Tiara、母親の生きる姿 デビュー10年歌手活動への想い
INTERVIEW

Tiara

母親の生きる姿 デビュー10年歌手活動への想い


記者:村上順一

撮影:村上順一

掲載:20年12月25日

読了時間:約10分

 シンガーのTiaraが12月2日、配信アルバム『All about TiaraIII/Fan Selection Best』をリリースした。2009年9月2日、1stシングル「さよならをキミに... feat. Spontania」でメジャーデビューし、リアルな恋愛ソングで10代〜30代の幅広い女性から共感を得て“恋の伝道師”とも称されたTiara。10年間の活動を網羅したデジタル・アルバム3部作「All about Tiara」を10月から3カ月連続でリリース。3部作で計81曲という彼女の活動を余すことなく堪能できるベストアルバムに仕上がった。インタビューではこの10年間を振り返ってもらいながら、ここからの活動の展望まで話を聞いた。【取材・撮影=村上順一】

生半可なラブソングは書けない

――“恋の伝道師”というキャッチコピーが印象的ですが、このキャッチを聞いた時どのように思いましたか。

 「伝道師」というのが重いなと思いました(笑)。でも、このキャッチコピーがあったから「生半可なラブソングは書けない」と思ったり。

――その思いが伝わってくることに、恋愛でもちょっと過酷なシチュエーションに持って行ってしまうとお聞きしました。

 あはは。結構アーティスト“あるある”だと思うんですけど、決してわざとではないんです。歌詞を書くためになぜかそういうモードに持って行ってしまう感覚はあります。アーティストによっては「私は幸せな恋愛をしない方がいい」とかいう方もいて、みんな人生をかけてるんですよね。プロデューサーからも「君は幸せにならない方がいい」と言われていたアーティストさんも当時はいたみたいですから(笑)。

――リアルを追求すると自然とそうなりますよね。さて、デビューされてこの10年間を振り返るといかがですか。記憶を辿っていけたらと思っているのですが。

 私、忘れっぽいんですよ。一度お休みを頂いて3年前に復帰した時にサインを書くことになったんですけど、お休みしてたから自分のサインの書き方もすっかり忘れちゃっていて。だからその時はサインを新しく変えたんです。でもいま「サイン書いて」と言われてもその新しいサインも忘れちゃっているので、「どうしよう」って感じなんですけど(笑)。まだその機会が訪れてないんですけど、今から思い出さないとなと思ってます。

――書かないと忘れちゃいますよね。

 本当は覚えてなきゃいけないんですけどね。子育てしていたということもあって、この世界に戻ってくるのに、その振れ幅が大きかったので大変でした。なので1年ぐらい前から戻る準備はしていました。まずは見た目から痩せなくちゃ!とか(笑)見た目が変わってくると気持ちも変わってきますよね。

――曲の方は忘れたりはしなかったんですか。

 まだライブをしていないのでわからないんですけど、たぶん大丈夫なんじゃないかなと思っています(笑)。

――10月から毎月リリースしていたアルバムも12月で完結しましたが、今どのような心境ですか。

 これまでは自分のことを振り返る時間というのもほとんどなくて、今回3作品を連続でリリースさせて頂いて、1作品ごとに振り返ることができました。改めてデビュー当時はすごく忙しかったなとか、本当にありがたい経験をさせていただいたなと感じています。

――デビュー当時はどんな感じだったのでしょうか。

 当時はすごくリリースが多くて、シングルがリリースされる何週間も前から着うたの配信が始まっていました。逆算していくと新しい曲を作りながら今の曲を宣伝してと、ずっと繋がっている感覚がありました。全国プロモーションで新幹線移動をしながら必死で新曲を制作していたので、頭がごちゃごちゃになりながら、ラジオ局などに行っていたのを覚えています。

――10月に配信リリースされたアルバム『Collaboration Best』は、新曲としてKさんとのコラボ曲「あいのかたち with K」が収録されていますが、今までよりも一歩先に進んだ愛の歌になっているなと感じました。

 そうですね。どんなラブソングがリアルなんだろうかお話をして、Kさんも私と同じタイミングで結婚していてお子さんも誕生されているので、子供が同い年だったりするんです。二人で子育ての話とかもしながら「私たちが歌える曲ってどんな曲だろうね」とお話して。 最初はラブラブだった関係性も夫婦、家族になっていくとだんだん変わっていく、そんな曲がいいんじゃないかと曲の方向性が決まっていって。というのも上辺だけのラブソングを今の私たちが歌ってもそれはちょっと違うかなと思ったんです。

――この曲の中で、今だからこそ書けた言葉というのはありますか。

 2番のAメロとかかな。<なくてはならない空気のような存在>です。決して悪い意味ではなくて、だんだん慣れてくるとお互いの存在が空気のように当たり前になっていきますよね。存在しているのが当たり前で、無いと死んじゃう。それは自分の経験から出てきたものです。きっとこういう言葉は10年前の自分では書けなかったと思いますし、説得力も無かったんじゃないかなと思います。

――アレンジもアコースティック系で今までの楽曲とは趣が違いますよね。
 
 これまではR&Bのような打ち込みのアレンジが多かったので確かにそうですね。アコースティック系というのも久々だったのでレコーディングも緊張しました。コラボレーション自体も6年ぶりで、Tee君とコラボした以来だったということもあり楽しかったです。

――Tiaraさんはデビュー前にご自身の声を録音して分析していたとお聞きしていますが、自分のアイデンティティーに対する探究心がすごいなと思いました。

 昔から一点だけすごい集中する、という癖があるんです。昔、父が絵を描いていた影響で画家になりたいと思っていた時があったんですけど、その時はすごく絵に集中していました。そこから急に音楽に振り切ったんですけど。

――なんでも声が個性的だと褒めてもらえたのがきっかけなんですよね。

 カラオケで楽しんで歌うレベルだったので最初は全く歌えなかったです。レッスンでは最初ドレミファソラシドのドの音をずっと鳴らして、「ド」だけで1週間とかかけて、その音を正確に出す練習ばかりしてました。すごいスパルタな先生で「音をド真ん中で取れなければ帰りなさい」といった感じで…。ちょっとでもシャープやフラットしてしまうと、もうダメなんです。即退場!(笑)それを乗り越えたから今があるんだなと感じています。当時はできないのが悔しくて絶対できるようになってやる、というハングリー精神ってやってました。基礎はすごく大事だと思っていて、今でもたまにやっています。

自分を変えたいという気持ち

――11月にはカバーアルバム『Cover Songs Best』を配信リリースされましたがものすごい曲数ですよね。この曲は意外だったなという曲はありますか。

 歌謡曲は普段歌ったことはなかったので、それは挑戦でした。リズムやメロディーも今の曲とはちょっと違うので、すごく難しかった記憶があります。特に「まちぶせ」はリズムが難しくて、当時すごく悩みながら歌ったのを覚えています。あとラップの曲も挑戦でした。

――カバーされた曲で印象的だったのは?

 柴田淳さんの「夢」です。というのも私は柴田淳さんの『ため息』というアルバムが本当に好きで、曲に浸りながら弾き語りをしていた時期があったんですけど、この曲を歌わせていただいた時は本当に嬉しくて。その後に柴田さんのライブにも伺わせて頂いてお話しさせていただいたんですけど、柴田さんのおかげで「私も誰かを癒してあげたい」、という気持ちになれました。憧れの方に直接お会いできたのは、本当に嬉しかったです。

――ちなみに今お会いしたい方はいますか。

 実は一度お会いしているんですが、竹内まりやさんですね。『Cover Songs Best』にも「駅」「今夜はHearty Party」「元気を出して」と3曲入っているんですけど、竹内まりやさんのことがすごく好きで昔から憧れの存在です。来年ツアーがあって、チケットの先行予約特典が入っているライブDVDも買いました。

――一般の方と同じスタートラインから(笑)。

 はい。幸いご招待いただく事もありますが、当然のことながら基本的にはどのアーティストさんのライブもいちファンとして自分で頑張ってチケットを買っていますね。同じアーティストとしての礼儀として。なので、まずはチケットを獲得して来年ライブに行けたらいいなと思っています。

――さて、12月2日に3部作の最後を締めくくる『Fan Selection Best』がリリースされました。ファンの皆さんからのリクエストから選ばれた30曲が入っていますが、選ばれて意外だった曲はありましたか。
 
 「虹を描けば」です。この曲は1stアルバムの最後の曲だったと思うんですけど、ライブでも歌ったことがないですし、これは意外でした。未来への希望がある曲なので今回のベストでも最後に入れさせていただきました。

――1曲目の「愛しすぎて」はターニングポイントとなる曲かなと思っているのですが、Tiaraさんご自身としてはいかがですか。

 この時にミュージックビデオでロングヘアをバッサリと切ったのでそうかもしれないです。体を張りましたね(笑)。

――ずっとロングヘアだったのでしょうか。

 私、高校生まではスポーツをやっていたこともあってずっとショートカットだったんです。なぜ伸ばし始めたのかは覚えていないんですけど、ロングヘアにするのが憧れだったのかもしれないです。

――スポーツは何をやられていたんですか。

 陸上、水泳とかいろいろやっていました。当時の私は運動神経ぐらいしか取り柄がなかったんです。地元が田舎だったのでそんなに人数がいなくて、運動神経が良い子が一年を通してスポーツをやる感じで。私は陸上、駅伝、水泳、サッカー、バスケも少しやりました。

――結果的に音楽もできてすごいマルチな才能ですよね。

 でも当時は音楽の成績は5段階でずっと3でした(笑)。当時音楽はそんなに興味はなかったんです。私は恥ずかしがり屋なので、友達とカラオケに行ってもそんなに歌わなかったですし、カラオケで自分の番が来るとすごく緊張していました。今もそうなんですけど(笑)。ライブでも開演を待ってる間お腹が痛くなってくるくらい。ステージに立ってしまえば大丈夫なんですけど、開演10分前までは本当に緊張しています(笑)。

――そんな恥ずかしがり屋なTiaraさんが、いまステージに立って歌うというのはすごいことですよね。

 私は昔からそれがコンプレックスだったんです。自分を変えたいという気持ちが小学校5年生ぐらいからあって、まずは放送委員会に入って人前で喋ることから始めました。その次に集会委員という朝礼とかで大勢の前で喋るという委員があるんですけど、そうやって人前で話すことの段階を踏んで行きました。そこから中学生の時に友達がオーディションに応募してくれたりして、それをきっかけに世界の広さを知れたので、自分の可能性を知りたくなって自から応募するようになりました。

頑張っている姿を子供に見せて行きたい

――そこからバックコーラスなどスタジオミュージシャンとしての活動が始まって。

 有名な方の仮歌とかもやっていました。それをご本人が聞いてレコーディングに臨むという感じなんですけど、それを繰り返しているとやっぱり悔しいんですよ。自分は本番では歌えないじゃないですか。私の歌ったものは消えてしまう運命にあって、残らないと思うと凄く虚しい気持ちになったり。中にはコーラス向きな声ということでソロシンガーとしてデビューできない子もいたんですけど、私は運よく見つけてもらえて良かったなと思っています。

――コーラスといえば参加したケツメイシの「さくら」はヒットしましたね。

 たくさんの曲に参加させていただいて、ある曲ではイントロで私の声だけ使っていただいたりすごく嬉しかったですね。「さくら」というヒット曲で私の意識が変わったかもしれないです。当時はどこに行っても「さくら」が流れている状況で、誰も知らない私の声が後ろで流れている、という経験はすごく大きかったと思います。でも、私のことは誰も知らないというのは悔しくて、やっぱりこんな風になりたいと思いましたから。

――その経験がバネになって、この10周年つながっているんですね。さて、ここからどんな活動をしていきたいと思っていますか。

 子育てもありますしバランスを見ながらというのもあるんですけど、子供ができたことで母親の生きる姿と言いますか、目標を持って自分のやりがいのあることに集中して頑張っている姿を子供に見せて行きたいなと思っています。出来る限りこの歌手活動というのも続けていきたいなと思っていて、子供がいるからこそより強く思います。「お母さんかっこいいな」って、私の歌手活動が記憶に残って欲しいので。

――お子さんと一緒に歌うことあるんですか。

 歌います。昔は童謡とかそういう感じだったんですけど、今では5歳になったので流行っている曲をリクエストされるんです。この前も『鬼滅の刃』の映画を一緒に見てきたので、LiSAさんの「炎」を歌ってほしいとリクエストされて練習中なんです。「ピアノを弾いてほしい」と言われるんですけど、私はそんなに弾けないので、娘から「そこ違う!」と指摘されながらも頑張っています(笑)。Kさんも5歳の娘さんがいらっしゃるので『アナと雪の女王』の「レット・イット・ゴー」をひたすら弾かされたと話していて、どこも同じなんだなと思いました(笑)。

――Tiaraさんはラブソングという、ご自身の経験などリアルと重ね合わせた作品が多かったと思うのですが、アニソンみたいな作品の世界観に寄り添った歌詞の曲も聴いてみたいです。

 そういったのはあまり書いたことがなかったので、これからは色々なことをイメージしがら歌詞を書いていきたいです。それもここからの大きな目標の一つかもしれません。

(おわり)

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村上順一
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