は切なさが大事で、一生懸命にやればやるほど切なく、滑稽(こっけい)にも見える。そこが魅力なわけですから、それで自然と安田さんの名前が出てきました。
――春男という人物に共感を抱く人は多いと思いますが、この作品で大事にされた軸はなんですか。
人生、大概はうまくいかないと思うんです。それは僕の周りもそうで、それに寄り添いたいというのがありました。人に寄り添い、その人の人生を慈(いつく)しむことができるかどうかが大事でした。春男は万年主任で店長になれない。でもそれが不幸せなのかといったらそうではなくてそれもありなわけで、最終的に春男という人物は「幸せな人だよね」という印象が観てくれる方に残ればいいと思っているんです。何かがうまくいったから幸せというのではなく「うまくいかなくても幸せ、何かを得なくても素晴らしい人生なんだ」というところはブレてはいけないと思いました。
小池栄子、白川和子の存在
――そのなかで妻・律子を演じた小池栄子さんがかなり救いになると思いました。食堂のおばあちゃんを白川さん(元日活専属女優)もそうですが、監督はそのあたりのキャスティングはどこまで関わったのですか。
小池さんはかなり強く僕が希望しました。白川さんは何人かと話しているうちにという感じでしたが、今回は日活(配給=日活、東京テアトル)なので白川さんでしょうと。余談ですが、白川さんがクランクアップした日に花束を渡したんですが、白川さんは「監督楽しかったわ」と抱擁して。間違いなく「白川和子」を抱いた最後の男と言っていいでしょうね(笑)。
――かつては「ロマンポルノの女王」と名をはせた白川さんですからね(笑)。もちろん安田さんが主演なので大事ではありますが、小池さんと白川さんがとても重要な気がします。
そう見てくれるとすごく嬉しいですね。男の人は所詮、女の手のひらで遊ばされているだけなんだろうと思うです。妻律子の小池さんは肝っ玉母ちゃんで、食堂の白川さんはまた異なる要素があって。春男は、スーパーでは店長を目指して頑張って、家庭では言えないこともあって、あの食堂は、まほろば、一つのファンタジーな場所でないといけないと思いました。だから普通のリアリティのあるおばあちゃんではなくて謎の妖精みたいな、生活感というよりも謎の世界にしたかったんです。春男はスーパーでうまいこといかずに泣いて、首を垂れて昼に帰ってくる。そんな彼の感情に寄り添えるのがあのおかみさんの存在。最初の登場シーンからチェロの曲を使っているんですけど、それとマッチしていて、あそこはすごく活きてきていると思います。実はそこからの逆算であの世界観にしているんですけどね。
――監督の出身地の大阪色も感じますね。
そうそう。それも意識しました。それと、食堂のおばあちゃんを登場させたままほったらかしにしたくなかったから、原作にも脚本にもなかったんですけど、春男が「ばかやろう」と叫ぶところで、食堂が閉店したことにして。「あれだけ叫べたら大丈夫」とおばあちゃんが言って、自分の役割を終えたんだと。あの場面でちゃんとした夫婦になれたのかなと、それなら「まぼろし食堂」という場所も必要ないよねと。そんな思いがあったから、そういう見方をしてくれてとても嬉しいです。
本物のお酒
――監督は過去に、映画はテレビと違って観客に想像させないといけないということであえて引きで撮るという話をされていましたが、今回は?
ちょっとニュアンスが違うかもしれない。アップで撮ると「ここで感動して下さい」という決め付けになると思っているから、僕の場合は肝心なところで引くんです。お客さんの感情が一致したときにより感情が深まる。でも伝わらない時もあるんですよ。お客さんの感性と僕の意図が合うとすごく良い感じがあるので、割と大事なところに寄らない事があります。浜辺のシーンも寄ってないでしょ?
――沖縄の浜辺で長女・小梅(岡田結実)と次女・香菜子(菊池日菜子)が春男に駆け寄ってくるシーンですね。水着を期待していました。
違うよ! 僕が言った浜辺のシーンは、春男と律子の回想の話ですよ!(笑)あれもひどい話で、沖縄に行けなかったから伊豆で撮っているんだけど、うちの演出部すごいよ。夜中に東京に集合させて11月なのに「はい!水着な」って。うちの演出部さすがにすごいと思って。いやいや、そういう話じゃない!(笑)昔の律子と春男が浜辺の2ショットをずっと引きで撮っているんですよ。でも水着の代わりにボディコン着させているじゃない(笑)。「小池さん、ここは張り切っていきましょうよ」と。でも衣装部が遠慮してたから「監督満足しないよ、バンといっちゃおうよ」って。それで喜んでやる小池さん可愛いじゃない(笑)。
――それもそうですが、安田さんも細かいところでボケをかますというか、春男がタクシーに頭をぶつけたり。細かいですよね。
あれは勝手にやったんですよ(笑)。そういうアドリブは放っておいた(笑)。そんなに面白くないけど、愛くるしいかなと。僕はああいうベタなことはあまりしないです(笑)
――今回の作品でいくつかアドリブはあったんですね。
予告編で使われているのもアドリブです。ちょっとしたアクションを付けることはありますけど、最後の家庭のシーンで「ドレスどれにしよう」って。あれは台本になくて、シナリオを作っている時にプロデューサーがもっと家庭がまとまっていいところも欲しいと。沖縄もあって、長州力さんの格言もあって、そして「ばかやろう」もあるからお腹いっぱいじゃないですか。そんなエピソードいらないわけですよ。「いい話なんかいらんわ」と言ったら、演出部が「でもこうしましょう」と。それがあのワチャワチャした感じで、それを一発で撮るからって。家族が入っている一枚絵はあそこだけ。だからあそこもアドリブって言ったらアドリブです。安田さんもこの後仕事ないんでしょ、飲みなさいって。
――本物の酒だったんですか。
本物です。なぜかと言ったら、前の作品の時に最後居酒屋のシーンだったんですよ。「監督、本当に飲んでもいい?」って言うから「いいよ」って。そしたら本当にベロンベロンになって編集できないのよ。だから、ワンカットで撮ろうと。高井が春男に送る色紙もアドリブというか、台本にはなくてちょっと前に考えて。本当は猪木さんの言葉を喋ろうと思ったんですけどね。いろいろありそうなのでやめました(笑)
言葉では細分化できない感情
――流れを見ていると、理屈ではない心の豊かさじゃないんですけど、ほんわかした部分が滲み出てくるなって。
例えば、同じ魚でも、人それぞれの味覚があると思うんです。感じ方も違っているけど、でも言葉に出すときは「うまい」になる。そんな感じで、人それぞれ性格は違うけど、相手と共有できる言葉が「うまい」しかないから、そこに当てにいっているんです。だから、その言葉を頼ると嘘が出てくるんです。人に伝わるのは言葉ではなく感覚。映画でもそれは同じで、セリフにちゃんと起こすと嘘になってしまう。なんでもない事だから分かるわけです。律子は春男に素朴に「あなたと結婚して良かった」と言っていますけど、小池さんもっと雑にしましょうと直したり。「ばかやろう」も「何がばかやろうなのよ」って言っている方が真実なんじゃないかと。僕は脚本家や役者にも言葉に頼るなって言っていて、その感情は本当なのか、たまたまその言葉を当てているだけなのか。そういうアプローチですね。どう? 監督っぽいでしょ(笑)
――いやいや「っぽい」ではなく監督です(笑)。少し話がずれますが、テレビのテロップはどう思いますか? 監督はテレビ番組の制作にも関わってこられたので。その言葉をどう感じているのかと。
「アピアランスって何だろう」、「言語って何なんだろう」といろんなところから考えた時に「矛盾があるよね」と自分なりにたくさん思う事があって、それによって自分の演出スタイルは変わっていくんじゃないかなと思うんです。他の監督さんってどうやってスキルを上げているのか分からないんですよ。結局自分自身で探求するしかなくて、人間とは何かということの探求でしかないと思うんです。哲学的になるけど、本当にそう思うんです。そう考えて、「好きだ」とか、「愛してる」って言うけど、それは「どの愛してる」なのか、「その愛してるなの?それは違うよね」って。言葉がないからそう言っているだけで、それをやるのが芝居なんじゃないかなと思うんです。同じ愛しているでも10人いたら違う使い方する。でもテキストは同じ。そこに思いをどう放つかという事だろうなと。
――相手に伝えるための手段として言語があるわけですが、それが必ずしも全てを伝えられるものではないと。
言語って記号ですよね。それを補完するのが芝居だったりするわけです。大きく「好き」という言葉でも、この中から「どう好きか」というのは芝居をするわけだけど、伝えたら終わりだと思っているから伝わらないんじゃないかなと思います。
葛藤があるから芸術になる
――取材で動画を編集するんですが、テロップばかりに頼っていて。視聴者にどう歩み寄れるのかと葛藤しているんです。
もともと関東の言葉なんですけど「知情意」という言葉があるんです。「知」というのは、人が何か情報を得る時まずはここから入る。目、耳、鼻、口、相手がこれを知るくらい届いていますかと。問題は「情」。素敵だとか、美味しそう、怖いとか、そういうのが届いていますかと。そして商品なら「絶対買う」というところまで届かせる。それが成果だと思うんです。そこまで届いているか、そこでチェックするというのがひとつだと思います。僕はテレビや映画はエンタメだと思っていて、人の心を動かすのはエンタメですから、エンタメエンジンで伝えないと人は動かないんじゃないかと。「ばかやろう」を将来ロボットが芝居しても伝わらないじゃないですか。「放ちたい」「エモーショナルな」というのがありますが、どういう気持ちで言っているのかが大事なんじゃないかな。
その証拠に同じシナリオがあって、10人の監督が撮ったら違う作品になる。それぞれの思いがあるから。逆に同じだったらおかしいでしょう。役者も違う芝居をするでしょう。でも、みんな平均化しようとするんですよ。自信がないから普通のお芝居をしようとするんですよ。自分に核心がないと普通になろうとする。その人である理由はないですよね。役者がオーディションで下手くそな芝居をしてもいいんですよ。あなたがどうかを知りたいのに、誰がやってもする芝居をやって。
――高井を演じたウイカさんは個性が出てて、良い芝居していましたよね。
それには理由があるんです。何年間か考えている時の探求で言うと、映画とか芝居、音楽、絵画、文学も葛藤なんですね。生物は葛藤がないので芸術を作り出さない。だけど人間は葛藤があるからこういうものを生み出すんです。口に出せないいろんな感情を言葉にしようとする。ということは、芝居は葛藤なんです。もともと高井は葛藤の場所がない、ただツンツンしているだけだったんです。これじゃ高井はつまらないと思って最後にひと山葛藤を作ればいいんじゃないかと思ったんです。実は春男の事が…となればツンツンしていたことにも理由が生まれる。そうなればこの役は素敵になると思いました。それをウイカさんに伝えたんです。
――そうみると、この作品の登場人物それぞれに葛藤が見えますね。
そうそう。それも面白いところだと思いますよ。
(おわり)