岩崎宏美「本当にオシャレな方」筒美京平さんとの思い出を語る
INTERVIEW

岩崎宏美

「本当にオシャレな方」筒美京平さんとの思い出を語る


記者:村上順一

撮影:

掲載:20年10月20日

読了時間:約7分

 今年デビュー45周年を迎えた歌手の岩崎宏美が、12月2日にライブ音源ベストアルバム『LIVE BEST SELECTION 2012-2020 太陽が笑ってる』をリリースする。10月7日に岩崎のデビューから多くの楽曲を手掛けた、日本ポップス界、昭和の巨匠、筒美京平さんが誤嚥(ごえん)性肺炎により死去。12日に訃報が伝えられ、多くの人が悲しみに包まれ、岩崎も訃報を知り涙が止まらなかったという。インタビューは前編と後編にわけ45周年を振り返る。前編では、歌番組での思い出や、モノマネされて感じたこと、筒美京平さんはどんな人だったのか、など振り返ってもらった。【取材=村上順一】

全ての音が筒美先生の奏でるピアノの中に入っていた

――岩崎さん、45周年当日にYouTubeにチャンネルを立ち上げましたね。

 デビュー記念日に何か思い出を作りたい、という想いがありました。その中で自分から発信出来ることはないかと考えた時に、YouTubeがあったので、チャンネルを立ち上げたという経緯があります。最初、撮り方がよくわかっていなくて、夫が三脚を立ててスマホで撮影してくれたんですけれど、縦で撮ってしまったので細長になってしまって(笑)。でも今はちゃんと横にして、4Kで撮影しているんですよ。

――こだわりの高画質ですね。さて、この45年の中で岩崎さんは数多くの歌番組に出演されていますが、当時は中継で歌唱する事も多かったと思います。岩崎さんが印象に残っている歌唱中継は?

 「ザ・ベストテン(TBS系)」で原爆の日に広島から中継で「すみれ色の涙」を歌ったことです。喪に服している日だったので、街で歌う場所がなくて、広島のTBS系のテレビ局の屋上で歌ったんです。そこでスタジオにいらっしゃる黒柳徹子さんに呼ばれて歌ったことは印象に残っています。

 そうそう、黒柳さんといえばこの前テレビで昔の映像が流れていて、私が「シンデレラ・ハネムーン」を歌唱する前に、黒柳さんが「あなたのハネムーンはいつですか」と、まだ20歳ぐらいだった私に無茶振りをしている動画があって懐かしかったですね(笑)。

 あと、名古屋のテレビ塔のところで歌った「聖母たちのララバイ」も印象に残っています。すごく沢山の人が集まって、どうやって帰ればいいのかわからなくなるくらいで。駅も改札からは出入り出来なかったので、地下を通らせてもらったりして、ちょっとジャニーズ気分でした(笑)。

――当時の中継は面白いものも沢山あったと聞いているのですが、変ったところで歌ったことはありましたか。

 変わった場所というのはあったかもしれないけれど思い出せない。ただ、ドッキリはよくはあったんです。私が鈍感で、変装している人にいつまでも気付かなかったり(笑)。みんなが流石にもう気付いて欲しいと、ヒントを出してくれているんですけれど、私は全く疑っていなくて。あと、私が怒っちゃってお蔵入りになったドッキリもありました。あまりにも怒り過ぎて、私が山に逃げちゃったんですけれど、そのあとプロデューサーに、シャレにならないと怒られたのを覚えています(笑)。

――お蔵入りって本当にあるんですね...。さて、先日、筒美京平さんがお亡くなりになられました。岩崎さんにとって筒美さんは育ての親と言っても過言ではないと思いますが、今はどのようなお気持ちですか。

 筒美先生の体調が悪いことはずっと知っていました。私のディレクターだった飯田久彦さんが筒美先生と親しくされていたので、体調のお話は聞いていたんです。先月、川崎で行ったコンサートにも飯田さんが来てくださって、筒美先生の事を聞いたら、やっぱり体調は良くないとのことでした。

――訃報を知ったのはいつだったのでしょうか。

 訃報知ったのは皆さんと同じで12日で、ネットのニュースで知りました。ニュースを見た瞬間にもう手は震え、涙も止まらなくて...。心の準備は出来ていたはずなのにビックリしましたし、すごく悲しかったです。

――岩崎さんが最後に筒美さんとお会いしたのは?

 10年以上前なんですけれど、ジムでお会いしたのが最後でした。ご病気になられて、そのリハビリのために通っていらしたみたいですけれど、その時はお元気そうでしたね。ジムのスタッフさんから「岩崎さん、お知り合いなんですか」と聞かれたんですけれど、先生は本名の渡辺さんで登録していたので、誰もその方が筒美先生だとは知らなかったんですね。その時は先生と他愛もない世間話をしただけでしたが、その日のことは今でも忘れられないです。

――岩崎さんから見て、筒美さんはどのようなイメージの方でしたか。

 阿久悠先生もそうでしたが、筒美先生のラフな姿はあまり見たことがありません。いつも必ずダブルのスーツでネクタイをしめていらっしゃいました。服や靴は舶来物を置いてある洋服屋さんに買いに行くとおっしゃられていました。先生は足のサイズが24.5cmと小さくて、田辺エージェンシーの田邊昭知さんもサイズが同じぐらいだったみたいで、そのお店もそんなに多く同じサイズを仕入れないから「(田邊昭知と)服や靴の取り合いになるんですよ」と、楽しそうにお話しされていて、本当にオシャレな方というイメージでした。だからきっと、お作りになられる楽曲も常に新しい洋楽のサウンドを自分の音楽に、取り入れられていてオシャレなんだなと思いました。

 私も新曲を頂く度に、先生がピアノを弾いて曲を教えて下さるんですけれど、その時点で先生は頭の中で編曲も出来ているので、フルオケみたいなサウンドをピアノ一本の伴奏で歌わせて頂いていて。いま思うと全ての音が、先生の奏でるピアノの中に入っていたんだと思いました。

――筒美さん直々のレッスンもあったのでしょうか。

 レッスンという感じではなくて、その曲のメロディを教えて頂く感じです。あと、キー合わせのために先生のピアノで歌ってみたり。

――ちなみにデビュー曲「二重唱(デュエット)」の時のキー合わせは覚えていますか。

 それが、レコーディングの事は覚えているんですけれど、「二重唱(デュエット)」のキー合わせは覚えていないんです。記憶にあるのは「ロマンス」からで...。

 当時先生から「あなたは将来歌っていくにあたり高音を褒められると思うけれど、あなたの良さは中低音にあるということだけは忘れないで」ということと、「少しリズムを感じ取るのが甘いところがあるので、もっとリズムのある曲を聴いて勉強なさったら良いんじゃないかな」とアドバイスを頂いたのを覚えています。今もその言葉を大切にして歌っています。

――昨年リリースされた『Dear Friends VIII 筒美京平トリビュート』を聴いた筒美さんから感想を頂いたんですよね。

 飯田さん経由でお聞きしました。「岩崎さんらしく、丁寧に歌ってくれているね」と仰ってくださったみたいで。今の私の歌を聴いていただけたことが嬉しかったです。本当に大切な思い出になりました。

――今といえば、最近エレファントカシマシの宮本浩次さんが「ロマンス」をカバーされていました。

岩崎宏美

 カバーを聴いてすごく感動しました。宮本さんが歌ってくれたおかげで太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」や、私の「ロマンス」が、新しい人たちに歌い継がれていくというのは、すごく嬉しいことです。「木綿のハンカチーフ」は太田さんとはまた違った魅力があって、男性の掛け合いの歌になっているんだなと感じました。

――次の世代への架け橋にもなっていますよね。

 そうなんです。架け橋といえばもちろんコロッケもそうですよ。私も含め、ちあきなおみさんも繋いでいますから。コロッケは本当にモノマネが上手だと思いました。私が活動をお休みしていた時、コロッケが繋いでいてくれたと思っていて、マネされて嫌だなとかは全く思ってないですよ。でも、初めて見た時は驚きましたけど(笑)。

――初めてご自身のモノマネをされているコロッケさんを見た時は、どんなシチュエーションだったのでしょうか。

 実家では小ぶりの冷蔵庫の上にポータブルテレビを置いていました。想像してみるとそれもすごい光景だけれど、テレビを見ていたら、コロッケがモノマネをしていて、当時から、ちあきなおみさんや野口五郎さんのモノマネがすごく面白かったので、その時も「さあ次は誰かな?」と思っていたら、まさかの自分のモノマネだったのでびっくりしました。その時のことは本当によく覚えています。

――衝撃はすごそうですね。

 コロッケが私をモノマネすると、こうなっちゃうんだって(笑)。でも、まんざら違うとも思えず、こんなに私はアゴが突き出ているのか、と思いながらも「すごいなあ」と観ていました。

 あと面白いのが、六本木にコロッケがやっているお店があったんですけれど、モノマネに怒ってその看板を夜な夜な、私と野口五郎さんで壊しに行っていたという噂まで出ちゃって。もちろんそんなことしてないんですけれど(笑)。

(後編に続く)

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